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ブックマーク / maroyakasa.hatenadiary.org (11)

  • 九尾のネコ鞭:「ドラえもーん!人生に意味が見出せないよぉ〜」パパパパン!「大きな物語生成装置〜」

    NWatch ver.4 - 非モテ・非コミュについてだらだらと を読んで。雑感。 「大きな物語」が崩壊したのを受けて、我々はどうやって生きていけばいいか悩んでいる。 ひとつは、その瞬間、瞬間をとにかく楽しみ、「意味」なんてものを考え無いようにする方法がある。バブル経済のころなら「大量消費」で空っぽだけど楽しく生きることも出来たんだろう。しかし、今はそんなことIT長者くらいしか出来ない。「大量消費」なしで、楽しく生きる術としては、ひとつはDQN化がある。後先考えずセックル!セックル!である。またはオタク化。ツンデレ萌え〜。これも極めれば楽しい。電波男まで行けば、2次元と恋愛すら可能になるらしい。 しかしどっちも人を選ぶ。ある瞬間、はたと自分がやっていることの無意味さに気づいてしまうかもしれん。そしたら終わりだ。おそろしや。 じゃ、何とか「日常」に意味を見出す方法を考えよう。最もお手軽に「日

    九尾のネコ鞭:「ドラえもーん!人生に意味が見出せないよぉ〜」パパパパン!「大きな物語生成装置〜」
    flak
    flak 2005/12/17
  • Yahooブログにおけるトラックバックの研究 - 九尾のネコ鞭

    アップルのiMac G5欲しい!アップルのiMac G5欲しい!今のパソコンはDVD使えねーんだ。DVD見せておくれぇ…。 と、おねだりしたあとで。 Yahoo!ブログ - BUNGAKU@モダン日 発想転換,トラックバックはこんなに簡単! 「昔書いた記事も関連エントリを検索してトラックバックすればPV上がるじゃん。トラックバックってかんたーん!」という記事が大炎上。 一般的に言ってトラックバックってのは、あるエントリに言及し、そこへのリンクをはって、最後にトラックバックするものだ。上記のやり方では、エントリへの言及はしていないし、リンクも張っていないことになる。「常識」はずれだ。 しかし、こういった「常識」ってのをどこまで普及できるのか、もしくは、そもそも普及すべきなんだか、今回の件でわからなくなってきてしまった。件のブログやその周辺を見ていると、私が知っているのとは全く違う「ブログ界

    Yahooブログにおけるトラックバックの研究 - 九尾のネコ鞭
    flak
    flak 2005/12/08
  • 九尾のネコ鞭-他の人のコメントを見たい理由って何?

    また、はてなブックマークの暴力性が話題になっているみたい。しかも非モテ関連がきっかけらしいですね。 結局「はてなブックマーク」は現在、「ニュース速報板+」または「ネットウォッチ板」になっているわけです。良く考えてみたら構造一緒だもんね。僕もブクマするときに「他の人は何てコメントしているかな〜?」って楽しみにしつつブクマしている。 しかも、2ちゃんねるですら「ttp://」とhを抜くことで、辿られないように配慮(?)していることが多いのに「はてなブックマーク」は丸出し。こういう問題はそりゃ起きるわなぁ。 誰がこのページをブクマしているかだけ(あと、タグもかな?)を表示して、コメントを見れないようにすれば2ちゃんねる化しなくなるだろうとは思う。つまんなそうだけど。 …ん?何故つまらなそう、と思うんだろうか。そもそも、何で他の人のコメントを見たいんだろう? みんなが自分と同じ意見を持っていること

    九尾のネコ鞭-他の人のコメントを見たい理由って何?
  • 地方都市ってなんというか、あれですよね。 - 九尾のネコ鞭

    東京ブロガーとか良く分からん。だって、東京生まれ東京育ちだもーん。23区じゃないから正式には違うのかもしれないけど。まぁ、そのあたりの話を見てて思ったこと。 先日「サマー/タイム/トラベラー」って小説を読んだ(面白かったです。ラノベっぽいところはあんまり好きになれんけど)。この小説の舞台が地方都市なんだが、この地方都市っていう舞台がなんだかとてもうらやましく感じられたのだ。うーん。どう、うらやましいのかうまく表現できないんだけど。 なんだろうか。箱庭感とでも言おうか。この世界の外には「何か」があって、ここは作り物の世界だという感覚。RPGにおける序盤の大陸みたいな?うまくいえん。これが単なる「田舎」だとまた別の感覚になってしまう。こっちは郷愁なんだ。郷愁もあるかもしれないけれど、それ以上のなにかがある。 地方都市。多分この「都市」がポイントなんだろう。東京というものをまねて創った模造品。模

