「百年の孤独」を粘り強く読んだら、読書スピードが上がった件 最近、本を読むスピードが速くなってきた。片道の通勤電車で50ページだったのが、70ページくらい読めたりする。 理由は先日、百年の孤独をなんとか読み終えたことが大きい気がする。 百年の孤独 (Obra de Garc´ia M´arquez) 作者:ガルシア=マルケス,ガブリエル 新潮社 …
苦節数年、やっとマンガ家になった。それまで一読者としてマンガを楽しんできたんだけど、読者のころ考えていたマンガ家像とだいぶ違う。まず最初に思ったのは、世にあふれるマンガ評論の類がほとんどただの妄想だったこと。ぼくが作品を発表して、ネットで色んな意見がつく。そのなかに妙に断定口調で「こいつは○○に違いない」とか「このキャラのこの行動はこういう意味」とか語りたがる輩が多い。「この作者はこんなこと考えてるんだぜ!」という奴も居た。それだけならまだ良いんだが、その脳内設定をもとにぼくへの人格攻撃をしてくる人すら居る。そんなにイヤなら読まなかったら良いじゃない。君にとってぼくのマンガが面白くなかったからって「死ね」といわれる筋合いは無い。たかだか数百円払ったくらいでぼくの生死をどうこう出来る権利なんて無いだろう。 名前を呼び捨てられるのも最初は抵抗があったが、もう慣れた。ファンと言われる連中がどれだ
はてなグループの終了日を2020年1月31日(金)に決定しました 以下のエントリの通り、今年末を目処にはてなグループを終了予定である旨をお知らせしておりました。 2019年末を目処に、はてなグループの提供を終了する予定です - はてなグループ日記 このたび、正式に終了日を決定いたしましたので、以下の通りご確認ください。 終了日: 2020年1月31日(金) エクスポート希望申請期限:2020年1月31日(金) 終了日以降は、はてなグループの閲覧および投稿は行えません。日記のエクスポートが必要な方は以下の記事にしたがって手続きをしてください。 はてなグループに投稿された日記データのエクスポートについて - はてなグループ日記 ご利用のみなさまにはご迷惑をおかけいたしますが、どうぞよろしくお願いいたします。 2020-06-25 追記 はてなグループ日記のエクスポートデータは2020年2月28
誰かにちっぽけな☆を id:Francis さんの書かれた承認関連の話題 ■[俺]承認関連の話題を続けます http://d.hatena.ne.jp/Francis/20071011/1192112764 こちらの記事拝見させて頂いて、脊髄反射的にずらずら書いてしまいました。 まとまりない乱文ごめんなさい。 勢いで書いてしまったので、推敲した方が良さそうなんだけど、でも勢いも大事かな〜とそのままいっちゃいます。 誰かににちっぽけな☆を。 それは結果的に自ら自分を解き放つことになるのかもしれない。 許されて居ない、承認されていない、そんな強い思いや念が枷となり、やがて固い仮面を被り厚い鎧の内側に閉じこもり逃げ込む。 拒絶や拒否、否認、無視の衝撃から少しでも逃れるため。 でも、他者にはその鎧がその人として写る。 しかしその鎧の内側には、傷つきやすく敏感なままの自分が、自分でも気付かずにそこに
読んでいただいた皆様に感謝を よしここは「あなたに読んでいただけてよかった。ありがとう」とかくべき。 しっかしあいかわらず非モテか無断リンクでしか人が来ないなあ。ここはらいとのべるのかんそうぶろぐなんだぞー(むなしい)(だったらぐにゃっとした印象ではなく批評に耐えうるような書評をちゃんと書け) さて、ブクマコメントを読んで思ったことを書こう。考えがすごく発散したので、ひとつにはまとめ切れませんでした。 他者を承認する困難性 強烈に他者を承認する言葉がある。「あなたに出会えて良かった」「今まで生きていてくれてありがとう」「あなたは既に許されている」とか。しかしこれらの威力は簡単には言われた者の心まで届かない。 威力が大きすぎてうそくさい。上っ面を滑ってしまう。直撃させるためには、その言葉がその状況その発言者から語られることがレアである、被承認者が発言者を既に承認している、など他の条件を必要と
俺はそのケが強いと思う。 オールオアナッシングな思考をする人は、求める対象にちょっとでも不備があると興味関心やる気等がゼロになる傾向があるという。 まさに俺はそれ。不備がないうちは、ずかずかやる気もって進めるのだが。 で、そういう人に対して、カウンセラーなどは、「完璧なんてほとんど有り得ない」事を自覚するんだ、等のアドバイスをする。 それは、わかる。そういうアドバイスの理屈は分かる。 でも、なんていうか、それは出来ない。 ていうか、出来たくない。 完璧なんて有り得ないことを自覚したくない、というか。 いや、それはちょっと違うな。 なんていうのだろう。 完璧を目指すのを止めたくない。諦めたくない。そんな感じだろうか。 だからその種のアドバイスをされても、俺にはピンとこない。 というか、そんな事は、何となく分かっている。 それでもそれを諦めたくない。完璧を目指すのを諦めたくない。というか、それ
