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CityとEarthに関するfukumimi2002のブックマーク (6)

  • 大川小保存決定:「震災の教訓を未来に」遺族への配慮課題 | 毎日新聞

    84人の命が失われた宮城県石巻市立大川小学校の被災校舎が、東日大震災の教訓を伝える震災遺構として保存されることが決まった。「見るのがつらい」という遺族感情も強く、保存の賛否を議論できない状態が長く続いたが、妹や級友を亡くした卒業生たちが「未来に語り継ぐため、校舎を残してほしい」と声を上げ、保存への大きな流れを作った。 「次の世代、未来のために、残すことが大切。私たちにできることは語り継ぐことです」。地元住民で作る「大川地区復興協議会」が昨年3月、住民や遺族を集めて開いた集会。震災当時小学5年〜中学2年の同小卒業生6人が参加者に訴えかけた。自分たちを「チーム大川」と名付けた6人が、地元で保存を訴えたのは、この日が初めて。

    大川小保存決定:「震災の教訓を未来に」遺族への配慮課題 | 毎日新聞
  • 時事ドットコム:口永良部島、全島避難へ=やけどで搬送も−鹿児島

  • 【口永良部島噴火】「緑の火山島」と呼ばれる口永良部島

    口永良部島(くちのえらぶじま)鹿児島県の屋久島の西方に位置する島。屋久島や種子島などとともに大隅諸島を形成する。東西2つの火山体が結合された火山島で、東部の新岳・古岳周辺では多くの噴気穴が見られる。照葉樹林などで覆われた景観から「緑の火山島」と呼ばれ、全域が屋久島国立公園に指定されている。住民は約130人。

    【口永良部島噴火】「緑の火山島」と呼ばれる口永良部島
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    fukumimi2002 2015/05/29
    照葉樹林などで覆われた景観から「緑の火山島」と呼ばれ、全域が屋久島国立公園に指定されている。住民は約130人。
  • 朝日新聞デジタル:津波対策「地下シェルター」構想 高知県、国に支援要請 - 社会

    関連トピックス地震野田佳彦津波避難シェルターのイメージ  巨大地震による津波対策を急ぐ高知県が、沿岸部に地下シェルターの建設を検討している。津波高の想定見直しで全国最大の34メートルの津波が予測され、これまで建設を進めてきた避難タワーでは対応しきれないため、津波の影響を受けにくい地下に着目した。尾崎正直知事は6日、東京で野田佳彦首相と会い、シェルター建設などに対する国の支援を求めた。  シェルターは地下室状で、沿岸部の公園や学校の校庭の地下への建設を構想している。広さは250平方メートル前後で200人の受け入れを想定。内部にはトイレを設け、水・料も備蓄する。入り口には滑り台状の「シューター」を設置し、高齢者でも素早く逃げ込めるよう配慮するという。通常時は集会所として市民が利用する。  県はこれまで津波避難ビルの設置を進めてきたが、高さ10メートルほどのものが中心だった。これ以上高くなると

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    fukumimi2002 2012/04/11
    入り口の小屋、津波くらうとつぶれちゃうんじゃ・・・
  • 国内で2番目に低い山、3・11の津波で消える : 社会 : YOMIURI ONLINE(読売新聞)

    東日大震災の津波のため、国内で2番目に低い山とされる仙台市宮城野区の日和山(ひよりやま)(標高6・05メートル)が消滅していたことがわかった。 山はシギやチドリなどの野鳥が羽を休める「蒲生(がもう)干潟」や仙台湾を望む市民の憩いの場だっただけに、惜しむ声が上がっている。 仙台市などによると、日和山は国土地理院発行の地図で記されている山の中で、大阪市の天保山(てんぽうざん)(同4・53メートル)に次いで2番目の低さ。歩いてもあっという間に1周できる。1909年頃、地元住民が作ったという。 周辺では、蒲生干潟も津波で葦(あし)原がなくなるなど荒れ、飛来する野鳥が減少。市民団体「蒲生を守る会」によると、この時期は約50種類を見ることができるが、11日の調査で確認できたのは28種類だった。

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    fukumimi2002 2011/09/14
    日和山は国土地理院発行の地図で記されている山の中で、大阪市の天保山(てんぽうざん)(同4・53メートル)に次いで2番目の低さ。歩いてもあっという間に1周できる。1909年頃、地元住民が作った
  • 東日本大震災:先人は知っていた 「歴史街道」浸水せず - 毎日jp(毎日新聞)

    東日大震災に伴う津波で大きな被害を受けた仙台平野で、浸水域の先端が、江戸時代の街道と宿場町の手前に沿って止まっていることが、東北大の平川新教授(江戸時代史)の調査で確認された。仙台平野は400~500年おきに大津波に見舞われており、街道は過去の浸水域を避けて整備された可能性が高いという。平川教授は「先人は災害の歴史に極めて謙虚だった」と話し、今後の復旧計画にも教訓を生かすべきだと提言する。 国土地理院が作製した東日大震災の浸水図に、平野を縦断する奥州街道と浜街道を重ねたところ、道筋の大部分と宿場町が浸水域の先端部からわずかに外れていたことが分かった。宿場町の整備後に仙台平野を襲った慶長津波(1611年)では、伊達領で1783人が死亡したとの記録が残る。平川教授は「慶長津波を受けて宿場町を今の位置に移したとも推察できるが、今回の浸水域と比べると見事なほどに被害を免れる場所を選んでいる。津

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    fukumimi2002 2011/04/20
    仙台平野は400~500年おきに大津波に見舞われており、街道は過去の浸水域を避けて整備された可能性が高いという。平川教授は「先人は災害の歴史に極めて謙虚」、今後の復旧計画にも教訓を生かすべきだと提言
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