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ブックマーク / dokuhen.exblog.jp (35)

  • 現代演劇協会創立五十周年記念公演と協会の解散のお報せ : 福田 逸の備忘録―独断と偏見

  • 上方の言葉に思ふ | 福田逸の備忘録――残日録縹渺

    政治家と文化・芸術について書いた7月31日の記事に「くゎんさい人」さんから≪住大夫師匠は、「が」と「ぐゎ」の発音を区別できる、純粋上方弁の遣い手としても人間国宝なんです。早くお元気になりますように。≫といふコメントを頂いたので、こちらに移して簡単に書く。 福田恆存が確か『私の國語教室』の中で、かう言ふことを書いてゐた。「新仮名遣い」が決められた時、上方の知人が、≪なぜ「扇ぐ」を「アオグ」と書かなくてはいけないのか、なぜ「アフグ」と書いてはいけないのか、私は実際に「アフグ」と言つてゐるのに≫と歎いてゐたと。 新仮名を違和感なく使つてゐる皆さんに、ここで一先づ立ち止まつて考へて頂きたい。フとオの表記の違ひだけではない。扇子でアフグ行為を「アオグ」と表記し、「扇」は「オオギ」と表記する。これが現代仮名遣ひだが、「フ」・「オ」の問題だけではなく、同じ語なのに品詞が変ると、最初の一音が「ア」から「オ

    上方の言葉に思ふ | 福田逸の備忘録――残日録縹渺
  • 恆存対談集・第六巻 : 福田 逸の備忘録―独断と偏見

    既に店頭に並んでゐるはずだが、第六巻が出た。私の方は、予定を早めて9月に出ることになつた最終巻校了!これで、秋の「明暗」の演出を済ませれば、まぁ、父親の面...既に店頭に並んでゐるはずだが、第六巻が出た。私の方は、予定を早めて9月に出ることになつた最終巻校了! これで、秋の「明暗」の演出を済ませれば、まぁ、父親の面倒を見るのも十分、いや十分過ぎるだらう。  その第六巻から、何箇所か気になるところを挙げておく。第一は芥川比呂志との対談で、当時上演した「罪と罰」を話題にしてゐる。芥川がポルフィーリーを演じた。ここでドストエフスキーや「罪と罰」の意図や主題について云々しようといふのではない。恆存の脚色について語るつもりもない。で、早速抜粋――その一。 ≪芥川 ポルフィーリーは原作でも脚色でもそうですけれども、三十五六くらいの男でしょう。ところが、読んでみると、かなり……。 福田 ふけて感ずる。

  • 『世相を斬る』からの会話~そして私の妄言 | 福田逸の備忘録――残日録縹渺

    恆存対談集の第4巻(1月刊)にフジテレビの『世相を斬る』シリーズでの対談を収録。その相手の一人が勝田吉太郎。氏との対談のタイトルは「幻想の平和」。その中の勝田氏の言葉を引く。 ≪勝田 いい意味でも悪い意味でも、戦争にはヒロイズムがありますね。それを、日の今日の平和というのを考えるときに、僕はいつも思うのですけどね。どんな代償を払っても平和をほんとうに求めようとするのかどうかということですね。極端に言いますと、日列島がフィンランド化してソ連の事実上の衛星国になっても、奴隷の平和も平和だと思い定めて、そういう平和を甘受するのかどうかということですね(中略)先ほど、平和というのは一つの目的化してしまったと言いましたけれど、来ならば平和というのは何らかの目的を実現するための条件あるいは手段であるにもかかわらず、肝心かなめの目的がどこかへ行っちゃったのですよ。その目的がちゃんとあれば、人間は生

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  • 福田 逸の備忘録―独断と偏見 : 「堅壘奪取」の稽古場から

