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ブックマーク / kusamori-lib.hatenadiary.org (18)

  • 北の大地へ…… - 崩れた本の山の中から 草森紳一 蔵書整理プロジェクト

    1956(昭和31)年、大学受験のために上京した、一人の青年。それから半世紀以上が過ぎて、彼がその半生をかけて集めた3万冊にも及ぶ蔵書は、故郷に帰ることになりました。 長らく、みなさまにご心配いただいておりました草森紳一先生の蔵書ですが、このたび、ご出身地の北海道音更町にあります帯広大谷短期大学に寄贈させていただくことになりました。学長の中川皓三郎先生、中心になって検討してくださった田中厚一教授、事務局長の永井秀樹さまを初め、受け入れにあたってご尽力いただいたすべての方々に、篤く御礼を申し上げます。 思えば、この「蔵書整理プロジェクト」が始まってから1年半。あっという間に過ぎたようではありますが、いろいろな紆余曲折もありました。うだるような暑さの中での仕分け作業や、凍てつくような寒さの中での入力作業。新聞や雑誌の取材もあれば、チラシを作ったこともありました。花火も見れば、桜も見ました……。

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  • 曠野。 - 崩れた本の山の中から 草森紳一 蔵書整理プロジェクト

    入試が終わって、通っていた、小さな進学塾の塾長さんが、みんなに、結構な額の図書券を「お祝い」として、配ってくれた。喜んでうっかり親の前で開けたが運の尽き。ご自分でそれぞれ内容解説を書いてくださった、英・数・国・社・理の、これから、買うべき、おすすめ参考書リストが入っていた。 それからの、その図書券がたどる運命を思い、正直げんなりしながらも、『古文研究法』、『国文法ちかみち』(ともに洛陽社、初版から半世紀近くたった現在まで版を重ねている)の名とともに、小西甚一氏の名を、その時、初めて知ったことになる。 教育と研究。ともに教師の仕事ではあるが。なかなか両立は難しい、と聞く。 上記の、ロングセラーであり、ベストセラーであり続ける、優れた参考書群の執筆、学術論文『文鏡秘府論考』(1952年、講談社、学士院賞受賞、現在入手困難)、大著『日文藝史』(1985年〜1992年、講談社、大佛次郎賞受賞)な

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  • 31回目の重版 - 崩れた本の山の中から 草森紳一 蔵書整理プロジェクト

    自宅で仕事をするようになって以来、電気代を少しでも節約したいので、仕事中はできる限り、エアコンのスイッチを入れないようにしている。暑い盛りでも、エアコンの使用は昼下がりの数時間にして、あとは窓を開けて、風を通してなんとかしのぐ。 もちろん、それだけで耐えられるような東京の夏ではない。そこで、気分だけでも涼しくなろうと取り上げてみたのが、中谷宇吉郎『雪』(岩波新書、1938)。雪の結晶の研究者としてだけでなく、随筆家としても評価の高い中谷宇吉郎の名著である。 とはいえ、うだるようなこの暑さの中では、いかなる名文といえども、ぼくの頭を活性化はしてくれない。すぐに活字を追う気力は失せ、ぼうっと紙面全体を眺めているだけになってしまった。 そこで、ふと気が付いたのが、このの余白の広さである。物差しを取り出して測ってみると、天(上側)の余白は27ミリ、地(下側)の余白も同じ、コグチ(綴じていない側)

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    funaki_naoto
    funaki_naoto 2009/07/21
    「最近の本は、かなり余白が狭くなっているように感じる」
  • クラッシックとの相性 - 崩れた本の山の中から 草森紳一 蔵書整理プロジェクト

    去年の6月末、東京の九段会館で「草森紳一をしのぶ会」が催された。その席上、先生と親しかった方々のスピーチももちろん印象に残ったのだが、ぼくの記憶に最も鮮やかな影を留めたのは、飾られた遺品の1つ、ぼろぼろになるまで使い込まれた漢和辞典だった。 塩谷温『新字鑑』。初版は1939(昭和14)年の刊行である。 漢和辞典の歴史は、1903(明治36)年に三省堂から刊行された『漢和大字典』に始まる。この辞典、大きさは、だいたい現在のA5判と同じくらい。ページ数は2000ページ近く。いわゆる「座右の書」といった感じで、かばんに入れて持ち歩けるようなシロモノではない。以後、大正から昭和戦前にかけて、漢和辞典の主流となるのは、このタイプのものだ。中でも、1917(大正6)年初版の『大字典』だとか、1923(大正12)年初版の『字源』などは、いまでも古屋の軒先に転がっているのを見かけることがあるくらい、広く

