先日、ツイッターで「#翻訳書でしつこく繰り返される表現」というタグを作ったところ、ずいぶん大きな反響がありました。だいたいのいきさつは、togetter「翻訳書でしつこく繰り返される表現」にまとまっています。どちらも、ツイッターに登録していなくても読めるので、お時間のあるときにご覧ください。 最初はこんなに反応があるとは予想もせず、「翻訳書」や「しつこく」ということばは、なんとなく使っただけでした。 「翻訳書」については、自分としてはフィクションに限定したつもりはありませんでしたが、はじめに挙げたいくつかの例がいかにも翻訳小説に出てきそうなものだったことや、自分のまわりに翻訳小説の読者・関係者が多いこともあって、そちら寄りの表現がかなりの部分を占めました。実のところ、このように印象に残りやすい言いまわしはフィクションのほうが多いのだろうとも思います。 「しつこく」については、これが否定的な
角川つばさ文庫から『シートン動物記』が刊行されました。「ビンゴ わたしの愛犬」「オオカミ王ロボ カランポーの支配者」「ギザ耳 あるワタオウサギの物語」「灰色グマの一代記」の4編が収録されています。わたしの訳書としては、『ミケランジェロの封印をとけ!』以来4年ぶりの児童書です。 日本では《シートン動物記》として何種類もの訳書がシリーズとして出ていますが、そのようなシリーズがもともと存在していたわけではなく、シートンが遺した50余りの物語を日本で一括してそのように呼んできただけです。今回収録された4編のうち、「灰色グマの一代記」を除く3編は、シートンの第1作品集であるWild Animals I Have Known におさめられていたものです。 シートンの原書は今回初めて読んだのですが、かなり難解な比喩があったり、ブラックユーモアに近いものがあったりで、子供向けに書かれているとはとうてい言え
2週間ほど前に「翻訳書の歯応え」について書きましたが、いま思うと、カタカナ語の多用を積極的に肯定するかのように読まれてしまったかもしれません。わたし自身はカタカナ語の使用には慎重すぎるほど慎重で、「スイーツ」や「リスペクト」などは、訳文ではもちろん、ふだん書く文章でもまだ使うのに抵抗があるほどです。 「歯応え」の話の導入としては、カタカナ語よりも、センテンスの切れ目を例にあげればよかったといまは思っています。つまり、原文が1文であるものを2文に分けて訳すことをよしとするかどうか、という話です。端的に言えば、「原文が1文なら訳文も1文にする」のが大原則で、よほどのことがなければそのルールを破るべきではないというのがわたしの考えです。 複雑な構造の長い英文にぶちあたったとき、それを2文や3文に分けて訳せばわかりやすくなるというのはあたりまえのことです。受験勉強をしていた時代には、積極的にそうし
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