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  • 『帯(腰巻き)コピー(惹句)の考え方 その1』

    ひねり出した惹句が帯になるというのが、書籍編集者の書籍編集者たる所以です。 雑誌編集者はせいぜい目次脇にリードコピーを付けるくらいで、それすらない雑誌の方が多いくらい。コピー勝負させてもらえるのは、書籍編集者の特権といっていいのかもしれません。 さて、この惹句ですが、昔は、内容説明一辺倒でした。1975年前後の書籍の帯と言えば、 ○な○を通して○を描く表題作他、珠玉の名短編○編収録 とか、 現代人の危うい状況を鋭く捉えた問題作 とか 愛の不毛を鋭く問う文芸巨編 とか。 川崎徹、糸井重里、仲畑貴志、大貫卓也ら天才コピーライター(CMプランナー)がわんさか出た80年代~90年代を経て、ようやく、ここ15年、書籍編集者の書くコピーも、単純な「内容説明」以外の観点で、考えられるようになってきたようです。というのが、「アイキャッチ」という考え方です。「いかに書店に来たお客さんの目を惹くか」ということ

    『帯(腰巻き)コピー(惹句)の考え方 その1』
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  • 『頭がいい人ほど、頭が悪い?』

    頭がいい人は、一次的な記憶がもの凄くいい人でもある。 混乱した議論の場で、個々の論点とそのよって立つ前提を瞬時に見極め、一次記憶し、交通整理してしまう。 講演会で、聴衆の質問を受け付ける。一度に複数の質問が飛び交っても、それらを全て記憶していて、ひとつひとつ応対する。 小難しいを読んでいても、導入エピソード、抽象化の過程の論理も、反対意見の列挙も、それぞれの論拠の相違も、最終的な論駁も、それらから拾い上げられる結論も全て覚えていられる。 頭が悪い人のの読み方は、「何を捨てるか」という読み方になる。 いちいち全部を覚えていられるほど、頭は良くない。したがって、「何がこの著者の言いたいことなのか」、「帰結なのか」、「質なのか」と、そういう観点だけで、読む。細かな例示や、レトリックや、やがて否定されるであろう反対意見などもどんどん捨象して読む。400頁のを読み終わって、結局「居宣長は古

    『頭がいい人ほど、頭が悪い?』
    funaki_naoto
    funaki_naoto 2006/08/21
    狐と針鼠の話を思ひうかべた。
  • 『文体』

    純文学を書く人には文体を身につけて欲しいという話。 文体は、純文学の世界では、最重要の要素といっていい。要素どころか、すべてといってもいい。 「文は人なり」 といういう言葉があるが、まさにその通り。文体は書く人そのもののなのだ。書き手の書き手としての人格のすべてがそこに宿らなくてはならない。そうしたもの以外、文体とはいえない。文体とは、書き手の血であり、肉であり、脈動であり、吐息であり、体温なのだ。 昔の作家のエッセイには、 「文体を獲得するのに、2000枚の習作をものした」 とか、 「この習作で、はじめて、『文体が出来たね』と褒められた」 とか、 昔の文学賞の選考委員の選評では、 「この人は、未だ、文体というものを獲得できていない。まず外した」 とか、 「まずは、文体を身につけてからだ」 などという言葉が乱れ飛んでいた。 「文体の獲得」=「プロの純文学の小説家」 ということなのである。

    『文体』
  • 『小説の冒頭に関しての私見』

    5月になりました。このコーナーも最近、沈滞気味なので、以前私が別名義でやっていた小説作法のブログから、あれこれ転載していこうと思います。時間的な余裕があれば、新原稿も混ぜます。詰まらなければ、あるいは、ここの趣旨に合わなければ、削除しますので、遠慮なくおっしゃってください。 *   *   * 桃源郷は、日常の延長線上にはない。 異世界、もしくは非日常にしかない。 冒頭は異世界への入り口であることをよくよく認識しなくてはならない。 そこは、その読者をして、非日常であることを自覚せしめる場所である。 多くの読者を獲得している作品の冒頭は、以下のようなものが多い。 1)異世界への突入が暗示される描写。 2)すでに何らかの興奮しうる出来事の渦中であることを示すパターン。 3)対象読者の多くが共感しうる感覚(しかし、ひとりひとりの読者は、それを「私一人の感覚」と思っている)を打ち出すパターン。 4

    『小説の冒頭に関しての私見』
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    funaki_naoto
    funaki_naoto 2006/01/18
    編集者というのは、「文字」というモノを媒介としてマーケティングをする人
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