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新田氏と足利氏
Index ティータイム 足利氏と新田氏 南北朝の初期、互いに争った足利氏と新田氏は先祖を同じにする同族... Index ティータイム 足利氏と新田氏 南北朝の初期、互いに争った足利氏と新田氏は先祖を同じにする同族同士でした。 源義家(八幡太郎)の二男義国は下野国足利庄(栃木県足利市)にあって足利氏を称していましたが、義国の長男義重(1114~1202)は足利庄を出て上野国新田庄(群馬県新田郡)で新田氏を称し、二男義康(1127~1157)が足利氏を継いだのです。 なぜ長男の義重が足利の家を継がなかったのか、その理由ははっきりわかっていません。作家の海音寺潮五郎氏は義康の母は後妻だったので先妻以上に義国に愛されていたためではないか、と書いています。 注意:新田義重の生年には1114年、1135年の二説がありますが、1135年ですと義康の兄にはなりません。また義康の生年も1116年、1127年の二説があります。 ■新田氏 長男でありながら実家を継ぐことができなかった義重の胸中はどんなものだったのか。