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ミャンマーの悲劇 どこかの国が「いい子」のせいで… [2001年01月20日 東京夕刊]
ミャンマーの悲劇 どこかの国が「いい子」のせいで… [2001年01月20日 東京夕刊] 九〇年代初めのミャン... ミャンマーの悲劇 どこかの国が「いい子」のせいで… [2001年01月20日 東京夕刊] 九〇年代初めのミャンマーはなまじの貧しさではなかった。 かつてアジア最大のハブ空港として栄華を誇ったミンガラドン空港は、そう言っては何だけれど差し押さえられた町工場みたいに暗く、わびしかった。 ヤンゴン市内へのアクセスだって小型トラックの乗り合いタクシーだけ。乗客は荷台の木製ベンチに腰掛け、スコールがやってくれば幌から漏れる雨水でびしょ濡れにもなった。 この国は元英国植民地では異例の非英国的右側通行になる。というのもビルマ人は「英国」が大嫌いだからだ。 英国人はさまざまな手口でビルマ人のアイデンティティーを奪った。十九世紀末には国王以下の王族をインドの果てに島流しにして、国民の求心力を奪った。 国王の娘、美貎のファヤ王女の消息をほぼ一世紀ぶりにヒンドスタン・タイムズ紙が報じた。王女は英植民地軍兵士の
2007/09/27 リンク