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  • iMacの魅力、紙の本の醍醐味 - 崩れた本の山の中から 草森紳一 蔵書整理プロジェクト

    もう10年くらい前、ある出版社で漢和辞典の仕事をしていたころ、いつかプラスチックのケースに入った漢和辞典を作ってみたい、と考えたことがある。 透明なプラスチック・ケースの中に納める体の表紙クロスは、たとえば、赤、青、緑の3色を用意する。文はもちろん、2色刷りだ。 ふつうに使われる黒インクのことを、業界では「スミ」といい、2色刷りの場合のスミではない方のインクを「特色」というのだが、表紙クロスが赤なら特色も赤系統、青なら青、緑なら緑といった具合にそろえてやろう。つまり、内容は全く同じだけれど、色が違う3つのバージョンの漢和辞典ができあがる。それを、スケルトンなプラスチック・ケースに入れて、お好きなカラーをお選びください、というわけだ。 言うまでもなく、当時、ヒットしていたiMacのパクリである。だが、この方法を採れば、体は3色、作り分ける必要があるが、ケースだけは1種類で済む。そのぶん

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  • とびっきりの贅沢 - 崩れた本の山の中から 草森紳一 蔵書整理プロジェクト

    は紙でできている。当たり前のことだが、に触れるということは、紙に触れるということだ。 草森紳一先生の蔵書整理をやって、一番よかったと思うのは、何千冊にも及ぶを、実際に手にとることができた、ということだ。特に、リスト入力の作業では、奥付を見るために、必ずページを繰らなくてはならない。指先に、紙の感触を感じるのである。 そうやって、指先に残る記憶をたどってみるとき、印象深いのは、戦後まもなくに出たの感触だ。 この時期の書籍用紙の多くは、現在、ぼくたちが日常的に接している書籍用紙とは、ぜんぜん違う。洋紙というよりは、和紙に近い。表面はザラザラだし、それほど薄いわけでもないのに、向こうが透けて見えそうな気がする。 いかにも、物資が乏しかった時代らしい雰囲気だ。 でも、耐久性という意味では、戦前の書籍用紙よりはすぐれているのではないだろうか。戦前のの紙は、少なくとも、裏ページが透けて見えた

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  • 雑誌の付録がアツイぞ! - 崩れた本の山の中から 草森紳一 蔵書整理プロジェクト

    近ごろ、雑誌の付録がアツイらしい。なんでも「女性誌」なるものには、ブランド物の折りたたみ傘やミニバッグ、ビーチサンダルからはてはガーターベルトまでが付録として付いてくるというウワサだ。付録を呼び物として売り上げ部数を伸ばそうと、“付録合戦”が始まっているらしいのだ。 しかし、雑誌の付録がアツイのは、なにも21世紀だけの話ではない。 今を去ること約80年前にも、雑誌の“付録合戦”があった。その代表的な存在として出版史上に名を留めるのが、『明治大帝』。戦前の日を席捲した大衆向け総合雑誌『キング』(講談社)の1927(昭和2)年11月号の付録である。 『キング』の創刊は、1925(大正14)年1月号。資金力にものを言わせた派手な宣伝を行って、いきなり74万部を売り切り、業界の常識をくつがえした。その後も部数は上昇を続け、日出版史上初めて、100万部を超える月刊誌となる。 折しも1927年には

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  • 人はなんのために働くのか - 崩れた本の山の中から 草森紳一 蔵書整理プロジェクト

