戦後5年が過ぎた頃の京都市内の被差別部落(1952年・京都市不良住宅実態調査報告書) 部落差別で小学校に満足に通えなかったため読み書きができず、40歳で自ら識字教室を立ち上げ、学び続け、実名で部落差別と闘ってきた山本栄子さん(87)。京都市内の山本さんの暮らしてきた同和地域には、在日コリアンの人も多かった。山本さんが声をかけ、学校に通ったことがない在日コリアンの女性も識字教室に参加した。鉛筆を握ったことがなく、縦線や横線を書こうとしてもうまくいかず、鉛筆が手から滑り落ちてしまう。汗びっしょりになって書いていた姿を山本さんは覚えている。 その在日コリアンの女性が、1973年に京都市が編集した「識字学級の文集」に寄せた作文。 《しき字学級へいってよかったです。わたしはいままで、字をよんだり、かいたりしようと思っていても、家ではなかなかできなかったのです。 でもいまは、しき字学級へきているので、