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ブックマーク / suumo.jp (73)

  • 子どものころからうどんが好きで、小麦の品種が気になりだし、とうとう秘密基地のようなうどん屋さんを始めました(取材、文・玉置標本) - SUUMOタウン

    著: 玉置 標 自分が好きなことを仕事にしたいという人もいれば、好きなことはあくまで趣味としてやったほうがいいという考えの人もいる。どちらも正しい。 今回インタビューしたのは後者の方で、自分の中にあった「好き」をじっくり育てることで、好きが生業になった人である。 うどん好きが高じてうどんの魅力を伝えるライターとなり、とうとう自分の店を持ってしまった井上こんさんだ。 秘密基地のようなうどん屋、松ト麦井上さんとは製麺つながりで何度かお会いしたことはあるのだが(私は家庭用製麺機の愛好家)、まだ井上さんの店「松ト麦」を訪れたことがない。そこでインタビューの前に行ってみたのだが、なかなかすごい場所に構えていた。 別に会員限定でも超高級店でもないうどん屋なのだが、入店することに明確な意思を必要とする入口なのだ。 東急田園都市線の駒沢大学駅が最寄り。東口を出て国道246号線を渋谷方面に向かい、環七通り

    子どものころからうどんが好きで、小麦の品種が気になりだし、とうとう秘密基地のようなうどん屋さんを始めました(取材、文・玉置標本) - SUUMOタウン
  • カテゴライズされていない、上も下もない街「大森」 - SUUMOタウン

    著: 金井茉利絵 家族で最後に過ごした街「大森」 私が大森に住んでいたのは、小学1年〜中学3年まで。大森は母親の出身地でもあり、駅から徒歩15分ほどの母親の実家を建て直した一軒家に住んでいた。たまに家族で「ダイシン」に行ったり、駅ビルに昔あったパスタ屋さんでべたり、大森貝塚の近くの塾に通って帰りは母親が迎えに来たりと、今思うとちょうどいい大森ライフを幸せに送っていた時代だった。 ただ、中学3年のころ、家族の事業に問題が起きてお金がなくなり、家も土地も売ることになり、家族で引越しすることに。さらにその後いろいろあって、家族4人で仲良く暮らしていたのはその大森の家が最後となってしまった。 そんなことがあった大森なので、自分にとっては少し切ない、最後の家族の思い出がある場所ではある。でも実はなぜか大森に行っても特に何も感じないし、「うわー」と何か悲しい思い出し方をしたりする感じは全然ない。いつ

    カテゴライズされていない、上も下もない街「大森」 - SUUMOタウン
  • 茨城県の実家でテイクアウトの南インド料理店を開いて、インド人に間違われながらゆるく生きています(文・玉置 標本) - SUUMOタウン

    著: 玉置 標全国に出張して南インド料理をつくりまくる二人組ユニット『マサラワーラー』の鹿島信治さん(44歳)が、2019年に家庭の都合で東京から茨城県古河市にある実家へと戻り、テイクアウト専門の南インド料理店をオープンしたそうだ。 実際に行ってみると「ここで南インド料理店って!」という立地に驚いたのだが、じっくり話を聞いてみると「ここだから南インド料理店が好きにできるのか」と納得した。 実家の商売を継ぐのではなく、実家で商売をするという道九月の某平日、鹿島さんから聞いた住所をカーナビに登録して、埼玉県東部にある私の家から出発。高速を使わずとも、一時間ちょっとで利根川を越えた先にある茨城県古河市まで来た。意外と近い。 工業団地、畑、住宅がまばらに並ぶ地方の町。この場所で南インド料理店というマニアックな商売が成り立つのかと不思議に思いながら進んでいくと、ナビの案内は大通りから逸れて、

    茨城県の実家でテイクアウトの南インド料理店を開いて、インド人に間違われながらゆるく生きています(文・玉置 標本) - SUUMOタウン
  • これが「野良の大阪」だ。地元・布施の良さを知ってほしい|文・ヨッピー - SUUMOタウン