  • 三島さん~個人的感想 | 福田逸の備忘録――残日録縹渺

    角川シネマ有楽町で三島由紀夫の映画特集が終つた。行かう行かうと思ひつつ殆ど果たせず、2日に授業の合間を縫つて(と言へば聞こえが良いが、実際は逆で映画の合間を縫つて授業をしたのだが)、漸く二だけ観た。昼過ぎから「憂国」、授業からとんぼ返りで夜は「人斬り」。 映画評をするつもりはない。 「人斬り」を観て、さすが三島の殺陣は見事と感心しきり。様になつてゐるどころか、他の出演者を圧してゐる。群を抜いて美しい、型が決まる美しさといふべきだらう。また、剣を使ふ時の三島の目がいい、気合ひが違ふ。気迫が違ふ。澄んだ眼をしてゐる。自決を内に秘めてゐる、などと言ふつもりは毛頭ない。 三島ファンに期待を持たせておいて、肩透かしをはせるやうなことを書くことになる。この映画を無理して観ておいてよかつたと痛切に感じてゐる。どういふことかはさておき―― 三島といふと、どうしても、その最期が強烈なイメージとして残る。

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  • 両陛下にカメラを向ける若者に思ふ | 福田逸の備忘録――残日録縹渺

    週刊新潮で読んだのだが、避難所を慰問なさつた両陛下に至近距離で携帯のカメラを向ける輩がゐるとか。年輩の被災者は概ね感謝してゐたやうだが、若者のマナーを新潮が嘆いてゐる。福島県二葉町の人々が避難した埼玉県の旧騎西高校でのことださうだが、町役場の担当者は、近くで両陛下にカメラ向けるのは失礼だから控へるやう、前以て注意はしてゐたらしい。一二週間前の、やはり新潮だつたか、被災者の若者が両陛下の前で胡坐をかいてゐたと写真入りで報じてゐた。 新潮は「マナー」といふ言葉で片づけてゐる。カタカナ語で片づけるところなど如何にも週刊誌的だが、私はやはりせめて礼儀・礼節と言ひかへたい。さらに言へば、人間のあり様とでもいふべき問題だと思つてゐる。人との付き合ひ方、人との距離の取り方とでもいふものが、昨今まるで意識されず、無視されるやうになつてゐはしないか。そんな躾も無くなつて久しいといふことか。 陛下をなんと心得

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  • 福田 逸の備忘録―独断と偏見 : 対談・座談集の刊行

    山雀(やまがら)麗澤の評論集、文春の戯曲集に漸く追ひついて、玉川大学出版部から恆存の対談・座談集が出ることになつた、宣伝――。 全七巻で文学、政治、演劇、さまざまなジャンルの対談座談を纏めた。編集者が数へたら対談相手が百三十名を超えてゐるらしい。人数はさておき、私はこの七巻に収められた対談座談のタイトルとその人々の名前を眺め、福田恆存その人よりも、むしろ恆存を媒介とした昭和史七巻と感じてゐる。近々にチラ・・・

  • 附き合ふこと、信ずること | 福田逸の備忘録――残日録縹渺

    六日の産経に論説委員の福島敏雄氏が「遠野物語」に触れた論説を書いてゐた。その内容はともあれ、私の連想は遠野の河童の存在の真偽から、信ずることとはどういふことかへと向かつてしまひ、福島氏が何を書かうとしたのか、その論説を読み終へず、かうしてパソコンに向かつてゐる。 河童の存在を信ずるなど、今時バカバカしい、ましてや河童の子を孕んだ女の話など信ずるも何もない程バカバカしいといふのが、恐らく昨今では真つ当な感じ方なのだらう。そこで私は考へる。今時バカバカしいといふ話が、昔はバカバカしくなかつたとしたら、それはなぜなのかといふこと。昔バカバカしくなく人々が現実のことと信じてゐたことが、なぜ、今、それ程バカバカしくて現実のこととは思へなくなつてしまふのか。 今も昔も、私たちは子供たちに月には兎がゐると話して聞かせ、キリスト教国でもない日でサンタクロースのプレゼントを心待ちにする子供たちが大勢ゐる。

    附き合ふこと、信ずること | 福田逸の備忘録――残日録縹渺
    funaki_naoto
    funaki_naoto 2010/03/08
    「さういふ意味で物事に偶然はない」
  • 言葉遣ひ | 福田逸の備忘録――残日録縹渺

