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Ongとliteracyに関するfunaki_naotoのブックマーク (10)

  • カテゴリー的思考への固執、識字能力と思想変化の速度

    ウォルター・J. オングの『声の文化と文字の文化』について「『声の文化と文字の文化』ウォルター・J. オング」「読み書き能力と状況依存的思考 A・R・ルリアの調査から」というエントリを立てましたが、書こうと思っていて忘れていたことを補足します。 一つは、ルリアの報告にあった、以下の個所についてです。 対照的に、たった二年間だが村の学校で勉強したことのある十八歳の少年は、おなじように組になった絵を見せられると、それをカテゴリー別に分類しただけでなく、その分類にけちがつくと、自分の分類の正しさに固執した。(強調引用者) 読み書き能力がない人々がカテゴリー的思考を受け付けない「頑固さ」については、書を読めば自明ですが、一方で能力を身につけてしまった側も、カテゴリー的思考に固執し、かつ自分の「カテゴリーの分け方」に執着を示す、ということは注目に値します。 つまり、一旦カテゴリー的思考を習得してし

    カテゴリー的思考への固執、識字能力と思想変化の速度
  • 『声の文化と文字の文化』 オング (藤原書店) - 書評空間::紀伊國屋書店 KINOKUNIYA::BOOKLOG

    →紀伊國屋書店で購入 欧米で文字学が散発的な試みにとどまり学問として確立していないのはソシュールに典型的に見られるように、文字言語は音声言語の写しにすぎず、たいして重要ではないとする考えが根強いからである。文字がつけくわわったのは人類の歴史では比較的新しく、文字をもたない言語の方が圧倒的に多いこと、文字をもっている言語でも文字の読み書きができる人は最近まで少数にすぎなかったことが傍証とされている。文字があろうとなかろうと、音声言語はびくともしないというわけだ。 しかし『プルーストとイカ』があきらかにしたように、文字の読み書きができるようになった人間は脳の構造が文字にあわせて再編成されている。文字は単なる写しどころか、人間の脳を作りかえてしまうのだ。文字を知る前と後とでは思考のありようが変わっている可能性があるのだ。 書は三十年近く前に出版されただが、文字が人間の意識・文化・音声言語にお

    『声の文化と文字の文化』 オング (藤原書店) - 書評空間::紀伊國屋書店 KINOKUNIYA::BOOKLOG
  • 声の文化と文字の文化(三浦佑之)

  • 『声の文化と文字の文化』ウォルター・J. オング

    こんなすごいを読んでいなかった自分に驚き、今日まで悦びを残して下さった神に感謝します。 識字能力が人間の思考様式に与える変化と、「一次的な声の文化」(文字獲得以前の言語世界)における語らいと思考・記憶の特徴についての、冒険的でありながら十分な考証に基づいた試論。素晴らしくエキサイティングです。 「二次的な声の文化」(テレビやラジオなど)や、例えばインターネット上の文字交流文化については、言及が少なく、著者自身も「今後の研究が待たれる」とするに留めていますが、多くの紙数の割かれた「一次的な声の文化」の思考様式に最も興味があったため、まったく気になりません。 あまりにも面白いので、何回かに分けて取り上げてみたいのですが、実は既に、「音読すべき聖典、カルトと識字能力」が書を読んでいる途中で思いついて書き留めたものでした。アラビア語圏の例についてほとんど言及がないのが寂しいですが、長年ひっかか

    『声の文化と文字の文化』ウォルター・J. オング
  • 文化としての批判的思考 

    批判的,論理的,合理的に考えることとは異なる思考について,主に文化という観点から検討された。検討は,主に「声の文化」との関連からなされた。最後に,声の文化的な思考と文字の文化的な思考との関連や,どのような教育的アプローチが考えられるかについて論じられた。 ■1.はじめに 「考えること」はたいていの場合,良いことであると考えられている。特に,論理的,合理的,批判的に考えることが良いこととして教育目標として挙げられることは少なくない(道田, 2003)。しかし,論理的,合理的,批判的に考えることは,当に良いことなのであろうか。逆に,論理的,合理的,批判的に考えられないということは,良くないことであり,能力の欠如を意味することなのだろうか。 そうではないという考え方はありうるであろう。たとえば,考えることは人間が適応的に生きていくために行う戦略のほんの一つに過ぎない,と考えることは可能である。

