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ブックマーク / katamachi.hatenablog.com (8)

  • 何でもある田舎のジャスコと、東京を知る人と知らない人との格差 - とれいん工房の汽車旅12ヶ月

    田舎のジャスコは「東京」が再現されている。売っている物も歩いている人の服装も全く同じ。10年前には信じられなかったことだが、今、渋谷の10代のファッションと三重のジャスコのファッションがまったく同じなのだ。これには感動した。 Togetter - まとめ「田舎のジャスコは「擬似東京」!渋谷=三重のジャスコ。レベル的に。 10代のファッションで都市と地方との「文化」を語るって勇気があるなあと思ったりもした。Twitterのポジショントークって、はてな以上に難しいなあとも感じたりした。 ただ、文化的独自性とかではなく、「疑似東京」がそこにあるかどうかという立脚点ではまさにそう。この人の指摘する渋谷と三重のジャスコの同一性を否定することもない。 偶然にも、昨日は、うちの家からクルマで10分にあるイオンモールに行って、そこで買い物をして、屋で1時間品定めして、飯をって、シネコンで「借りぐらしの

    何でもある田舎のジャスコと、東京を知る人と知らない人との格差 - とれいん工房の汽車旅12ヶ月
  • 山万のボナの女子大駅が存亡の危機を迎えている。 - とれいん工房の汽車旅12ヶ月

    訳の分からないタイトルで申し訳ない。山万の女子大駅がこの春には消えるかもしれない。 山万、という会社をご存知だろうか。千葉県で不動産をやっている会社らしいのだけど、関西在住の僕にとってその名前を新聞や折り込みチラシなど見かけることはない。 でも、会社名だけは小学生の頃から知っている。この不動産屋、千葉県の佐倉市で鉄道を運営しているからだ。わずか4kmとは言え、旧運輸省→国土交通書のお墨付きの、れっきとしたホンモノの鉄道事業者だ。 走っているのはこんな車両。愛称はボナ。 高架線の上をゴムタイヤで走る。ゆりかもめやポートライナーと同じ新交通システムなのだが、インフラはかなり簡略化されていて、どちらかというと昭和の御代に遊園地でくるくる回っていた遊具に近いモノはある。 *新交通システム「山万ユーカリが丘線」公式サイト 山万ユーカリが丘線 - Wikipedia ホームページ案内 そして、山万のポ

    山万のボナの女子大駅が存亡の危機を迎えている。 - とれいん工房の汽車旅12ヶ月
  • 消える旧国鉄バス熊野線「栗栖川駅」の自動車駅を見物する。 - とれいん工房の汽車旅12ヶ月

    先日の「パンダを見に、南紀白浜アドベンチャーワールドへ行く - とれいん工房の汽車旅12ヵ月」の後、紀伊半島最深部にある龍神温泉の由緒ある木造旅館「上御殿」に宿泊。その翌日は熊野古道の周辺をレンタカーで移動していた。 で、その道中、見つけたのが、これ。 ただのコンクリートの建物なんだけど、これって西日JRバス熊野線(紀伊田辺〜栗栖川)の「栗栖川駅」なんですよ。紀勢線から熊野古道方面へと続く国道を行くJR系のバス路線の終着駅。 バスの駅? というと不思議がるかもしれない。 フツーのバス停は路端にバス停のポールが一立っている程度だし、建物や駅前に乗り場がいくつもある大きな施設は「バスターミナル」と呼ぶ。バスで「駅舎」というのは不思議な話。でも、30年ぐらい前、いや20年くらい前でも、そうした国鉄バス→JRバスの「駅舎」はあちこちに残っていたんだよね。 今日は僕の守備範囲外だけど、バスの話

    消える旧国鉄バス熊野線「栗栖川駅」の自動車駅を見物する。 - とれいん工房の汽車旅12ヶ月
  • 誰が何のために「限界集落」を守らなければならないのか? - とれいん工房の汽車旅12ヶ月

    コンパクトシティは単純に「街を小さくする」だけではありません。集約して効率を上げ、同時に地域内で可能な限り経済を回す仕組みでもあります。コンパクトシティは限界集落を見捨てないのです。 コンパクトシティは限界集落を見捨てない - Dr-Seton’s diary よそさんのはてブを閲覧していて見つけたid:Dr-Setonさんの記事。「(木材を)地域内部で手に入れ、地域経済が回るようにする」ことで、コンパクトシティ化→限界集落の救済……へと繋げていくというアイデアである。「「コンパクトシティ」と「限界集落」 - 一足の蛸」で「『コンパクトシティ』と『限界集落』を同じ問題圏に属するものだと単純に考える人々の誤謬を誹るばかりで」とアイロニカルにコメントされているように両者を関連づける意味がやや不明確なところもあるが、この方の過去の日記もあわせて読むことで「コンパクトシティ」に対する熱い想いは理

    誰が何のために「限界集落」を守らなければならないのか? - とれいん工房の汽車旅12ヶ月
    fuji_hajime
    fuji_hajime 2009/02/15
    大豊はいろいろヤバそうだよなぁ。そこで働いてる人が知人にいたりするが。とりあえずひばり食堂で飯食おうぜ(何
  • そして誰もいなくなった京浜急行電鉄黄金町駅高架下の元売春街を歩く - とれいん工房の汽車旅12ヶ月

