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ブックマーク / towerofthesun.hatenablog.com (31)

  • 2012-07-23 バッハ「ゴルトベルク変奏曲」世界・音楽・メディア - 太陽の塔とか

    音楽批評家の小沼純一氏による、対話形式で書かれたバッハとその作品「ゴルトベルク変奏曲」についてのエッセイ。全部で30ある変奏全てについてあれこれ書かれていたのは面白かった。 ゴルトベルク変奏曲と言われてもすぐにピンと来ない方もいるだろうが、この曲は割と人気曲で、映画などにもちょくちょく出てくる。とくに有名なのは冒頭部分のアリア(と、ゴルトベルクに新たな解釈を加えたグレン・グールド)。 バッハの生きた時代背景をいろいろと探りながら、バロック音楽とは何だったのかを語った下りが大変興味深かった。 バッハの生きていた時代に書かれた幾つかの思想・文学作品を見てみると、おもしろいことがわかる。恣意的だけれど、こういったものを挙げておこう── 1667年 ミルトン『失楽園』 1675年 スピノザ『エチカ』(完成はさせるが、すぐに出版はしない) 1719年 デフォー『ロビンソン・クルーソー』 1726年 

    2012-07-23 バッハ「ゴルトベルク変奏曲」世界・音楽・メディア - 太陽の塔とか
  • 回数券文化 - 太陽の塔とか

    名古屋といえば喫茶店。 感覚的に言っても街中で喫茶店は多いし、ドリンクに無料でトーストやゆで卵がついてくる「モーニング」の慣習など、文化的にも名古屋と喫茶店は密接な関係にある。統計局の「家計調査」の2013年版速報値を調べてみても、二人以上の世帯の品目別支出で「喫茶代」の金額は、大阪市が世帯あたり年間平均6,875円、東京都区部で同9,023円のところ、名古屋市ではなんと14,389円となっている。これは、次に多い岐阜市の11,925円に大きく水をあけての、都道府県所在都市では(そしておそらく日全国の都市の中でも)ぶっちぎりの一位なのである。 そんな名古屋の喫茶店文化の中で、モーニングと並んで特筆すべきなのが「回数券(コーヒーチケット)」の存在である。コーヒーチケット…生まれ育った地域によってはありふれた日常的なものかもしれないし、見たこともないものかもしれない。「コーヒーチケット」その

    回数券文化 - 太陽の塔とか
    funaki_naoto
    funaki_naoto 2014/03/20
    はじめて知った。
  • 『日本人の動物観:人と動物の関係史』- 太陽の塔とか

    4月だというのに突然の雪。福島より北ではかなりの積雪になったらしい。 まさにPrinceのあの名曲、「Sometimes it snows in April」のタイトルそのものである。 日人の自然観を表すキーワードの一つに花鳥風月というのがあるけれど、「獣(動物)」全般ではなく「鳥」と限定しているところが象徴的ではある。 鳥は仏教思想では六道輪廻の外にあると考えられていたため、我々の転生の対象ではなく、四季の表れの一つとして遠景的に見られていたのだろう。まさに花や風景や天文のように。 逆に鳥以外の獣は六道輪廻の内にいる存在だったので、言ってみれば自分が転生するかもしれない、あるいはご先祖様が転生した姿かもしれない、わが身の延長線上にある存在として考えられていたようだ。日で(オフィシャルには)獣肉をする習慣がなかったのも、このためだという。ご先祖様の魂が入っているかもしれないウサギやシ

    『日本人の動物観:人と動物の関係史』- 太陽の塔とか
  • 『音楽力が高まる17の「なに?」』- 太陽の塔とか

    音楽はいまや日常生活にあふれていて、ついつい身近にあるのが普通に思えるのだけれど、冷静に考えるとそうなったのは人類の歴史上ごくごく最近のこと。 たとえば西洋近代音楽の7音階にしても、統一基準の標準ピッチは1939年の国際標準音会議において決定されたもので、それまではパリ、ウィーン、ハンブルク…街ごとに微妙にピッチが異なっていて都市ごとの特色になっていたらしい。 そもそも西洋音楽にしてからが、もともとはローカルの音楽だったわけで、「馬のしっぽで羊の腸をこする」「見えない相手と通信するため木の洞に獣の皮を張って叩く、獣の角を吹いて遠くにまで合図の音を送る」…團伊玖磨氏が弦楽器や打楽器、管楽器のことをこんなふうに表現していたそうで、まさにそれは「狩猟民族ならでは」ということだが、身も蓋もないのだけれどそれも事実。 アラブの音楽家にとっては、それがどんなに複雑な音程やリズムであっても、五線上に音符

