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ブックマーク / sumus.exblog.jp (57)

  • 関西出版 | daily-sumus

    産経新聞大阪版に連載した「古書さんけい堂」を大幅に増補して100編とした単行を編集した。昨年夏から秋にかけておおわらわだった。十一月初めに創元社にデータを渡し、日ようやくゲラが届いた。初校はPDFで済ましているが、やはりプリントしてみないと分からないところもある。 さんけい堂のときは三人(熊田司、宮内淳子、小生)で交替の連載だったのを、新たに依頼し、総勢二十一人の執筆となっている。関西の版元ばかりを、原則として一編一社(一部重複している版元もあるが)、明治初年の版元不明(橋爪節也)から一九八〇年代のエディション・カイエ(季村敏夫)まで、百年余を概観するという少々大胆な目論見。とにかくフルカラーなのでの絵のようにめくって楽しいものをこころがけた。たぶん五月ごろ配予定。 装幀も小生がやらせてもらうが、函入りで、今どき珍しい豪華版になる予定。これは創元社・矢部社長の意向。どうせ作るなら

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  • フランス装考 | daily-sumus

    上の写真は昨日の時里二郎『胚種譚』の体ジャケットを外したところ(グラシン紙がかかっている)。これは「フランス装」と言うものだと読者の方より御教示いただいた。はっきり言って、これが「フランス装」だとは思わなかった。いや、「フランス装」という言葉があまり気に入らないので、ブログでもたぶんほとんど使ったことがないと思う。サイト内検索では《表紙は三方折り(いわゆるフランス装)》と一度だけ使ったことになっている(日多数使います!)。 この折り返し方は「フランス装」でも何でもなく、和の表紙の折り方とまったく同じである。和の表紙はここに見返し紙を貼付けるので折り目が目立たないだけのことだ。三方ではなく四方を折るところも違うが、「フランス装」でも全体から考えれば四方を折り返している。要するに一枚の紙を強靭にする便利な方法なのだ。 「フランス装」とは何か? これを追求した方がおられる。大貫伸樹氏で

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  • キャツセル文庫 | daily-sumus

    『柳田泉の文学遺産』第二巻を読んでいると、「書物をやいた話」のなかにキヤツセル文庫というものが登場している。柳田が早稲田で英文学を学んでいた頃の話。 《貧乏書生にふさわしいキヤツセル文庫というものがはやつていた。これはいろいろの装釘があるが、ねずみ色の仮綴のものが普通で、鳶色ボールクロースのが特製、後になつてねずみ表紙が赤い厚紙表紙となりボールクロースも赤色となつた。(別に第二輯といつて、黄色い表紙のものもあつた)。これは、定価がいかほどしたか、古では極めて安く、五銭からあつて、まず仮綴のが十銭というのが普通であつたので、私どもには大歓迎のであつた。値の安いわりに内容はいずれも西洋古典の名著であつたから、一寸出かけるのにもち歩くにまことに都合がよかつた。》 そして上の写真が《ボールクロースも赤色となつた》キャッセル文庫(CASSELL'S NATIONAL LIBRARY)の一冊サ

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  • 新刻正字通2 | daily-sumus

    『新刻正字通』の序。ここまでに扉と標語と口絵二点がある。序文の筆者は増田貢。検索していると関場武「明治期の辞書・字典 青木輔清の著作の中から」という論文が見つかった。そこにこのの詳しい書誌も載っており《表紙:黄色布目地紙に紗菱形模様空押し》としてある。ということは和綴で、昨日の書影とは異なるということだ。四つ目綴じと昨日は書いたが、これは誤りで、天地に糸が回っていない。おそらく刊行の初めから洋装として綴じたということだろうと思う。 明代、『字彙』を下敷きに『正字通』が編まれ、『正字通』を基に『康煕字典』が編纂されたが、その『正字通』のダイジェスト版がこの『新刻正字通』である。家『正字通』には33,671字が収録されているというが、『新刻正字通』にもざっと一万字は収められている。名刺より少し大きい程度の豆(厚さは25mm)なのに、である。 それにしても画数の多い漢字がぎっしり並んで