http://anond.hatelabo.jp/20071011152737 効果は認める。だから是非受けたほうがいいと思う。でもあまり頼るのは止めたほうがいい。 友達は鬱になってもう7年カウンセリングに通ってる。 カウンセラーはどんな話でもとても良く聞いてくれるから。 友達に話したら正直うぜーと思われるような後ろ向き全開な話や、おまえのことなんか知らんがなと思うような自己の内面の話を 全部うんうん聞いてくれるから、それが心地よすぎて抜け出せなくなってる。 それにカウンセラーは基本的に、自分から結論をいったりしないから、他力本願だとまずい。 「それはどういうこと?なんでそう思った?それはなぜだと思う?それに対してどうすればいいと思う?何ならできると思う?じゃあ、それを試してみようか」 みたいな感じ。あくまで自分を見つめなおさせて、自己解決に導く。 俺はそれが気に食わなかった。真剣に相談受
http://manyissue.blog112.fc2.com/blog-entry-68.htmlの続きと言えば続き。 ★ ■ 朴美景『走れ、ヒョンジン!』 DVDより先に『走れ、ヒョンジン!』が届いたので、こちらから読んだ。映画のモデルとなった自閉症ランナーの母である朴美景(パク・ミギョン)さんの手記である。 いい本だ。自閉症児・者に関わる人ならば、読んでおいても損はしないだろうと思う。 前にも書いたことかもしれないが、(カナー型の)自閉症児・者とその親の関係と、高機能自閉症・アスペルガー症候群の人の無意識と自我の関係は、よく似ている部分がある。 わけのわからないものを家の中/心の中に抱え、こいつを一体どうやって生きさせてやったらいいかという考えが頭から離れない。周囲から横槍を入れて迷ったり、「結局責任を取らなきゃいけないのは親/俺なんだし」ってことで迷いを払いのけ
日常生活の中で見られる抵抗や反応 1 “青木まりこ現象” “青木まりこ現象” のふしぎ 最近、“青木まりこ現象” として知られるようになった現象があります。2003年11月発行の『AERA』誌に掲載された記事(吉岡、2003年)によると、これは、青木まりこという女性が、1985年にある雑誌に投書したことから命名されたもので、書店に長時間いると便意を催すという現象を指すのだそうです。これは、私の言う反応(「私の心理療法についての簡単な説明」中の「反応」の項を参照のこと)が日常生活の中で起こる実例として、比較的わかりやすいものです。このような現象が一般に知られるようになったことは、非常に大きな意味を持っていると思います。これらは、人間の心の本質を突き止めるための有力なヒントになるからです。 この症状は、書店ばかりでなく図書館でもごくふつうに見られるもので、現象としては少しも珍しくありません。し
まず「デフォルトの性格」「ありのままの自分」がダウト。 性格とかキャラなんて関係性の中でしか存在しないんだから。 ほら、「Aさんは会社では腰の低い人、でも恋人といると尊大」とかあるじゃん。こういう場合、低い方(ここでは尊大)が「本当の性格」とか思われがちだけど、それって冷静に考えるとおかしいでしょ。両方Aさんの性格じゃん。性格ってのは、最終的には自分で決められるもんじゃないんだよ(当たり前か)。 って考えると元増田の「悲観的」という自己認識だって、自分とメタ自分の関係性の中で、メタ自分が判断した性格にすぎないわけで。 あとKY圧力どうかと思いますよね。別におれら芸人じゃないし。さんま御殿に出てるわけでもないし。 がんがん読まない方向で行けばいいんじゃないですかね。モヒカン的かっこよさが醸し出される可能性もあるんだし。 悲観的な発言って、具体的にどんななのかよくわかんないから適当に言うけど。
ほぼ満席の電車。 自分の隣だけ席が空いている。 おばあちゃんと孫が乗ってくる。 このとき、おばあちゃんにぜひお願いしたいのは 孫を座らせないで自分が座ること。 孫が可愛くて仕方ないのかもしれませんが、 それは実に迷惑な行為なのです。 おばあちゃんが座ってくれたら、 そこにいるのは 座っているわたくし 座っているおばあちゃん 立っている孫 で特に問題なし。 ところが孫を座らせてしまうと、 そこにいるのは 座っているわたくし 座っている孫 立っているおばあちゃん となるので、次のステップで 座っているおばあちゃん 座っている孫 立っているわたくし となってしまう。 何だか孫のために席を譲ったような感じになってしまうではないですか。 電車の中で立つこと自体は別に構わないのだが、 何だか釈然としない。 おばあちゃんには席を譲るけど、 元気元気で大はしゃぎの孫に席を譲る気は毛頭ない。 おばあちゃん、
