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Bergsonに関するfunaki_naotoのブックマーク (94)

  • 『感想』をたどる

  • 平井靖史, 三好賢聖「ベルクソンで考える動きのデザイン」 | ÉKRITS / エクリ

    運動共感の撓(たわ)み 三好: ぼくはデザインにおける運動共感を研究してきたのですが、平井さんの『世界は時間でできている※1』のなかにも運動共感について書かれていると感じる部分がありました。実際にぼくが展開したような動きとデザインの話が、平井さんの理論の中でどういう位置づけになるのか、とても興味があります。またその話を踏まえて、自分のこれまでの研究が、デザイン哲学や方法論として、今後どのように展開し得るかというのは、楽しみなところです。 ぼくは最初、フランスの美学者であるフランク・ポッパーの『Origins and Development of Kinetic Art※2』を読んで、ベルクソンを知りました。これはぼくがキネティックアートを勉強したで、文献の輪を広げるきっかけにもなったものです。たとえばこのをハブにして辿り着いたポール・スリオは、おそらく動きの描写的な美学を探求した最初の

    平井靖史, 三好賢聖「ベルクソンで考える動きのデザイン」 | ÉKRITS / エクリ
  • 読書メモ:世界は時間でできている(平井靖史 著) - 重ね描き日記(rmaruy_blogあらため)

    世界は時間でできている──ベルクソン時間哲学入門 作者:平井 靖史 青土社 Amazon 書は、19~20世紀に活躍したフランスの哲学者アンリ・ベルクソンの時間哲学の全貌を、長年ベルクソン哲学の勢力的な研究を続け、日だけでなく世界的な研究コミュニティづくりやムーブメントの中心で活躍してきた著者が、現代的な問題設定に沿った発展的展望をも含め、独自の見取り図とともにまとめた入門書である。 ベルクソンが扱ったテーマは広い。主著が多数あって、たとえるならば「単独峰」ではなく「連山」をなしているイメージだろうか。著者はこれまで、その一つ一つを丹念に踏破しながら、共著書や学術誌にて多くの論考を発表してきた。そして、初めての単著となる書『世界は時間でできている』にて、いよいよそれらパーツを組み合わせ、ベルクソン山脈の全景を描いてみせる。 書は、いろいろな読まれ方をすると思うが、大きくは、 ベルク

    読書メモ:世界は時間でできている(平井靖史 著) - 重ね描き日記(rmaruy_blogあらため)
  • 青土社 ||哲学/思想/言語:精神の場所

  • 分析哲学者のためのベルクソン『時間と自由』入門|山口尚

    『時間と自由』という邦題が与えられることの多いベルクソンの著書 Essai sur les données immédiates de la conscience、いわゆる『〈意識の直接与件〉論』、の内容を分析哲学者が容易にアクセスできるような仕方で提示する、というのが以下の目標です。分析哲学者がつまずきがちな点をそのつど指摘するよう努めたいと思います。 引用に際しては、合田正人・平井靖史訳『意識に直接与えられたものについての試論――時間と自由』(ちくま学芸文庫、2002年)を用います。また以下においてこのを指示する際には『時間と自由』という短い呼び名を用いることにします。 はじめに前置き的なことを書きます。 ベルクソンの自由論を分析哲学者が読む際には、彼/彼女は《ベルクソンがやろうとしていることが、そもそも分析哲学者がやろうとしていることと異なる》という点を押さえねばなりません。例えば

    分析哲学者のためのベルクソン『時間と自由』入門|山口尚
  • 小林秀雄「感想」についての試論(2) : 物理学と社会理論 - 経済理論 336 - 掲載雑誌・書名一覧 - 和歌山大学学術リポジトリ

  • 小林秀雄「感想」についての試論(1) : ベルクソン持続論による物質理論と量子力学 - 経済理論 333 - 掲載雑誌・書名一覧 - 和歌山大学学術リポジトリ

  • 忘却によって記憶する、イマージュ | Cafe Montage

    忘却は消しゴムではない。 もしくは、消しゴムは忘却ではないというべきなのだろうか。 すでに、何を言っているのかわからなくなってきた。 脳は何かを消すのではなく、終わらせるという話を読んだ。 何も知らないふりをしてみよう。そうすると私は、数々のイマージュと直面することになるのだが、ここでイマージュ"Image"というのは、私が感覚を開けば知覚され、閉じれば知覚されなくなるような、最も漠然とした意味でのイマージュのことである。 ―『物質と記憶』ちくま学芸文庫刊 「私の身体は、唯一の瞬間の中で考察されれば…」とアンリ・ベルクソンは書いている。 私の身体に影響を及ぼす諸対象と私の身体が働きかける諸対象のあいだに置かれた一つの伝導体である。 ―『物質と記憶』ちくま学芸文庫刊 哲学者アンリ・ベルクソン初期の主著である『物質と記憶』(1896) は、その文庫を手にいれてからずっと、棚の飾りだった。読