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  • 柳田泉の文学遺産 | daily-sumus

    よくぞ刊行した、というは少なくないが、最近その感を強くしたのがこの『柳田泉の文学遺産』全三巻(右文書院、二〇〇九年、装幀=クラフト・エヴィング商會)である。柳田泉は明治二十七年青森県生まれ、早稲田英文科を出て、英文学を志すも、関東大震災に遭遇し、明治文学研究の必要性を痛感、当時はほとんど省みられていなかった明治文学を研究するために厖大な古書を蒐集し、多くの関係者の談話を記録、論文を発表した。その柳田の佚文というか単行未収録の文章を精選のうえ収録したのがこの三巻。 まずは作家たちの思い出や逸話を語った第三巻から読んでいる。明治文学といってもそう特別興味があるわけではないが、『喫茶店の時代』を書いていた頃にあれこれ読み散らしたような記憶もある(ほとんど忘れてます)。そこに付け加えられそうなのは「荷風と帚葉散人」で、帚葉散人は「校正の神様」として有名な神代種亮のこと。柳田によれば神代は毎日

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  • 草森紳一の右手 | daily-sumus

    『彷書月刊』10月号は特集・草森紳一の右手。特集はすべて草森の原稿と校正紙、メモ類など。この写真は一九七七年頃、撮影者不明。巻頭には「枡目の呪縛ーー原稿用紙の中の書の世界」が再録されている(初出は一九八九年)。そこにちょっと気になる記述があった。 《原稿用紙の枡目の出現は、おそらく印刷術と大きくかかわっている。萩の勤皇僧月性の発明ともきくが、彼は自らの塾「清狂草堂」で出版もやった位だから、活字が拾いやすいようにという配慮から、枡目のある原稿用紙を作るに至ったのだろう。「縦二十字」の決定には、書き手の視覚や呼吸、腕の長さまでも、それなりに計算されているはずである。》 たしかに月性が編纂した『今世名家文鈔』(河内屋忠七等)は二十字詰めの版面になっている(国会図書館の近代デジタルライブラリーでネット閲覧可)。しかしそれは木活字版ではなく整版のように見える。整版なら一枚板から掘り出すので活字ではな

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  • daily-sumus : 老舗の流儀

    林蘊蓄斎の書物な日々南陀楼綾繁『老舗の流儀 戦後六十年あのの新聞広告』(幻冬舎、二〇〇九年、装丁=松永大剛)。以前このブログでも取り上げたサンヤツ広告、あるいはゴヨツ(五段四割)、ゴムツ(五段六割)、ゴダンジュウニワリ、ハンゴ(半五段)、ゼンゴ(全五段)、全面(全十五段)などの新聞の出版広告の代理店「とうこう・あい」六十年史である。同時にベスセラー快読にもなっているし、見城徹(幻冬舎)、紀田順一郎、村崎和也(元・有斐閣)、渡邊隆男(二玄社)諸氏への広告に関するインタビューもいろいろなこだわりが見えて面白い。 南陀楼氏より献されたのだが、挟まれていた「新刊をお送りします」という挨拶状があまりに正直なので引用しておく。紋切型が多い中で実感がこもった挨拶状だと思う。 《これは、「企業出版」というもので、広告会社とうこう・あいの社史として企画されたものです。一般の読者にも読めるものにしよう

  • daily-sumus : MACHI

    「はんのき」での買物のうち、これがいちばん気になっている。『ローマ字読(第二種)MACHI 小学校 第五学年用』(文部省、大阪書籍、一九五〇年二月一五日修正翻刻発行)。文部省の著作。表紙画と挿絵は同じ画家だろうが、作者名は分からない。サインもない。どこかで見たようなタッチなのだが……。 内容は町の生活をつづったローマ字の文章が並んでいる。戦後のローマ字教育は昭和二十一年のアメリカ教育使節団の報告書に基づいて実行されたようである(井上ひさし『東京セブンローズ』が戦後のローマ字化問題をテーマにしているようだ、読んでいないけど)。旧文化をリセットしようとした羽仁五郎らローマ字運動家たちが強く使節団に対して働きかけたのだともいう。それにしてもこのローマ字の電報は実際に国内で使われていたのだろうか、気になる。 それら暮らしのローマ字表記とは別に読物として小川未明の「SHIO O NOSETA FU

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  • daily-sumus : 澤辺由記子 活版レシピ「わたしの馬棚」

    林蘊蓄斎の書物な日々しばらくぶりでカロさんへ。エレベーターが新しくなっていた。安心して乗れる、が、面白味はない。澤辺由記子さんの展示を拝見して、活版の話などうかがう。凸版の印刷博物館に勤めておられたそうだ。今は独立して自宅に活版印刷機を据えるかたわら、印刷博物館と内外文字印刷へは自由に出入りして仕事されているとのこと。内外文字印刷の『金属活字活版印刷ものがたり』(二〇〇七年)は大部の活字見帳で、なかなか力のこもった文字が並んでおり、やはりデジタルとはひと味違うと感じさせられる。

