中山 研一氏(なかやま・けんいち、本名=乾研一=いぬい・けんいち、京都大名誉教授)7月31日、肺がんのため死去、84歳。告別式は4日午後2時から京都市南区西九条池ノ内町6
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中山 研一氏(なかやま・けんいち、本名=乾研一=いぬい・けんいち、京都大名誉教授)7月31日、肺がんのため死去、84歳。告別式は4日午後2時から京都市南区西九条池ノ内町6
自分でもよくわかっているわけではないのだがたとえば(これはあくまでも一例でしかない、自分はホームレス問題について深刻な関心を持ってはいない)、ホームレスの公園「占拠」を巡る事件において、事実としてではなく権利としての「占有」の意義が下手をすれば浮上しかねない、といった話が妙に頭の隅に引っかかっている。 そして木庭顕先生は、あろうことか「法の核心は占有にあり」ととんでもないことをおっしゃる。世界のどこにでも普遍的にある広い意味での「法」ではなく、今日の我々の実定法、市民法と司法のシステムとそれを支える学理としての「法」の核心は、もちろん「人権」などではないがさりとて「所有」でもなく、今やほとんど死にかけてその意味も見失われている「占有」である、と。しかしそのことはローマ法、それも「所有」概念とともに爛熟期を迎えた帝政期のではなく、共和政期のそれを見なければわからない、とも先生はおっしゃる。
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