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ブックマーク / shirayuki.blog.fc2.com (17)

  • 白雪姫と七人の小坊主達 明治期、チベット仏教と最初に接触したのは大谷派

    2024年3月22日、浄土真宗大谷派の名古屋別院で大谷派とチベット仏教の歴史についてお話させていただいた。実は日の諸宗派の中でもっとも早くチベット仏教と接触したのは大谷派の僧小栗栖香頂である。また、1905年に日人として三番目にチベット入りし、1906年にはダライ・ラマ13世の親日工作のために大陸に送られた寺婉雅も大谷僧。彼はおそらくダライ・ラマ13世が日人であると認識してあったはじめての日人でもある。つまり、大谷派とチベット仏教の関係はあさからぬものの、はなばなしくチベット入りし研究も盛んにおこなわれている青木文教、多田等観などの願寺派の僧とくらべて、意外に知られていない。そこで、以下その講演内容を転載したい。 ちなみに資料編は以下のURLからダウンロードできます。では始まり始まり〜。 ●明治期の大谷派とチベット仏教(喇嘛教) 勤王僧を輩出し、時流にいち早くのった西願寺と異

  • 白雪姫と七人の小坊主達 揚輝荘訪問 (学問の神が動く)

    昨年、国連クラシックライブ協会の環境ミュージカルが名古屋で行われた際、劇中シンポジウムで一言のべるために名古屋に行き、ついでに日泰寺の調査を行った。 日泰寺の由来は簡単に述べるとこうである。1900年タイ(シャム)のチュラロンコン大王はインドで発掘されたばかりのブッダの真正の舎利をビルマ(ミャンマー)やセイロン(スリランカ)の仏教徒に分骨することを表明した。初代シャム公使稲垣満次郎は日も仏教国として名乗りを上げるよう大隈重信に説き(ちなみに、外務大臣青木周蔵は「関与するな」と無関心)、大隈はかねてより親交のあった東願寺に話をもちかけ、東願寺は単独で舎利を奉迎しようと申し出た。しかし、タイ国王は仏骨を特定の一宗派ではなく日仏教徒全体に授けることを希望したため、日仏教の各派の管長があつまって協議し、仏骨奉迎のために超宗派の日大菩提会を組織し、そこから選抜された四人が6月14日にバン

  • 白雪姫と七人の小坊主達 善光寺の若麻績敬史さんを偲ぶ

    善光寺の徳行坊の若麻績敬史師が急逝された。私が知りうる範囲内での師はこういう方であった。 折りしも2008年、北京オリンピックが開催される直前、中国は国威を示すために世界中の主要都市で聖火リレーを行う計画をたて、一帯一路の主要国カザフスタンから聖火リレーをはじめた。しかし、3月にチベットが弾圧されたことに国際社会は怒っており、リレーは抗議する西洋人市民によって混乱した。 日での聖火リレーは4月に長野の善光寺を出発点にして長野市内を走る予定であったが、今回急逝された若麻績敬史師らを中心とした四人の僧侶たちが「仏教徒を弾圧している国に協力することはできない」と反対し、結果、聖火リレーの出発点を返上することになった(長野でのリレー自体は開催された)。そのニュースがながれた時、私は近所のうなぎやでランチべていて、丼をもったままたちあがった。時代が動いていた(以後中国に忖度したマスコミ報道が激

  • 白雪姫と七人の小坊主達 60年目のピースマーチ

    チベット人蜂起記念日、60周年だし、最近研究対象を変えて中国に入れなくても痛痒ないものにしたので、気持ちよく顔ガンだしでピースマーチにいく。 人の多い場所ということで、これまでのマーチは新宿や渋谷が多かったが、2011年に東日大震災がおきて以後、3月10日前後の土日は反原発デモが繰り広げられるようになり、また、昨年まで利用していた新宿の公園がヘイトデモ対策で利用不可となり、初めての浅草開催となった。しかし、台東区長選挙の公示日と重なり、それも危なかったが、関係各位の努力により頑張って雷門近くの公園となった。 集合地点の花川戸公園につくと、チベット旗が翻り、交通整理やあんなことの対処のために制服警官・私服警官・公安のみなさまが集まっている。 初めて参加されるYさんは「今そこで目つきの悪い人が人の顔をのぞきこみながらなにやらメモしています。中国のスパイじゃないでしょうか」 私「それたぶん公安

