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ブックマーク / alt-movements.org (3)

  • no more capitalism - パンフレット『瓦礫論』

    このブログに書いてきた瓦礫についてのエッセイに加筆してパンフレットにしました。かなり加筆した箇所もありますので、ぜひお読みください。まえがきを以下に転載します。PDF版は→こちら目次まえがき第一章 原発輸出と汚染瓦礫の処理---東京をゴミ捨て場に!第二章 運動の想像力について---「東京をゴミ捨て場に」再論第三章 10万年を見すえた運動の民主主義---瓦礫問題再論第四章 「拡散するな」から「被曝させるな」へあとがきまえがきこのパンフレットは、私が昨年から今年にかけてブログに書いた瓦礫問題についてのエッセイに若干の加筆をしてまとめたものだ。福島原発事故がもたらした広範囲にわたる放射能汚染は、東日大震災の津波被害にあった地域をも襲い、瓦礫もまた多かれ少なかれ汚染された。政府は被災地の復興の妨げになっている瓦礫の処理を震災の地元だけではなく、日全国の自治体による分散処理という方針を打ち出した

  • no more capitalism - 10万年を見すえた運動の民主主義--ガレキ問題再論

    政府のガレキ拡散政策が進んでいる。この拡散に対して、ガレキ受け入れを表明した自治体では、住民たちによる受け入れ反対の運動も拡がりをみせている。特に脱原発運動を担ってきた人たちが同時にガレキ受け入れ反対運動を積極的に担っているように思う。しかし他方でガレキ受け入れの是非をめぐっては、脱/反原発運動のなかにも多様な考え方があり、意見の収束をみているとは思えないところもある。放射性物質で汚染されたガレキの問題について、受け入れに反対する場合、その結論を導く論理、ややおおげさに言えば、思想が問われるような問題である。被災地のガレキ、特に放射性物質に汚染されているガレキを日全国の自治体で広域処理させようという政府の方針、とりわけ、汚染されたガレキの安全性の基準については、脱/反原発運動の担い手たちの間で妥当だとする考え方をとる者はまずいないだろう。野田総理大臣は3月!!日の会見で次のように述べた。

  • no more capitalism - 原発は資本と国家の狂気である

    福島第一原子力発電所の状況は一進一退を繰り返しながら、対処に時間がかかればかかるほど「安全」と言えるような収束の見通しが見えにくくなっている。問題はほんの数時間先の将来すら見通せないことからくる不安なのだ。この不安は事故が未曾有で未経験だからではない。政府と電力会社が自己保身のために躊躇しているからであり、メディアもまたこの躊躇を弄んでいるからだ。多くの犠牲がでることになっても、危機が深まれば深まるほど、彼らはその危機に対する救世主を装えると信じている。このような根拠のない国家と資への信頼は、この国の「国民」にしか通用していない。すでに多くの国はこの国とメディアの情報を信じなくなっている。すでに、大量の放射能が空気、地下水、海水などさまざまな経路をたどって福島県から近隣地域から首都圏に到達している。モニタリングがある程度機能し、情報にアクセスできる首都圏などでは、こうした情報をもとに退避

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