    著: ヨッピー 近鉄布施駅を出て、線路脇を西に向かって歩きだした。十月だというのにひどく蒸し暑い。そのくせ地面は乾いていて、トラックが勢いよく通り過ぎると、その拍子に砂埃が目に入りそうになった。顔をしかめ目元をこすった。 東野圭吾『白夜行』(集英社) 「布施」と聞いて「あー、あそこか」という具合にピンと来る人は大阪府民もしくは奈良県民のどちらかのはずである。つまり「布施」という地名の、全国的な知名度はほとんどないし、これといった名物もない。 しいて言うなら冒頭に引用したとおり、東野圭吾作品でランキングをつけたらまずベスト3には入って来るであろう名作、『白夜行』の舞台であることが挙げられる。 ただし、白夜行は「ほのぼの! ハートフルロマンチックコメディ♡」みたいな作品では全然なく、普通に人が死にまくるし布施の街も貧困と絡めてかなり暗めに描かれている。なので「聖地巡礼♡」みたいなノリで布施を訪

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  • 飯能の森には山猿が住む(文・田中馨) - SUUMOタウン

    著者: 田中馨(Hei Tanaka) 自室、スタジオ、ライブハウス、時にはそこらの公園や道端など、街のあらゆる場所で生まれ続ける音楽たち。この連載では、各地で活動するミュージシャンの「街」をテーマにしたエッセイとプレイリストをお届けします。 ◆◆◆ ♪「埼玉県 飯能市 小岩井613〜954!!!」 つい先日、ぼくはこの歌を口ずさみながら、久しぶりに自由の森学園へ遊びに行った。 自分たちの学校の住所をそらで言えるように誰かがつくったものが、ぼくの世代まで歌い継がれていたのか、はたまた、その辺でさっき生まれた誰かの鼻歌だったのかは、いまとなってはわからない。だけど、ぼくはこの歌が好きだった。 GoogleMapにこの住所をいれたなら、たちまちぎゅーんと指し示してくれる。車で1時間。歌っているとあっという間だ。 自由の森学園♪「埼玉県 飯能市 小岩井613〜954!!!」 この「954!!!」

    飯能の森には山猿が住む(文・田中馨) - SUUMOタウン
  • クセの強い街「大阪」に生まれて(寄稿・ヨッピーさん) - SUUMOタウン

    著: ヨッピー 僕がまだ大学生で、生まれ育った大阪に住んでいたころの話である。 インターネットで知り合った東京の友達が、大阪で開催されるオフ会に参加する、と言うので大阪駅まで迎えに行った。「初めて行くので大阪を案内してほしい」とのことで、オフ会の時間まで梅田や難波といった代表的な大阪の街を案内する事にしたのだ。 友達は夜行バスで東京から来たため、朝早い時間に合流した。疲れただろうし、と喫茶店に入って休憩しつつモーニングコーヒーなんかを飲んでいたのだけど、東京から来た友達はのっけからテンションが高かった。 「大阪の人って全員ボケとツッコミをやるんでしょ?」 「おばちゃんがアメちゃんくれるとか」 「知らない人ががんがん話しかけてくるって当?」 などなど。 「大阪人」という人種(?)は全国的にも独特のポジションというか、変なバイアスがかかって見られがちだというのはひとりの大阪人としてヒシヒシと

    クセの強い街「大阪」に生まれて(寄稿・ヨッピーさん) - SUUMOタウン
  • 同潤会の歴史を受け継いで成熟する、新旧住人が融合したコミュニティ - マンションと暮せば by SUUMO

    住宅棟は雁行状にレイアウトされ、その間をクランク状に小径が巡る。コーナーには住人が自然にたまりやすく、交流の場になる。2008年度グッドデザイン賞受賞 物件名:アトラス江戸川アパートメント 所在地:新宿区新小川町 竣工年:2005年 総戸数:232戸 2000年代 100~299戸 前身は同潤会が最後に建てた集合住宅「江戸川アパートメント」 日の集合住宅歴史をひもとくとき、「同潤会」は不可欠な存在だ。 同潤会は、1923年(大正12年)の関東大震災の住宅復興を目的に設立された財団法人だった。同潤会アパートは、当時極めて珍しかった鉄筋コンクリート造の建物に、ガスや水道、水洗便所を備えた集合住宅で、それまでの日にはなかった新しい住居様式を提示した。およそ10年間で東京と横浜、計16物件、総計約2800戸が供給されている。 同潤会の代表的な住宅のひとつだった青山アパートメント。2003年に