    忘却によって記憶する、イマージュ | Cafe Montage
  • 【浜崎洋介】自信と充実について――持続としての時間 | 表現者クライテリオン

    前回のメルマガでは、あれかこれかを決定する際に聞こえてくる「過去からの声」、これを「クライテリオン」の手触りとして述べておきました。また、その「過去からの声」に従って一歩を踏み出すこと――過去との間に持続的な一貫性を担保すること――、これが、人に自信と充実を与えるのだということについても触れておきました。 では、なぜ過去の声を聴きながら、自らの生き方に筋を通すことが、人に自信と充実を与えることができるのか。 それは、たとえば、私たちが、ときに小説映画の主人公に魅かれるときの感覚を考えてもらえれば分かりやすい(最近では、藤井先生から勧められた『闇金ウシジマくん』がヒットでしたが、他にもイーストウッド映画の主人公などが分かりやすい)。彼らは、たとえ、その人生が失敗と挫折に彩られていても、自分の人生を取り返しのきく「もの」とは考えていません。ということは、自分の人生が交換可能なものではなく、一

  • [PDF]小林秀雄のベルクソン論の詳細目次

  • 存在の手ごたえ 渡仲幸利

    春秋社のwebマガジン「web春秋 はるとあき」です。時宜に応じて多彩なテーマを、連載、読み切り、書評など多様なかたちで提供します。

    存在の手ごたえ 渡仲幸利
  • ベルクソン哲学と科学との対話(三宅 岳史, プリミエ・コレクション 15)| 京都大学学術出版会

    哲学者ベルクソンにおける科学と哲学の関係の問題については評価が分かれる。エントロピー概念と非可逆性の問題、神経系の非決定性がはらむ偶然性と決定論の問題、生物(とりわけ器官の構造と機能)の進化と目的性概念の問題、等々、現代科学が語り残した哲学的課題を丁寧にたどりながらベルクソン哲学の再評価をおこなう。 三宅 岳史(みやけ たけし) 1972年 岡山県生まれ、2004年 京都大学大学院博士後期課程思想文化学専攻哲学専修研究指導認定退学、2007年 博士(文学)取得(京都大学)。現在、香川大学アーツ・サイエンス研究院(教育学部人間発達環境課程主担当)准教授。 専門は、フランス哲学、エピステモロジー(科学認識論)。 主な論文に、「『創造的進化』における生物の機能と形態の問題」『哲学論叢』36号(2009年)、「神経学とベルクソン」『エピステモロジーの現在』慶応大学出版局(2008年)。主な翻訳にド

    ベルクソン哲学と科学との対話(三宅 岳史, プリミエ・コレクション 15)| 京都大学学術出版会
  • 青土社 ||哲学/思想/言語:生ける物質

  • 『ベルクソン思想の現在』檜垣立哉、平井靖史、平賀裕貴、藤田尚志、米田翼|人文・歴史・社会|書籍|書肆侃侃房

    『ベルクソン思想の現在』 檜垣立哉、平井靖史、平賀裕貴、藤田尚志、米田翼 四六判、並製、272ページ 定価:体1,800円+税 ISBN 978-4-86385-556-4 C0010 装幀:成原亜美 装画:水谷慶大 主要4著作を読み解く白熱の徹底討議! まったく新しいベルクソン入門誕生 『物質と記憶』などの著作があり、生の思考を独自のかたちでヴィヴィッドに展開した哲学者アンリ・ベルクソン。 2022年は『ベルクソンの哲学』(檜垣立哉、文庫化)、『世界は時間でできている』(平井靖史)、『アンリ・ベルクソンの神秘主義』(平賀裕貴)、『ベルクソン  反時代的哲学』(藤田尚志)、『生ける物質』(米田翼)が次々に刊行されたベルクソン研究にとって画期となる一年だった。この著者たちが集った福岡・天神の「のあるところ ajiro」の伝説の連続トークイベントをもとに、大幅に増補されここに甦る。 『時間

  • 『ベルクソン思想の現在』 - ものぐさ屁理屈研究室

    誰も私に問わなければ、 私はそれを知っている。 誰か問う者に説明しようとすれば、 私はそれを知ってはいない。 どうやら2022年という年は、ベルクソンに関する高度な専門書が陸続と出版された年だったようだ。それを締めくくるように、福岡で開催された著者5人の組み合わせによる連続トークイベントの内容をブラッシュアップし、増補して書籍化したのが書とのこと、好企画である。一応ベルクソン入門書という体裁をとっているが、簡単な紹介の後に、連続トークイベントの内容そのままに、いきなり最先端の高度な内容が語られていくという、なかなかとスパルタンな構成になっている。そういう意味では読者を選ぶではあろうが、それがまた大きな魅力にもなっている。個人的には、世に氾濫する毒にも薬にもならない通り一遍の入門書や概説書などより、余程好ましい内容と構成である。 出版元は書肆侃々房という聞きなれない名前だが、所在地もイ

