全国交通系ICカードからの離脱を決めた熊本県内の路線バス=熊本市中央区で2024年5月25日、中村敦茂撮影 熊本県内でバスや電車を運行する交通5社は27日、「Suica(スイカ)」や「ICOCA(イコカ)」「はやかけん」など全国交通系ICカード(全10種)による運賃決済を年内にも取りやめると発表した。機器更新費がかさむことが主な理由。全国交通系ICカードの決済システムをいったん導入しながら離脱するのは全国初という。代わりのキャッシュレス決済手段を用意するが、利便性の低下も予想される。
ドリアーノ・スリス(73)が初めて来日したのは、1974年のことだ。故郷イタリア・ローマで知り合って結婚した妻の里帰りで、福岡市にやってきた。 「いつまでいるか、何をするか、先のことは考えていなかった」 しかし、ある日、ラジオから流れてきた音色が運命を変えた。筑前琵琶だった。生まれて初めて耳にする旋律に、心を揺さぶられた。その後、日本で唯一の筑前琵琶の修復師として生きることになる。 ◆ ◆ 第2次世界大戦の終結から2年後、地中海に浮かぶサルデーニャ島で、7人きょうだいの末っ子として生まれた。古代の巨石遺跡群や独特の民族文化で知られる島で、両親の故郷だった。生後間もなく一家でローマに移ったので記憶はないが、オリジナリティーを大切にする文化が、自分の生き方に「影響してるかも」と思うこともある。 16歳から国立の音楽学校でクラシックギターを学んだ。4年目のある日、人形劇団の友人から人形遣い
図書館では「これとこれは同じ本なのか」という判断を迫られる場面がけっこうあります。 「これとこれ」は本と本のこともありますが、多いのは書誌データと本、または書誌データと書誌データです。 いちばん関係あるのは目録担当者ですが、レファレンスや相互利用、選書、除籍などでも避けて通れません。この判断を誤ると、求める本と違う本を利用者に提供してしまったり、すでに所蔵していることに気づかず重複発注してしまったり、複本があると思って1冊しかない本を捨ててしまうことにもなります。 私はよく「『ハムレット』たくさんあるけど、同じ本ばっかりこんなに何冊も要る?」とか「新版があるから古い版は捨てていいよね」とか言われて「いやいやいや!小田島雄志訳と福田恆存訳と松岡和子訳はぜんぜんちがうでしょ!」とか「いやいやいや!旧版にしかない情報もあるので!」と力説して「目録担当者めんどくせえ」と白い目で見られております…。
皆さんは、砧書体制作所というフォントメーカーをご存じでしょうか? 20年以上にわたり、広告やパッケージなどで使われ続けている「丸明朝体ファミリー」を生み出したフォントメーカーです。 2016年1月に、カタオカデザインワークスから社名変更し「砧書体制作所」となりました。創業は1995年です。 URL: https://www.moji-sekkei.jp/ 文字に柔らかさと優しさをあたえる「丸明朝体」2001年リリース以降、ポスターや広告、雑誌などの紙媒体から、TVCMや番組、WEBなどのデジタルコンテンツに至るまで、長く愛され使われ続けている書体ファミリーです。 明朝体ながらエレメントに丸を用いることで柔らかな印象を与え、筆の動きが強調された文字は躍動感を感じさせながら、見る人に温かみや懐かしさを与える唯一無二の書体です。 「丸明朝体」は、ゴシックに丸ゴシックがあるように、明朝体にも丸明朝
伝説の資生堂サマーキャンペーン 展示室に入りまず目に入るのは、「太陽に愛されよう 資生堂ビューティケイク」のポスター。従来の美人像を一新した健康的で生命力あふれる前田美波里の意志の強いまなざしがこちらを見つめています。この広告は世に強い衝撃を与え、石岡瑛子の名を世に知らしめました。青い空をバックに日に焼けた肌に白い水着姿のクローズアップはまぶしく輝き、今見ても斬新です。ポスターは貼られるそばから盗まれたという伝説も。 左:「太陽に愛されよう 資生堂ビューティケイク」資生堂ポスター(1966) 1970年代、街を劇場にしたPARCO 1970年、石岡瑛子は資生堂を退社し、自身のオフィスを立ち上げました。PARCOは繁華街と言えば銀座と新宿だった時代に、渋谷や池袋にファッションビルを建て、街そのものを劇場として、文化イベントや出版事業など多角的に展開しました。当時としては革新的なビジネス展開で