    『音楽力が高まる17の「なに?」』- 太陽の塔とか
  • 『カジノの文化誌』- 太陽の塔とか

    でもカジノ法案が提出されるとかされないとかいう話が出ているが、個人的に興味があってカジノのことを少し調べている私に言わせれば、たとえばお台場や大阪の湾岸地域などにある程度の規模のカジノを作ったとしても、先行するアジアの他地域のカジノには到底サービス面で太刀打ちできないのではないかと予測する。 アジアでカジノといえばマカオ。そのマカオは2006年には既にカジノの総売上がアメリカのラスベガスを抜いて世界一になっている。世界で最も稼ぐのは「ウィン・マカオ」で2010年の売上は280億円。世界で最も規模の大きいカジノもマカオにある「ザ・ベネチアン・マカオ・リゾート・ホテル」で、延床面積は5万1,000平方メートル。ちなみにこうしたマカオのカジノの多くは米国資で、言ってみれば中国人の稼いだドルを吸い上げる巨大な装置として365日24時間動いている。 世界のカジノ市場の総売上は2010年現在約1

    『カジノの文化誌』- 太陽の塔とか
  • 『基地はなぜ沖縄に集中しているのか』 - 太陽の塔とか

    沖縄には2万人以上の米軍が駐留しており、その6割以上は海兵隊が占めている。総兵力20万人余の米海兵隊において、主力部隊である機動展開部隊が常駐しているのは、アメリカ土の東海岸と西海岸を除いては沖縄だけだという。 第二次大戦後から朝鮮戦争当時までは、米軍基地は州にも多く存在し、市民と隣り合わせの生活をしていた。たとえば茅ヶ崎は上陸作戦の訓練地だったし、烏帽子岩は射撃訓練の標的になって崩落したのが現在の姿だ。しかし、安全面の問題から内灘闘争(石川県)や浅間・妙義山闘争(群馬県)など周辺住民の反対運動が起こり、また風紀の乱れも問題となっていった。 その後朝鮮戦争が休戦となり、極東地区に集まりすぎた米軍を見直す決定をアイゼンハワー大統領が下し、軍の首脳ジェームズ・バンフリート元陸軍大将の進言で日駐留軍の大半が沖縄へ移設された…というのが、戦後のおおまかな流れ。 書でインタビューを受けている

    『基地はなぜ沖縄に集中しているのか』 - 太陽の塔とか
  • 『われ敗れたり コンピュータ棋戦のすべてを語る』- 太陽の塔とか

    コンピュータとプロ棋士のどちらが強いのか? …この疑問はかなり前から好事家の間で広く語られていて、中にはヤミでコンピュータと対戦して惨敗してしまう棋士もいたようで、筆者である米長永世棋聖が2005年に将棋連盟会長に就任してすぐ、「プロ棋士はコンピュータとは公式の場で指してはならない。ただし、対局料が一億円以上であれば歓迎する。」というお達しを出したそうだ。 この「一億円の対局料」というのは無理難題をふっかけたということではなく、人間とは全く思考回路の異なるコンピュータと対戦するにはそれなりの準備・研究をせねばならず、そうなると人間相手の対局に影響が出る、または一切休まざるを得なくなる。プロ棋士はトーナメントや大会の賞金で生計を立てており、それらがしばらく途絶えてしまう…という意味において、それでもコンピュータとの対局を行うには、一億円は必要になるだろうということらしい。 もしも、どうしても

    『われ敗れたり コンピュータ棋戦のすべてを語る』- 太陽の塔とか
  • 『富国強馬 ウマからみた近代日本』- 太陽の塔とか

    次男がシンケンジャーのソフビ人形を、不思議な感じに並べていた。 腕立て伏せ? 明治維新後、軍国主義が進む中、近代戦の要である「軍馬」の整備は日軍にとって焦眉の急だった。しかし日在来種では全く役に立たないと実感した軍部および明治政府が、強力に馬匹改良を推進することになる。 日各地に輸入馬を払い下げ、在来種との雑種を進めることで改良を図る姿勢などは、現在の日馬産にも通じるところがある気がする。というよりも、馬産に限らず日の産業全てが、多かれ少なかれ官主動で振興されてきたことの一例に過ぎないのかもしれない。 ともあれ、そうして始まった馬匹改良も、初期はなかなか西洋種が浸透せず苦労したが(明治38年80パーセント)、後期は法令を整備して国をあげて進めたため(明治39年から18年間の第一次馬政計画第一期)、明治44年には純粋和種は1パーセントになっていたという。 ちなみに日における競馬振