    以前麻生太郎が総理の時、漢字が読めないと散々叩かれてゐたが、鳩山の言葉遣ひについては余り騒がれないのは何故だらう。言葉以前にニュースとして取り上げることが多すぎるからなのか? いやいや、さうではないでせう。皆さん、鳩山の言葉遣ひの酷さに気がついてゐないのではあるまいか。一例を挙げる。二十日の参議院における代表質問に答へて、鳩山さん、かう言つてゐた。「国旗に対する尊厳、さういふものは持ち合はせてゐる」。国旗に尊厳があるなら分るが、「対する尊厳」となると、この尊厳は鳩山さんの側にあるわけか。自分に尊厳があるとは変ではありませんか。仮に「国旗に対する尊崇の念」といふつもりだつたとしても、後がいけない。「持ち合はせてゐる」とはどういふ料簡か。小銭の「持ち合はせ」ならよい、実際に身につけてゐるならなりペンなり、なんでも持ち合はせてもをかしくない。後は辞書を引いて下さい。 しかし、国旗なり国家なり天

    言葉遣ひ | 福田逸の備忘録――残日録縹渺
  • 語らずに語る | 福田逸の備忘録――残日録縹渺

    語らずに語る。禅問答のやうな言葉だが、昨六日、大阪の文楽劇場の楽屋で住大夫が口にした言葉である。 伽羅先代萩、御殿の段の出を前に楽屋を訪れた知人と私を前にしてのことだ。住大夫が語る前半は、俗に「まま炊き」と呼ばれる。政岡役は、せりふのやりとりといふものはほとんど無く、あつても子供をあやしたり窘めたりするばかりで、子役二人を相手に一人で無言で演ずるのと大差ない、いや、確かに会話はある、かなり喋りはするのだが、喋る言葉とは裏腹の気持ちを現はさなくてはならない。言つて見れば腹ができてゐなければ勤まらない役といはうか。腹芸といふのではない。心の苦悩を言外に語り続ける。 住大夫は「難しい」と一言。それを聞いた時には私は御殿の段全体を考へ、何を難しいといふのか、ぴんとこなかつた。ところが幕が開いてなるほどと思つた。これは難しい。ことに住大夫の声質と八十代半ばになんなんとする大夫ににはつらい役だといふこ

    語らずに語る | 福田逸の備忘録――残日録縹渺
  • ニヒリズムと幸福と | 福田逸の備忘録――残日録縹渺

    前掲記事を掲載した年末、恆存評論集の第十六巻の再校に目を通してゐた。この巻の中心は「否定の精神」だが、その一節を読んで少々驚いた。驚いたといふのも大袈裟かもしれないが、前掲、前ゝ掲記事を書きながら私が感じてゐたことを、もう一歩先に歩を進めて書いてゐるからだ。 〈ニヒリズム〉と題した短い節である。その一節が妙に腑に落ちる心持がした。「否定の精神」は短い節に題を付し、将棋倒しのやうに次へ次へと主題を変奏してゆく逆説的エッセイの連続で一冊の評論集になつてゐる。したがつて〈ニヒリズム〉の一節も前の一節を受けてゐるので少々分かりにくいかもしれぬが、以下に引用する。 **************************************** 〈ニヒリズム〉 究極において幸福をめざさぬ思想はニヒリズムだ、と。さうにはちがひない。が、それはかういひあらためるべきだ―― ニヒリズムの匂ひのしない思想は

    ニヒリズムと幸福と | 福田逸の備忘録――残日録縹渺
  • 自分シンドローム | 福田逸の備忘録――残日録縹渺

    先づは「自分を褒めてあげたい」シンドローム――この言葉が流行語大賞になつたのは、無論、有森裕子の復活劇、つまり平成八年(1996)のこと。ただし、有森は正確には「初めて自分で自分を褒めたいと思います」と言つたはずで、自分を褒めて「あげたい」とまで、甘つちよろく生ぬるい言葉は使つてはゐない。いづれにしても――自分で自分を褒める――さう言はれると、勝手にすれば、と言ひ返したくなる。自分のことを活かさうと殺さうと、アンタの勝手だよ、一人で黙つて褒めればいいだらうがといふ気にさせられる。さういふ私がひねているのか。それなら、喜んでひねりまくらう。 多分、このフレーズの流行の頃からだらう、「自分」がやたらに正当化され、大事にされ、世の中に臆面もなくのさばり出した。尤も潜伏期間は、昭和も四十年代半ばから既に三十年くらゐはあつたと思はれる。 そしてお次が「自分探し」シンドローム――探して見つかる自分なら