    阪神淡路大震災のとき、ぼくの実家は震度7の地域にあったから、2晩くらいは両親と連絡がとれず、安否もわからなかった。ようやく電話がつながったとき、当時は現役の外科医だった父が、「この3日間、縫いまくった!」と、こちらの心配をよそに興奮しまくりで話していたのが、忘れられない。 電気やガスもままならぬ被災地で、次々に訪れるケガ人の傷口を一心不乱に縫合しつづける父。その姿を思いながら、おそらくこの人はこの瞬間のために町医者になったのだろう、と思ったことだった。 人はなんのために働くのか。どのような理由で、ある「職業」を選ぶのか。町医者という仕事にけっして満足していたわけではなかった父だったが、あの瞬間の興奮ぶりは、生涯にわたるその不満を補って余りあるものだったのではないだろうか。 以来、自分はなぜ編集者を「職業」としているのかについて、考えるようになった。「職業」とは、一義的には生活の手段だ。そこ

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  • 白夜の草原をゆく - 崩れた本の山の中から 草森紳一 蔵書整理プロジェクト

    神津恭介といえば、推理作家・高木彬光の生んだ名探偵だ。かつて、「土曜ワイド劇場」で近藤正臣の当たり役だったのをご記憶の方も多いだろう。 その神津恭介が、歴史上の謎に挑んだのが、『成吉思汗の秘密』(1958年。現在は光文社文庫で入手可能)。ジンギス・カンは実は源義経であったという説を「立証」して、発表当時、大きな反響を呼んだ作品である。 「ジンギス・カン=源義経」説は、ちょっとした歴史好きならだれでも聞いたことがあるくらい有名だが、そのタネになっているのが、小谷部全一郎『成吉思汗ハ源義経也』(1924年)である。出版元は、戦前の代表的な辞書出版社の1つ、冨山房。布クロスに義経の家紋とされる笹竜胆を配しただけの簡素な装丁といい、いわゆるトンデモではない。 残念ながら、現在の歴史学会では、「ジンギス・カン=源義経」説は、完全に否定されている。以前ははっきりしなかったジンギス・カンの幼年時代の

    白夜の草原をゆく - 崩れた本の山の中から 草森紳一 蔵書整理プロジェクト
    funaki_naoto
    funaki_naoto 2009/04/12
    「現在の歴史学会では、「ジンギス・カン=源義経」説は、完全に否定されている」
  • 議論。 - 崩れた本の山の中から 草森紳一 蔵書整理プロジェクト

    議論じみたことをするときは、ギャラリーがいた方が燃える。良い面を挙げれば、二人きりではふくらまない論点に、その場の雰囲気、「受け」によって気づかされ、論を発展させることが、できる。悪い面。人前での勝ち負けにこだわりすぎて、さまざまな自己矛盾も辞さなくなり、脱線を重ね、話が長くなり、声を荒げ、場合によっては手も出る肉弾戦に突入していく。この場合のギャラリー、あるいはレフェリー、仲裁者役というのがくせ者である。ある段階から彼らは「議論」を「バトル」、として楽しみはじめ、レフェリーも仲裁と言うよりは、「試合」を盛り上げるほうに気を割く。「ポップとは何かについて論じてて。最後はサンボ・キック炸裂だったよ」これでは議論ではなくて、素人プロレスである。いや総合格闘技か。 そしてまた、史上最強の哲学者にして、文字通り。必殺アイアンクロー、「炉辺談話」の最中の、火かき棒による凶器攻撃で名をはせてしまった方

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  • スリップ乱舞 - 崩れた本の山の中から 草森紳一 蔵書整理プロジェクト

    草森紳一先生の蔵書の間には、いろいろなものが挟まっている。一番多いのは、古書店からの請求書。最初のころは、「支払いはきちんと済んでいるのだろうか」と心配になったものだが、その点は、きっちりされていたようだ。意外なものが、意外な値段だったりして、近ごろは請求書を開いてみるのは、ちょっとした楽しみになっている。 次に多いのは、執筆のためのメモの類。また、寄贈の場合は、寄贈者からのお手紙がそのまま挟み込まれていたりする。 顧頡剛著、平岡武夫訳『古史弁自序』(創元社、1940)は、後に『ある歴史家の生い立ち』(品切れ重版未定)として岩波文庫にも収録された名著だが、その間から出てきたのは、ちょっと異色のものだった。かなり変色したブルーの細長い紙片を2つ折にしてあって、書名が大きく印刷されている。一番上には「創元社書籍註文カード」とある。出版業界では、「短冊」とか「スリップ」と呼ばれているものだ。