  • 吉岡のサンヤツ | daily-sumus

    某氏より御教示いただいた「サンヤツ」広告。サンヤツは新聞紙の第一面下部の書籍広告のこと。タテ三段分のスペースを八等分したところからそう呼ばれる。これは森田誠吾編『三段八割秀作集』(精美堂、一九七二年)に収録されている筑摩書房のサンヤツ。某氏いわく吉岡実作であると。 《この『三段八割秀作集』には筑摩書房の作例も8紹介されているが、いずれも活字の構成の巧みさで抜きんでている。制作者名は宣伝課としか記されていないが、私は氏の数々の装幀の活字扱いから吉岡の作品と見た。》 たしかにかなり凝った文字組みだ。吉岡実の装幀はセンターが基である。そういう意味ではこのサンヤツもタテの中心線を強く意識した構成になっている。たとえば「明治文学全集」の利き具合にシビレル。 ÷ 昨日の『新文学』の表4広告。「強力メタボリン錠」、これは疲労回復のビタミン剤。昨今話題のメタボすなわちメタボリックシンドローム(英 me

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  • 掌中和漢年代記集成 | daily-sumus

    『掌中和漢年代記集成』(文江堂、文化三年=1806)。江戸時代のポケット事典。大日略図、大清略図、歴代皇帝天皇リスト、年号と干支、武将の略伝、暦日略解、男女相性、婦人の妊娠中の胎児の図解、忌日数、五行図式、月の満ち欠け、日蝕月蝕、天動説の図解、江戸年中行事などなど、こまごまと書き込まれている。江戸の人々の生活、知っておかなければならないことが詰まっているといった感じ。 そのなかで上の写真は「諸商人通用賦帳集」の頁、数字のふちょう集である。「書物」の欄があったので目にとまった。今では古屋もほとんど使っていないだろうが、昔のには意味不明の符牒が記されていることがある。 書物(志よもつ) 一二三四五六七八九十 ヲコソトノホモヨロオ このほか家々数多し 古屋の符牒については猪狩春雄『返品のない月曜日』(筑摩書房、一九八五年)に上記とほぼ同じものが示されていた。「お」と「を」が入れ違っている

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  • daily-sumus : 町場の文字力

    林蘊蓄斎の書物な日々京都国際マンガミュージアム(元・龍池小学校)の西側の通り(両替町通)にあった看板。コンクリート片の重しが効いている。

  • 金石学 | daily-sumus

    島田庸一編述『小学博物金石学,下』(梶田喜蔵、北村幸太郎、前川善兵衛、一八八二年)。下卷のみ200円だった。文は木版刷、貼り込みの図版は銅版画に木版刷(?)の彩色。雲母(キラ)で表現しているのが注目に値する。この書物については「明治の鉱物学教科書(和)に影響をあたえたドイツ鉱物学書について」に触れられている。 《明治14年(1881),小学校教則綱領が制定され,小学中等科・高等科に「博物」が置かれ,その一科として金石(鉱物)が選ばれた。教科書は明治19年の小学校令で文部大臣の検定したるものに限ると定められたが,それ以前は自由採用の時代であり,金石に関する教科書が和装で次々と刊行された。》 《博物学に図は欠くことができない。これらの教科書でも鉱物結晶の説明に図を加えるものが多く,中には彩色を施した印象的な教科書も作成された。島田庸一編『小学博物金石学 附金石一覧図』(明治15)や大坪源

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  • 組版ハンドブック | daily-sumus

    『組版ハンドブック 和文活字見帳』(凸版印刷株式会社)を頂戴した。いつごろのものだろうか? 発行年が明記されていない。記載されている教育漢字表が996字となっている。これが正式に制定されたのは一九七七年だが、新たに教える漢字115字が決まったのは一九六八年である。また巻末の住所表示に郵便番号が記載されていない。五桁郵便番号の導入はやはり一九六八年の七月一日である。ということで、一九六八年ごろの刊行物と思っておこう。 『spin』の組版をするときに、いちおう参考にしたのは『小塚明朝』(アドビシステムズ、1997)の見帳だが、この凸版の見帳はページそのままの組版が判型や組方向によって数多く例示されており、その点では、実際にすぐに使える見帳になっている。 『spin』のレイアウトをしていて、今でもまだ迷うのはルビのサイズ。小さ過ぎると読めないし、大きいと邪魔だ。このをパラパラやっている