    自分シンドローム | 福田逸の備忘録――残日録縹渺
  • 皇后陛下の御歌 | 福田逸の備忘録――残日録縹渺

    先月半ば過ぎ、ある大学の公開講座で『日を保守するもの――文化としての皇室と国語』と題して二時間ほど話をしたのだが、先づ文化といふ甚だ曖昧な使はれ方をされる言葉の定義に一時間を費やしてしまつた。大雑把にいへば、我々日人は今や殆ど日文化を失つてをり、「文化」と聞くと伝統芸能や文化財としての歴史的建造物などを思ひ出すが、それらは飽くまで我々の外側にあるもので、日人としての我々個々人に、内なる文化があるかとなると甚だ怪しいこと、さらに、和服などを日文化として考へると、ひとたまりもないことになる、つまり、和服をごく普通に着こなし、日常を送つてゐる人は甚だ少なく、和服をすら一種のエキゾティシズムで捉へてゐること、さらに、日常の立ち居振る舞ひや生活の中にも、嘗てあつた「和」の文化は殆ど見られなくなり、生活に密着した「生き方」としての文化はもはや危殆に瀕してゐるといつた事を、T.S.エリオット

    皇后陛下の御歌 | 福田逸の備忘録――残日録縹渺
  • 俳優修業――そして、言葉の力(最終回) | 福田逸の備忘録――残日録縹渺

    『鹿鳴館』を二度も私が観に行つたのは、偏に日下武史といふ現代には稀な知性を備へた俳優の演技を確かめたかつたからであり、初演時には、見事とは思ひながらどこか物足りなさを覚えたからなのだが、「凱旋公演」では期待通りの名演技を見せてもらへた。他の共演者は総じて四季独特の朗誦術に雁字搦めになつてゐて、せりふを肉体の中に取り込むことが出来ず、リアリズムからは程遠いと言はざるを得ない。 だが、今の私は四季だけを、そのマナリズムともいへる朗誦術ゆゑに否定する気にはなれない。もしそれを論ふなら、他の劇団、他の舞台は如何なるせりふ術を身につけ、聴かせてくれるか。 これは我が劇団昴についても同様である。昴は確かにせりふを大事にしてきた。福田訳のシェイクスピアをそれなりにこなしてはゐる。が、せりふを肉化してゐるかといふ点では決して合格点は付けられない。人物の造形をせりふの肉化、すなはち劇的リアリズムに昇華する所

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  • 俳優修業――そして、言葉の力(5) | 福田逸の備忘録――残日録縹渺

    勿論、西洋のものでなくとも、古典でなくとも、優れた戯曲には必ずかういふ要素が含まれてゐる――人を動かす言葉、観客の心に響き、そのせりふを語る役者自身が突き動かされる、それだけの力を担つた言葉で書かれた戯曲はある。あるいは、優れた演者なら、さういふせりふとその場面をきつちりと描いて、観客が手で受け止め、こころに受け入れられるほどの、形あるものにして客席に渡してくれる。 最近観た舞台から恰好の例を挙げる。昨年の暮も押し迫つた頃、劇団四季の『鹿鳴館』の凱旋公演を観に行つたが、影山伯爵を演ずる日下武史一人が光つてゐた。どこを切り取つても日下の場合、恰好の例といへるのだが、中でも秀逸な演技を一つ挙げる。(初演時=昨年初頭にも一度観てはゐるのだが、日下を筆頭に、ロングランを経て数段舞台が締まつてゐた事も事実である)。 原作の三幕が少し進んだ辺り。詳細は省くが、影山が政敵清原暗殺の刺客に仕立てた久雄が、

    俳優修業――そして、言葉の力(5) | 福田逸の備忘録――残日録縹渺
  • 俳優修業――そして、言葉の力(4) | 福田逸の備忘録――残日録縹渺

    身近な例を挙げる。翻訳劇上演の多い劇団昴の役者達は――至極当然かも知れぬが――たまには所謂和物を演じたくなるらしい。しかも出来れば現代の新作を。その結果が何を齎すか。残念なことに現代の戯曲(と呼べるとして)の多くには役者と等身大の人物が登場する。すると役者は良くも悪くも背伸びせず、自分の生地のままで演じることが多くなる。さうなるといよいよ仲代達也の例ではないが、どんな役を演じてもその役者の癖=マナリズム丸出しの舞台ばかりになる。 せりふは現代の日人のそれであり、配役に無理のない限り、役者は自分と同年代の役を演じるわけだから、よほどの想像力を働かせて自分とは全く異なる人物の造形に務めない限り、生のままの姿を舞台に曝すことになる。これでは演技でも技術でもない。 ここに、優れた翻訳による翻訳劇や古典に挑戦する意味が浮かび上がつてくる。自分から遠いもの、自分にはないもの、自分の手の届かないものを