初代「ドラゴンクエスト」の取扱説明書を読み返してみる。“日本のRPG夜明け前”に,どんなゲームで,どう進めたらいいかを丁寧に説明 ライター:大陸新秩序 カメラマン:愛甲武司 本日(2024年5月27日)は「ドラゴンクエストの日」。今から38年前の1986年5月27日に,ファミリーコンピュータ用ソフト「ドラゴンクエスト」(以下,DQI)が発売されたことを記念する日だ。 ドラゴンクエストシリーズは,これまでにナンバリング11タイトルと,多数のスピンオフタイトルを展開してきた。言わずとしれた日本のRPGの代表的存在だ。 DQIが発売された1986年当時,すでにPC向けのRPGは,海外産はもちろん国産も存在し,ゲーマーやゲームクリエイターから注目を集めていた。 だが一般的にはメジャーと言えないジャンルだったし,そもそもプラットフォームであったPCを個人的に所有している人は限られていた。そんな時代に
» 【待ってた】あの『資さんうどん』がオンライン販売を始めたばい! さっそく注文してみたところ… → あまりに「いつもの味」で福岡出身者が泣きそうになった話 特集 【待ってた】あの『資さんうどん』がオンライン販売を始めたばい! さっそく注文してみたところ… → あまりに「いつもの味」で福岡出身者が泣きそうになった話 K.Masami 2020年5月8日 ついに……ついに、この時が来た。福岡に縁があるすべての人が、この瞬間を待ち望んでいたと言っても過言ではない。いいか、よく聞いてくれ。あの『資さんうどん』が、オンライン販売を始めたってよぉぉぉぉぉぉ----!! まさか、県外に居ながらにして『資さんうどん』を口にできることができるなんて。ありがとう、オンライン販売企画を通してくれた、資さんのエライ人。思わず鼻息が荒くなる事案ではあるが、落ち着いてネットをポチっとする。すると、本当に “あのうど
挂甲の武人 国宝指定50周年記念 特別展「はにわ」(2024年10月16日(水)~12月8日(日)、平成館 特別展示室)。 「埴輪の展覧会なんて、展示室がみんな茶色くなっちゃうんじゃないですか?」 ――そんな声が聞こえてきそうです。 でも、目を凝らしてよく見てください。 何かが見えてきませんか? この埴輪、なんだか赤みの強い部分があるような…。 埴輪 杯を捧げる女子 群馬県高崎市 上芝古墳出土 古墳時代・6世紀 東京国立博物館蔵 (注)特別展「はにわ」出品予定 そう、実は色が塗られていた埴輪があるんです。 とはいえ、長らく古墳の上で雨風にさらされ、土の中に埋もれていた埴輪たちの表面に塗られていた顔料は落ちやすく、追究が難しいこともあって十分には検討されてきませんでした。 もともと、埴輪は赤い色が多く使われていることがわかっていました。 国宝 円筒埴輪 奈良県天理市檪本町東大寺山北高塚 東大
udm14.com このサイトのドメイン名にもなっている「&udm=14」とは何かということだが、その前に the disenshittification Konami code というサイト名にも注意する必要がある。 disenshittification とは、ワタシも何度も(その1、その2)取り上げているコリイ・ドクトロウによるオンラインプラットフォームの質低下を指す造語 enshittification(メタクソ化)の対義語である。 そして、Konami code だが、もちろんコナミに由来する言葉で、いわゆる「隠しコマンド」全般を指すフレーズになってるそうな。 つまりは、「メタクソ化に抗う隠しコマンド」、それが「&udm=14」というわけだ。サイトデザインを見れば分かることだが、ここで対象となっているのは Google である。 検索エンジンとしての Google の質低下につい
