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2008年8月10日のブックマーク (20件)

  • ぼくたちの大好きなおじさん | daily-sumus

    『植草甚一 ぼくたちの大好きなおじさん』(晶文社、二〇〇八年、装丁=小田島等、カバー画=テリー・ジョンスン)。カバー画テリー・ジョンスンはむろん湯村輝彦。生誕100年を記念して出版されたらしい。明治四十一年(1908)八月八日生れ、獅子座だ。目次に、浅生ハルミン、岡崎武志、荻原魚雷、近代ナリコという名前が見えるのはうれしいね。 でもやっぱり目玉は「Voice of J.J 植草甚一の声」というCD。ちょっと甲高い声でニューヨークのことなどを喋っている植草と、奥さんの話しが少々。植草は古のことを「ふるぼん」(furu-bon)と発音している。ケッサクは奥さんの植草評。 「大人じゃないんですよ」 「だだっ子といっしょですよ」 「子供のころにちゃんとしつけられてたら、そんなふうにならなかった」 「はためいわくですよ」 「ルンペンかニコヨンみたいなもの」 他には、読みもしないのにたくさんを買っ

    ぼくたちの大好きなおじさん | daily-sumus
  • khipu :: かなづかい入門 - <その2> (tetu@"aqua"internet版rj別館)

    [文芸批評][人文読み物][日全般][古代AD(倭国〜平安)][中世(鎌倉〜戦国)][近世(安土桃山・江戸)][20C前半(大正・昭和)][戦後(〜高度成長)][1970年代][1980年代][1990年代][現在][性別問わず][年齢問わず] ・今一つ「うるおい」も問題である。「文章にうるおいがあるかないかは、仮名のせいでも仮名遣のせいでもないだろう。ひとえに書き手の能力の問題であるはずである。」(172頁)これはたぶん正しい。引用しなかつたが、これに続く仮名文字の情緒性云々もたぶん正しい。しかし、当に「ひとえに書き手の能力の問題である」のかどうか。確認のために書いておくが、「ひとえに」は「もっぱら、その状態であるさま。まったく。」(小学館国語大辞典)の意味である。白石氏はここで書き手の能力だけを問題にするらしい。実際、この前後には書き手と仮名のことしか出てこない。読み手は問題にされ

  • khipu :: かなづかい入門 - <その1> (tetu@"aqua"internet版rj別館)

    [エッセイ・紀行][人文読み物][日全般][古代AD(倭国〜平安)][中世(鎌倉〜戦国)][近世(安土桃山・江戸)][近代(幕末・明治)][20C前半(大正・昭和)][戦後(〜高度成長)][1970年代][1980年代][1990年代][現在][性別問わず][年齢問わず][雑学一般] ・白石良夫「かなづかい入門 歴史的仮名遣 vs 現代仮名遣」(平凡社新書)は実に刺激的な副題の書である。しかもその帯に「『考へる人』は『考える人』よりえらい?」(仮名遣ひ相違部分に上点あり)とある。かういふ所でかういふ発想をすること自体が私は異常だと思ふのだが、この帯の自著を流通させてゐる白石氏はこのコピーを認めてゐるに違ひない。仮名遣ひに上下があるとすれば、それは政治の世界のことである。私は書名を見て、これは政治の世界の人の仮名遣ひ論だと思つてしまつた。今は昔の戦ひがまた繰り返されるのかと思つたのである。

  • パンダとポニョ(2): たけくまメモ

    (※前回からの続き) なぜ宮崎駿に限って例外的な映画作り(極端な作家的独裁)が許されるのかといえば、もちろん大ヒットするからであって、それ以上でも以下でもありません。しかしなぜヒットするのか、その理由について、俺はこれまで納得のいく説明を読んだことがありません。絵が綺麗だとか、動きが素晴らしいとか、高いテーマ性があるからとか、音楽がいいとか、いくらでも説明はあるのだけれども、それだけが理由だとは、どうも思えないのです。 なぜなら宮崎アニメ以外にも、高いテーマ性をもっていたり、映像や音楽が素晴らしい作品はいくらでもあるからです。もちろん宮崎駿が天才であって、高い芸術性と娯楽性を併せ持った巨匠だということは分かっています。そんなこと、小学生でも知っている。しかし、具体的にどこがよくて、何がヒットの原因なのか説明しろと言われると、とたんによくわからなくなるのです。 宮崎アニメについては昔から言わ

