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ブックマーク / 1000ya.isis.ne.jp (102)

  • 1170 夜 | 松岡正剛の千夜千冊

    タレント芸人は喧しい。 あんたたち、笑いの前に 芸をとりなさい。 寄席芸人たちの明日に向けて、 90歳の北村銀太郎が 日を辛口に染め上げた。 書は、新宿末広亭の席主(席亭)を長らくやっていた北村銀太郎が、べらんめえ口調で好きに語ったものを、映画畑の冨田均がまとめた一冊で、寄席というものが何をもたらしたか、寄席芸人がどういうものであったのかを、味よく告げている。 収録当時の北村銀太郎は90歳近かった。当時といっても、このが少年社から出たのが1980年だから、もう25年以上前になる。志ん朝が日の出の勢いで高座をやっていて、それまでダントツだった談志が悔しがっていたころだ。明治23年の生まれだから、志ん生と同い歳である。家業が建築工務で、5代目柳亭左楽と出会って関東大震災後の空地に六三亭を開いた。3代目歌六改め6代目助六と一緒に営んだので六三亭だった。敗戦直後に新宿で旗揚げした関東尾津組の

    1170 夜 | 松岡正剛の千夜千冊
  • 1105 夜 | 松岡正剛の千夜千冊

    いちいち感心する。アタシが思うには、写真っていうのは「その場のこと」じゃなくて「時」のことなの。写真は過去・現在・未来を想像させなくちゃいけないの。そうすると、そこにはやっぱり「死」ってことが絡まってくるわけ。 これは荒木経惟が電通に入社してしばらく、銀座通りを行き交う中年女性をスナップショットして、それを一人ずつ切り抜き、背景を消して白い紙に貼り、さらに複写した写真を解説しているときの言葉で、なぜ肖像写真には無地でなければならないかを話しているところだ。無地にするのは場所から時への転換を示すらしい。「時」と「死」が早くもクローズアップされている。 以下、時代を追って自作を解説していくのだが、いちいち感心するフレーズに出会う。母親と父親が死んだときの死体を撮るときは、母や父がいちばん好きだったポーズを探して撮った。 まあ、とにかく相手のステキなアングル見つけるってことが大事なのよ。というこ

    1105 夜 | 松岡正剛の千夜千冊
  • 1146 夜 | 松岡正剛の千夜千冊

    インプロヴィゼーション デレク・ベイリー 工作舎 1981 Derek Bailey Improvisation 1980 [訳]竹田賢一・木幡和枝・斎藤栄一 デレク・ベイリーが死んだ。去年の12月24日だった。クリスマス・イヴじゃないか。冬至じゃないか。ミトラ神じゃないか。田中泯がすぐに電話をしてきた。ベイリーが死んだというのは、いったい何が死んだというべきなのかと、考えた。ベイリーほどインプロヴィゼーションを演奏し、思索し、自由し、精神し、絶望し、再生し、身体化したミュージシャンはいなかった。 話はさかのぼる。あるとき、ミルフォード・グレイヴスと対話をした。"ニューヨークの神様"と言われている天才ドラマーだ。すばらしい対話だった。ぼくの音楽観が打ちのめされたといっていい。工作舎の土星の間でのことだった。そのあと間章(あいだ・あきら=342夜)から、「実はもっと凄い奴がいるんだ」と、黒眼

    1146 夜 | 松岡正剛の千夜千冊
  • 1217 夜 | 松岡正剛の千夜千冊

    絵画・写真・映画 ラスロー・モホリ=ナギ 中央公論美術出版 1993 László Moholy-Nagy Malerel, Photografie, Film 1924 [訳]利光功 絵画は写真でなく、 映画は写真ではないのか。 それなら、動く写真や映像文字とは何なのか。 グラフィズムとフォトグラフィズム。 フォトグラフィとフォトグラム。 異才モホリ=ナギが見せるニューヴィジョンは、 今日のコンピュータ時代にこそ 読み替え可能にものになっている。 モホリ=ナギの「ニューヴィジョン」を教えてくれたのは写真家の大辻清司さんだった。「遊」の創刊直後のころで、ぼくは桑沢デザイン研究所写真科の講師をしていた。大辻さんはその学科長で、写真の技術など何も知らないぼくに写真科の生徒を教えろというのである。 とんでもないとお断りしたのだが、「いや、イメージとは何かを教えてやってほしいのです」と言われる。「

