チェルノブイリの原発事故、1986年。 ウルリッヒ・ベック『危険社会』は1986年出版。 http://www.amazon.co.jp/dp/4588006096/datum-22 ニクラス・ルーマン『エコロジーのコミュニケーション』は1986年出版。 http://www.amazon.co.jp/dp/4787707086/datum-22 続きを読む
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TRPGのための諸人類学FAQ(よくある質問) TRPG.NET > 学問所 > 諸人類学 > 目次 TRPGのために諸人類学がどう役立つか 文化人類学とはなにか:定義と歴史的経緯 諸人類学とは何か:学問分野の分類と概説 民族誌学 機能主義人類学 構造人類学 通文化研究 認識人類学 象徴人類学 経済人類学 政治人類学 生態人類学 社会人類学 諸人類学と隣接領域 家族社会学 生物行動学的自然人類学 社会史 人類学的歴史学 比較文明論 (準備中) 諸国の民俗学 日本民俗学 諸人類学の学問史 (準備中) TRPGのための諸人類学設定の部屋の話題と類縁の諸ボード TRPGに使える民俗設定考察分科会 TRPGのための歴史設定の部屋 TRPGのためのオカルト設定の部屋 TRPGのための法学的設定の部屋 TRPGのための政治学的設定の部屋 T
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miru kim: the pig that therefore I am doosan gallery, new york march 24th – april 23rd, 2011 ‘the pig that therefore I am’ by miru kim (above) ‘NY 1’ image © miru kim ‘the pig that therefore I am’, the latest work by korean-american artist miru kim, is a collection of photographs that explores the transferring qualities of skin and the reasoned separation between humans and animals. the work, a mo
興味のある方は、PDFファイルで、ダウンロードして下さい。 1.要約 序論 1.研究史の検討と問題提起 第四章 分裂経験の記号としての「女性」 1−1 売春婦の仮面イメージ 5.結論 ※ 報告者の力量もあるため、重要な箇所であるところを原文引用しながら、適宜翻訳に務めた。ご海容願いできれば幸いである。 지금까지 이상 문학 이 서로 다른 시각을 지닌 영구자들의 지속적인 판심을 받고 있다는 사실은 이상 문학이 한국근대문학이라는 사실을 반증하는 것이라 하겠다.미달과 초월,결핀과 과잉이라는 양기성을 내보 한 이상의 기과한 글쓰기 작업에 대한 이해 가능 지점을 어떻게 포착해내는가 하는 과 제야말로 이상 문학 영구가 안고 있는 중대한 과제라고 할수 있다.그럼에도 불구하고 그러한 가능성에 대한 탐색은 항상 요령부득이라는 인상을 심어주기 마련이다. (p
「国文学」の思想―その繁栄と終焉 (学術叢書) 作者: 笹沼俊暁出版社/メーカー: 学術出版会発売日: 2006/02メディア: 単行本 クリック: 20回この商品を含むブログ (4件) を見る 興味のある方はPDFファイルで、ダウンロードしてください。 1 いま書店を見渡すと、サブカルチャーやネット言説を論じる書物が、店頭に並び隆盛期を向かえている。それらは「現代文化」を分析し、またそれに新たな意味を付与することに積極的にみえる。例えば、オタク・ブログ・恋愛・ニート・若者世代・下流社会などであろう。そのような動きのなかで、埋没してしまったのが「文学研究」である。現代において、「文学」を、あるいは「文学研究」を問い直すことにどれほどの意味があるのか。そのようなジレンマに苛まされることがたびたびある。それは書店の光景だけでなく、アカデミズムにおける現在の風景ともパラレルなものだろう。つまり、
