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ブックマーク / dokuhen.exblog.jp (35)

  • 仮名遣ひ | 福田逸の備忘録――残日録縹渺

    大分前の事になるが、私のブログが正仮名遣ひであることに疑念を表し、あれは主義主張なのかと聞いて来た知人がゐる。主義だ主張だと、そんな大それた話でもなんでもなく、単に過てる「現代かなづかい」に苛立つ、それだけのことなのだ。 例へば、「おめでとう」、といふ仮名遣ひに違和感を感じるだけの話なのだ。めでたいから、正月なり慶事に際して、「おめでとう」と書くのだらう。つまりめでたい=愛でたいからだらう。あるいは「珍しい」物事を「愛でたく」思ふから、その物事を大事にしたいのだらう。 大事にしたく思ふ、愛でたく思ふ、すなはち、「めでたく」思ふから「おめでたう」と書くのだ。「たう」は「たく」のウ音便であり、といふことは「おめでとう」と書いたら、そのウ音便を元に戻すと、「おめでとく」となつてしまふではないか。めでといなぁ、なぞと言ふか。形容詞の語幹が、変つてよいものか。「おめでとう」と書いて違和感が無い方は、

    仮名遣ひ | 福田逸の備忘録――残日録縹渺
  • 福田逸の備忘録―獨斷と偏見 : お報せ(*福田恆存が最後に書いた未發表原稿に就いて)

    野ささげ十日発売の『文藝春秋』十月号に、福田恆存が最後に書いた未発表原稿が掲載されます。なぜ、執筆時に発表しなかつたかは不明ですが、その当時の経緯や、今回この原稿が出てきた事情などを私が解説する形で掲載します。  文藝春秋社版『福田恆存全集』第一巻の一刷から三刷までを買つた方への(読んだ方への?)父の詫び状と言へなくもありません。何やら思はせぶりですが、余り書いては掲載の意味がありませんので、悪しからず。以上宣伝兼お報せ。

  • 福田逸の備忘録―獨斷と偏見 : お報せ(*「福田恆存評論集」に就いて)

    funaki_naoto
    funaki_naoto 2007/08/24
    評論集「麗澤大学出版会から、隔月刊で全十二巻、別巻一冊」十一月から刊行予定。/他に編集者つてゐないのか。
  • 市町村合併と町名変更 | 福田逸の備忘録――残日録縹渺

    今さら、町名変更の愚を言ひ立てる気も起こらぬが、南アルプス市だとか伊豆の国市など、呆れる以前に、そんな名前を付けて恥づかしくないのかと思ふ。決めた方々の感覚と私のそれとは未来永劫絶対に相容れないであらう。知性と感性、共に疑ふ。 たしか、愛知の方で何とかセントレア市といふのが出来かかつて、流石にそこまではと、まともな感覚の方々が反対してつぶれたと思ふが、つぶれなかつたら、今頃は日中の笑ひものだらう。 伊豆の国市がなぜをかしいかといふと、国といふものは市より大きなものであることが一つ、そして第二に、伊豆の国と言つたら、普通は伊豆半島全体をイメージする。合併前の韮山町・大仁町・長岡町以外だつて伊豆だ。他の町から文句は出なかつたのだらうか。伊豆の国を占有されて構はぬのか。 南アルプス市に違和感があるのは、カタカナ町名といふ事だけではなく、恐らくかういふ事だらう。ヨーロッパの美しい峰々がアルプスと

    市町村合併と町名変更 | 福田逸の備忘録――残日録縹渺
  • 参院選に思ふ | 福田逸の備忘録――残日録縹渺

    二年程前、どの記事か忘れたが、小泉は自民党のみならず日を壊すといつたことを書いた記憶がある。私には、その破壊が着実に進んでゐると思へて仕方がない。 自民党の派閥・長老政治・族議員…善し悪しは別にして、これらはこの二年で急速に影を潜め、元気をなくし、小泉は間違ひなく自民党を「ぶつ壊し」た。さうして生まれたのはホリエモンに象徴される拝金主義であり、刹那的世界である。勿論、それらはいつの世にもいつの時代にもどこの国にもあつたには違ひない。だが、近代以降の我が国でこれ程にまで、拝金がなぜ悪いといつた「空気」が醸成され、刹那的思考がはびこつたことはあるか。 確かに、小泉は日を壊した。少なくとも壊す端緒を作つた。勝てばいい、ホリエモンでも国政選挙の候補にしてしまへ――国民は確かにそれを面白がり楽しんでゐた、当選しようと落選しようと、どちらでも面白がつただらう。その無節操は、いふまでもなく、ホリエモ

