How to watch NASA's first Boeing Starliner crewed flight launch today (scrubbed)
読了。 茶の湯における宗教的、哲学的面、即ち茶道について、その根本を考察した本。 作者によると、禅問答では、仏法の根本とは如何にとの問いに、行住坐臥著衣喫飯(日常生活の活動)だと答える。日常生活の外に仏法があるのではなく、日常そのものが仏法のはたらきなのだとする。 この考え方を踏まえた上で、作者は利休言うところの「茶の湯とはただ湯をわかし茶を立てて飲むばかりなるものとしるべし」について考察する。 この語句は、茶の湯とは堅苦しくルールを守るものではないのだ、と単に解釈されがちであるが、作者としては、それは間違っている。日常即ち仏法と同じく、ただ湯をわかし茶を飲むことが行われたとき、それはそのまま根源的な悟りに通じうる。悟りの中での茶の湯は、自由に行ってもルールを超えず、ルールを創る。と言うのが作者の主張である。よって、気軽にルールなど気にせず茶を飲めばよいなどとはとんでもない話。ただ茶を飲む
東京国立近代美術館フィルムセンターのアーカイブ活動において、映画フィルムとならんで重要な位置を占めるのが、ポスター・スチル写真・シナリオ・関連文献など映画関連資料の収集・保存事業です。そのうちポスターの所蔵枚数は現在5万枚を超えましたが、中でももっとも貴重なコレクションの一つが、無声映画時代後期のソビエト連邦で制作され、ロシア・ソビエト文化研究家・翻訳家の袋一平(1897~1971)によって日本にもたらされたソビエト映画のポスターです。 1917年のロシア革命によって成立したソビエト連邦は、映画という新しい芸術様式を大胆に開拓し、エイゼンシュテイン、プドフキン、ドヴジェンコ、ヴェルトフをはじめとする尖鋭的な映画芸術家を輩出して世界に衝撃を与えました。また、同時期にはグラフィック・アートの分野でも若きアーティストが活動を開始し、とりわけ1920年代に盛んになった構成主義の思潮は、新社会の建設
私が生まれて初めて訪れた動物園は円山動物園です。3歳のときでした。北海道の動物園といえば円山動物園ですよね。今日は円山周辺の住民が無料で入園できる日だったので喜々として訪れました。 では、私が撮ってきた生き生きとした動物たちの写真、さっそく公開していきましょう。 まずはゾウです。 続いてダチョウです。 ペルシアヒョウです。 ペンギンです。 ゴアです。 続いて昆虫館に入りました。 昆虫館のワラジムシダンゴムシです。*1 爬虫類館のオオアナコンダです。 獰猛なワニです。 ミズオオトカゲのイエス・キリストです。 モリキハウスに行きました。 シシオザルです。 お母さんがナミエでお父さんがリーフ、どうやらシシオザルのシーチャンはハーフのようです。 マンドリルです。 次に類人猿館に行きました。 テイジロウの作品です。 ゴンは京都に出張で不在でした。 エゾアカゲラです。 オオタカです。 タカです。 失礼
張本勲の発言に注目している。『サンデーモーニング』にも常連で出ているので、そこで彼の発言を聞くことが多い。しかし、正直いって、この番組での張本の発言、彼のスポーツ観はひと昔前ならまだ通用したかもしれないが、いまやとても受け入れがたい発言のように思えてならない。そう常々私は思っている。私が着目するのはこの番組・コーナーでの彼の発言ではなく、平和にかかわる彼の言動である。その勢いはますます盛んなようにみえる。たとえば最近もこのようにのべている。 私がテレビで発言したのを聞いて、「初めて知った」「驚いた」と、反響はすごかったですね。励ましの言葉の多かったですよ。 本当は被爆体験は話したくない。思い出したくもないんです。忘れられるくらいなら、忘れたいくらいです。悲惨な経験でしたからね。(新婦人しんぶん、11・30) 何年か前、テレビで話したとき、若い人が「戦争なんて関係ない」「そんな歴史を知ったか