“朝鮮”表象の文化誌―近代日本と他者をめぐる知の植民地化 作者: 中根隆行出版社/メーカー: 新曜社発売日: 2004/04メディア: 単行本購入: 1人 クリック: 12回この商品を含むブログ (3件) を見る PDFファイルを興味があればダウンロードして下さい。 1 今年9月に公開された、ペ・ヨンジュン(배용준)主演「四月の雪」へのメディア報道の過熱ぶりを見ると、日本中の話題をかっさらった「韓流」ブームは、未だに健在なのだと評者は改めて思った。「ヨン様」と「ジウ姫」は、相変わらずの人気だし、「韓流四天王」という言葉も、記憶に新しいところである。さらに「韓流」俳優のメディア露出度は今年になっても衰えを見せないし、またあれだけ流れた「冬のソナタ」主題歌と挿入歌の数々は、現在でも「定番ソング」として聞く機会がある。日韓共催のW杯と「韓流ブーム」のおかげで、つい最近まで「近くて遠い国」と呼ばれ
国文学の時空―久松潜一と日本文化論 作者: 安田敏朗出版社/メーカー: 三元社発売日: 2002/04メディア: 単行本購入: 1人 クリック: 7回この商品を含むブログ (3件) を見る PDFファイルで、ダウンロードできます。 1 90年代以降、国民国家論やカルチュラル・スタディーズ、ポスト・コロニアルやジェンダー論といった横文字の思想潮流の影響を日本の学界は受け、冷戦構造下における二項対立的な世界秩序の中では、表舞台に上がることがなかった問題が取り上げられるようになり、近代を強固に支えてきた「国民」概念は問い直されるようになった。そして「国民」を構成する役割を担ってきた「近代知」批判を目的とした書物が書店の店頭に並ぶようになって、もう随分たっている。 「日本人の美意識」や「日本人の精神」とは、一体いかなる性質を持つものであるのか。このような問いは、近代以降つねに「問題」として繰り返さ
「皇国史観」という問題―十五年戦争期における文部省の修史事業と思想統制政策 作者: 長谷川亮一出版社/メーカー: 白澤社発売日: 2008/01メディア: 単行本購入: 2人 クリック: 20回この商品を含むブログ (7件) を見る PDFのファイルをダウンロードしていたければ、幸いです。 1. まず、本書がテーマとして追究する「皇国史観」をめぐる問題が設定されるという事態が、どのような意味を持つことなのかを考えてみよう。90年代に入り、自らを「中立」に立つことを表明し、これまでの教科書における歴史叙述を「自虐史観」と名づけ、《歴史は物語にしか過ぎない》というテーゼが、歴史修正主義者たちによって打ち出された。その発端は、言うまでもなく、「新しい歴史教科書をつくる会」による挑発から始まったと言える。しかしその内実は、新自由主義と新保守主義とが同居する、ある意味でコインの表裏にしか過ぎないのだ
避難していた大阪から帰ってきた。大阪では、毎日のように友人・知人に会ったり連絡を取ったりしていた。驚くほどたくさんの知人が、西日本に避難していることを知った。内輪での大体一致した意見は、「危険な状態は変わっていない」ということだった。 水道水や雨から放射性物質が検出されているのに、安全性ばかりが強調されているのには腹が立つ(註1)。 けれどももっと腹が立つのは、つい2週間前まで国をあげて原発を推進してきたことが、まったく反省されていないことだ。推進してきたのは、まず原発で商売してきた“大企業”、特に電力会社と電機メーカー3社(東芝、日立、三菱重工)(註2)。“官僚”、特に経済産業省エネルギー庁。“政治家”、特に自民党、民主党(註3)。御用学者たち。そして大新聞をはじめとするマスコミだ。 彼らは少なくともチェルノブイリ以降、この地震の多い列島でこんなにたくさんの原発はありえない、と散々言われ
