「原子力 明るい未来の エネルギー」を震災前までは誇りに思っていた 双葉町に原発の建設計画がもちあがったのは高度経済成長まっただ中の1960年。67年に建設が始まり、反対運動はあったものの原発ができたことで町の財政規模は3倍になった。町の雰囲気は原発の容認と増設要望に傾き、大沼さんも原発に疑問を持ったことはなかった。 町が原発PRの標語を公募したのは1987年、大沼さんは小学6年生だった。大沼さんの作品が「原子力 明るい未来の エネルギー」だ。 「標語を作るのは最初は学校の宿題で、ノルマをこなして早く遊ぼうぐらいの軽い感覚でした。原発のお題を見た時は、双葉町にもいわき市や仙台市のように大きな建物が出来たり、原発で都会になったら良いなと思いました。新幹線が双葉町を走ったり、家の周りが商店街になって賑わってほしいという夢を『明るい未来』という言葉に込めました」 その作品は優秀賞となり、91年に