  • 白雪姫と七人の小坊主達 長野聖火リレー十周年で善光寺に行ってきた

    4月最後の日、善光寺のW住職の発議で長野で「北京オリンピック聖火リレー10周年記念会合」が開かれた。前夜祭はまず焼き肉屋アリランではじまった。 焼き肉の煙と複数の方のタバコによりあっというまに髪の毛や服が燻製状態。私はこのあと宿坊にかえったが、残りの方たちは雪っこという酒を飲み続け大変なことになったらしい。被災地支援とかを行われた立派な方々であるが、肝臓と肺のためにももう少し健康的な生活を心がけた方が持続可能な社会貢献ができるのではないかと思った。 今回宿泊させて戴いたのは善光寺の宿坊の一つである徳行坊さん。同坊のご住職は今年は12年に一度めぐってくる堂童子(春を迎える善光寺様の神仏混淆の行事)の役があたっており、檀家総代としてそのサポート役をつとめたKくんに坊の案内をしていただく。 Kくん「今年は堂童子だったのでた畳とかは全部新しくしています。先生方がとまられる部屋はぼくが堂童子をつとめ

  • 白雪姫と七人の小坊主達 チベット・フェスティバル 2018

    4月下旬から5月にかけて、3年ぶりにダライ・ラマ法王日本代表部事務所主宰によるチベットフェスティバル 2018(平和の祈り・観音砂曼荼羅の世界)が行われます。 今回は南インドのセラ寺から12名の僧侶がいらして、砂マンダラ作成、声明、瞑想セッション、仮面舞踏などをご披露してくださいます。詳細は法王事務所のホームページをご覧戴くとして、要所をまとめると以下のようになります。 ●毎日行われるもの (砂マンダラ制作→完成→破壇 ・日替説法 ・声明 ・瞑想セッション ・仮面舞踏(チャム) 大山護国寺 :2018年4月20日(金)〜22日(日) 相田みつを美術館 : 2018年4月28日(土)〜5月6日(日) ●馬頭観音の許可灌頂 導師:チャド・リンポチェ 日時: 4月22日(日)13:00から16:00 場所: 大山 護国寺 ●あいだみつを美術館の講演日程 4月29日(日)19:00〜20:00

  • 白雪姫と七人の小坊主達 高松で「肩書き」を考えた

    先週末に講演と式典参加で高松行ってきた。 土曜日、高松空港には讃岐漢学のフィクサーT先生が迎えに来て下さっていた。実はこのフィクサーTは私がご先祖の地とつながる契機を作った方である。始まりは、2013年にまいこんだ、フ.ィクサーTからの突然のメールであった。 そこには、藤沢東畡(1795-1865)没後150周年を記念して、高松の歴史資料館で展覧会が行われる。ついては、石濱純太郎関係者として、オープニングにでてくれないか。交通費はださない。という依頼がされていた。 藤沢東畡は讃岐(高松藩)に生まれ、大阪に出て私塾の泊園書院をたて、ここから巣立った塾生は明治初期の大阪の経済を支えたため、地元高松でも顕彰されている。その最後の院主が東洋史学のバイオニア石濱純太郎 (1888-1968) であり、彼は自らが創設した関西大学の文学部に閉鎖後の泊園書院の書籍を移管した。 私「うちは遠縁です。純太郎先

  • 白雪姫と七人の小坊主達 チベットの古典と現代小説の翻訳、続々刊行!

    星泉先生 (東京外国語大学)と先生が主催する購読会から、古典『チベット仏教王伝』、チベット語現代小説『雪を待つ』、『ハバ犬を育てる話』の翻訳が立て続けに出版されたので、ご紹介(但し『チベット仏教王伝』は表紙にのる名前は監訳の今枝先生)。 古典の方は歴史書なので比較的正確なコメントができるかと思うが、現代小説については専門外なので、単純に読んで見た「個人の感想」になります。 そこのところよろしく! ●ソナム・ゲルツェン著『チベット仏教王伝』(岩波文庫) 古事記・日書紀に描かれる神話的な国の始まりと神々の子孫、すなわち天皇家のイメージが、日史に歴史的な影響力を及ぼし続けてきたように、11世紀以後に成立したチベットの歴史書においても、チベットの国をひらいた観音菩薩のイメージはチベット史に大きな影響を与え続けてきた。具体的に言えば、チベット史に輩出した聖者や聖王は観音菩薩の化身とされ、現在チベ

