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吉川幸次郎に関するfunaki_naotoのブックマーク (8)

  • 中国詩史 吉川 幸次郎(著/文) - 筑摩書房

    初版年月日 2023年5月10日 書店発売日 2023年5月12日 登録日 2023年3月28日 最終更新日 2024年1月9日 紹介 中国文学において常に主流・精髄と位置付けられてきた「詩文」。先秦から唐宋を経て近代まで、一冊で歴史の流れが分かる平明な中国詩論。 解説 川合康三 === 中国文学においてつねに主流・精髄と位置付けられてきた「詩文」。書は、吉川幸次郎がその中国詩をめぐって書いた評論を選りすぐり、編者高橋和巳によって歴史順に編まれたものである。中国古典の世界に新たな風を吹き込んだ著者は、単に詩文の変遷を総覧するのみならず、ひとりの人間としての作者の心情に作品を結びつけ、現代日の読者にいまいちど漢詩を生きた文学として読みなおしてみせる。先秦から唐宋を経て近代まで、長大な中国歴史をつらぬく詩文の世界を、驚異的な学識をもって網羅し簡明に描き出した一冊。 === 先秦から唐宋を

    中国詩史 吉川 幸次郎(著/文) - 筑摩書房
  • 筑摩書房 吉川幸次郎全集 総合索引 / 清水 康志 著

  • 松岡正剛の千夜千冊

    先週、小耳に挟んだのだが、リカルド・コッキとユリア・ザゴルイチェンコが引退するらしい。いや、もう引退したのかもしれない。ショウダンス界のスターコンビだ。とびきりのダンスを見せてきた。何度、堪能させてくれたことか。とくにロシア出身のユリアのタンゴやルンバやキレッキレッの創作ダンスが逸品だった。溜息が出た。 ぼくはダンスの業界に詳しくないが、あることが気になって5年に一度という程度だけれど、できるだけトップクラスのダンスを見るようにしてきた。あることというのは、父が「日もダンスとケーキがうまくなったな」と言ったことである。昭和37年(1963)くらいのことだと憶う。何かの拍子にポツンとそう言ったのだ。 それまで中川三郎の社交ダンス、中野ブラザーズのタップダンス、あるいは日劇ダンシングチームのダンサーなどが代表していたところへ、おそらくは《ウェストサイド・ストーリー》の影響だろうと思うのだが、

    松岡正剛の千夜千冊
    funaki_naoto
    funaki_naoto 2019/08/06
    「その民族とその国の「国学」というものは、つねにどこかで「漢意」にあたる立ち塞がった言語感の壁に衝突することをもって生成されてくる」
  • 筑摩書房 読書の学 / 吉川 幸次郎 著

    言ハ意ヲ尽クサズ 『論語』をはじめ史書、漢詩などを取上げ、その内的事実に立ち入り「著者を読む」実践を行う。中国文学の巨人が説く読書と思索。 【解説: 興膳宏 】 シリーズ:ちくま学芸文庫 1,320円(税込) Cコード:0195 整理番号:ヨ-3-5 刊行日: 2007/04/10 ※発売日は地域・書店によって 前後する場合があります 判型:文庫判 ページ数:416 ISBN:978-4-480-09048-5 JANコード:9784480090485 在庫 ×

  • 中谷宇吉郎と吉川幸次郎の正字正かな論爭

  • 沂風詠録:(第45回目)『吉川幸次郎と漱石の漢詩バトル』 - 限りなき知の探訪

    『近世畸人伝』(岩波文庫)というがある。江戸時代の文人、伴蒿蹊が当時のタンレントや市井の人々のゴシップを集めたものだ。その中に確か、池大雅とその、玉蘭のエピソードもあった。ある時、池大雅が大阪へ出かけるといって家を出た。ところが絵筆を置き忘れたので、玉蘭が後を追って手渡すと、池大雅は、『どこの方か存じませぬが、ありがとうございます』とお礼を言い、玉蘭も黙って返礼して分かれたという。洒脱というべきか、超俗というべきか、はたまた典雅というべきか。 さて、京大文学部には、かつて中国文学・史学の大家がそれこそひしめいていた。(と、過去形で言わなければならないのは、個人的には非常に残念なのだが。)その一人、吉川幸次郎(敬称略)は現代の基準からすれば立派にこの畸人伝に仲間入りできる資格を備えている。何しろ、彼が弟子や学生に向かって『君達の国はなっとらん、わしの国では。。。』と言うときの君達というの

    沂風詠録:(第45回目)『吉川幸次郎と漱石の漢詩バトル』 - 限りなき知の探訪
  • 『読書の学』

    学者が書物を読むのは当たり前のようですが、特に「読書の学」なる書名を与えられた書物があります。吉川幸次郎『読書の学』(筑摩書房、1975年)。 その「読書の学」とは、「一一の書の一一の言語表現そのものに即し、その外に向かってひろげる波紋、更には内に向かってうずまく波紋、つまり一一の言語表現にまつわる無限に複雑なもの、それを静かに追求する仕事」(第39回)を目指す、そのようなものです。1971年の夏から、1975年の春まで、吉川氏が筑摩書房の雑誌「ちくま」に連載した文章がまとめられています。 当時は広く知識層に向けて語りかけられたのですから、中国学徒のみならず、多くの読者があったことでしょう。そして書は、読書界一般はいざ知らず、日中国学の世界においては、今後とも永遠に読み続けられるべき書物だと思われます。 著者自身が「はしがき」にて、「より道は甚だ多い」と述べるとおり、曲折が多く、しか

    『読書の学』
  • 此れ丈夫の業/読書の学(吉川幸次郎) - 見もの・読みもの日記

    ○吉川幸次郎『読書の学』(ちくま学芸文庫) 筑摩書房 2007.4 記憶によればこうだ。高一の教科書に、中島敦の『山月記』が載っていた。面白かったので、新潮文庫の『李陵・山月記』を読んだ。その中に、孔子一門を描いた「弟子」という短編があって面白かった。それで、たまたま目についた文庫の『論語』(朝日古典選)を読み始めた。これが、吉川幸次郎の校註だったのである。 それは、当に、人生に一度しかないくらい衝撃的な読書だった。古典の校註というものが、こんなに面白いとは思わなかった。同氏の著作にのめり込んだ末に、理系に進学するはずだった私は、とうとう文学部に志望を変更してしまう。だから、私は吉川幸次郎の人生を変えられたとも言える。そのことを、私はひそかな誇りとともに記憶に留めている。 書は、晩年の著者が、学問の方法について語った雑誌連載エッセイ。現代の学問は事実の究明を目的とし、言語は事実を

    此れ丈夫の業/読書の学(吉川幸次郎) - 見もの・読みもの日記
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