  • 文字が入ると、変わルンですっ!! - pablo-pabloの日記

    【おまけコラム】文字が入ったことで変わったこと 思考が、変わるっっ!! 生まれるっっ!! 『日語が亡びるとき――英語の世紀の中で』を書いた水村によれば、ある文化に「文字が入る」ことで重要なのは、入ってきた文字で書かれた叡智・〈図書館〉へのアクセスが可能になることだという(125頁参照)。 この「文字が入る」ことについて異なる角度から焦点を当てているのが、Orality and Literacy(『声の文化と文字の文化』)を書いたW.J.オングだ。オングは、文字という「記憶の外部装置」が入ったことによって、人間の意識や人と知の関係が大きく変化したと述べる。中途半端な理解力とちっちゃい頭で考えているため、正確さには欠けるかもしれないのですが、ご了承下さい。 ワードで書いていた時に使用していた表が使えないので見づらいのですが、人間の文化をオングは大きく4つに分類しています。Primary or

    文字が入ると、変わルンですっ!! - pablo-pabloの日記
  • 世界をリスト化する - 「書物」の誕生・覚え書き日誌

    「声の文化」の特徴の第一にJ・オングがあげているのは、それが累加的(additive)であるという点である。 16世紀のドゥエー版聖書に、「声の文化」の残存を見ている。 なかなか興味深いので、引用する。 はじめに神は天と地を創造された。[そして]地は形なく、むなしく、[そして]やみが淵のおもてにあり、[そして]神の霊が水のおもてをおおっていた。[そして]神は「光あれ」といわれた。すると[そして]光があった。[そして]神はその光を見て良しとされた。[そして]神は光とやみとを分けられた。[そして]神は光を昼と名づけ、やみを夜と名づけられた。[そして]夕となりまた朝となった。 声の文化と文字の文化 84〜85 訳者によれば、[そして]は、原文のandである。 「声の文化」では、分析手語り口(思考)ができず、えんえんと時系列に沿った話を積み重ねていくのがわかる。 また、一方で、「声の文化」では、「

    世界をリスト化する - 「書物」の誕生・覚え書き日誌
  • 『声の文化と文字の文化』W・J・オング著 - sakura-iro-yumeの日日是好日

    声の文化と文字の文化作者: ウォルター・J.オング, 林正寛, 糟谷啓介, 桜井直文, Walter J. Ong出版社/メーカー: 藤原書店発売日: 1991/10メディア: 単行 ルネサンスのユマニスト、ペトルス・ラムスの研究社として著名な、アメリカのイエズス会士、ウォルター・オルグが、書では、声の文化と文字の文化との差異を手際良くまとめている。 文字発明以前の古き時代、あるいは、文字を持たぬ世界の特徴は、語られるもの、知識、思考の全てが、口頭での組みたてを強いられることにある。記録されることのない消え去る音のため、知識は、絶えず反復して語られ、記憶されねばならず、語られるものは記憶し易いよう型を有し、思考は型によってまとめあげられ、くり返され、保存を旨とする。声の文化の中では、人間の相互関係に密着した言葉が使われ、知られた対象に密接な関わりが示され、人々は共有的な一体感を成す。そ

  • http://www.isis.ne.jp/mnn/senya/senya0666.html

  • 中世の書物

    (文学部 高宮利行) 音読、朗読そして黙読 今日わたしたちが読書するとき、よほどのことがない限り、開いたページの文を目で追って理解するだろう。つまり視覚を用いて文意をくみ取るわけだ。わが国の都会に住んで、電車やバスを使って通動する人々の中で、座席にありついたしあわせ者は新間、週刊誌、そして文庫や新書判を手にして読む。満員にもかかわらず、吊革につかまってでも読書する人だっている。しかし、そこで間違っても、文を声高らかに音読するなどという手合いはいまい。視覚とともに聴覚まで動員して音読するという、こういった環境ではタブーとなつているからだ。もしこの社会のルールを破ろうものなら、白い日で見られるか、君子危うきに近寄らずとばかりに、人々はできるだけ離れていくであろう。 朝夕の通勤電車で展開するこういった毎日の読書習慣が、そのまま家の中に持ち込まれるのもしごく当然だ。卓で、あるいは居

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