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  • ポケットに刑法を突っ込んで - 崩れた本の山の中から 草森紳一 蔵書整理プロジェクト

    『新律綱領改定律例改正条例伺御指令袖珍対比註解』。 きちんと書名を書くとなると、漢字ばかり22コも並んで、こんなにタイヘンなことになってしまう。奥付によれば、安井乙熊著、1878(明治11)年、同盟舎刊のである。 この長ったらしい書名は、4文字ずつ区切って読む。「新律綱領」というのは、1870(明治3)年に制定された明治政府初の刑法。「改定律例」は、3年後に定められたその増補改訂版。「改正条例」「伺御指令」とは、(後者はどう読めばいいのかすらわからないけれど)どうやら「改定律例」を部分修正するための明治政府の条例・命令のようだ。で、それらを「対比註解」したのが、書だというわけだ。まあ、刑法便覧とでも思えばいいのだろう。 おっと、2文字とばしてしまったね。実は、この2文字が、だいじなんだ。 すっとばした「袖珍」とは、ポケットのこと。このは、むずかしい刑法の便覧を、ポッケに入れて持ち歩け

    ポケットに刑法を突っ込んで - 崩れた本の山の中から 草森紳一 蔵書整理プロジェクト
    funaki_naoto
    funaki_naoto 2009/03/20
    銅版印刷
  • 中退。 - 崩れた本の山の中から 草森紳一 蔵書整理プロジェクト

    中退者の方々の活躍で、まず有名なのが、タモリ氏、広末涼子氏を輩出した、早稲田大学であるが、その傍らで、こちらも、輝かしき中退・除籍者たちが出入りしているのが、東京外国語大学である。『浮雲』で言文一致体を構築した二葉亭四迷氏、ルポライターの草分け、『タレント帝国』の竹中労氏、ご存じ『木枯し紋次郎』の中村敦夫氏。逆に他の学校を中退・放校後に東京外国語大学にやってきて無事卒業したのが大杉栄氏、中原中也氏。大体が、草創期の「学長」の中江兆民氏が就任後3ヶ月で「儒教的徳育の重要性」を強く主張して、文部省と対立を生じ、「中退」しているのだから、手に負えない。 しかし、草森紳一、氏の御蔵書の中の書、『回想の明治維新』(メーチニコフ著、渡辺雅司訳、1987年、岩波文庫、新刊入手可)の著者にして、中江兆民氏が短い在任期間中に出会ったロシア語科教師メーチニコフ先生も凄い。亡命生活30年、20ヵ国語を解する。

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  • 苦い青春の記憶 - 崩れた本の山の中から 草森紳一 蔵書整理プロジェクト

    誤植とは、怖ろしいものである。 どれだけ一生懸命、丁寧に校正をしたつもりでも、誤植はどこかに必ず残ってしまう。できたてほやほやのを喜び勇んで開いたとたんに、誤植が目に飛び込んでくることも、多いのだ。 どうして気づかなかったんだろう? あれだけ見たはずなのに! だから、編集者同士では、誤植についてはあまり厳しくは言わない。他人が担当したで誤植を見つけたら、けっして騒がず、機会を見つけてこっそりやさしく教えてあげるのが、仁義というものだ。 ただし、ものにはTPOがある。絶対に誤植を出してはいけないところが、あるのだ。 それは、たとえばタイトルであったり、著者名であったり、目次であったり、奥付に載っている自社の社長の名前であったりする。そういった個所は、誤植を出さないために入念にチェックするのが、編集者の常識である。 ISBNコードも、その1つだ。ISBNコードとは、世界標準の書籍のID番号

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  • だれもが必ず目にする場所 - 崩れた本の山の中から 草森紳一 蔵書整理プロジェクト