■死への向き合い方教える一冊 人類が死を発見したのは、今から3万7000~5000年くらい前ではないかといわれている。 死の発見によって何が起こったのか。生の発見である。死ぬということの恐怖、生きていることの喜び、そしてこの世とあの世という他界観がめばえ、やがて葬送が行われる。 昨年「おくりびと」という映画が公開されて話題になったが、日本人の死と弔いの歴史を、葬式・墓・慰霊から、わかりやすく説いたのが本書である。 葬送の歴史を遡(さかのぼ)ると、縄文時代の青森県三内丸山遺跡では、集落の入り口に死体がきれいに埋葬されていた。火葬は仏教式の葬法だと思われがちだが、すでに縄文時代にみられ、天皇では、持統天皇が初めて火葬された。また現在、喪服は黒に決まっているが、もともとは白で、伊藤博文の国葬のあった明治の末ごろから東京など大都市の政治家や上流階級の間で黒へと変わっていったそうである。 歴史をたど
« 週末はマルニと柿木原さんのふる里、広島へ。 | メイン 2009年02月07日 畑にいくのに化粧が濃いのは明らかに何か変だ。 ほぼ毎日。最近ずっと1通づつ手紙が届きます。学生から70歳過ぎのおじいちゃんまで、いろんな土地の消印のついた封書が届きます。 何かそういうものに感動して、何にそう感じたかは忘れたけれど、今年の年賀状は手書きにしよう。そう思って一生懸命昨年末にやっと40人くらいのお世話になった方々に手書きの年賀状。新年のご挨拶ってのは今はあきらめ、一日に数枚のペースでなんとかリストアップした600人に夏までにはお礼のカードを送りたいなと、思ってます。 クラフトデザインテクノロジーという文房具のブランドの中に、お気に入りのアイテムがあります。外観はまるで万年筆。キャップをとるとそれはなんと筆ペン。試し書きにいろいろとそのよく出来た筆のタッチでヒュルヒュル、えいっと書いてみる。
最近読んだ本。訓読みの歴史、めずらしい訓読みの紹介、一字多訓の話、振り仮名のこと、中国・台湾・朝鮮・ベトナムの訓読み事情など、訓読みにまつわるいろいろな話が書かれている。以前読んだ高島俊男さんの「漢字と日本人」のようにまとまった主題に沿って書かれているわけではなくいろいろな情報を雑多にあつめたという感じの本だが、個々の情報は知らない内容が多い。まあ、おもしろかった。 わたしは、「訓読み」というのは基本的にやまとことば(和語)に漢字を当てたものだと漠然と認識していた。たとえば、むかしの日本には mountain という意味のやまとことばである「やま」という語があったが、日本には文字がなかったので同じ意味の中国文字(漢字)である「山」と表記して「やま」と読むことにした、ということだ。それは、大筋で間違いではないが、この本を読んで、そういう経緯以外の流れでできた「訓読み」も相当数あるというふうに
第173回都市経営フォーラム デフレ時代と中心市街地 講師:藻谷 浩介 氏 日本政策投資銀行 地域企画部 調査役 日付:2002年5月23日(木) 場所:後楽国際ビルディング大ホール 1.中心市街地とはどこか 2.中心市街地衰退の現状と原因−「景気」が原因ではない 3.それでも中心市街地は必要か? 4.デフレを前提とした中心市街地活性化の原因療法 皆様、こんにちは。ご紹介いただきました藻谷でございます。昭和39年生まれの、まだ37歳の若輩者で、先生と呼ばれる年齢ではございません。小学生の頃に石油ショックの激変やノストラダムスの予言の流行を経験し、バブル期にも(円高のおかげで海外旅行はたくさんできましたけれども)大して踊らず、世の中を斜めに見て「そんなに繁栄ばかりが続くはずがない」と思っていたいわゆる新人類世代の一人としての世代感覚で、お話をさせていただきます。 私は日本政策