    『富国強馬 ウマからみた近代日本』- 太陽の塔とか
  • 『白人はイルカを食べてもOKで日本人はNGの本当の理由』- 太陽の塔とか

    公園でボートに乗ってきた。必死で漕いでいたら、金色の鯉が寄ってきた。 新宮支局に赴任した新聞記者の筆者が、捕鯨の町・太地を何度も訪問しながら映画「The Cove」の上映前後の騒動を追いかけ、反捕鯨団体の実情に迫ったルポルタージュ。最終的には、太地と同じく伝統としての捕鯨を行っているイギリスの北にあるフェロー諸島まで取材に行っている。 太地の漁師さんたちについては、つい先日もNHKで「クジラと生きる」という秀逸なドキュメンタリーをやっていて、この日記でも取り上げたところ*1。 山が海のそばまでせり出していて水田や畑を作る土地の無い太地は、逆に入り組んだ地形を生かして、クジラを追い込み捕らえる漁を古来発展させてきた。だが、1878(明治11年)年の「大背美流れ」と呼ばれる大規模な事故により働き盛りの男たちは大多数が遭難し、古式捕鯨は途絶えた。 しかし第二次大戦後、今度は南氷洋での捕鯨が盛んに

    『白人はイルカを食べてもOKで日本人はNGの本当の理由』- 太陽の塔とか
  • 『現代パチンコ文化考』- 太陽の塔とか

    会社帰りにフラッと入った美容室で髪を切る。 どちらかというと女性客の多いお店だったようで、シャンプーのとき、髪を切るときにそれぞれ「良かったらどうぞ」といってもこもこのクッションを渡された。抱き枕のように膝の上に置くとのことだったが…今年36歳の男がそんなことをしても全然かわいくないなと苦笑しきり。 筆者の谷岡一郎氏は大阪商業大学の学長で、ギャンブルの研究に関しては大家といえる社会学者。書は書名こそ「パチンコ」とあるが、パチンコに限らず広くギャンブル一般の文化を考える恰好の入門書となっている。 全体に学者らしいというか、ギャンブルを分析する姿勢が実に明解で分かりやすいと感じた。 書によれば、マシーンでのギャンブルは何も日だけのことではなく、アメリカの一般カジノ (地上施設と船上カジノに分かれる)の売上の6割はスロットマシン、ポーカービデオなどの機械類だというが、台数や日常生活空間との

    『現代パチンコ文化考』- 太陽の塔とか
  • 佐渡に狐はいない(続報) - 太陽の塔とか

    先日見てきた狂言の「佐渡狐」の話をつれあいにしていたら、「ちょうどいま読んでいるにそれに関連する記述があった」と教えてくれた。 アンガス・ウェイコットという人の書いた『佐渡を歩いて イギリス人のひとり旅(原題:SADO -Japan's Island in Exile)』という旅行記にあった一文。 姿を変える動物は、たいていの国にいるものだ。北アメリカに棲むコヨーテは、おそらくもっとも有名だろう。だが日ではこういう詐術の話になると、キツネを連想する方がはるかに多い。キツネの仕業については、日中どこでも説話や伝説に語られている。ところがこの佐渡は、ムジナだけが活躍する地方なのだ。理由は簡単。佐渡にはキツネはいないのである。佐渡だけに伝わるある話を読むと、その訳がよく分かる。 《ある日、団三郎というムジナが佐渡から舟に乗り、昔の仲間に会いに土へ渡った。彼が海沿いの道を歩いていると、キツ

    佐渡に狐はいない(続報) - 太陽の塔とか
  • 2010-06-19

    そういえばこの週末から、いわゆる「iPad自炊」を始めた。プラスの裁断機とScanSnapが定番みたいけど、雑誌ならとりあえずカッターでなんとかなるし、スキャナは手持ちのDR-150で充分。300dpiくらいの解像度ならOCRつけても毎分10枚くらい読み取る。 捨てるに捨てられず棚で場所を取っていた「relax」誌なんかを鋭意PDF化。 ただ、もともとA4サイズの雑誌をB5サイズのiPadで見るのは、ちょっと無理がある感じ。たとえば新書や文庫あたりだとちょうど良いのだろう。 全巻そろえている「美味しんぼ」あたり、データ化して棚をすっきりさせるのも良いかも。OCRで読み込んでおけば料理や名セリフの全文検索もできるし。 フランス時間の19日に行われた障害のGI競走「Grande Course de Haies d'Auteuil(オートゥイユ大障害)」。大逃げを打った馬が、そのまま2着以下