    参院選に思ふ | 福田逸の備忘録――残日録縹渺
  • 出世払ひ | 福田逸の備忘録――残日録縹渺

    知人から面白い(深刻な?)話を聞いた。余り具体的に話すと個人名が特定され、背景も見えてしまふので、A氏としておく。氏は若者を集めて「育て」てることに熱心な人である。先週末の一夜、奥方共々愉快な酒を飲んだが、話が「今時の若者」の話題に及んだ。 言葉に対する鈍感さやら慣用表現が伝はつてゐないといふ話題になり、私が大学生の多くが「歯に衣着せず」とか「奥歯に物の挟まつた」といつた言ひ回しを既に知らないと話したら、A氏が笑ひながら、「うちの若い連中にはつて行けない奴もゐるわけですよ、で、金を貸してやる、さもないと飢え死にしかねない―千万を超えた奴もゐる。勿論、貸す時に『出世払ひだぞ』といふんだけどねぇ。すると相手が眼を輝かしてありがたうございますつて、安心したやうな顔をするんだよ」―― そこまで言つて奥方と吹き出して笑つてゐる。何なんです、と私に尋ねられて、氏の曰く――「『出世払ひ』を勘違ひしてゐ

    出世払ひ | 福田逸の備忘録――残日録縹渺
  • ベニバスモモ? | 福田逸の備忘録――残日録縹渺

    二十一日午後七時のNHKニュース。桜の開花の話題から大阪で今満開の花の話題が流れた時のことだが。たまたま画面を見てゐなかつた私の耳に何やら意味不明の言葉が飛び込んできた。ただ、バスに関係あるらしいことは音声から聴き取れた。ナンとかバスも、どうしたと言ふ(聴こえる)。桜の話題から何でバスの話になるのかと、眼を上げると画面には「ベニバスモモ」とテロップが出てゐる。 きよとんとして暫く眺めてゐて紅葉李のことだと気づいた。「・・バス・・」の部分が乗り物のバスに聴こえるやうに発音してみると、バに強勢を置くことになる。しかし、紅葉李のことだつたら、「べにばす」までを高めに平板に発音し、「もも」の部分を落として発音すべきだらう。 「すもも」だけなら「す」を低く発音して、「もも」の部分が高めで平板になる。同じ例を挙げれば「れんげ」。これが山の名で「三俣蓮華」となると、「みつまたれ」までが高めに平板になり、

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  • 文化の消滅 | 福田逸の備忘録――残日録縹渺

    改築中の拙宅に入つてゐる大工の棟梁に聞いた。日の在来工法で家が建てられるのも今が最後らしい。近頃では弟子入りして来る若者がゐても、数日すると逃げ出して、居ついた例がないといふ。叱つたり怒鳴つたりすると直ぐ逃げ出してしまふといふ。 大工の仕事、あるいは工事と呼ばれる現場には、当然危険が付き物で、叱るも怒鳴るも、相手が憎くてしている事ではないだらう。まさに体で覚えさせるための昔からのこの国ならではの流儀なのだと思ふ。大工の棟梁と一緒に話してゐた鳶の棟梁曰く、「昔は怒鳴られるだけで、何も教へて貰へなかつたのにな、見よう見まねで覚えたのになぁ」と、やはり嘆いてゐた。 では、若い大工といふのは幾つ位かと尋ねると、驚いたことに、棟梁は苦笑しながら「五十代ですよ」と言ふ。団塊世代の大量退職であちこちの職場で、技術の伝達が行はれぬ危機感があると聞くが、それどころではない。既に、大工の技術は途絶えようとし

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  • 言葉について(二)~『星の王子さま』編 | 福田逸の備忘録――残日録縹渺

    「なじみになる」「絆を結ぶ」 この二つは、実はミクシィのある知人の記事を端緒として議論が交はされてゐた語句である。著作権が切れて雨後の筍の如く出版されたサン=テグジュペリの『星の王子さま』の邦訳に絡む話である。中に王子と狐の会話があるが、そこにこの二つの訳語の元となる語句が出てくる。原文では'apprivoiser'(≒なつく)と'créer des liens'(≒つながりを持つ)で、王子と狐との会話では、前者の単語の意味を聞かれた狐が王子にその説明をするところに後者の語句が使はれてゐるといふ(といふと書いたのは、私は仏語の原典に当たつてゐないからである)。 コメントをしたある方が、前者の語'apprivoiser'がどう日語に訳されてゐるか、手元にある翻訳書(十二種!)から抜書きしてゐた。その中に「なじみになる」といふ訳が三例あるさうだ。 'apprivoiser'は英語でいへば't

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  • 言葉について(一) | 福田逸の備忘録――残日録縹渺