  • パンダとポニョ(1): たけくまメモ

    日はまず『カンフー・パンダ』について書きたいと思います。先日、俺はこの作品について「見る気が起きない」ということをうっかり書いてしまいましたが(→★)、その後いろいろな人から「結構面白いですよ」とのご指摘があり、思い切って見ることにしました。 結論から言えば、見てよかったです。映画として面白かったことはもちろんですけど、それ以上に、『ポニョ』という作品を考えるうえでも『カンフー・パンダ』は見ておいてよかったと思いました。どういうことかといいますと、あらゆる側面から考えて、『パンダ』と『ポニョ』は正反対の場所に位置する作品だと思うからであります。 かつてレオナルド・ディカプリオが記者会見の席上、自分が出演した映画の話そっちのけで『千と千尋の神隠し』を絶賛したことがあります(横にいたスピルバーグ監督まで『千尋』を絶賛)。このときのレオ様の言いぐさが 「まるで別の惑星で作られた映画を見ているか

  • 【鉄道ファン必見】JR九州「水戸岡鋭治のお仕事」(上)800系新幹線「つばめ」 “地産地消”と“和” (1/3ページ) - MSN産経ニュース

    ドーンデザイン研究所(東京都板橋区)を主宰する水戸岡鋭治氏(61)は、JR九州を中心に30を超す鉄道車両のデザインを手がけてきた。斬新な作品は常に話題を呼び、世界最高とされる鉄道デザイン賞「ブルネル賞」をはじめ、優れた車両に与えられる国内外の鉄道賞の栄誉に輝いてきた。中でも九州を走る800系新幹線「つばめ」は、水戸岡氏のデザインの集大成ともいえる車両なのだ。 平成16年3月13日、九州新幹線が新八代〜鹿児島中央駅間(137・6キロ)で部分開業した。純白の車体側面に走るベンガラ(赤)と山吹色(金)のライン、黒と漆色(赤)の屋根を持つ800系「つばめ」が九州の地を駆け抜けた。日古来の色を使った落ち着きのある外観と、内装に多くの自然材を取り入れた「和」のテイストが乗客の目を引いた。 東海道・山陽新幹線の700系を土台にしながら、先頭形状は特徴ある“カモノハシ”ではない。最初の新幹線で機械遺産に

  • [書評]胎児の世界(三木成夫): 極東ブログ

    新書形式の「胎児の世界」(参照)をもって三木成夫の畢生の大作と言えば違うのだろうが、そう言たくなるほどのインパクトを持っている希有な書籍だ。思想家吉隆明は晩年になって書を初めとした三木の思想の直撃をくらい、心的現象論を大きく変えることになった。と、大上段に語ることもないか。普通のエッセイとして普通に読めるでもある。 内容は標題どおり「胎児の世界」である。受精し生命が誕生し母体のなかで人間になる過程を発生学の専門家である三木成夫が一般向けに語るのだが、その過程こそヘッケルが「個体発生は系統発生を繰り返す」としたように生命史が凝縮されてもいる。 が、正確に言えば、不用意な誤解を招くのを避けるのなら、言うまでもなく、ヘッケルのこの命題は間違いであり、そのあたりはWikipediaのヘッケルの項目(参照)や同じく反復説の項目(参照)でも参照されればいいだろう。と読み返すに、なかなかギャグっぽ

  • [書評]記憶する心臓―ある心臓移植患者の手記(クレア・シルヴィア他): 極東ブログ

    このところ思うところあって「記憶する心臓―ある心臓移植患者の手記(クレア・シルヴィア他)」(参照)を読み返した。訳書は一九九八年に発売されたもので、もう七年も前になる。その後読み継がれているふうもないので事実上絶版になったようだが、アマゾンの古書では安価に手に入る。文庫で復刻されるかもしれない。 話は、実記の体裁をとっているが奇譚と言っていいだろう。クレア・シルヴィアというユダヤ人中年女性が脳死の若い男性の心臓と肺を受けて同時移植手術を受けたところ、術後に、移植元の若い男性の性格が乗り移ったり、また睡眠中の夢のなかでその若者にあったり、その若者の記憶が乗り移ったりしたというのだ。通常、移植手術を受けた人はもとの脳死者の情報を得ることができないが、彼女は夢で知った若者の名前を手がかりに人を突き止め、その家族に出会うことになる。 そんな話がありえるだろうか、臓器にそれ自身の記憶が宿り、移植手

    funaki_naoto
    funaki_naoto 2008/08/10
    「身体のなかには、父祖の声があるという実感だ」
  • なげなわぐも観察日記

    funaki_naoto
    funaki_naoto 2008/08/10
    「その水道事業の規模や設備、水源の水質による」
  • http://d.hatena.ne.jp/kisshee/20080621

