倉科遼問題。 それは、だれもあまり問題にしてないが恐ろしい問題である。 過去にも何回か問題にしてきたが、どうせブログの過去ログなんてみんな読みやしないだろうから、繰り返し書くことにする。 ・その1 以前、某大御所マンガ評論家(っていうか、呉智英だったかな?)が「倉科遼のような、一般人が読むようなマンガを評論家はもっと評価すべきではないか」というようなことを言っていた。 それに対する、ネット上での「今頃倉科遼とか言ってるけど、そこら辺の人でも普通に読んでるし、そもそも『評価されてない』ってだれに評価されてないってこと?」という反論めいたテキストを読んだことがある。 ここにはいろいろな問題が含まれている。たとえば、マンガ評論家が必ずしも優れたレビュアーとして機能しきれていないという現実があることをまず、表している。 優れたレビュアーとして機能していれば、それがいい意味で「権威」となり、「倉科遼