論文・レポートの書き方の指導について 北海道大学高等教育開発研究部 小笠原正明 <<北大でTAのために行われた研修会で、レポートの書き方を学部生などに教える場合の指針が示されている。(...の指導のについてとあるのはそのためであろう。)TAの人達自身に役にたつものである。(桑折)>> 1.パラグラフとは? 文章の1つのまとまりをパラグラフと言う。これは日本語の「段落」に相当するが、日本語では段落という言葉は「改行」と同じ意味にも使われるので、ここでは混同をさけるために、英語のパラグラフという言葉を使うことにする。パラグラフを作る要領をおぽえておくと、レポートを書くときも討論をするときもたいへん有用である。 2.主題 主題はパラグラフで展開されている中心的な考えのことで、パラグラフに含まれているすべての情報の要約と言える。したがって、主題に要約できないような考えをパラクラフに入れることはでき
素朴な疑問。ブログでは段落はじめに全角スペースを入れるべきか。結論からいえば、大した問題ではないような気がする。だが職業柄、軽視していいものだろうか。とりあえず自分のルールとしてスペースは入れることに決めた。 大した問題ではないが習慣を考慮するという点で似たようなことを思い出した。学生時代に理学部数学科の友人が「日本語の横書きでは句読点はコンマとピリオドが正しい。数学の教科書もそうだろう」というので、なるほどと思ってまねることにした。卒業後もしばらくはパソコンを使う時にはわざわざ句読点の設定をコンマとピリオドにしていた。 だが仕事として原稿を出すようになり、コンマとピリオドはテンとマルに置換される。きっと一括変換しているとはいえ、編集さんに作業を増やすのは申し訳なく感じた。それで日本語変換の設定を変更することにした。その時コンマとピリオドに別れを告げるような、どこか名残惜しい気がした。 話
◆ お知らせ:2008年9月27日(土) 『ぴあの好きの集い 第9回演奏会』◆ 上野旧奏楽堂。入場無料。 私は、アルベニス晩年の傑作ラ・ベーガを演奏します
以下は http://www.meadowy.org/meadow/dists/3.00/setup.ini を元に自動作成し ています. Update の印は毎週土曜日にリセットされ,土曜日よりも新しければ, Update と 表示されます. パッケージリスト - 2011/11/09 更新 現在の setup3.exe のバージョンは 3.00.5 です Emacs バージョン:22_BASE-20070507-1 Meadow Meadow 本体.これがなければはじまりません. バージョン:3.02-r4261-3 anthy バージョン:9100d-1 apel 汎用ライブラリ → 17.1 apel ― 便利なライブラリ (2003/10/22) バージョン:10.7-1 auctex バージョン:11.81-2 auto-save-buffers-ex バージョン:7107-1
この頃何かを語ろうとして、数行書き始めるものの、結局まとまった文章にはできず、途中でやめてしまうことが多い。わたしの中には言葉になりたがっているものが確かにあるのに、語も文字も指につかずに消えていく。何が足りないのだろうか、どこを間違えたのだろうか、進んでは戻り、捉まえられると思った声が薄暗い階段にこだまする響きと消えて、ついにはすべてを閉じてしまう。そんな時、結局自分が書いてきたこと、書いていること、書こうとすることは、全部嘘でしかなかったのではないかと思う。 追記: わたしはときどき何も書けなくなることがある。書こうとしたことに近づくこともできず、ただその周りをふらふらさまよった挙句、数行進んでは数行戻り、やがて立ち往生してしまう。また近頃そのスイッチが入ってしまったようで、この文章そのものも、ここから何も書けなくなって丸二日が経ってしまった。いっそ消してしまおうとも思ったのだが、断片
この記事には複数の問題があります。改善やノートページでの議論にご協力ください。 信頼性について検証が求められています。確認のための情報源が必要です。(2008年3月) 雑多な内容を羅列した節があります。(2013年8月) 誤植(ごしょく)とは、印刷物における文字や数字、記号などの誤りのこと。 特に、企業名・商標・人名をはじめとする固有名詞や、数字の位取りの誤植が起こると、大きな問題となることがある。 もともとは活版印刷や写真植字で間違った活字を植字してしまうことを指したが、転じて印刷物全般やウェブサイト上の誤字や脱字、衍字についても「誤植」と呼ばれることがある。 あるスーパーの値札における誤植。「ラブライブ!」と書かなければならないところが「ラブラブ」になっている。 「おつまみ」のメニューであるが、画像下部の文章では「おつまみ」とするべきところを「おつみま」になっている。 当初の誤植とは、
納豆は日本独特の食品といっていいでしょう。世界にはインドネシアのテンペのような納豆に似た食品はありますが、日本の納豆とは違っています。では、納豆はいつから食べられるようになったのでしょう。世の中には熱心な方がいるもので、納豆の歴史もいろいろ調べられています。しかし、食品の歴史は資料に残りにくいとみえ、確実なことはよく分からないようです。そこで、これまでに明らかとなっている納豆の歴史をもとに、納豆の歴史を再構成してみました。 筆者は、これまでの納豆に関する歴史叙述を否定し、新説を提起しようとする意図でこの論稿を書いたのではありません。「想い」が伝説を生み出してきたように、歴史叙述もまたそれぞれの「想い」を反映するものです。人それぞれにそれぞれの「歴史」があっていいと考えます。本稿もまた、筆者の個人的な「想い」を反映したものに過ぎません。だから、「妄説」なのです。納豆はこの国の民衆が生活の中か
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