実家の物置で「鳳凰」の描かれた100円玉を見つけたのですが、今でも使えますか? 高く売れたりするのでしょうか?
「ある日鏡を見て自分が醜いと感じてしまうことは、誰にでもある。ひどい下痢をしているからかもしれないし、冬太りしてじゃがいもみたいだからかもしれない」。 じゃがいも…。かなり真剣なトーンで少々棘があるこのセリフを言い放ったのはオーストラリアのビジュアルアーティストMiranda Jill Millen(ミランダ・ジル・ミレン)。二重あごセルフィーが大好きな22歳だ。 「可愛くある必要はない」「代わりに醜くなればいいじゃない」。ピンク色の上にただそう書かれた彼女の作品。他にも全体的にデブ、ブス、ハゲ…社会で「美しい」とされるものとはかけ離れた特徴がある人が彼女の作品には多い。 醜くなればいいって?醜くなりたい人なんているの?どうしてそういう人たちばっかり描くの?彼女のメッセージの真意とはなんなのか。若い社会派アーティストを紹介するBe inspired!の連載「GOOD ART GALLERY
留学経験もなく、海外生活の経験もありませんが、さほど困ることなく英語の世界で仕事をしていたりして、それを知ってる周りの人から「どうやって英語を勉強すればいいんですか?」と聞かれることが結構あります。 もちろん、留学・海外生活をしていた人々と比べれば話せませんし、自分では出来てるとはまだまだ全然思わないし、伝えたいことが伝えきれてなかったり、ないしはこっちが話をしている内容が相手によく伝わってないなぁと相手の表情から感じることも多々あります。しかしその一方で、「高広さん、どうやって英語の勉強したんですか?」と聞かれたり、海外のイングリッシュ・スピーカーの友人・知人からも「どこで英語勉強したの?留学してた?」とか言われたり、外資系ヘッドハンターからも「それだけできたら充分です」と言ってもらえるくらいには英語ができてます。 そして不思議なことに、自分自身、「めちゃくちゃ英語漬けになって勉強した」
これはわたしの観測範囲の問題かもしれないんですけど、最近のインターネットを見ていてよく思うのが、「マジョリティである」と認識することの難しさです。 ひとはいろんな属性を同時に持っているので、ある場面ではマジョリティだけど別の場面ではマイノリティである、といったことはあります。 でも、それがわからない人がすごく多い気がする。ある文脈ではマジョリティになっているにも関わらず、自分のことをいついかなる時も絶対マイノリティだと思っていて、批判されると「また口をふさがれた」みたいな被害者意識を強めてしまう、みたいな光景をめちゃくちゃよく見る。その被害者意識が攻撃に転じる。で、すでに抑圧されている人をさらに傷つけてしまう。そういう、最悪な負の連鎖があらゆるところで起きている気がする。 多分それって「マジョリティである」と認識すること、それにまつわるあれこれを引き受けることが本当に難しいからっていうのも
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