    2010-06-19
  • 『俺がJBだ!―ジェームズ・ブラウン自叙伝』 - 太陽の塔とか

    「ミスター・ダイナマイト」「プリーズ・プリーズ・プリーズマン」「ショービズ界一番の働き者」「ソウルブラザー・ナンバーワン」「セックスマシーン」「ヒズ・バッド・セルフ」「ゴッドファーザー・オブ・ソウル」「ソウルの帝王」「ゲロッパの人」…などなど、多くの異名とともに語り継がれているJBことジェームズ・ブラウン。2006年12月に亡くなってからすでに3年以上の歳月が経っているわけだが、いまだに自分の中でこの人の音楽を整理しきれていないところがあったので、自伝を買って読んでみた。 浮き沈みの激しい生涯を送ったJB氏だが、私が彼を初めて認識したのもちょうどその何度目かのリバイバルのタイミングだった。脱税問題に絡む訴訟で疲弊した上、ソウルを換骨奪胎したディスコ音楽の隆盛に嫌気が差し、ショービズ界からも半ば隠遁状態にあったJBを、コメディアンのジョン・ベルーシとダン・エイクロイドが説き伏せて、自ら企画し

    『俺がJBだ!―ジェームズ・ブラウン自叙伝』 - 太陽の塔とか
  • 『偽書「東日流外三郡誌」事件』 - 太陽の塔とか

    書の中にも書いてあったが、「東日流外三郡誌」とあるのを見て「つがるそとさんぐんし」と即座に読み下せる人は、あまりいないのではないだろうか。ちょっと前の新聞の書評欄にこの(の文庫版)のことが書かれていて、つれあいが興味深げに読んでいたので、「へー、『つがるそとさんぐんし』か」と横から口を挟んだところ、「(書名を)よく読めたね」と感心されてしまった。 この『東日流外三郡誌』というのは、中世津軽の豪族安東一族に関わる歴史や伝承を、18世紀末から19世紀初頭にかけて安東氏の末裔である三春藩(福島県)の藩主が編纂したものと伝えられている。『外三郡誌』によれば安東氏は前九年の役で朝廷軍に成敗された蝦夷のリーダー安倍氏の末裔ということもあり、その内容も中央朝廷に批判的なもので、「朝廷の力が及ぶ前の古代東北にはヤマト以上に先進的な文明が栄えていた」という、日史の裏側を炙り出すような内容は非常に魅力的

    『偽書「東日流外三郡誌」事件』 - 太陽の塔とか
  • E.P. Taylor's legendary Windfields Farm nears its end. - 太陽の塔とか

    相当遅れての話だが、こんな記事を見つけた。一つの時代の終わりを告げる、印象的なニュースだ。 ウィンドフィールズ牧場、11月セールを最後に閉場へ(カナダ) ウィンドフィールズ牧場(Windfields Farm カナダのオンタリオ州オシャワ)は、1964年のケンタッキーダービー勝馬であり世界の生産界に最大の影響を及ぼした種牡馬であるノーザンダンサー(Northern Dancer)を含む48頭の優勝馬を輩出したカナダの伝説的な生産事業体である。同牧場は、キーンランド協会(Keeneland Association)の11月繁殖牝馬セールで残っている繁殖牝馬を処分した後、閉場する模様だ。 公益財団法人 ジャパン・スタッドブック・インターナショナル カナダのウインドフィールズ牧場およびその創始者E.P.テイラー氏といえば、20世紀以降の北米競馬の、ひいては世界の競馬の歴史を語る上で避けては通れな

    E.P. Taylor's legendary Windfields Farm nears its end. - 太陽の塔とか
  • 2009-08-17

    2週間ほど鳥取の実家に帰っていたつれあいと子らを、迎えに行きがてら鳥取へ。育児休暇を取って1年間の主夫生活を過ごした土地として、私としても「帰る」といった感慨の鳥取行である。 通常新潟から鳥取までは、飛行機で伊丹まで飛んでそこから鉄路…というのがスタンダードなのだが、先日来の集中豪雨で、京都発鳥取行きの急行「はくと」は、佐用のあたりでバスによる代替輸送となってしまった。そこで今回は伊丹に下り立った後、難波まで移動してOCATから高速バスで鳥取に向った。 久しぶりに会った愛息は一段とおしゃべりになっていて、ついでに愛娘もいつの間にか2語文がしゃべれるようになっていた。 鳥取に来たついでに、住んでいた頃にお茶を習っていた先生のお宅を訪問。 「せっかく来たのだから」と、久しぶりに先生の前で急にお点前をすることになって、慌てることしきり。実はここ一年以上、茶筅も手にしていなかったのだから。袱紗捌き