  • 白雪姫と七人の小坊主達 シムラ条約調印百年 

    日7月3日はシムラ条約が締結されて百年目である。ちなみに、今日が百年目なのに気づいたのは夕方になってからで、どうしても今日アップしたくて急いで書いたこのエントリーにはマチガイがあるかも。マチガイに気づいた方は、ふるってご指摘ください。さて文です。 20世紀初頭、清朝はチベットやモンゴルにかつてない実効支配を開始した結果、チベットもモンゴルは猛反発した。 1909年にダライラマ13世は清朝皇帝に由来する称号の使用をやめ(というか1904年には中国はダライラマ13世から一方的にダライラマ号剥奪してるけど爆笑)、1913年には亡命先のインドから帰国して、自立を宣言した。モンゴルにいたっては辛亥革命の一ヶ月後の1911年にはジェブツンダンパ8世を首班にした独立国家を宣言。1913年にはチベットとモンゴルが互いの独立を承認しあうチベット・モンゴル条約を結んだ。 チベット人とモンゴル人はこのように

  • 白雪姫と七人の小坊主達 東洋のラテン語--チベット文字--

    GWの前半はチベット文字草書体の修行にあてた (ちなみに後半は捻挫でひきこもった笑)。じつはチベット文字は歴史文化的に非常に影響力をもった文字である。そもそも7世紀に仏典を翻訳するためにインドの文字をモデルに作られたもので、チベット仏教の伝播とともに広範な地域(ブータン、シッキム、ラダック、モンゴル、ブリヤート、カルムキア etc.)において、ヨーロッパの修道院内におけるラテン語のように僧侶の共通語として広く用いられた。 モンゴル最高位の僧ジェブツンダンパもその歴代の全集はすべてチベット語で木版印刷されている。チベット大蔵経を底として、モンゴル語・満洲語の大蔵経も作られはしたが、象徴的な意味合いが強く、満洲人・モンゴル人の僧侶ももっぱらチベット語を用いて仏教の教授・ディベート・著作を行っていた(今もそうである)。 チベット年代記によると、チベット文字は7世紀に開国の王ソンツェンガムポ王

  • 白雪姫と七人の小坊主達 チベットの眼 中国の眼

    5/3は護国寺チベフェス会場隣接の天風会館にて麻生晴一郎さん(中国の環境や人権を護る民間の活動について著作をものしている作家さん)とトークを行った。一時に会場入りしたところ、かなりの数の方がもうお見えになっていて、楽屋裏のうちあわせがバレバレなのであった。 司会者から事前に質問表をわたされていたのだが、タイムスケジュールのみと思い最後までよんでいなかったところ、始まってから質問表に気づいたというテキトーなワ・タ・シ。 まず、はじめに司会者のUさんが、今年のはじめに作られた焼身抗議についての短い映像(by 亡命政府)を流して解説する。まず炎上するチベット人がでてくる。 司会「これらの映像は、たまたま居合わせた人がケータイカメラなどで撮影したものを、人づてに海外へと送ったものです。中国政府がいうように事前に計画して撮影されたものではありません。どの映像も火のついた時点からはじまり、焼身を準備す

  • 白雪姫と七人の小坊主達 カンボジアのポルポト史跡

    今年はカンボジア独立60周年、日とカンボジアの外交樹立も60周年。また、アンコールトムの中核をなす12世紀の遺跡、バイヨンは観音菩薩に捧げられた大乗仏教の寺院であり、同時代のチベットの観音信仰ともリンクしていることから、今年の卒業旅行の目的地はカンボジアとなった。 日からカンボジアにいく時どこで乗り継ぐかによってフライト料金は様々であるが、学生を苦しめないために、その時の底値の東方航空を使った。そしたら、安いだけのことはあって、上海の乗り継ぎでは三時間から四時間の待ち時間があり、映画サービスもなく、帰国便の座席に毛布がおいてなかったため、お手洗いにたったついでに中国人のCAに毛布を所望したところ、CA、あたりをみまわして、自分のお尻の下にある毛布を手渡してくれるという素晴らしいサービスであった。しかし、安いし中国なので最初から期待していないので腹も立たない。成田発が強風で二時間以上遅れ

  • 白雪姫と七人の小坊主達 学問と政治の関係について

    10月20日の土曜日から、翌金曜日までハーバート大学のカイプ教授が来日し、それにあわせて毎日のように講義や講演が行われたため、若手学者のOさんはこの一週間をチベット・ウィークと命名した。 この間、関東の若手チベット学者たちは、先月の若手チベット学者国際会議のホスト国としての疲れも癒えないというのに(あれは関西の若手が疲れたのか)、これらの講義に出席したり資料作成にあたったりでてんてこ舞いであったらしい。 チベット・ウィークの始まりは、10月20日(土)筑波大学で行われた第六十回日チベット学会であった。 学会の内容をざっとまとめると、休憩をはさんで前半が歴史・言語・人類学で、後半が仏教学の発表であり、前半は比較的わかりやすい内容のものが多かったが、後半のとくに文献学は難解すぎて、専門外の自分にはほとんど理解できなかった。 記念講演は、来日中のカイプ教授。テーマはイェーシェーウーの伝記文献。