    『ベルクソン思想の現在』 - ものぐさ屁理屈研究室
  • 『ベルクソン 反時代的哲学』1

    ふじた・ひさし  九州産業大学准教授。1973年生まれ。東京大学大学院人文社会系研究科博士課程単位取得退学。リール第三大学博士課程修了。Ph.D. 専門はフランス近現代思想。共著に、久米博・中田光雄・安孫子信編『ベルクソン読』(法政大学出版会)、金森修編『エピステモロジー』(慶應義塾大学出版会)、西山雄二編『人文学と制度』(未來社)、共訳に、ゴーシェ『民主主義と宗教』(トランスビュー)など。 序論 マイナーな論理は何をなしうるか その役割と重要性 §1. 辺獄リンボのベルクソン フランスの哲学者アンリ・ベルクソン(1859-1941)が華やかな「現代思想」に名を連ねていた時代はもはや完全に過ぎ去ったが、世界の哲学研究の現状を見れば、未だ完全に「哲学の古典」に収まったとも言えない。むしろレヴィナスが指摘したように、ベルクソンは、「一種の辺獄リンボ〔天国と地獄の間〕のようなどっちつかずの状態

    『ベルクソン 反時代的哲学』1
  • ベルクソン 反時代的哲学 藤田 尚志著

    概念の解像度を上げるだけが哲学の仕事ではない。ベルクソンは、イメージとの往還と緊張関係を強調してやまない。書は、最新の研究成果を踏まえつつ、『時間と自由』や『物質と記憶』など主要著作の鍵概念である「持続」や「純粋記憶」を深く理解するには、「リズム」や「場所」のイメージの精確な読解が欠かせないと説く。勁草書房編集部ウェブサイトでの連載時より大幅改稿。 ◎けいそうビブリオフィルで一部内容を公開中です 「あとがき」 序 論 言葉の暴力 §1 功利性と効力 §2 生命(vie)・生き長らえ(survie)・超-生(sur-vie) §3 哲学と科学、良識(ボン・サンス)と常識(サンス・コモン) §4 メジャーな概念とマイナーな論理 §5 言葉のふるう暴力 §6 言語にふるわれる暴力 §7 「見かけに騙されないようにしよう」──言語のアナモルフォーズ §8 言語の速度学──遅れとしての隠喩 §9 

    ベルクソン 反時代的哲学 藤田 尚志著
  • 座右の秀雄 57 - ものぐさ屁理屈研究室

    誰も私に問わなければ、 私はそれを知っている。 誰か問う者に説明しようとすれば、 私はそれを知ってはいない。 ここで言われている吉隆明の「内観」という方法については、小林の「居宣長」に対する吉自身の評から伺い知ることが出来る。 <宣長が戦後の現在もなお生きているところがあるとすれば、実証的な古典研究者としてだけだといってよい。古典語の語義を盲目的な手さぐりと味読・体読・翫読のたゆみないつみかさねの経験と勘とで切開いていった驚くべき努力のあとだけが、誤解と正解とをおりまぜて、近世から戦前までの古典研究の方法におおきな先蹤となった。この意味では現在もまだ古典学者たちは宣長を嗤うことはできない。 ・・・・ けれども宣長の方法と思想は、小林秀雄が繰返し熱心に説くほど上等なものではない。せいぜい博学、読み込みを積み重ねた挙句の正確で鋭敏な経験主義のうち、近世で抜群に行き届いた成果というくらいに

    座右の秀雄 57 - ものぐさ屁理屈研究室
  • 笑いについて ベルグソン①

    笑 い に つ い て (ベルグソン紹介 第1回)          野口幹夫 中国古俑白描より 両漢時代 四川出土 陶説唱俑 1、       はじめに デカルトやカント、ニーチェといったドイツ系の哲学者に比べると、 ベルグソンは日では有名ではない。20世紀のフランスの哲学者 だといえば、サルトルの名をまず思い浮かべる人が多い。ベルグソン の名を高校時代の恩師、加藤先生から教えられて、その魅力にとり つかれた。なぜこの哲学者は日では有名でないのか考えた。 彼の思想と方法が、ドイツ哲学のような厳密な論理の組み立てでは なく、日常的な人生経験を丹念に掘り起こしながら、そのベースの上 に、直感的な、天才的なひらめきとでも言うほかない優れた飛躍で、 人間精神の営みの根元を解き明かしてくれる。そしてわれわれを、 いまだかってない人智の高みに引き揚げてくれるのだ。 その方法に、ついていけないため

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