    の伝統的な和綴じは、基的に和紙でできているから、強度が低い。持ってみるとふにゃふにゃだし、ちょっとぞんざいに扱っていると、角の部分からめくれ上がってきたりする。 そこで、大事に保存するために「帙(ちつ)」というものを用いる。厚紙に布や紙を貼り付けて丈夫にした一種のカバーで、和を何冊か重ねて、これで箱のようにくるむ。上面は右側から来る方が外になるように二枚重ねにして、象牙か何かで出来たツメで留めるようになっている。和家、中国も、もちろん同じである。 帙入りのは、現在の洋装でいうと、丈夫な箱に入った豪華のようなもので、重厚な風格が漂う。草森先生の蔵書の中にも、帙入りはたくさんあって、それを開くたびに、なんだか身の引き締まるような思いがする。 でも、このの帙を開いたときには、びっくりした。 『疑雲集註』。17世紀ごろのある詩人の「疑雲集」という詩集(けっこう艶っぽい詩

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  • 音楽。 - 崩れた本の山の中から 草森紳一 蔵書整理プロジェクト

    当たり前すぎる話だが。紙に描かれた絵から音は出ない。音楽など夢物語、ロックにせよ、ジャズにせよ。いや、そんな暢気なことを思って、うかうかしているのは、当方くらいで。携帯、読書端末で読むマンガ、においては、すでにBGMの域を超えた、音楽、音声の活用が定着しつつあるのかもしれない。 ゲームはとっくの昔からゲーム音楽抜きで語ることはできない。 考えてみれば、『ゼビウス』以降のゲーム音楽格化、深化は、より多くの時間、人々を画面に吸い寄せることに寄与した。例えば、『スーパーマリオブラザーズ』のテーマも、生演奏に際しては、アコースティック・ギターの名手、押尾コータロー氏にして、決して気を抜けない、相当難しい曲らしい。それだけの構想力が、この三十数年、ゲーム音楽には注がれてきたのだ。 『センネン画報』(今日マチ子先生:紙版単行、太田出版から発売中)の成功など、マンガが紙媒体を離れはじめつつある、と

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  • 積読。 - 崩れた本の山の中から 草森紳一 蔵書整理プロジェクト

    ヤッターマン、実写版映画化の報には、若干違和感があったが。深田恭子さんのドロンジョさま姿が表紙を飾る、『映画秘宝』誌3月号を目にして、「これでいいのだ」とうなずいてしまった。さて、所詮は、憶測に過ぎないのだが、このドロンジョさま、のネーミングは、1977年のヤッターマン初放映時には、もう「一昔前の存在」になっていた、二人のフランス人女優のお名前をもじっていたのではないだろうか。 大命は『アイドルを捜せ』(1963年、DVD予約中)でシルヴィ・バルタン氏(一説によると、こちらはバルタン星人氏のその名の由来と聞く。ただ、Wikipediaによると東欧の地名、バルカン半島から、との説が有力である)と共演した、ミレーヌ・ドモンジョさま。所謂セクシーな方である。充分ドロンジョさまとして通用するスタイル。ちなみに彼女の旦那さまは『メグレ警視』シリーズの作者、ジョルジュ・シムノン氏の息子さんである。日

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    funaki_naoto
    funaki_naoto 2009/01/30
    ヤッターマンからコジェーヴまで。
  • ある人を待ちながら - 崩れた本の山の中から 草森紳一 蔵書整理プロジェクト

    銀座で、女の人と待ち合わせをしたことがある。 待ち合わせ場所には必ず早めに到着する。ぼくはそういうタイプだ。遅れるのがイヤ、というよりは、遅れそうになって落ち着かない気分を味わうのが、イヤなのである。 だから、10分前、15分前に到着することも多い。しかたないから、周りをぐるぐると2、3度歩き回って時間つぶしをすることもしょっちゅうだ。 相手が女の人となると、なおさらである。 そのときは、前の用事の関係もあって、小一時間も早く、銀座一丁目の駅に着いた。さすがに、早すぎる。こんな時間からぐるぐる回っていたんじゃ、目を回しかねない。散歩でもしようか。でも、どこへ? ふと思い出したように、足は歌舞伎座の方へ向かった。その先あたりに、前から1度は訪れなくてはいけないと思っていた場所が、あるのだ。 東京築地活版製造所跡。そこには、現在、「活字発祥の碑」という小さな御影石の石碑が建っているだけである。

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