というのが、以前、誰が何のために「限界集落」を守らなければならないのか? - とれいん工房の汽車旅12ヵ月で参考にしたid:Dr-Setonさんのエントリーを読んでの感想。 彼によって最近書かれた「自滅する地方 自滅した浜松 その3 - Dr-Seton’s diary」と「自滅する地方 自滅した浜松 その2」を併せて読むと、 「浜松は郊外型大規模小売店舗によって(katamachi注 中心市街地が?)食い尽くされた。」 「郊外化は自治体の財政を圧迫するからだ。インフラ整備を行う面積が拡がればそれだけ必要な経費は増大」 「大規模小売店舗が出店する事で“自治体全体”の固定資産税は減少」 「このような浜松の状況は地元企業「スズキ」と無関係ではありません。」 というお話しである。 日本の地方都市というのは60年代までは駅前や繁華街などの従来からの市街地を核とした都市構造を形成してきたが、その後、
第38回かっぱ橋道具まつりの開催に際し、たくさんの皆様にご協賛いただき誠にありがとうございました。厚く御礼申し上げます。
先日、粟津潔展を観に行ってから、会場に散りばめられた粟津氏の言葉に惹きつけられ、その著作を読みたいと強く思うようになった。そこで最初に手に取ったのが『粟津潔 デザインする言葉』。この本は、彼が1960年代から今日に至るまでさまざまな書籍で考察してきたデザインについての言葉を抜粋し、原画やスケッチ、写真などとともにまとめた一冊だ。 粟津潔 デザインする言葉 作者: 粟津潔,粟津デザイン室出版社/メーカー: フィルムアート社発売日: 2005/10/01メディア: 単行本 クリック: 1回この商品を含むブログ (6件) を見る デザインというものを真摯に見つめ、そこにまさに心血を注いできた粟津氏の言葉に、幾度も心を強く揺すぶられた。 とりわけ、「ものを作る創造の仕事とは、問いをもつことである」という言葉がくり返し登場したことが心に残った。たとえば、こんな言葉たちだ。 結局、ものを作る創造の仕事
巻頭エセー 今村美月(SТU48)「落語と私 私と落語」 今月の特集 落語協会 春の新真打 林家つる子 三遊亭わん丈 新真打フォトアルバム ホリイの落語狂時代...堀井憲一郎 林家正楽による今月の紙切り <藤娘> 続きを読む
広告は見てもらえる、みたいな気持で作るなというのは、マス広告の危機だなんだといわれる前からよく言われることで、とあるクリエイターは、きれいなポスターをつくってきた後輩クリエーターに対して「キミ、この広告で人が振り向くと思う?例えばさ、白いポスターの真ん中にうんこがあるとするじゃない。それ、気持いいかどうかはともかく、見るよね。そのうんこのポスターに勝たないといけないのよ。」と言ったそうです。まあ、うんこのポスターは極論だとは思いますが、広告は、「そんなもの誰も見るかいな」みたいな気持でつくってちょうどいいんじゃないか、と思います。 新聞広告でも、テレビCMでも、ポスターでも、ウェブバナーでも、広告である限り、まずは見てもらうことが大事。でもそれは第一段階クリア、みたいなことに過ぎなくて、そのあとの段階がいくつもあります。これだけ情報が多くなってきた今の世の中、人々の広告に対するスルー力はか
不況やら派遣切りやら、何かと荒んだ世の中ですが、こんなときにこそ、われらが、 「本」 の出番があるというものです。 一杯の酒で心の渇きを癒すのもいいですが、一冊の本に心なぐさめられるのも、いいでしょう。 たとえば、日々リストラの影におびえる年配のサラリーマンが、今夜も疲れた足取りで、駅へと急ぐその途中。 駅前広場の片隅に、見慣れない屋台が出ているのに気づきます。 よく見かける焼き鳥やおでんの屋台ではない、その屋台の赤いのれんに、白く染め抜かれているのは、 「図書館」 の文字です。 何だろう、と遠慮がちにのぞいてみると、おでん屋の屋台であればおでん種のケースがある場所に、本がぎっしり。古本屋の店頭に置かれた百円均一本ワゴンのようなあんばいです。 本のケースを挟んで、ごま塩頭のしょぼくれた店主がひとり。暖簾の間から顔をのぞかせたサラリーマンに、そっとうなずいて挨拶します。 ハハアと思ったサラリ