1980年代以降に『無縁・公界・楽』や『異形の王権』などの著書で「日本中世史ブーム」を巻き起こし、「網野史観」を打ち立てたとも言われる歴史学者・網野善彦さん。多くの読者を獲得した一方で、「異端」のイメージを持たれることもあった。 そんな網野さんの没後20年を期に、その謦咳に接し、著作の解説も執筆する明治大学教授の清水克行氏が、イメージに反して「きわめてオーソドックス」であったという網野さんの研究を振り返り、当時のベストセラーであり今なお読み継がれる名著『歴史を考えるヒント』(新潮選書、2001年)から、網野さんの真の姿を紹介する。 清水克行・評「“異端の歴史家”の真実」 一九八〇年代からゼロ年代にかけて日本中世史ブームを巻き起こし、「日本」論や「日本人」論の脱構築を試みた歴史学者、網野善彦さん(一九二八~二〇〇四)が亡くなって、今年で二十年が経つという。このタイミングで、代表作『無縁・公界
2024年3月22日、浄土真宗大谷派の名古屋別院で大谷派とチベット仏教の歴史についてお話させていただいた。実は日本の諸宗派の中でもっとも早くチベット仏教と接触したのは大谷派の僧小栗栖香頂である。また、1905年に日本人として三番目にチベット入りし、1906年にはダライ・ラマ13世の親日工作のために大陸に送られた寺本婉雅も大谷僧。彼はおそらくダライ・ラマ13世が日本人であると認識してあったはじめての日本人でもある。つまり、大谷派とチベット仏教の関係はあさからぬものの、はなばなしくチベット入りし研究も盛んにおこなわれている青木文教、多田等観などの本願寺派の僧とくらべて、意外に知られていない。そこで、以下その講演内容を転載したい。 ちなみに資料編は以下のURLからダウンロードできます。では始まり始まり〜。 ●明治期の大谷派とチベット仏教(喇嘛教) 勤王僧を輩出し、時流にいち早くのった西本願寺と異
ただ一人の筑前琵琶職人、ドリアーノ・スリスさん。後継者の育成を目指す=福岡市中央区で2020年5月25日午前11時17分、田鍋公也撮影 イタリア出身で福岡市在住の筑前琵琶職人、ドリアーノ・スリスさん(72)が、筑前琵琶の職人を養成する学校設立を目指している。奈良時代から伝わる伝統楽器の琵琶の一種で、明治中期に福岡で生まれた筑前琵琶は優美な音色で戦前まで人気を博したが、現在職人はスリスさんただ一人。「今のうちに技術を次の世代に伝えたい」と、学校設立に必要な費用をクラウドファンディング(CF)で募っている。 スリスさんはイタリア・サルデーニャ島生まれのローマ育ち。ローマにある名門の国立サンタ・チェチーリア音楽院でクラシックギターを学んだ後、人形劇団で人形製作や脚本などを手がけ、家具修理の技術を身に付けた。1970年にローマを旅行で訪れていた妻一枝さんと出会い結婚、74年に来日した。
JR青梅駅のすぐ近くに、「マイコン博物館」という場所があります。正式なオープン前ですが、先日、そこにお邪魔してきました。今回はその展示物に絡めて個人的なコンピュータ史を振り返ってみます。 マイコン博物館を運営している科学技術継承財団の代表理事である吉崎武さんの案内で、1時間以上かけて展示物を見ることができました。移転・拡張費用を募るクラウドファンディングを支援した知人に誘ってもらって訪問したのですが、これが実に素晴らしいものでした。 パーソナルコンピュータの歴史をリアルタイムで体験していた自分の世代にとってはまさにその時代のコンピュータたちですし、少し上の世代で日本のマイコン・パソコン・ワークステーション業界を牽引してこられた吉崎さんによる解説で初めて知ることが多く、これはもう記録しておかねば、という気持ちになりました。 というわけで、当時の断片的な思い出とコンピュータの実機をカップリング
紹介 日本人はいつから「風呂」好きになったのか? 入浴文化の変遷を探究し、それに関連する社会生活史までを平易に叙述した基本文献が、多数の貴重図版とともにより読みやすくなった〈第五版〉として復刊。 ※本書について 本書は、弊社より1970年6月に〈初版〉を出版し、以後、下記の通り版を重ねてまいりましたが、今回の〈第五版〉刊行にあたっては、改めて〈初版〉を底本として、原文を尊重しつつ明らかな誤字・誤植を修正、不鮮明図版の差し替えを行い、さらにカラー口絵も加えて、より読みやすくなるよう版面レイアウトを一新いたしました。 【刊行履歴】 1970年6月〈初版〉『銭湯の歴史』 1984年1月〈雄山閣BOOKS16〉『入浴・銭湯の歴史』 1994年11月〈同・新装版〉『入浴・銭湯の歴史』 2016年9月〈雄山閣アーカイブス歴史篇〉『入浴と銭湯』 目次 第1章 入浴史 入浴の習性と水浴/入浴と裸体/温浴思
