もし、「現実に生きられた歴史の記憶と主体性の有する非連続的なエネルギー」にふさわしいナラティヴをあたえることができるならば、ネイションを解釈する現世内的な言葉によって、その水平で批判的な眼差しは克服されていくことになろう。私たちが必要としてるのは、エクリチュールがもたらすもうひとつ別の時間なのだ。 ――ホミ・バーバ「散種するネイション」―― 1 ロラン・バルトが「作者の死」を宣告してから40年以上経過した現在、「作家論」は括弧付のものでしかありえないだろう。それを「作品論」といいかえても、あるいは出来事(歴史)を語ること一般に敷衍したとしても、事情は変わらない。あらゆる言葉は事物や出来事に着陸することなく、どこまでも上滑りしていくように思われる。だが、作者という概念を完全に手放したとき、作品を語ることは出来ても、誰かと「同じ」作品を語ることは出来なくなる。作者とは、作品を読む人々が互いに差