    1217 夜 | 松岡正剛の千夜千冊
  • 0085夜 『中世の文学』 唐木順三 − 松岡正剛の千夜千冊

    先週、小耳に挟んだのだが、リカルド・コッキとユリア・ザゴルイチェンコが引退するらしい。いや、もう引退したのかもしれない。ショウダンス界のスターコンビだ。とびきりのダンスを見せてきた。何度、堪能させてくれたことか。とくにロシア出身のユリアのタンゴやルンバやキレッキレッの創作ダンスが逸品だった。溜息が出た。 ぼくはダンスの業界に詳しくないが、あることが気になって5年に一度という程度だけれど、できるだけトップクラスのダンスを見るようにしてきた。あることというのは、父が「日もダンスとケーキがうまくなったな」と言ったことである。昭和37年(1963)くらいのことだと憶う。何かの拍子にポツンとそう言ったのだ。 それまで中川三郎の社交ダンス、中野ブラザーズのタップダンス、あるいは日劇ダンシングチームのダンサーなどが代表していたところへ、おそらくは《ウェストサイド・ストーリー》の影響だろうと思うのだが、

    0085夜 『中世の文学』 唐木順三 − 松岡正剛の千夜千冊
  • 0777 夜 | 松岡正剛の千夜千冊

    ここには、いくつかの“常識”をくつがえす視点がまわりくどく提案されている。その骨格になっているのは、中世仏教は顕密体制だったのではないかということだ。 ふつうの宗教史では、こうは見なかった。中世仏教は鎌倉新仏教を中心に語るのが“常識”で、法然・親鸞・栄西・道元・日蓮が主語となっていた。しかし著者の黒田はそれよりも、密教を中心に神道的なるものを含むすべての宗教がいったん顕密体制と寺社体制の中に組み入れられ、これが拡張していったのが中世だったのではないかと見たのである。ここで密教とは台密・真密の両方をいう。いやもっと広い密教OSをいう。 中世仏教では、名目上は八宗が併存している。しかしながら実際にはいくつもの派の教義や作法を兼学する者が多く、しかも全宗派に共通して承認されていた教理があった。それがここでいう密教あるいは密教的中世社会というものだ。中世社会における「分母としての密教」といってよい

    0777 夜 | 松岡正剛の千夜千冊
  • 87夜『日本の歴史をよみなおす』網野善彦|松岡正剛の千夜千冊

    網野善彦のはだいたい読んだほうがいい、というのがぼくのスタンスである。 最近では岩波新書の『日社会の歴史』全3冊がベストセラーになって、これまで中世の社会経済の構造や王権や宗教の構造に関心がなかった人々がしきりに読むようになった。ぼくもこの岩波新書については日経済新聞で書評をして、その波及に一役買った。網野さんも、あの書評の直後から売れ出したようですね、とまんざらでもなさそうだ。 が、ほんとうのところをいうと、あのは流れをつかむのには、前半部は充実していてなかなかいいのだが、日史全貌の充実をすべて期待するには、ちょっと濃密すぎて、網野の通史としてはやや重たい。 また多くの中世論もかたっぱしから読んでほしいのだが、それらはどの一冊がいいともいえない複合連鎖に満ちている。 そういうわけで、網野善彦の何を勧めるかというと、いつもけっこう迷うのだが、この『日歴史をよみなおす』は、筑

    87夜『日本の歴史をよみなおす』網野善彦|松岡正剛の千夜千冊
  • 1592夜 『不確実性の数学』 モーリス・クライン − 松岡正剛の千夜千冊

    不確実性の数学 モーリス・クライン 紀伊国屋書店 1984 Morris Kline Mathematics “The Loss of Certainty" 1980 [訳]三村護・入江晴栄 編集:渦岡謙一・水野寛 数理経済学このかた、 経済学はいささか数学を過信してきたようだ。 世の中は「不確実性」でできている。 だから確率論や統計学が君臨したくなる。 けれども、その数学そのものが 不確実な歩みを秘めていたとしたら、さあ、どうするか。 書は、「ユークリッド以来の数に明るい数学者」 と言われたモーリス・クラインが、 古今の数学の限界と矛盾を縦横無尽に明示した名著。 算術をふりまわすエコノミストやビジネスマンと、 「思索の法則」をなんとか求めたいと思う者たちは、 いったん、このに戻らなければならない。 このは1058夜の 『ゲーデル再考』の前に位置する一冊になる。 偶然と予測を相手にし