    同潤会の歴史を受け継いで成熟する、新旧住人が融合したコミュニティ - マンションと暮せば by SUUMO
  • 震災の記憶を次世代に。伝える取り組みや遺構が続々と

    全国で大規模な自然災害が増えている。時間と共に関心が薄れてきている震災の記憶を風化させまいと、被災地では伝承施設の建設が相次いでいる。また、震災で失われたものをプラスに活かす取り組みも。各地で進められている「震災の記憶を残し、後世に確実に伝える取り組み」のうち、2020年度グッドデザイン・ベスト100を受賞した宮城県亘理郡山元町、福島県相馬郡飯舘村、熊県熊市の3つの事例を紹介する。 伝承が難しい状況でも震災を風化させない。復興へ向けた取り組み 東日大震災からもうすぐ10年。震災を振り返るテレビ番組や報道は3月11日前後以外はあまり見なくなった。被災地では、子どもから高齢者までの震災経験者による語り部ガイドツアーは継続しているが、ガイド役の子どもたちが成長して忙しくなったり、高齢化で担い手が減少しつつあったりするという。また、震災を知らない子どもたちも増えた。 一方で、国土交通省が20

    震災の記憶を次世代に。伝える取り組みや遺構が続々と
  • ダチョウ肉の味とサスティナビリティ(持続可能性)に魅せられて、茨城県に牧場を立ち上げるまでの軌跡【いろんな街で捕まえて食べる】 - SUUMOタウン

    著: 玉置 標用としてのイメージがないダチョウだが、その可能性を信じてダチョウ肉を宣伝・流通させる会社を9年前に立ち上げ、ついには自らがダチョウ飼育のモデルケースとなるべく、茨城県筑西市で牧場を始めた知り合いに会ってきた。 その加藤貴之さん(33歳)の考えでは、ダチョウは環境負荷が少なく、サスティナブル(持続可能)な家畜であり、べて大変おいしいそうだ。そんなに都合がいい動物なら、すでにメジャーな存在となっていそうなものだが、現状ではワニ肉や大豆ミート、あるいは昆虫よりもマイナーかもしれない。 ダチョウの魅力とはどんなものか、そして生産と消費が拡大しないのはなぜか。可能性と問題点をじっくり聞かせてもらった。 ダチョウ肉の可能性に掛けて、ダチョウ専門のPR会社を設立私が加藤さんと知り合ったのは今から7年前。当時26歳の青年だった加藤さんとお会いしたとき、「ダチョウの肉を売る人だけあ

    ダチョウ肉の味とサスティナビリティ(持続可能性)に魅せられて、茨城県に牧場を立ち上げるまでの軌跡【いろんな街で捕まえて食べる】 - SUUMOタウン
  • “真夜カルチャー”で大人の青春を叶える街、名古屋(文:スイスイ) - SUUMOタウン

    著者: スイスイ 「観光客用の名古屋」を演じてしまう名古屋人 アフリカ奥地で動物のように暮らす民族が、イッテQに出てたとき。 油断した瞬間に携帯電話とペットボトルの水を地面に落として焦っていた。 彼らは、外から求められる偽りの民族像を見せることに徹していた。 その場面を見ていた私は真剣に「名古屋やん……」と思った。 名古屋人も長く、観光客用の名古屋像を演じ続けている。当は、味噌煮込みうどんも味噌カツも給でしかべないし、特にひつまぶしなんて観光で来た友人に付き合うときしかべない。ついでに言えば河村市長が使う「どえりゃあ」「いかんがね」などのドきつい名古屋弁も、使わない。市長含め市全体がグルとなり嘘で塗り固められた「名古屋人コスプレ」を全国発信している。罪深すぎる。 名古屋の実態は、文字にする難易度が高すぎるのだ。だけど私は知っている。てか多分名古屋人それぞれが知ってる。住んでいる我々