    地方都市ってなんというか、あれですよね。 - 九尾のネコ鞭
    flak
    flak 2005/11/12
    首都郊外→地方都市への視線
  • モヒカン族は大峰山を登るか  - 九尾のネコ鞭

    女人禁制の大峰山で女性ら3人が登山強行 この女性グループが出した質問状が、こちら。 「女人」って誰のこと? …と、紹介しようと思ったのに炎上して閉鎖に追い込まれたらしい。あれ?結構批判的ページだった記憶があるんだけど何故炎上?どなたか、質問一覧をもう一度上げてくれぬものか…。 まぁ、記憶を頼りに書くと「なぜ、入山が駄目なのか?」「性同一障害者は入山できるの?」「山でオナニーしたら駄目?」(←この質問は意味が分からん)とかあったと思う。 ざっとブログを見ると、ほとんどが批判的意見であった。割と好意的なのはこのブログくらいか。 kmizusawaの日記 - 女人禁制 質問状を読んだとき、私が思い出したのは、モヒカン族だ。フェミニズムというのは、なんとなく認められてきた規範を改めて問い直し、批判する運動でもある。それはモヒカン族の思想とよく似ている。 モヒカン族ならこの事件をこう言うんじゃないだ

    モヒカン族は大峰山を登るか  - 九尾のネコ鞭
  • 九尾のネコ鞭 - 遅れてきた毒殺少女

    化学好きの女子高校生が母親を毒殺未遂。彼女は、弱り行く母親の様子をブログに淡々と記録し、しかもブログ上では「僕」を名乗っていた…。 ここまで「オモシロイ」事件なら、さぞかし話題になるだろうと思っていたのだが、意外にも多くの人が冷静に事件を語っている。ちょっと驚いた。これが10年前なら間違いなく、事件を文学作品のように読み解いてみせる「識者」が大勢現れ、彼女の自意識に同調してみせたに違いない。 どうやら「物語」になるには、彼女は遅く来すぎてしまったようなのだ。自意識をこじらせた少年少女に、皆が同調していた、90年代のあの雰囲気は過去のものになっている。もちろん「酒鬼薔薇事件」などを通して、こういう事件になれきってしまったというのもあるんだろうけど。 それじゃ、今この時代は、どういう「雰囲気」なんだろう。あの90年代から抜け出て、今はどういう場所にいるんだろう。良くわからない。 今、うたたねし

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    flak 2005/11/06
    統一教会
  • 九尾のネコ鞭 - 劇場に立てない男

    男の保健室(わたしの保健室にいらっしゃい) 「賢い女を落とす方法」という話なのだが、心を捉えた文はこれ。 女って性欲に負けるのは、いやだけど「愛」に負けるのはへっちゃらだよね。 むしろ負けたい。 自分のカラダに興味を持たれるけれど、セックスに至らないというのは、女の中ではなぜか「愛」です。 相手にかわいい女になってほしければ、かわいい女として扱えばいいだけなのに、 何故、同じリングにずっと女を立たせておくの? おお、なんだこの感じ。気分が悪いような、勉強になったような、なっていないような。特に効いたのは「相手にかわいい女になってほしければ、かわいい女として扱えばいいだけなのに」である。 普通に生活しているとき、必ずしも男性が男性的であるかというと、んなこたない。女性的な部分もまた同様に抱えている。これは女性も同じ。女性も男性的な部分を抱えているはずだ。これは、来の自身の性を押さえ込んでい