    1592夜 『不確実性の数学』 モーリス・クライン − 松岡正剛の千夜千冊
  • 1131夜 『日本/権力構造の謎』 カレル・ヴァン・ウォルフレン − 松岡正剛の千夜千冊

    /権力構造の謎 カレル・ヴァン・ウォルフレン 早川書房 1990 Karel van Wolferen The Enigma of Japanese Power 1989 [訳]篠原勝 民主党の新代表が小沢一郎になった。まだ陣営は未発表だが巨頭体制になるだろう。小沢はただ一言、「政権をとる」だけを信条にしている。権力を握らないで、何が政治か、政党かというのである。 しかし、権力とはいったい何なのか。日においてはその権力はどのような制度や地方や経済に裏付けられているのか。実は意外にこれがわかりにくいのだ。 そこで、いったい日という国家は誰が権力をもっているのか。どこに権力の中枢があるのか。どのように権力がはたらいているのか。日人でさえ解きがたい謎に一人のオランダのジャーナリストが敢然と挑んだ。15年前の挑戦である。この手のはゴマンとあるが、ぼくが読んできたかぎりでは十指に入るもの

    1131夜 『日本/権力構造の謎』 カレル・ヴァン・ウォルフレン − 松岡正剛の千夜千冊
  • 松岡正剛の千夜千冊

    先週、小耳に挟んだのだが、リカルド・コッキとユリア・ザゴルイチェンコが引退するらしい。いや、もう引退したのかもしれない。ショウダンス界のスターコンビだ。とびきりのダンスを見せてきた。何度、堪能させてくれたことか。とくにロシア出身のユリアのタンゴやルンバやキレッキレッの創作ダンスが逸品だった。溜息が出た。 ぼくはダンスの業界に詳しくないが、あることが気になって5年に一度という程度だけれど、できるだけトップクラスのダンスを見るようにしてきた。あることというのは、父が「日もダンスとケーキがうまくなったな」と言ったことである。昭和37年(1963)くらいのことだと憶う。何かの拍子にポツンとそう言ったのだ。 それまで中川三郎の社交ダンス、中野ブラザーズのタップダンス、あるいは日劇ダンシングチームのダンサーなどが代表していたところへ、おそらくは《ウェストサイド・ストーリー》の影響だろうと思うのだが、

    松岡正剛の千夜千冊
  • 0314 夜 | 松岡正剛の千夜千冊

    八木一夫にこのようなタイトルの著書はない。八木が生前に出版したのは『懐中の風景』と『刻々の炎』の2冊だった。そこから随筆を選んで組なおしたのが、書である。 よく編集されているが、その随筆の感想を言う前に、ぼくが八木一夫の実物を見たときの話を先に書いておく。大阪のカサハラ画廊で開かれた「いつも離陸の角度で」という個展だった。そのとき脂の乗りきった八木は59歳で、黒陶を見せていた。 1977年のことである。病状が悪化していた稲垣足穂を見舞った足で大阪まで行ったものだ。行ってみて、驚いた。何も表現していないのだ。まるでモノリスである。しかもそれは、八木のモノリスだった。 それまで、ぼくは八木の作品を、二、三の代表作を近美あたりで接していたのを除くと、大半を写真ばかりで見ていた。走泥社の活動もだいたいは知っていた。そして、そこにつねに前衛の作意というものを感じていた。どちらかといえばムーアやブラ

    0314 夜 | 松岡正剛の千夜千冊
  • 0319 夜 | 松岡正剛の千夜千冊

    親友の湯川洋が『日外史』を読もうよと言ってきた。「勢極まれば即ち変ず。変ずれば即ち成る」なんていいじゃないかというのだ。九段高校2年の冬である。 湯川は山岳部で、いつも未到の山を物色しては計画をたてている山男。日史にとりくむにあたっても、教科書や受験参考書ですませるような輩(やから)でなく、なんだか歴史を山岳のように踏破したいという意気込みなのである。こちらは歴史にそれほどストラグルをもちこもうなどという気はなかったのだが、ついつい意気込みに押されて、うん、いいよと言ってしまった。 読みはじめて、原文が漢文であるのにたじたじとなった。が、これは読み下しがあったので、それを読んでバイパスを通ることにした。それにしても、異常に長い。改訳以前の岩波版でも1冊にたっぷり1カ月がかかった。 結局、春休みまで費やしてだいたいは目を通したのだが、途中に湯川との論争が介在するので、頼山陽を読んだという