    3年ぶりに京浜急行電鉄の黄金町駅へ行ってみた。 横浜駅から普通電車で3つ先の黄金町駅。京急の前身の1つである湘南電気鉄道が浦賀・逗子まで開業した1930年、横浜側の仮の起点駅となっていたこともある。その翌年、日ノ出町駅まで開通して横浜駅まで乗り入れを始める。横浜〜黄金町駅間には昭和ヒト桁に敷設された高架橋がそのまま残っていて、往年の面影を偲ばせている。 と、鉄道の話はここまで。 この黄金町。横浜、京浜地区の人たちの間では"別な意味"で有名な場所であった。 実は、黄金町駅から隣の日ノ出町駅にかけて続く高架線の下。この500mほどのエリアは、つい最近まで、売春するスペースを提供する小規模飲店が多数密集していた。いわゆる、「ちょんの間」。昔で言うと「青線」。終戦直後から、ずーっと非合法で売春が行われていたエリアだったのだ。その玄関口が黄金町駅になる。 (以下、今日の内容は18禁。) 黄金町 -

    そして誰もいなくなった京浜急行電鉄黄金町駅高架下の元売春街を歩く - とれいん工房の汽車旅12ヶ月
    fuji_hajime
    fuji_hajime 2009/02/01
    誰もいなくなった街を誰が明るいとみなすのか。
  • 全国のローカル鉄道89社のワースト偏差値ランキング - とれいん工房の汽車旅12ヶ月

    秋になって来年度予算編成に向けて政府や自治体が動き出している昨今、ローカル鉄道や鉄道新線建設を巡る情勢も大きく動きつつあります。各自治体が財政再建、補助金カットに格的に乗り出したとなると存続がキツくなる鉄道は今後も増えてきそうですね。 福井鉄道と秋田内陸縦貫鉄道、いすみ鉄道での存廃に関する議論 鉄道事業の再建策を検討してきた福井鉄道は、多額の累積債務と金利負担が経営を圧迫し、事業者単独での立て直しが難しくなっていることが6日までに関係者の話で分かった。 福鉄福武線 自主再建は困難 県などに格支援要請へ、福井新聞、2007年9月7日 まず、福井鉄道福武線。id:Cat-Tramさんが整理されたhttp://d.hatena.ne.jp/Cat-Tram/20070908の記事を見ていると、なんだかややこしいことになっているようです。この週末、僕も、越前そばをべ歩くため福井に行っていたの

    全国のローカル鉄道89社のワースト偏差値ランキング - とれいん工房の汽車旅12ヶ月
    fuji_hajime
    fuji_hajime 2008/07/10
    宍喰と東洋町かぁ。サーファーは車でサクっと行っちゃうからなぁ。
  • 四国新幹線の計画中止に反発していたのは誰なんだろう - とれいん工房の汽車旅12ヶ月

    実現のめどが立たない四国新幹線の海底トンネル建設調査費として国土交通省が07年度まで29年にわたり、少なくとも24億円を投じていたことが分かった。08年度予算でも1億円計上した。道路特定財源の見直しで無駄な公共事業への批判が高まり、調査打ち切りを決めた(中略) 国交省によると、数年前から四国新幹線の調査を疑問視する声が省内からも上がったが、地元の反発を恐れ、事業は打ち切らず、調査費の支出を続けてきた。調査結果がまとまるまでには、さらに約10億円が必要という。 四国新幹線、29年で調査費24億円 国交省が打ち切り朝日新聞、2008年05月22日 四国新幹線。ついに打ち切りか…… 文には「地元の反発」とあるけど、誰が反発していたんだろう。この構想が潰れても、四国各県や淡路島なんかの人たちは、実際の所、さほど痛みを感じない。だって、州四国連絡高速道路が三も建設されたことで、十二分に享受を受

    四国新幹線の計画中止に反発していたのは誰なんだろう - とれいん工房の汽車旅12ヶ月
    fuji_hajime
    fuji_hajime 2008/07/10
    東京行くなら飛行機。大阪行くなら高速バス。この辺が香川県民の現実的選択。
  • オタクと大塚英志と宮崎勤と秋葉原通り魔殺人事件と彼らの世代 - とれいん工房の汽車旅12ヶ月

    昨日(08年6月18日)、評論家の大塚英志が朝日新聞の文化面で書いていた「この20年で失われたもの 宮崎勤死刑囚の刑執行に寄せて」が興味深かった。 いまのナウなヤングは皮膚感覚として理解していないかもしれないけど、大塚って、オタク論壇というものが初めて出現した1989年から数年は斯界の主要プレイヤーであり続けた。 そもそも「オタク論壇」が生まれたきっかけが、宮崎勤による東京・埼玉連続幼女誘拐殺人事件だったというのは言うまでもない。その数年前から、大塚は『システムと儀式 (ちくま文庫)』(単行は1988年)と『定 物語消費論 (角川文庫)』(同1989年)に連なる一連の論考で、アニメマニアのみならず、業界関連者からもかなり注目されていた。押井守も、彼の著作をかなり読み込んでいたと後のインタビューに答えている。これまでの「大きな物語」が終焉すると共に、消費者がその物語を自己流に解釈して消費

    オタクと大塚英志と宮崎勤と秋葉原通り魔殺人事件と彼らの世代 - とれいん工房の汽車旅12ヶ月
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