    “真夜カルチャー”で大人の青春を叶える街、名古屋(文:スイスイ) - SUUMOタウン
  • 虫を食べることが一般的なラオスで、栄養状態改善のために昆虫養殖を指導する専門家に聞く昆虫食の未来【いろんな街で捕まえて食べる】 - SUUMOタウン

    著: 玉置 標 写真提供:佐伯真二郎 地球上の人口増加に伴う糧不足・環境問題の解決策の一つとして、飼育に伴う温室効果ガスの排出量が少なく、また飼料変換率が高い「昆虫」が注目されている。人間の糧としての昆虫養殖だ。 日でも無印良品がコオロギせんべいを開発したり、渋谷パルコに昆虫がべられるレストランができたりと、その勢いを確かに感じつつも、まだまだごく一部の人の嗜好品という印象がある。大多数の人が、日常的に昆虫をべる日は当に来るのだろうか。 伝統的に自家採取による昆虫が当たり前のラオスで、貧困層の家庭にゾウムシの養殖を提案し、栄養状態の改善を狙うプロジェクト(意味が分からないと思いますが後程説明します)に昆虫専門家として協力している佐伯真二郎さんに、なぜ虫をべ始めたのか、おいしい昆虫10選、昆虫の可能性、ラオスで養殖に携わった話などをじっくりと伺った。 ショウジョウバエの研

    虫を食べることが一般的なラオスで、栄養状態改善のために昆虫養殖を指導する専門家に聞く昆虫食の未来【いろんな街で捕まえて食べる】 - SUUMOタウン
  • ヴィジュアル系バンドから落語家へ転身した男の「天神橋筋六丁目」【関西 私の好きな街】 - SUUMOタウン

    取材・執筆: 吉村 智樹 関西に住み、住んでいる街のことが好きだという方々にその街の魅力を伺うインタビュー企画「関西 私の好きな街」をお届けします。◆◆◆ 遅咲きの落語家が選んだ「天神橋筋六丁目」「うちの最寄駅は『天神橋筋六丁目』です。このあたりに住むようになって、ほっとしたんです。街の風景が雑多で、ごちゃごちゃ。よく言えば気取らない。物価が安いし、定屋さんのごはんもおいしい。呑み屋さんが朝から店を開けています。すごく居心地がいいんです。『ここは自分が帰ってくるべき場所やな~』と、しみじみ感じました」 そう語るのは、落語家の桂りょうばさん(48)。上方の人気落語家、*桂ざこばさんのお弟子さんです。50歳を目前にしているとは信じられない、少年のようなあどけない表情。そして、落語家としてのキャリアも、わずか4年。かなり遅咲きなニューカマーなのです。 *二代目・桂ざこば……豪快かつ涙もろい人情

    ヴィジュアル系バンドから落語家へ転身した男の「天神橋筋六丁目」【関西 私の好きな街】 - SUUMOタウン
  • 日本の住まいと暮らしをつくった「団地」。 懐かしの団地の歴史と最新事情とは?

    「ひばりヶ丘団地」「牟礼団地」などが解体・建て替えられている一方で、2019年12月には旧赤羽台団地の「スターハウス」を含む4棟が国の登録有形文化財に登録されたり、2022年度をめどに「都市と暮らしのミュージアム」が計画されたりなど、何かと話題の「団地」。日最大の大家ともいわれるUR都市機構では、団地だけでなく、地域を文字通り「再生」「再構築」しようと考えているようです。今回は団地の「これまで」の歩みと「これから」をつくる動きをご紹介します。 田の字形の間取り、バス・トイレ、キッチン。「今の暮らし」の源流がある 現在、日では10人に1人はマンション住まいと言われていて、コンクリート造の集合住宅は“当たり前”。そんなマンション、日の住まいに大きな影響を与えたのが「団地」です。 まずはコンクリート造の集合住宅歴史をかんたんにご紹介しましょう。そもそも、日初のコンクリート造の集合住宅

    日本の住まいと暮らしをつくった「団地」。 懐かしの団地の歴史と最新事情とは?
  • 金は言葉。ーー 平民金子 × 安田謙一 × tofubeats『ごろごろ、神戸。』出版記念トークイベント - SUUMOタウン