    0319 夜 | 松岡正剛の千夜千冊
  • 0451 夜 | 松岡正剛の千夜千冊

    ではまるでこの歌でしか正月を祝えないかのように、「年の初めのためしとて、終わりなき世のめでたさを」と歌う。「年の初めのためし」の「ためし」とは何か。「ためし」は験しで、修験の験、経験の験、効験の験である。 それなら「めでたさ」とは何なのか。「めでたい」は古語では「愛でたし」で、何かを称えたい、何か特別なことを褒めたいという格別の気分をあらわしている。このお正月の歌では「世」がめでたい。この現在の世をめでたい。それがいつのまにか正月挨拶の「お目出とう」になった。新しい世が始まるからだ。 中国ではめでたさのことを「福」といって、一陽来復を祝う。もともとは冬至の祝福であったはずだが、やがて春節(旧暦正月)を迎える行事に吸収された。いずれにしても「めでたさ」は季節の節目のことであって、そこに人事は関与していなかった。 正月には人事は関与していなかったが、農事は関与した。日だけではない。ユーラ

    0451 夜 | 松岡正剛の千夜千冊
  • 0603 夜 | 松岡正剛の千夜千冊

    光村推古書院。この不思議な版元名が好きで、ときどきここのを買う。こういうことはよくあるもので、冨山房、思文閣、内田老鶴園、不昧堂、有信堂高文社、淡交社、山喜房、建帛社、木鐸社などの文字を屋に並ぶ背に見ると、この懐旧漢字の砲列をふと応援したくなる。淡交社については、こちらのほうが応援してもらってしまった。 まあ、似たような一杯呑屋がずらりと並んでいれば、ときに暖簾に染め抜いた名前の風情で店をくぐりたくなるのと同じで、というものは内容や著者ばかりで買うものでもなく、ときに書名、ときに装幀、ときに版元名、ときには中に収まるたった一枚の写真で買うことだってあるものなのだ。 光村推古書院は京都の版元さんだが、京都にはこういう古色を燻したような名前がまだいくつも残っていて、ぼくのようなレトロ派をしばしば喜ばせてくれる。 京都に書肆が急にふえたのは寛永と元禄のことで、須原屋茂兵衛店、松柏堂、村上

  • 松岡正剛の千夜千冊

    先週、小耳に挟んだのだが、リカルド・コッキとユリア・ザゴルイチェンコが引退するらしい。いや、もう引退したのかもしれない。ショウダンス界のスターコンビだ。とびきりのダンスを見せてきた。何度、堪能させてくれたことか。とくにロシア出身のユリアのタンゴやルンバやキレッキレッの創作ダンスが逸品だった。溜息が出た。 ぼくはダンスの業界に詳しくないが、あることが気になって5年に一度という程度だけれど、できるだけトップクラスのダンスを見るようにしてきた。あることというのは、父が「日もダンスとケーキがうまくなったな」と言ったことである。昭和37年(1963)くらいのことだと憶う。何かの拍子にポツンとそう言ったのだ。 それまで中川三郎の社交ダンス、中野ブラザーズのタップダンス、あるいは日劇ダンシングチームのダンサーなどが代表していたところへ、おそらくは《ウェストサイド・ストーリー》の影響だろうと思うのだが、

  • 松岡正剛の千夜千冊

    先週、小耳に挟んだのだが、リカルド・コッキとユリア・ザゴルイチェンコが引退するらしい。いや、もう引退したのかもしれない。ショウダンス界のスターコンビだ。とびきりのダンスを見せてきた。何度、堪能させてくれたことか。とくにロシア出身のユリアのタンゴやルンバやキレッキレッの創作ダンスが逸品だった。溜息が出た。 ぼくはダンスの業界に詳しくないが、あることが気になって5年に一度という程度だけれど、できるだけトップクラスのダンスを見るようにしてきた。あることというのは、父が「日もダンスとケーキがうまくなったな」と言ったことである。昭和37年(1963)くらいのことだと憶う。何かの拍子にポツンとそう言ったのだ。 それまで中川三郎の社交ダンス、中野ブラザーズのタップダンス、あるいは日劇ダンシングチームのダンサーなどが代表していたところへ、おそらくは《ウェストサイド・ストーリー》の影響だろうと思うのだが、