3月11日、国立西洋美術館で、参加アーティストらによる、イスラエルのパレスティナ侵攻への抗議が行われた。 特集展示「ここは未来のアーティストたちが眠る部屋となりえてきたか?――国立西洋美術館65年目の自問|現代美術家たちへの問いかけ」は会期を終えたが、議論はいまだ尽くされていない。 出展作家の一人でもある松浦寿夫さんによる批評「組織化された自律性 Autonomia Organizzata」(群像2024年6月号掲載)を特別公開する。 自律的だからこそ連繫できる 二人の女性が互いに手を取り、緊張した趣きを示しながらも、正面に視線を向けたまま沈黙を保ち歩き続ける。そして、決して広くはない国立西洋美術館地下ロビーを何度となく往復する。その場に偶然居合わせた人々からの遠巻きの視線に反応することもなく、彼女たちの視線は、どこか別の場所に向けられているかのようだ。二人の身につけた白い衣服には無数の赤
県しまくとぅば普及推進室に「カタカナ表記法を沖縄語に用いることへの反対要請」をするうちなーぐち会の源河朝盛会長(左)ら=24日、県庁 うちなーぐち会の源河朝盛会長らは24日、那覇市の県庁を訪れ、県がうちなーぐちを「原則カタカナ」とした表記法をやめるよう求める要請をした。源河会長は「うちなーぐちは漢字・平仮名交じりだ。伝統的なものは残していかないといけない」と訴えた。 県は、しまくとぅばの普及継承に向け、書き言葉のルール作りを目的に学識経験者らで構成する検討委員会を設置。音が表記しやすいなどとして表記は原則、片仮名を利用する内容を2022年5月に発表したが、うちなーぐち会が再三反対の要請を続けている。 フランス出身の同会会員、コポス・ダビッドさんは「国際的にもおかしい。地域の人たちの言葉を無視した悲しい現実だ」と県に見直しを求めた。 県しまくとぅば普及推進室の翁長富士男室長は「小学校低学年な
アーティストの音楽遍歴を紐解くことで、音楽を探求することの面白さや、アーティストの新たな魅力を浮き彫りにするこの企画。記念すべき50回目となる今回は、“ラブソングの王様”マーチンこと鈴木雅之が登場する。 今年68歳、音楽活動44年のキャリアを積み上げてきたマーチン。ブラックミュージックのイメージの強い彼だが、いったいどんな音楽を愛聴してきたのか。「影響を受けた10曲」を軸に話を聞くと、「あまり語ってこなかった」という貴重なエピソードが次々に飛び出した。 取材・文 / 秦野邦彦 マーチンが影響を受けた10曲「だからここに来た」岡林信康&はっぴいえんど(1970年「全日本フォークジャンボリー」) 「12月の雨の日」はっぴいえんど(1970年) 「ぼくの好きな先生」RCサクセション(1972年) 「Sunrise」Uriah Heep(1972年) 「Mary Jane On My Mind」ス
","naka5":"<!-- BFF501 PC記事下(中⑤企画)パーツ=1541 -->","naka6":"<!-- BFF486 PC記事下(中⑥デジ編)パーツ=8826 --><!-- /news/esi/ichikiji/c6/default.htm -->","naka6Sp":"<!-- BFF3053 SP記事下(中⑥デジ編)パーツ=8826 -->","adcreative72":"<!-- BFF920 広告枠)ADCREATIVE-72 こんな特集も -->\n<!-- Ad BGN -->\n<!-- dfptag PC誘導枠5行 ★ここから -->\n<div class=\"p_infeed_list_wrapper\" id=\"p_infeed_list1\">\n <div class=\"p_infeed_list\">\n <div class=\"
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く