    執筆: 榎並紀行(やじろべえ) 2019年12月に出版された『ごろごろ、神戸。』(ぴあ)は、写真家・文筆家である平民金子さん初のエッセイ。2015年に東京から神戸に移住した平民さんが、子どもを乗せたベビーカーをごろごろと押しながら神戸の街を歩き、考えたことを綴っている。 その発端となったのは、2016年にSUUMOタウンに寄稿した「ごろごろ、神戸」。以後、神戸市広報課のウェブサイトに「ごろごろ、神戸 2」として引き継がれ、「ごろごろ、神戸 3」まで約3年にわたって連載された。 そこから大幅な加筆や、書き下ろしを加えたのが書籍『ごろごろ、神戸。』だ。今回は、その出版を記念し、昨年12月に行われたトークイベント(旧グッゲンハイム邸)から一部内容を抜粋してお届けする。 『ごろごろ、神戸。』(ぴあ) / 著:平民金子 / 1600円(税別) 登壇者は平民金子さんに加え、ロック漫筆家の安田謙一さん

    金は言葉。ーー 平民金子 × 安田謙一 × tofubeats『ごろごろ、神戸。』出版記念トークイベント - SUUMOタウン
  • 散歩しながら大人になった。長い学生時代を育ててくれた街、本郷。(寄稿:ぱれあな) - SUUMOタウン

    著: ぱれあな 散歩が好きだ。歩けば歩いただけ、新しい視界が開けてくる。 たとえそれが、歩き慣れたいつもの道であったとしても。 やがてまた、いるべき場所に戻らなくてはならないとしても。 私の散歩癖を決定づけたのは、郷で過ごした7年間の学生時代だった。 散歩におあつらえ向きの街 大学3年生のときに、東大の理学部2号館という古びた建物に足を踏み入れた。学部2年と大学院5年、計7年間にわたる私の拠地である。 実験し、議論し、文献を読み、論文を書くことが、起きている時間の大半を占める。このいかにも「研究者」っぽい生活が、最初のころは新鮮でエキサイティングだった。 私が主に取り組んでいたのは、昆虫の体の中に棲んでいる細菌。すなわち「共生細菌」の一種だ。この細菌と昆虫は、互いに影響を与え合いながら共存して生きている。まったく異なる生き物どうしが共に生きるという現象のおもしろさに、私はすっかり取り憑

    散歩しながら大人になった。長い学生時代を育ててくれた街、本郷。(寄稿:ぱれあな) - SUUMOタウン
  • シンガーソングライター・butajiさんの暮らす街「駒込」【教えて!あなたの街の飲み心地】 - SUUMOタウン

    著: パリッコ 酒場ライターのパリッコさんが気になる街へ行き、そこで暮らす人と楽しく飲みながら街の魅力を探る企画「教えて!あなたの街の飲み心地」をお届けします。 ◆◆◆ 共通の知人を介し、シンガーソングライターのbutajiさんと初めてお酒を飲んだのは、3、4年前のことだっただろうか。 もちろん、ミュージシャンとしてはそれ以前から知っていた。 その、あまりにも真摯に音楽と対峙する姿勢のせいか、寡黙で、ぼそりぼそりと言葉を選びながら、しかしすさまじく切れ味のある言葉を日常的に紡ぐような想像をし、勝手に緊張していたら、普段のbutajiさんはむしろ真逆の印象だった。 顔をクシャッと崩してよく笑い、酒を飲みながらとことんくだらない話に付きあってくれる。 上品で物腰が柔らかく、ついつい同世代か、むしろ後輩のような気持ちで接してしまうのだけど、たまに、実は自分より10歳も年下であることを思い出しては

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  • 変わらない街「高円寺」に時代がやっと追いついた - SUUMOタウン

