書籍の電子化の話が喧しい。 また、実際に焦眉の課題になりつつあることもまちがいないだろう。 森銑三、柴田宵曲共著の「書物」は、こんな時期に読むのには、いかにものんびりした本かも知れない。 とくに希有の書誌学者であり、戦後の苦しい時期には、反町茂雄の古書肆弘文荘に勤務して口を糊したことさえある森銑三は、書物への慈愛に満ちていると思われている。 そして確かに、森は本への愛に満ちていただろうし、もし電子化に急速に流れを向けている現在にあったら、恐らく苦々しい思いを感じただろうことは想像に難くない。 しかし、森がこの「書物」の中に記している彼の読書法や書物に対する考え方は、単なる「愛書家」や、今、世に充満し本に対する「フェティシズム」だけを根拠に、「本はなくなりません」と言いつのる人々とはいささか異なるようである。 たとえば、森は、専門の著述家や出版社に対して、懐疑的である。 なおこの著述家という