  • 汝の隣人のブログを愛せよ | LOVELOG

  • 3-1 社会言語学者になるまで(1) | 社会言語学者の雑記帳(松田 謙次郎) | 三省堂 ことばのコラム

    これまでいきなり自己紹介もなしにディープなフィールドワーク話を書いてきてしまいました。ちょっと順序に問題アリですね<m(__)m>。そこで今回は、そもそも自分がどうして社会言語学者になってしまったのか、というオハナシをしてみましょう。 気で言語学をやろうと思ったのはやはり大学の英文科時代、それも4年で卒論を書きだしてからと、かなり遅めです。英語には中学以来ずっと興味があり、また構造主義にも関心があったので、それとなく入門書は読んでおりました。しかーし! 第2外国語のドイツ語でC、そして英文科必修科目であった「英語史」でもCというあまりに悲惨な成績。将来の進路で相談に行った高校時代の恩師には、「言語学をやるなら少なくとも3か国語はできないと……」という厳しいおことばをいただく始末(´Д`)ハァ… 言語学は面白そう、でも将来それで喰っていくのは無理無理無理。ワタシはそう諦めておりました。 そ

    3-1 社会言語学者になるまで(1) | 社会言語学者の雑記帳(松田 謙次郎) | 三省堂 ことばのコラム
  • 赤塚不二夫のこと: 極東ブログ

    赤塚不二夫のことといっても、私は赤塚不二夫に面識はまるでない。赤塚不二夫の漫画を読んだ無名の一人というだけのこと。そこから思うことを少し書くというだけのことだ。昨日のエントリ「極東ブログ: [書評]これでいいのだ(赤塚不二夫)」(参照)の続きのような話なので、その2としてもいいのだが、ちょっと違うかもしれない。 赤塚不二夫が亡くなっていろいろな感想をメディアやネットで見た。私はあるズレを感じた。自分が何か正しい感覚を持っているというようなことではない。なんだろうこのズレの感覚はと自分を訝しく思った。ブログなどでタモリの弔文が賞賛されるのにも少しズレを感じた。弔文が悪いということではまったくない。それどころか畢生の言葉だろうと評価するし、タモリは見えないところで赤塚に尽くしていたに違いないとも確信している。 ズレの感覚を抱えながら、そこに一番近く触れるのは栗パパの昨日のワッサーステータス「赤

  • [書評]これでいいのだ(赤塚不二夫): 極東ブログ

    ウィキペディアの赤塚不二夫の項目(参照)は比較的充実しているが、ネットのリソースが多く、漫画以外の赤塚不二夫の単著についての記載はない。来歴の記載もネット上のリソースに偏っていて、誰が執筆したものかはよくわからないが、ヴィレッジセンターの情報(参照)と公認サイト(参照)が参照されている。 参考文献としては、1997年の「ギャグにとり憑かれた男 赤塚不二夫とのマンガ格闘記(長谷邦夫)」(参照)と2005年の「赤塚不二夫のことを書いたのだ!!(武居俊樹)」(参照)の二点が挙げられている。 赤塚不二夫には平成五年(1993年)にNHK出版から出された書、つまり人による単著の自伝的エッセイ「これでいいのだ」(参照)がある。2002年に日図書センターから刊行された「赤塚不二夫 これでいいのだ (人間の記録)」(参照)は書の改題である。 軍人気質で潔癖、一徹なおやじ、なんでもできてガンバリ屋、

  • 死して有る生き方 - sonnenblumenの日記 鏑木政彦のブログ

    エックハルト『エックハルト説教集』(田島照久編訳)岩波文庫,1990年 マイスター・エックハルト(Meister Eckhart)は,1260年頃,中部ドイツの貴族あるいは騎士の家系に生を受けた。ドミニコ会に入り,各地で教育を受け,最晩年のアルベルトゥス・マグヌスの教えを受けたと言われる。1327(8?)年没。 エックハルトの教えは,異端の疑いをかけられ,没後1329年に,異端宣告を受け,その著作や説教の聞き書き写のいっさいが禁止されたという。その教えの継受は,密やかに闇のなかで行われ,ドイツ神秘主義の流れをつくっていく。 引用は,説教「死して有る生き方について(ヘブライ人への手紙第11章37節)」から。 死をどう理解し,どう想像するか。それは,現世の生き方に直結する。 「・・[殉教者について]「彼らは死して有る(sie sint tot)」と書かれている。死はつまり彼らにひとつの有(う

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  • 『日本の歴史00 「日本」とは何か』 - 本を愛する医者のブログ...ほんのひととき

    とは何か 日歴史〈00〉 作者: 網野善彦出版社/メーカー: 講談社発売日: 2000/10/24メディア: 単行購入: 3人 クリック: 14回この商品を含むブログ (36件) を見る臨床看護2001年3月号 ほんのひととき 掲載 “当り前と思われることを「奇観」つまり不思議だと見る眼。独創的な思想家はたいていそういう眼をもっています。何か珍奇なものをみつけるということではなく,すべての人が日常的に見ていることを,ちがった眼で見て「オヤ,おかしいじゃないか」と感じる。それは対象の問題でなくて,見る側の眼の問題で,そこに独創性というものが生まれるのです。"(丸山真男:『文明論之概略を読む』より) * 網野善彦さんは,日中世の民衆史,海民史を専門とする歴史学者であり,書は,網野さんが編集委員となって昨年秋より講談社から刊行され始めた『日歴史 全26巻』のプロローグとして書か