    2009-08-17
  • 『沖縄文化論 忘れられた日本』 - 太陽の塔とか

    太郎が返還前の沖縄に乗り込んで書いたルポルタージュ。人も書いているが、当初は沖縄の友人に誘われて行っただけの物見遊山の旅のつもりが、図らずもその文化について考えていくことで日文化論を展開するに至ったという経緯を持つ、我々読者にとっても非常に知的好奇心が刺激される一書。 沖縄を語るときに、日国内で唯一の地上戦が展開された太平洋戦争のこと、そして占領から1972年の返還後現在に至るまでの米軍の存在は、最も重要でコンテンポラリーなテーマである。 しかしもしかしたらそれ以上に重要で衝撃的なのは、明治以前の薩摩藩による苛烈な琉球支配の歴史である。これはある世代より上の人にとっては常識のようなのだが、そして日史の授業等でもチラリと触れられたりはするのだが、ここまで詳細の話は書で初めて知った。 それはつまり薩摩藩によって琉球に課せられた「人頭税」の厳しさについての話だ。 徳川初期、慶長十

    『沖縄文化論 忘れられた日本』 - 太陽の塔とか
  • 2009-01-27

    通で知られる作家・翻訳家の吉田健一は、吉田茂元首相の長男。ということはつまり麻生首相の伯父にあたる。 その吉田氏に『舌鼓ところどころ』というに関するエッセイ集がある。数年前に古屋で見つけて以来、折に触れパラパラとめくっている。 舌鼓ところどころ (1980年) (中公文庫) 作者: 吉田健一出版社/メーカー: 中央公論社発売日: 1980/01メディア: 文庫 クリック: 1回この商品を含むブログ (2件) を見るこのでは大阪、長崎、金沢、神戸、酒田などなど日各地のや旅の思い出について書かれている中で、新潟のに一章が割かれている。新潟にやってきた時にこの章を一読したが、そこで氏が「新潟でもサラリイマンが行く店の一軒」として、古町の「田舎家」(同書の中では「田舎屋」と誤記されている)という店を訪ねて新潟の郷土料理である「のっぺい汁」と「三平汁」、それに「八つ目鰻の筒焼き(丸焼き

    2009-01-27
  • 2009-01-19

    年初から始まったNHK大河ドラマ「天地人」は、新潟の魚沼あたりが出身の武将・直江兼続の生涯を描いている。この放送を受けて、新潟県内では「天地人」にあやかった観光振興がいろいろと行われている。 ただ一つネックなのは、直江兼続関連の史跡が新潟県内にあまり残っていないこと。正確には史跡はあるのだが、兼続自身後半生は山形の米沢に封じられ、さらに米沢に追封された主家・上杉家とともに生涯を終えたので、主要な関連史料(有名な「愛」の前立ての鎧兜も含む)はほとんど米沢にあるのだ。 そんな中、数少ない新潟県内の兼続関連史跡の一つである、曹洞宗の古刹・雲洞庵を訪ねた。 雲洞庵の山門をくぐると、堂まで石畳が続いている(今の季節はご覧のとおり雪に埋もれているが…)。石畳の下には法華経の一字一字が刻まれた石が敷き詰められているそうで、この上を通るだけで御利益があるという。そのため江戸時代には「雲洞庵の土踏んだか(

    2009-01-19
  • 2008-11-08

    おそらく新潟以外の人には全く知られていないだろうが、9月25日に佐渡のトキ保護センターで人工繁殖されていたトキのうち10羽が野に放たれた。昭和56年に最後の野生のトキが捕獲されて以来、実に27年ぶりに日の空をトキが舞ったわけである。 放鳥されたトキは、国・自治体・民間の総出で目撃情報が集められ、10羽のうち8羽までは無事に佐渡で生息していることが確認されていた。 残る2羽については生存が確認されていなかったのだが、先月あたりから新潟の土、胎内市や新発田市などで目撃情報が相次いで報告されるようになっていた。「白い大きな飛ぶ姿を見た」「あれは明らかに他の鳥とは違う」などなど、UFO目撃にも似た多くの情報が寄せられるも、確認はできていなかった。 それが今日、関川村でついに写真におさめられ、トキであることが確認された。日地図を見てみると分かるが、佐渡から気流に乗って東へ海を渡ったところが、ち

    2008-11-08