日本の伝統的な和綴じ本は、基本的に和紙でできているから、強度が低い。持ってみるとふにゃふにゃだし、ちょっとぞんざいに扱っていると、角の部分からめくれ上がってきたりする。 そこで、大事に保存するために「帙(ちつ)」というものを用いる。厚紙に布や紙を貼り付けて丈夫にした一種のカバーで、和本を何冊か重ねて、これで箱のようにくるむ。上面は右側から来る方が外になるように二枚重ねにして、象牙か何かで出来たツメで留めるようになっている。和本の本家、中国の本も、もちろん同じである。 帙入りの本は、現在の洋装本でいうと、丈夫な箱に入った豪華本のようなもので、重厚な風格が漂う。草森先生の蔵書の中にも、帙入りはたくさんあって、それを開くたびに、なんだか身の引き締まるような思いがする。 でも、この本の帙を開いたときには、びっくりした。 『疑雲集註』。17世紀ごろのある詩人の「疑雲集」という詩集(けっこう艶っぽい詩
以前、「JR長崎本線に架かる陸橋が気になる」という記事を書いた。今回はその続編である。 もともと非常に個人的な興味を追った対象読者の狭い記事だったのに、さらにその続編…。 誰もそんなの望んでないだろう、という若干の後ろめたさを感じつつも、気になって仕方がないのだからしょうがない。 懲りずにお付き合い頂ければ、という所存です。 (T・斎藤)
甲骨文字の読み方 (講談社現代新書) 作者: 落合淳思出版社/メーカー: 講談社発売日: 2007/08/17メディア: 新書購入: 3人 クリック: 35回この商品を含むブログ (23件) を見る 読了。これはおもしろかった。 内容としては、最初に甲骨文字の周りの話がちょろっとあって、その次にひとつひとつの漢字について解説がある。甲骨文字の画像があって、この文字は何という漢字でしょう?というシンプルなクイズになっている。これが単純なわりに結構おもしろい。簡単な漢字は簡単だが、身近な漢字でも意外な形をしていたりするので、解説を読むといろいろと発見がある。 後半は、実際の甲骨文の読解。といっても、内容がある程度決まっていて(甲骨文なので当然占いの内容が書かれている)、しかも語彙や文法がかなり簡潔なので、そんなに難しいものではない。高校の漢文よりずっと簡単。こちらもクイズ形式になっていて、10
Helvetica forever : Story of a Typeface ヘルベチカ展...ギンザ・グラフィック・ギャラリー 大阪でも開催されているヘルベチカ展が、ギンザ・グラフィック・ギャラリーで始まりました。 2月21日には『欧文書体』著者の小林章さんらによるギャラリートーク(第2回目)が開催されます。2009年2月5日(木)− 2月28日(土) ■第272回企画展「ヘルベチカ展」第2回ギャラリートーク 2月5日のギャラリートークに引き続き2月21日に、ヘルベチカへの更なる理解を深めていただく第2回ギャラリートークを開催いたします。講師はデザイナー御用達の名著『欧文書体』の小林章さん、今回『Helvetica forever』の日本語版監修を務められた小泉均さん、そして長年欧文タイポグラフィの普及、教育に尽力してこられた嘉瑞工房相談役高岡重蔵さんにも貴重なお話を伺います。
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