    『日本の歴史00 「日本」とは何か』 - 本を愛する医者のブログ...ほんのひととき
  • 9割近くは「”色々な意味で”テレビが子どもの言葉使いに与える影響は強い」:Garbagenews.com

    2008年08月08日 06:30 文化庁は8月1日、2007年度における「国語に関する世論調査」の結果を発表した。それによると、子どもの言葉使いに与える影響が大きいと思われている人・もののトップには「テレビ」がついた。前回調査の2001年からこの傾向は変わらず、むしろ数字が増えている。携帯電話やインターネットも結果内には登場しているが、数はさほど多くない(【発表ページ】)。 今調査は毎年文化庁が、日人が用いるさまざまな言葉の意味の理解度や意識に関する調査を行い、国語の施策を進める上での参照データとするために行われているもので、全国16歳以上の男女を対象にしている。調査方式は個別面接調査で、今回の調査は3月1日から20日までの間に3445人に対して行われ、回答数は1975人だった。 今回対象とする項目では、直前で「小学生が友だちに乱暴で聞き苦しい言葉使いをしている時、誰が注意すべきか」と

  • 一匹と九十九匹と:イザ!

    我々はどうも近代以降、政治に過大な期待をしすぎるようだ。 福田恆存氏に「一匹と九十九匹と」という文章がある。その中で福田氏は「聖書」にあるイエスの「あなたが百匹の羊を持っていて、もしその中の一匹が居なくなったら、九十九匹を野に残しても、居なくなった一匹を捜し歩くだろう」(ルカ書15・4)という言葉を例に取り、どんなに良い政治を敷いたとしても其処には必ず逸れる一匹つまり「失せたる一匹」が存在すると。そしてその一匹は政治によって救う事は出来ず、一匹を救えるのは文学のみであると論じた。 福田氏はこの文章で政治と文学との対立を論じたのだが、ここではそれは論じない。私がここで福田氏の文章を例に挙げたのは、政治は万能ではないと言う事と、どんな政治を敷いたとしても必ず「失せたる一匹」が生まれる事と、そしてその一匹を救い得るのは哲学か宗教しかないだろうと思うからである。 そもそも政治は人間の全てを網

  • the view from nowhere : 2008-07-30 (Wed)

    the view from nowhere : 2008-07-30 (Wed)Article 平成二十年七月三十日 「何う」は「どう」であつて「だう」ではないのだけれども、正かな派にすら「だうも」なんて書いてゐる人がゐたりする。何なのだらう。 なぜ、だう、と書いてゐるのか、過去にかいたものを以下にまとめて引いておく。 岡島昭浩「旧仮名遣変換について」(http://kuzan.f-edu.fukui-u.ac.jp/zatu/qkana.txt)に教へられて、柳田征司「『ドウ』(如何)の成立」(「国語と国文学」第55巻第5号〔通巻651号〕、昭和53年5月特集号「日語の語彙」、pp.79-96.)を読む。 「カク」(斯)がウ音便を起して「カウ」となり、更にそれがオ段開長音化した。 そのオ段開長音形に引かれて、「サ」(然)がオ段開長音化した。 こうして出来上がったオ段開長音「カウ」「サウ

    funaki_naoto
    funaki_naoto 2008/08/10
    「文献主義的には仮名遣が決定しづらい」
  • 鼎の形状を問う - しろもじメモランダム

    GlyphWiki で鼎部のグリフをいじっていて気づいたこと。 「鼎」の右脚の形状は【┬】【┐】の2種類があり、文字によって異なっている。ヒラギノではまだ確認していないが、MS書体や小塚書体、リュウミンではすべて下のような形になっている様子。 右脚の形状 ┬ ┐ ┬ ┐ ┬ ブラウザでの表示 (serif を指定) 鼎 鼏 鼐 鼑 鼒 Unicode 9f0e 9f0f 9f10 9f11 9f12 JIS X 0208 37-04 - - - - JIS X 0212 - 77-06 77-07 77-08 77-09 JIS X 0213 - - 1-94-83 - - Adobe-Japan1-6 3102 20045 15370 23035 15371 上から順にMS明朝、MSゴシック、メイリオでそれぞれ表示させたところ。 丸で示したように、なぜかメイリオだけ字形が異なっている。

    鼎の形状を問う - しろもじメモランダム