『13歳からの論理ノート』(小野田博一、PHP研究所)という本を最近読みました。論理的に考えるためのポイントが明快に書かれており、たいへん役に立つ本だったのですが、特に印象深かったのは以下の部分。「日常的に見られる変な論理は、多くの場合、隠されている前提が変なのだ」という趣旨の話の一部分です。 省略されるものは「当然のこと」だけではありません。 当然ではないにもかかわらず前提が省略されるとき――それはどんなときでしょう? それはごまかすときです。読み手・聞き手にとって当然でない前提は、明言すると、それが怪しい前提(読み手・書き手の同意が得られない前提)であることがバレてしまうため、それは隠される(明言されない)のです。 このタイプの省略は、意識的に行われもし、無意識に行われもします(無意識のことが多いでしょう)。 このタイプの省略の典型例を挙げましょう。 【例】 「歩きタバコは不快である。
自分をよりどころにするとき たとえばこれから自分が後戻りできない決断を下そうとしているとき。 自らの意思で臨み、リスクを認識している。 目標に向けての準備を抜かりなく行ってきた状態。 人事を尽くして天命を待つ。 自らの意思で臨むが、リスクを認識しているわけではない。 やる気はあるが、客観的な実力が伴っていない状態。 「情熱」の生み出す罠。 自らの意思で臨むわけではないが、リスクを認識している。 実力はある。準備もしている。ただ目標に向けての情熱が伴っていない状態。 主体性を喪った状態で、それでも続ける理由は何ですか? 自らの意思で臨むわけでもなく、リスクを認識しているわけでもない。 ここに来たのは、なぜですか? 戻れない一歩を踏み出したあと、もしも袋小路に陥ったと気づいたときがあるとするならば。 どのような状態でそのときを迎えることを、自分は望んでいるのでしょうか。 「自らの意思」ってなん
19歳です。旅行に行きたいなーと思って、友だちと話しているんですが、未成年者は消費者金融で借金できないって本当ですか?どうしてですか? 未成年者は、単独で消費者金融を利用することはできません 未成年者は、消費者金融で借金できません。これは、事実です。基本的にあなたが未成年者だとわかってしまう限り、借りられません。たとえアルバイトをしていたとしても、社会人として働いていたとしても、関係ありません。 まず、この前提となるのが、未成年者は契約ができないという法律の存在です。未成年者は、自分が与えられ、自由に処分しても良いとされたお金を使うことができますが、それ以外のお金を自由に処理することができません。つまり、誰かからお金を借りて、それを処分することはできないのです。 さらに、未成年者は、万が一契約をしてしまっても、取り消すことができるとされています。ですから、「やっぱりやめた!」と言ってしまえ
読売新聞の教育相談に、こんな質問が出ていました。 勉強などに意欲的になってくれない息子 中学3年の一人息子に関する相談です。サッカーの部活動も6月に引退し、受験勉強を本格的に始める時期ですが、いまだに志望高校も決めず、生活態度もだらしなく、学校への提出物さえも意図的に思えるぐらい失念している有り様です。妻も感情的に頭ごなしにまくしたて、それに対し息子も無言で反抗的になり、時に自閉的状態にも感じられます。 これに馬場章という方が答えているのですが、結論から言えば、「家族同士で、互いを認め合い尊重し合うことから始めよう」でした。 そうなのでしょうが、父親も失業中ともなると、それも非常に困難な道なのでしょうね。 母親が感情的になるのも分かります。 同じような質問に、明橋大二先生も答えていて、これも同じ読売新聞の記事なのですが、 勉強しない息子 質問、答えとも男性と女性の違いについて言及されていま
>>28 それはあったなww 今は思い浮かんだら笑い飛ばすようにしている。そう心に決めたら笑えるようになってきた
「The Big Difference between Winner and Loser」という記事がありました。 面白かったです。 勝者は間違ったときには「私が間違っていた」と言う。 敗者は「私のせいではない」と言う。 勝者は勝因は「運が良かった」と言う。例え運ではなかったとしても。 敗者は敗因を「運が悪かった」と言う。でも、運が原因ではない。 勝者は敗者よりも勤勉に働く。しかも時間は敗者より多い。 敗者はいつでも忙しい。文句を言うのに忙しい。 勝者は問題を真っ直ぐ通り抜ける。 敗者は問題の周りをグルグル回る。 勝者は償いによって謝意を示す。 敗者は謝罪をするが同じ間違いを繰り返す。 勝者は戦うべきところと妥協すべきところを心得ている。 敗者は妥協すべきでないところで妥協し、戦う価値がない所で戦う。 勝者は「自分はまだまだです」と言う。 敗者は自分より劣るものを見下す。 勝者は自分より勝
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