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  • 俳優修業――そして、言葉の力(3) | 福田逸の備忘録――残日録縹渺

    旧臘、とんぼ返りで博多に文楽を観に行つた。演目は昼夜の通しで『仮名手忠臣蔵』を演つてゐたが、目当ては竹住大夫が語る『勘平腹切の段』。出来はいふまでもなくこれ以上はないといふもの。それはともかく、開演前に訪ねた楽屋で暫く住大夫と話せた。住大夫はここ一年といふもの私の顔を見ると、三百人劇場閉鎖を心配し、劇団昴の行く末を案じてくれる。 この時の楽屋でも、そんな話から文楽と新劇との若手の修業の足りなさへと話が移つた。この日に限らずとも、住大夫は常々文楽の若手の勉強不足を嘆いてゐる。そして、決まつて最後は私に向つて「センセ、やつぱり人間性ですわ」と言ふ。 この人間性とは何か。住大夫がしばしば口にするのは、自分が若かつた頃の文楽そのものが置かれた苦しい状況であり、それでも浄瑠璃が好きの一念で苦しさにも堪へ、少しでも上手く語れるやうになりたいと必死だつたといふこと、そのためには稽古に明け暮れたこと、

    俳優修業――そして、言葉の力(3) | 福田逸の備忘録――残日録縹渺
    funaki_naoto
    funaki_naoto 2007/11/17
    「せりふには力があることを信じなくてはいけない」
  • 俳優修業――そして、言葉の力(2) | 福田逸の備忘録――残日録縹渺

    英国の舞台を観た時に感ずることだが、上手い下手はさて置いて、彼の地の俳優の演技には底流に厳然とした基準があるといふ事、おそらくはシェイクスピア以来の演劇の歴史と伝統が生み出したせりふ術と、生身の役者が自分とは別の人格を舞台上に現出させる演技術とを多かれ少なかれ身に付けてをり、しかも、誰しもが共通の演技術を身に付けてゐるといふ事だ。 他でも書いたことだが、私にとつて忘れがたい舞台がある。初めて英国を訪れた昭和四十三年のこと、ストラットフォードで三夜連続でシェイクスピア劇を観た。『リア王』『トロイラスとクレシダ』『お気に召すまま』の三作品である。一晩目に観た舞台に若いが実に上手い役者がゐた。シェイクスピアの詩形ブランク・ヴァースを見事に美しく聴かせてくれるし、『リア王』のエドガーといふ青年の苦難と信念とを的確に演じてゐる。感心してパンフレットの俳優紹介に丸印を付けて宿に帰る。翌日『トロイラスと

    俳優修業――そして、言葉の力(2) | 福田逸の備忘録――残日録縹渺
    funaki_naoto
    funaki_naoto 2007/11/12
    「新劇あるいは「現代劇」は、一向に演ずることを身につけてゐない役者で溢れてゐる」
  • 俳優修業――そして、言葉の力(1) | 福田逸の備忘録――残日録縹渺

    今年の春、拓殖大学日文化研究所発行の『新日学』春号に書いた拙論を、数日置きに、五六回に分けて掲載する。執筆時期は今年初頭。 **************************** のつけから身も蓋もない引用で始める。 ≪俳優修業は人間修業といふ事になりませうが、現代の日を顧みた時 に生活や文化に根づいた役者といふものが、どこにゐるのか、その文化の荒廃といふ現実を前にして、私は時折、底知れぬ絶望感に襲はれます。(福田恆存『せりふと動き』)≫ 『せりふと動き』は昭和五十四年の秋に玉川大学出版部から単行として出されたが、そもそもはその二年前から雑誌『テアトロ』に連載されたものである。いづれにせよ、今からおよそ三十年前に書かれてゐる。 そして、私のこの論考も「絶望感」に始まり「絶望感」に終ることになりさうである。勿論「絶望感」などといふもの、口に出してゐる人自身、真の絶望に打ちのめされ

    俳優修業――そして、言葉の力(1) | 福田逸の備忘録――残日録縹渺