  • 白雪姫と七人の小坊主達 テンパ・ゲルツェン師追悼

    ●ゲシェ・テンパゲルツェン師が、八月十二日にデプン大僧院近くの自坊で遷化された。享年80才(写真は2010年にインドの自坊内にて。傷ついた鳥を手にしていらっしゃる)。 テンパゲルツェン師はデプン大僧院ゴマン学堂の学僧で、東洋文庫の外国人研究員として、長く日に滞在され日のチベット学の振興につとめられた。1994年からインドで隠遁修行を行われた後、ふたたび来日され、広島に拠地をおく文殊師利大乗仏教会の会長に。日とご縁の深いラマであった。 2007年に最初の脳内出血を起こし、今年五月、二度目の致命的な出血がおこった後は徐々に弱られ、最後はゲン・ロサン先生などのお弟子さんが集ってお経をあげる中、苦しむことなく静かに逝かれた。 チベットの高僧は、死の直後に精神を仏の境地と同軌させるトゥクダムという状態に入る。この間、意識が完成されるため、遺体は腐敗することはない。この期間は人によっては十日ほ

  • 白雪姫と七人の小坊主達 『チベットの歴史と宗教』

    チベット亡命政府の文部省(Department of Education Central Tibetan Adiministration of H.H. The Dalai Lama)が制定したチベット文化の教科書『チベットの歴史と宗教』(rgyal rabs chos 'byung dang rigs lam nang chos) の翻訳が出版された。書のもつ意義について簡単に述べる。 チベット文化を構成する様々な諸側面は、多かれ少なかれどこかで仏教の影響を受けている(ポン教も体系化する際に、その始祖伝説から教義に至るまで仏教の影響を受けた)。チベットの歴史書の大半は仏教の興亡という視点で記され、チベット人の多くに見られる、殺生を嫌い慈悲を尊ぶ思想も、仏教の影響を抜きにしては語れない。このチベットの仏教文化は、チベット文字によって記録された仏典・聖典類を核に発展してきた。 周知の通り、

  • 白雪姫と七人の小坊主達 2月8日焼身自殺者の法要(実録)

    チベット難民社会の首相センゲ氏が、焼身自殺でなくなったチベット人のために、「白い水曜日」(チベットでは水曜は祈りの日)に世界中で法要を行うことを呼びかけた(首相の声明文はここクリック)。それに答えて日では急遽護国寺様(桂昌殿)で法要が行われることとなった。以下はその『実録』である。 桂昌殿入り口には、広末涼子さんのダンナ様キャンドルJun氏によるキャンドルが並ぶ。建物にはいるとカメラマン野田雅也氏のチベット潜入写真が並べられている。受付・会場係はボランティアのみなさま。 挨拶して殿内に入ると、中央の祭壇にはダライラマ法王が護国寺様に奉献した釈迦牟尼像(2008年のGWにダライラマ法王から護国寺さまに寄贈されたもの。前年護国寺様が龍樹の仏画をさしあげた返礼。)と、華道家の方がいけた豪華な花が供えられ、焼身自殺した僧侶・尼僧たちの写真が並んでいる。椅子の上にはチベット語にカタカナルビるふられ

  • 白雪姫と七人の小坊主達 密教展と二宮尊徳

    ※このエントリーは日記です。弘法大師と二宮尊徳の共通点は私の体験意外なにもありまへん 笑。 金曜日は会期末のせまった空海展を見に行った。当は四日に終わった孫文と梅屋正吉展もみたかったんだけど、結局は孫文展は終了した後、空海展も終了間際に追われるようにみにいくことになったのは、以下の理由による。 理由その① 私は仏像は来その仏像が崇拝されていた環境、すなわちお寺の中でみたいから。仏像が博物館や美術館などの公共の施設のショーケースの中において観察対象となっているのは信心なき時代の悲しい光景である。 しかも今回の展覧会のポスターみても真言密教の伝統的な視点がなーんも感じられない、「この夏、マンダラのパワーを浴びる」って、パワー・スポットかなんかと勘違いしてないか? 弘法大師空海様は高野山奥の院でさぞや脱力していることであろう。 理由その②、国立博物館があった地は、かつては江戸城の鬼門を護る寛

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