    さる知人から最近流行のミクシィに招待され、数人のサイトを毎日のやうに訪れてゐる。そこで話題になつてゐて私もコメントしたことをこちらに書く。問題は言葉である。言葉の誤用についてである。が、そこにも書いたのだが、他人の言葉の誤用を批判もしくは指摘しただけでも、それはブーメランの如く、ある日自分の頭に振り掛かつて来る。安易に人の言葉遣ひを揶揄したりしない方が身の安全と言へるかもしれない。それでも、気になるものは気になる。ブーメランを恐れず、幾つか書いてみる。 「させていただく」 この言ひ方自体使ふべき状況はあり得るし、これだけでは間違ひとは言へまい。が、この言ひ回しを連発すると耳障りなものともなりかねない。ある集まりの議長役が集まりの度に、「させていただく」を連発して二年余りうんざりさせられたことがある。議長役と呼んだのは差し障りを考へてのことだが、要はその集まりの長たる人物であり、その立場から

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  • 演ずるといふこと、そして日本の宿命 ( I I ) | 福田逸の備忘録――残日録縹渺

    私は単に日の役者を腐し批判しようとしてゐるのではない。明治以来百数十年、西欧の演劇を移入し学び、少なくとも近代リアリズムを取り入れようとした(取り入れたつもりの?)新劇界、あるいは、その結果大仰で臭くわざとらしい演技へと堕した新劇に対するアンチテーゼとして生まれた様々な小劇場及びそれ以降の演劇集団――どの立場にしても、この数十年に亘つて、それぞれにリアルな舞台を求めたつもりであらうに、これらの演劇人たちの演技の殆ど全てが、何ゆゑ、かくもぶざまに「地のまま」の「持ち味」の世界に陥り充足してゐられるのか、たかだか型に嵌つた「癖」に過ぎないものを「個性」と勘違いした揚げ句、他者を演ずること=他者になることを突き詰めようとしないでゐられるのか。技術としての芸(=art)を気で磨かうといふ意志を、残念ながら私は日の現代演劇の世界で目にしたことなど殆ど無い。 何ゆゑ? 私はこの答が、実は日人と

    演ずるといふこと、そして日本の宿命 ( I I ) | 福田逸の備忘録――残日録縹渺
  • 演ずるといふこと、そして日本の宿命 ( I ) | 福田逸の備忘録――残日録縹渺

    以下は平成十三年にシェイクスピア協会の機関紙に『私を育ててくれた舞台』と題して書いた短いエッセイである。 ≪随分昔の話になるが、初めて渡英した1968年、ストラットフォードで三夜続けて観た三つの舞台が忘れられない。順序は忘れたが、『リア王』『お気に召すまま』『トロイラスとクレシダ』である。舞台そのものの出来といふより、ある若い役者の上手さに目を見張らされた。エドガー、ジェイクィズ、アキリーズをそれぞれ演じてゐるのだが、父を思ふエドガーの慈しみと悲しみ、諧謔に富むジェイクイズ、倣岸なアキリーズ、しかもそれらがどうしても別人が演じてゐるとしか見えない。体型、発声、仕草、物腰――どれ一つ取つても一人の役者が演じ分けてゐるとは思へなかつた。毎晩うまい役者がゐるなと思つてパンフレットを確かめると、そこにはキャリアなど殆どない無名の一役者の名が載つてゐるといふわけである。 この三つの舞台で、私は役者の

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  • 福田 逸の備忘録―独断と偏見 : 信じがたいNHKの偏向

  • 朝日新聞に借問する | 福田逸の備忘録――残日録縹渺

    朝日新聞が5月18日の社説で小泉首相の靖国参拝発言を取り上げてゐた。首相の「どの国でも戦没者への追悼を行う気持ちを持っている。どのような追悼の仕方がいいかは、他の国が干渉すべきでない」「A級戦犯の話がたびたび論じられるが、『罪を憎んで人を憎まず』は中国の孔子の言葉だ」といふ衆院予算委での発言に噛みついた(つもりらしい)。 朝日の言説に従へば、中国韓国は「A級戦犯がまつられている靖国神社への参拝は絶対にしないようにしてほしい」と繰り返し求めてきた、のださうだ。さらに読み進むと、「欧米のマスメディアからも疑問の声が出ている」らしい。 今更の言辞を弄すると言はれさうだが、今更ながらにしても一度は言つておきたい。A級戦犯を分祀すれば、支那と韓国は黙るか? 二度と靖国問題を「歴史カード」として使はぬ保証でもあるのか? 朝日新聞が保証してくれるのか。当該二国が保証するとでも、裏でこつそりチョーニチ新

    朝日新聞に借問する | 福田逸の備忘録――残日録縹渺
    funaki_naoto
    funaki_naoto 2005/05/23
    歴史が人間を型造るのであつて、人間が歴史を創るのではない、まして認識するのではない。歴史が我々を育む
  • 福田逸の備忘録――残日録縹渺

    七年前に更新を止めたブログ「福田逸の備忘録~独断と偏見」ーー装いも新たにタイトルを変更して再開します。これからは、残された日々の徒然を気の向くまま、心の赴くままに綴っていきます。更新は不定期です、悪しからず。(なお、「独断と偏見」時代の記事も取捨選択して、少しづつ見えるようにしてきます。) by dokudankoji

    福田逸の備忘録――残日録縹渺