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    flak 2005/11/01
  • 九尾のネコ鞭 - 極私的なmixi論

    mixiの有効な使い方――適切なプライバシー・コントロールという記事が評判になっているようだ。わたしもmixi論でも書こうかと思ったが、どうせ誰かがやっているに決まっている。そういうわけで、今回は私的な話。 mixiに招待されたのは結構前だ。とりあえず日記をつけて、いくつかのコミュニティに参加してみた。レビューもがんばって書いた。 数日後、mixiのつまらなさに唖然とする私がいた。 コミュニティはまったく盛り上がっていない。2ちゃんねるのほうがよっぽど情報が早いし、雑談も面白い。自ら盛り上げてみたものの、そのとき多少盛り上がったあとは、誰も次のネタを振らない。お前ら、盛り上げる気ないだろ。 さらに、友人の日記は恐ろしくつまらない。なんだ、その5流テキストサイトみたいな書き方は。いまどき流行んねーんだよ。だいたい、お前の日常の些事なんて聞きたかないんだ。 まともなレビューはほとんどない。「こ

    九尾のネコ鞭 - 極私的なmixi論
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    flak 2005/10/07
  • 2005-09-24

    嫌韓流と非モテというエントリーに反響が結構あって、その中で色々と論争した。その結果をまとめ、ついでにあのエントリーの穴について書いておこうと思う。 嫌韓の問題点は建設性のなさである。 付き合っていくことが避けられない韓国。しかし、嫌韓厨は「ネタ」を集めるだけで、どのようにして付き合っていくかと言う視点が欠けている場合が多すぎる。これを「非モテ」の文脈で用いたのが先のエントリーであった。 実際、嫌韓と非モテには似通った部分が多い。建設的という言葉が、社会を改良していこうとする様子を表すのならば、両者とも建設的ではない。 しかしながら、違いもある。最大の違いは、付き合っていかねばならないかどうかだ。 韓国は隣国であり、政治的にも無視できない規模の国だ。したがって、無視を決め込むことは出来ない。しかし恋愛や人間関係は、かなり無視することが出来る。そのため、「モラリストでない連中は、そして特に女性

    2005-09-24
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    flak 2005/09/25
  • 九尾のネコ鞭 - 喪男の喪は…

    色々コメントを頂いたおかげで、僕の中でもだいぶ考えがまとまってきた。一部前回のまとめと被るが、まず、もう一度、これまでの流れを。 嫌韓流と非モテは、非モテ界隈で行われる「ほぼすべての女性が敵だ」という言説が不毛で、建設的でないということを指摘したものだった。 これに対し、「ほぼすべての女性が敵だ」と発言することが建設的だとRSR氏は述べた。 自分たちの正しさを主張できるだけの根拠や論理武装を孤独な喪男たちに提供し、護身の完成を目指すことが目的です。 しかし私はそうは思わなかった。「ほぼすべての女性が敵だ」と言う考えはあまりに不毛だと感じた。 まず、私の立ち位置から説明しよう。 非モテの辛さは、単に愛されなかったと言うことではない。それはたぶん仕方がないことだから。しかし、恋愛が出来ないことに対する外からの圧力、自分が社会不適格者なのではないかと言う不安、これらはなぜ存在するのか。 その裏に

    九尾のネコ鞭 - 喪男の喪は…
  • 九尾のネコ鞭 - 「避モテ」って言っても色々

    先日のエントリーに関し、RSRさんという方にコメントをもらった。 RSRさんのコメントは要するに「女性の醜さを語る」と言うことは 自分たちの正しさを主張できるだけの根拠や論理武装を孤独な喪男たちに提供 することなんだ、という話だった。 当は、コメントで返そうと思ったのだが、長くなってしまったのでエントリーに仕立てあげてみた。 で、RSRさんの主張は、自分と同じ見解なんですね。じゃ何故、い違いがあるのか。 ひとつは「ほぼすべての女性は醜い」という命題の真偽です。その真偽を分けるポイントは「醜い」の定義でしょう。 たとえば、覚悟さんのコメントをみると、覚悟さんの「醜い」の定義は実に適用範囲が広い。たとえば、女性を好きになる際に容姿を考慮すれば、それは途端に「醜い」男。しかし私は、そこまで「醜い」の適用範囲を広げられません。そんなことしたら自分があまりに「醜く」なっちゃう。 RSRさんも覚悟

    九尾のネコ鞭 - 「避モテ」って言っても色々
    flak
    flak 2005/09/18
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