    著者: 神田桂一 突然だが、僕はハイパーメディアクリエイターの高城剛の大ファンである。メルマガも定期購読しているほどだ。その高城剛がある号のメルマガで、こんなことを書いていた。 「今、信頼できる外国人に一番ホットな東京の街はどこだと聞くと、中目黒、そして高円寺だと言います」 僕はここのところ、高円寺は、未来の街の姿のロールモデルなのではないか、と言い続けている。ある意味で、最先端の街なのではないかと。しかし、僕が高円寺を最先端の街だと言っても誰も賛同はしてくれない。だが、高城剛が言っているのだ。頼むから信用してくれ(余計に怪しいか)。ただ、確実に言えることは、今、高円寺の街を歩いていると、外国人の多さにびっくりする。世界から注目されていることは間違いない。 高円寺では、チェーン店がどんどん潰れる 高円寺に長年住んでいて思うのは、高円寺は昔からなにも変わっていない。時代が高円寺に追いついたの

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  • 15年以上アイドルを続けられたのは、新潟と新潟のみなさんのおかげ――Negicco Kaedeさん - SUUMOタウン

    インタビューと文章: 小沢あや 写真:きくちよしみ 2003年の結成から、新潟県を拠点に活動を続けているアイドル・Negicco。現在は「にいがた観光特使」を務める、地域の顔です。 結成後、なかなか芽が出ず、苦しい時期が長かった彼女たち。2014年に『光のシュプール』で悲願のオリコンチャート5位を獲得して以来、順調に動員を伸ばしています。 今回は、4月23日にソロシングル『クラウドナイン』をリリースした最年少メンバー・Kaedeさんをお迎えし、全国区のアイドルとなってからも上京しない理由や、地元愛について聞きました。 「新潟でアイドル?」最初は冷ややかだった地域の目 ――Negiccoは3人とも、新潟生まれ新潟育ちですね。Kaedeさんが暮らしているのは、新潟のどんな街ですか。 Kaedeさん(以下、Kaede):新潟の中心地から離れた田舎です。もともと両親が「自然があるところで子育てをし

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  • 新しい人を受け入れる土壌ができている街――私たちが「赤羽岩淵」に住む理由 - SUUMOタウン

    取材、執筆: 小野 洋平(やじろべえ) あなたがその街に住んでる理由は何ですか? 商店街の雰囲気がいい。すてきなカフェがある。交通アクセスがいい……。きっと、住む人それぞれに“街の好きなところ”があるはず。 今回紹介するのは東京都北区の赤羽岩淵。名前のとおり、隣接する赤羽と岩淵町エリアにある赤羽岩淵駅を拠点に広がる街です。 赤羽と聞けば街のイメージが湧く方も多いかもしれないですが、赤羽岩淵となるとピンとこない方もいるのではないでしょうか。そこで今回は、街の魅力を探るべく、赤羽岩淵を拠点にまちづくりの会社を運営する米谷太揮さんと、赤羽岩淵在住歴8年で「肉」のスペシャリストとして活動するミート高沢さんに、「赤羽岩淵」の魅力や住む理由を聞いてみました。 赤羽岩淵……東京都北区北部に位置する地域。最寄駅は東京メトロ・埼玉高速鉄道の赤羽岩淵駅。かつて、日光御成街道の第一の宿場町として栄えた岩淵町全域

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  • 「飛ばされる街」名古屋に、それでも住む理由 - SUUMOタウン

    著: 萩原涼介 「SUUMOタウン」の記事といえば、筆者の熱量たっぷりな語り口が定番だが、残念ながら私が住む名古屋は、熱く語ることができない。他の街に比べて、魅力が乏しいように感じるからだ。 「名古屋飛ばし」という言葉がある。これは、新幹線や他の都市圏では行われるイベントが、文字通り名古屋を飛ばしたことから生まれた俗語だ。1987年のマイケル・ジャクソン初来日コンサートは、東京や大阪、兵庫などでは公演が行われたのに、名古屋では行われなかった。1992年に開通した新幹線「のぞみ」は、東京大阪間を2時間半で結ぶために、5年以上もの間、下り一番列車が名古屋を飛ばし続けた。 交通や公演だけではなく、実際に私の友人も名古屋を飛ばす。東京と大阪に住んでいる友人は、互いに行き来しているのに名古屋には寄らない。私に人望がないという理由はさておき、確かに名古屋は「そうだ名古屋に行こう」と思い立たない街なのか

    「飛ばされる街」名古屋に、それでも住む理由 - SUUMOタウン