3月21日、スイス再保険は日本を襲った大震災と津波による保険金請求額が税引き前で12億ドルになるとの試算を明らかにした。宮城県石巻市で撮影(2011年 ロイター/Kim Kyung-Hoon) [チューリヒ 21日 ロイター] スイス再保険RUKN.VXは、日本を襲った大震災と津波による保険金請求額が税引き前で12億ドルになる、との試算を明らかにした。 また、福島県の第一原子力発電所の事故を受け、傷害保険会社に大きな損失が発生する可能性は低い、と指摘した。 同社によれば、日本で販売されている地震および地震や津波の後の火災の工業・商業リスクをカバーする保険は通常再保険がかけられているが、損害補償の対象から放射能汚染は除外されているという。 そのうえで、現時点でこの試算は暫定的なもので、最終的に請求額がどの程度になるかは数カ月先までわからない、との見方を示した。
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参照:「東北関東大震災で義心を感じる人へ 持続不可能な感情と継続可能なシステムについて」(じゃがめブログ) 非常事態で高揚した状態は、しばらくすると失われる。すると、もう報道されない、助け合うこともない。せちがらい日常が戻ってくる。そのとき、我慢しにくい抑うつや疎外感が始まる*1。 「助けたい」という思いは、それ自体が考察や関係を硬直させることがある。緊急時にはうまく働いても、30年そのままというわけにはいかない。 今後、「誰が当事者枠を獲得できるか」をめぐって、深刻さのつばぜり合いが始まるかもしれない。そして「当事者」は、差別や逆差別の枠組みでもある*2。 誰かを特別扱いすることは、当事者概念運用による関係布置がやるべき仕事の一部にすぎない。例えばそのことを、ガタリの諸概念とともに論じるべきだと思うが*3、ここには「支援を考える人たち」の使命感が賭けられているため、たいへん難しい。 間違
今週一杯は時間があるので、日本がらみの経済学関連記事などを翻訳することにしたのですが、なかなかうまく良いものが見つかりません。なのでもろ経済学ではないですが、ニューヨークタイムズに載った原発危機と市場についての記事を訳すことにしました。そんなに深いことや新しい情報があるわけでないですが、読み物として面白いのではないでしょうか。 もしタイポ・誤訳などがありましたら、コメント欄にお願いします。 追記:kuroseventeenさんに指摘されて、一点修正しました。ありがとうございました。 市場には扱えない危機 ジェフ・ソッマー 2011年3月19日 リスクというものは、後から振り返れば明らかなものだ。 東京電力は福島第一原発を、およそ40年前に、大地震にも耐えられるように建設した。しかし、3月11日に起こったマグニチュード9.0に耐えられるほどにではなかった。あるいはその後に続いた津波には。そし
3月19日(土)のフランス、英国、アメリカ(およびカナダ、イタリア)によるリビアのカダフィ政権に対する空爆は、オバマ大統領としても苦渋の選択だったと思います。まず、空爆に踏み切った理由ですが、大きく2つあると思います。1つは、日本の原発危機に端を達した国際的なエネルギー危機の渦中で、カダフィはベンガジという大油田の破壊を示唆しており、アメリカとしては、これを許すわけには行かなかったという点。もう1つは、このままリビアの反政府勢力を「見殺し」にすれば、オバマのイスラム政策、すなわちチュニジアやエジプトでの民衆の蜂起を支持し、アラブの民主化を支持する姿勢が対外的に貫けなくなるという問題です。 ですが、アメリカとしてはここで全面的に攻撃の先頭に立つことはできませんでした。それは、オバマ大統領として2008年の大統領選で当選したのは「ブッシュのイラク戦争」への反対という世論に乗っていた面が強いわけ
批判的に報道されている菅直人首相の自民党・谷垣総裁への入閣要請だが、その目的については正しく認識されていないように思える(産経ニュース)。首相就任後の言動を見ていれば、自民党に責任を押し付けるためではなく、民主党の方針を転換するのが菅首相の目的だと推測できるからだ。 震災は、菅首相の政治的責任を回避しつつ、民主党マニフェスト撤回の契機になりうる。自民党が与党に参画すれば小沢・鳩山両氏の影響を排除できるであろう。しかし、二大政党制を標榜する政党の政治手法としては、政界史に大きな汚点を残す事になる。むしろ菅首相が民主党から自民党に鞍替えするほうが、政治手法としては妥当だ。 1. 菅首相と谷垣総裁は政策的に近い 菅首相は消費税導入論者であるのは間違いないが、民主党最大『派閥』である小沢一郎議員の周辺は消費税に反対している。また、マニフェストの忠実な実行については否定的であり、鳩山由紀夫前総理など