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  • 二十世紀独和辞書 | daily-sumus

    今年初めての夢。ある大きな邸宅に親しい人を訪ねようとしているのだが、その苗字が思い出せず、中に入れてもらえない。親しいのにどうしても出てこない。表札があるだろうと、見たら、それは自分の名前になっている! 玄関先で思い悩んでいたらピピピピピピとアラームが鳴った。まるで催眠術が解けたように、その名前が浮かんできた。もちろん目覚めても大邸宅ではなかった。 『富士さんとわたし』に、奥さんの名前が三日間思い出せなかったという話が出ていて、ひょっとして、その影響かな、などといぶかしく思う。上の写真はわが家ではなく、ご近所の旧家の門扉。 昨年最後の買物。藤井信吉『二十世紀独和辞書』(金港堂書籍、一九一五年五十一版)。目録に明治四十年と書いてあったので、初版ならぜったい安いと思って注文したものだが、奥付は明治四十年刊のように見えて、その次の二ぺージにわたってびっしり再版の日付が記されていた。ちょっとめげた

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  • 花森安治の編集室 | daily-sumus

    唐澤平吉『花森安治の編集室』(晶文社、一九九七年、ブックデザイン=平野甲賀)。先頃、花森の話題が続いたのをいい機会に、買いそびれていたこのを入手した。新刊で注文したところ「品切れ」との返事だったため日の古屋を通じて購入した。(ただし現時点ではまだ晶文社のHPに載っている) とても読みやすい文章で一気に読了。晩年の花森安治の下で六年間働いた唐澤氏の体験談がなんとも面白い。品切れはもったいない。『暮しの手帖』がどうして成功したのか、花森安治とはどういう人間だったのか、内部からのまなざしで実感することができた。 戦前から戦後にかけて花森は変化していない、ブレていない。これは間違いないようだ。その象徴が花森が大政翼賛会時代に使っていた仕事机であろう。その古い木の机を『暮しの手帖』のスタジオでも使用していた。机が気に入っていたとか、そういうことではおそらくない。戦時中その机で行った仕事に「職人

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  • daily-sumus : HARD STUFF 第12号

  • 岩波文庫粗製時代 | daily-sumus

    昭和二十年から二十二年頃の岩波文庫をまとめて頂戴した。紙そのものは古びているものの、大半はおそらく読まれないまま放置されていたのであろう、まったく手ズレしていない。翻訳文学と日文学中心で、いくつか、おやっと思うタイトルもまぎれていた。 ÷ 古書渉猟日誌に箱庭での「佐野繁次郎装幀コレクション展」が紹介されている。さらにウーマンエキサイト『女子の棚』では展示の様子を撮った多くの写真がアップされている。臨場感あふれるページなので、大阪が遠いな、という方はぜひご覧いただきたい。

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  • 日露の戦聞書 | daily-sumus

    『横光利一全集』第八巻(非凡閣、一九三六年)に貼付されていたレッテル。今日、たまたま整理中に発見した。神田の有楽堂書は新刊書店のようである。上部が破れているらしいのがちょっと惜しいなあ。 ÷ さらに『歴史のかげにグルメあり』の余韻で、こんなが目についた。宇野千代『日露の戦聞書』(文体社、一九四四年二刷、装幀=青山二郎)。これは裸だが、たしかジャケットがあったと思う。宇野の舅、北原信明は明治六年生れ、日露戦争のときに第一軍近衛師団砲兵弾薬大隊付きの軍医として出征した。夫の父の昔語りを宇野がメモしたものだという。第一軍なので旅順攻撃については何も触れられていないものの、東京から出発して朝鮮へ、さらに鴨緑江を渡ってロシア陣地へ進軍するさまは、あまりにリアルすぎて、滑稽でさえある。 面白い逸話満載ながら、ここではグルメに絞っていくつか引用する。日軍は明治三十七年五月初め、鴨緑江の対岸にある要

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  • ぼくたちの大好きなおじさん | daily-sumus

    『植草甚一 ぼくたちの大好きなおじさん』(晶文社、二〇〇八年、装丁=小田島等、カバー画=テリー・ジョンスン)。カバー画テリー・ジョンスンはむろん湯村輝彦。生誕100年を記念して出版されたらしい。明治四十一年(1908)八月八日生れ、獅子座だ。目次に、浅生ハルミン、岡崎武志、荻原魚雷、近代ナリコという名前が見えるのはうれしいね。 でもやっぱり目玉は「Voice of J.J 植草甚一の声」というCD。ちょっと甲高い声でニューヨークのことなどを喋っている植草と、奥さんの話しが少々。植草は古のことを「ふるぼん」(furu-bon)と発音している。ケッサクは奥さんの植草評。 「大人じゃないんですよ」 「だだっ子といっしょですよ」 「子供のころにちゃんとしつけられてたら、そんなふうにならなかった」 「はためいわくですよ」 「ルンペンかニコヨンみたいなもの」 他には、読みもしないのにたくさんを買っ

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