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ブックマーク / philosophy.hix05.com (7)

  • 日本の思想:ユニークな思想家たち

    の思想について丸山真男は、基的には外国の思想の受け売りであって、外国から輸入した思想に多少色を添えて、それで以てお茶を濁してきたというようなことを言った。これは古代から一貫した日人の態度であって、近代になっても何ら変わらなかったと丸山は言う。近代になると、思想の輸入のサイクルが短くなって、めまぐるしいほど多くの思想が最新モードだと言って輸入された。面白いことに、新しい思想が輸入されると、それをありがたがるあまり、古い思想はお役御免になる傾向が強かった。そこから思想の価値は、新しいほど増すと考えられるようになった。 たしかに、日の思想について、こういうことが指摘できるかもしれない。その最もよくない影響は、日人が自分の頭でものを考えなくなるということだ。そこから、ヨーロッパでは思想界といわれるようなものが、日では思想業界と、自嘲的に言われるようにもなる。これは実に嘆かわしいことと

  • キルケゴールにおけるイロニーと弁証法

    キルケゴールが自分の生涯をかけた研究の出発点としてイロニーを選んだことは興味深いことである。イロニーの概念自体は、キルケゴールの同時代の精神状況の中で一定の存在意義を主張していた。その意味では新しい概念ではない。それは主に理想主義的なロマン主義者たちが、退屈な現実を糾弾するにあたっての武器として用いられた。とりすました相手をからかってみたり、陳列棚に収まった真理の剥製からその実在性を剥ぎ取ったりするための方法、それがイロニー、つまり皮肉の機能なのであった。だからそれはある種のファッションといってもよかった。こうしたイロニーの概念にキルケゴールが付け加えたものは、それを単なるファッションにとどめず、現実批判のための根的な方法に高めることであった。後にキルケゴール自身、その方法を意識的に実践することによって、実存としての自己を確立していく。したがって彼のイロニー研究は、彼の生涯の方向付けを定

  • キルケゴールを読む:実存主義の先駆者として

    セーレン・キルケゴール(Søren Aabye Kierkegaard 1813-1855)は、実存主義の先駆者として、また大衆社会状況を最初に批判した思想家として、哲学史上ユニークな位置を占めている。キルケゴールは哲学者ではなく宗教的な著述家だとハイデガーは言ったが、同じようなことはパスカルにも、またその先駆者としてのアウグスティヌスにも言える。西洋哲学は、こうした宗教的な思索にも大きな刺激を受けてきたのであって、それを哲学的ではないといって軽視することはできない。キルケゴールについてこのような発言をしたハイデガー自身、一時期キルケゴールから大きな影響を受けたことが、キルケゴールの哲学上の重要さを物語っている。 キルケゴールの読み方にはいろいろある。文学作品として、倫理的あるいは心理学的著作として、あるいは哲学書として読めるだろうし、勿論深い宗教的真理を語った著作として読むこともできる。

  • 知の快楽:哲学の森に遊ぶー西洋哲学史の一試論

    写真は、左上から横、下へと順に、ソクラテス、アリストテレス、デカルト、ロック、カント、ヘーゲル、マルクス、ニーチェ、ベルグソン、フロイト、ハイデガー、フーコー、西田幾多郎、井筒俊彦 壺齋散人が知の快楽を語る。その知とは、古代ギリシャに発し、西洋諸国に哲学として広がった知をいう。それを壺齋散人は哲学の森という。それには日の近代哲学も含まれる。されば、散人の知の快楽は、哲学の森を遊ぶことからもたらされる。 知の愛求(哲学)の祖と呼ばれるタレスとともに、西洋の哲学思想の歩みは始まった。タレスを含め古代のギリシャの哲学者たちが目指したものは、存在とはなにか、そのそもそもの始まり(アルケー)とは何かについて探求することであった。 ギリシャの哲学者たちによる思想の営みは、アリストテレスによって集大成され、存在にかかわる知の体系として纏め上げられた。それは古代・中世を通じて西洋哲学の枠組みを形作った。

  • 高島俊男「漢字と日本人」

  • 荻生徂徠と福沢諭吉:丸山真男と加藤周一の対話「翻訳と日本の近代」

    丸山真男と加藤周一の対話「翻訳と日の近代」(岩波新書)を読んだ。これは、日の近代化を支えた翻訳というものについての対話形式による省察だ。何を、どのような人がどのように訳したか、また日では何故翻訳が巨大な役割を果たし、その影響も広くかつ深かったのか、ということについて、主に加藤が問題を投げかけ、丸山が応えるという形で進んでいく。その過程で、興味あるワキ話も出てきて、むしろ題よりも面白かったりする。知的刺激に富んだ面白い対話だ。 ワキ話のなかで最も精彩を放っているのは、荻生徂徠と福沢諭吉の評価をめぐるものだ。この二人は、丸山が情熱をかけて研究した思想家だから、よほど思い入れがあるのだろう、話が流れていくうえで、様々な形で言及される。というのも、この二人の思想は、日の伝統的な思想とはかなり異なっていて、非常にプラグマティックなところがある。そういうところが、翻訳の精神と触れ合うところが

  • 丸山真男を読む

    丸山真男は戦後日の思想界をリードした一人だ。「超国家主義の論理と心理」で日ファシズムを分析して以来、日の思想の特殊性とその政治とのダイナミックなかかわりについて、常に問題意識を持って発言した。その問題意識は、日の現状への鋭い批判と、その現状をもたらした歴史的背景への徹底した考察という形であらわれた。 丸山真男のそもそもの業は日政治思想史である。とりわけ徳川時代の政治思想に強い関心を抱いた。かれの若いころの力作「日政治思想史研究」は、その最初の果実である。そこで養った批判意識が、日の現状分析とその歴史的背景への展望へとつながったのだと思う。 丸山真男は、学者としてアカデミックな研究に満足するのではなく、思想が現実世界との間で持つ緊張関係について、常に実践的な関心を抱き続けた。そこからかれを戦う思想家と見る見方も現れた。ここではそんな丸山真男の言表を読み解いていきたい。 ・忠誠

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