概要 3月の課題図書は江渡浩一郎さんの『パターン、Wiki、XP : 時を超えた創造の原則』です. パターン、Wiki、XP ~時を超えた創造の原則 (WEB+DB PRESS plusシリーズ) 作者: 江渡浩一郎出版社/メーカー: 技術評論社発売日: 2009/07/10メディア: 単行本(ソフトカバー)購入: 75人 クリック: 1,306回この商品を含むブログ (155件) を見る この本は,今から1年半ほど前に出版されたものですが,先月の『検索と発見のためのデザイン』(原題は『Search Patterns』)に続けて読むのが良いだろうということでセレクトしました.幸いにして全員未読.←それがそもそもどうなんだw 構成 本書は3部構成になっていて,そのうち僕は序章 + 第1部を担当します. 第1部:建築 第1章:クリストファー・アレグザンダーによる美の原理の追求 第2章:アレグザ
プラトン「メノン」におけるメノンのパラドックスと想起説 [ 古代哲学 ] メノンのパラドックス 対話編「メノン」の序盤に、ソクラテスは対話者であるメノンに「徳は教えることができるか」という問いに答えるには、「徳とは何か」といったもっと徳に対 する本質的な理解を得なければならないと主張する。彼は「もし私があるものを知らなかったら、どうやってそれがどのようなものであるか答えることができる か?」と言う。これに対し、メノンは「全く知らないものをどうやって探求することができるのか?なぜなら、手がかりすらしらなのだから」(80d)といっ たパラドックスでもってソクラテスに反論する。これがメノンのパラドックス(Meno's paradox)、または学習者のパラドックス(learner’s paradox)と呼ばれるものである。ソクラテスはこの発言を次のように修正して次のように言う:「人間は
ラッセル「表示について」#1 記述理論 [ 分析哲学 ] 空の指示という問題 ラッセルによると、指示句を含む命題は「真」もしくは「偽」であるという二重性(duality)を持つ。初期の言語哲学において、言語の指示において明白な謎があった。それは、空の指示(empty reference)と呼ばれるもので、例えば、「現在のフランスの王は禿である」(the present king of France is bald)という命題において、「現在のフランス王」は存在しないため指示対象が存在しない空の指示である。このような指示対象が存在しない命題は真偽の判定ができない。例えば、これを偽としよう。その場合、「現在のフランス王は禿ではない」という命題を意味し、つまり、存在しない現代のフランス王に髪の毛が生えてしまう。 ・マイノングの対象説 この問題に対して、マイノング(A.Meinong
一般的な言語概念 我々は一般的に言語とは記述/記号であると考える。デカルトは内面と外面、つまり心と体をはっきりと区別する。そして内面にアクセスできるのは本人だけである(私秘性)。我々は「痛み」を内的に経験し「痛み」の概念を知る。そして「痛み」という獲得した概念を用いて事態を記述する。言語は感情または感覚を表現する道具である。また「私は痛い」と「彼は痛い」の違いは直接的記述と間接的推測の違いであると考える「痛み」とは自分の直接的体験の名称である。 ウィトゲンシュタインによる言語概念(「規則に従う」) 私的言語とは我々の言語から逸脱したものであるのだから、まず我々の言語とは何という問題を明確にしておきたい。ウィトゲンシュタインによる言語とは共同体の制度・規則の下行われて始めて意味を持つ。(親が子に命名するというのが規則だから親は命名することができる。しかし他人は命名できないのは規則
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