  • 1334 夜 | 松岡正剛の千夜千冊

    偶然を飼いならす 統計学と第二次科学革命 イアン・ハッキング 木鐸社 1999 Ian Hacking The Taming of Chance 1990 [訳]石原英樹・重田園江 かつて「偶然」に立ちはだかっていた決定論。 その決定論を切り崩していった統計学と確率論。 これですっかり「たまたま」は剥き出しになった。 そして、みごとに飼いならされたのだ。 そして統計官僚が出現し、 「正常」と「そうでないもの」を分断していった。 これは近代国民国家による悪夢なのだろうか。 それとも今日に及ぶ金融工学がもたらした 統計的社会観の凱歌なのだろうか。 Q=今夜の「千夜千冊」は何ですか。リスク論の次ですよね。 A=うん、もう決めているんだけれど、それに答える前に、ぼくが『たまたま』から連環篇を始めたのはどうしてだったと思う? Q=いえ、わかりません。たまたまだったんじゃないですか。 A=ハハハハ、ま

    1334 夜 | 松岡正剛の千夜千冊
  • 松岡正剛の千夜千冊

    先週、小耳に挟んだのだが、リカルド・コッキとユリア・ザゴルイチェンコが引退するらしい。いや、もう引退したのかもしれない。ショウダンス界のスターコンビだ。とびきりのダンスを見せてきた。何度、堪能させてくれたことか。とくにロシア出身のユリアのタンゴやルンバやキレッキレッの創作ダンスが逸品だった。溜息が出た。 ぼくはダンスの業界に詳しくないが、あることが気になって5年に一度という程度だけれど、できるだけトップクラスのダンスを見るようにしてきた。あることというのは、父が「日もダンスとケーキがうまくなったな」と言ったことである。昭和37年(1963)くらいのことだと憶う。何かの拍子にポツンとそう言ったのだ。 それまで中川三郎の社交ダンス、中野ブラザーズのタップダンス、あるいは日劇ダンシングチームのダンサーなどが代表していたところへ、おそらくは《ウェストサイド・ストーリー》の影響だろうと思うのだが、

    松岡正剛の千夜千冊
  • 1697 夜 | 松岡正剛の千夜千冊

    語は いかにつくられたか? 小池清治 ちくま学芸文庫 1989・1995 編集:井関正敏・高木昭 協力:石井文夫・佐藤和喜・関谷一郎・香西秀信 装幀:渡辺千尋 書はよくできた1冊だった。6人の「日語をつくった男」を軸に日語の表記をめぐる変遷を近代まで読み継がせた。 著者の小池清治は国語学者である。確固たる日語観と日語史についての見識がある(すでに亡くなっている)。その小池に、あるとき筑摩の井崎正敏が「日語の自覚の歴史」といった視点のを書いてみませんかと勧めた。小池はそれならかねて敬意を払ってきた永山勇の『国語意識史の研究』(風間書房)や時枝誠記の『国語学史』(岩波書店)に代わるものを書いてみたい、できればそこに山健吉の『詩の自覚の歴史』(筑摩書房)の趣向を加えてみたいと言ったという。 このセンスがよかった(山健吉を加えたところがいい)。いろいろ思案したすえ、日語を創

  • 0706 夜 | 松岡正剛の千夜千冊

    トインビーの「散在体」を思い出して一夜あけ、またまた数年前に読んだ一冊のの内容を思い出した。いまは新潟大学にいる民俗学者福田アジオの『番と衆』である。 このは東と西の日の集落や村落や町村に継承されてきた社会組織形態の特徴を問うもので、徹底してフィールドワークにもとづく報告でありながら、そこから浮上してくる日社会の静かな叫び声が聞こえてくるようで、ずっと気になっていた。結論は日の東には「番組織」が多く、西には「衆組織」が多いというものだが、そのように関東が家を単位として「番」を守り、関西が地域を単位にして「衆」をつくってきたことに、なんだかものすごく愛着をおぼえるのである。 すでに、日がこんなに小さな国土でありながら、一種類の国でもなく、一つの社会組織が蔓延してつくられた国でないことは、以前から訴えられてきた。 ランダムにいうのなら、坪井洋文が関東・中部地方に「なし正月」を発見