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ブックマーク / shinichiroinaba.hatenablog.com (49)

  • 「9月22日『日本の起源』出版記念 中世化する日本?『平清盛』から『日本の起源』まで@ネイキッドロフト」へのフォロー - shinichiroinaba's blog

    当日は入場料負けてもらったかわりに壇上でしゃべらされましたのですがそのフォローアップのメモです。 ================= 與那覇潤『中国化する日』の構想の重要な着想源のひとつ(参照文献の中にはあげられていないにもかかわらず、原論文「中国化論序説」などを見る限りではおそらくは最重要の)は、中国史家足立啓二の『専制国家史論』などにおける中国史理解である。與那覇が「中国化」と呼ぶ傾向性は、足立がその研究において中華帝国の統治や社会の特性を日、更には西欧のそれと比較して際立たせる時に用いる「専制」なる言葉がさすものと重なっている。(たとえば足立「一八〜一九世紀日中社会編成の構造比較」。) 周知のとおり與那覇は『中国化』において古代末期、律令制導入以降の日歴史を、中国に範をとった集権的帝国化=中国化と、割拠型自治体制化=江戸化との間で引き裂かれたものと描いているが、この描像の新し

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    gauqui
    gauqui 2013/09/25
  • 京都生命倫理研究会9月例会報告 - shinichiroinaba's blog

    読み切れなかったハンドアウトの方を晒します。 宇宙倫理・ロボット倫理・ヒューマン・エンハンスメント倫理の交差点.pdf

    gauqui
    gauqui 2013/09/23
  • 「理論社会学I」(@筑波大学)配布資料より - shinichiroinaba's blog

    http://d.hatena.ne.jp/shinichiroinaba/20120615/p2 の続きとして読んでいただきたい。 実は以上に述べてきたような意味での「全体性」の理解を前提にして初めて、『入門』で触れた「方法論的全体主義」=社会学的「全体論」の意味も、更には、『入門』巻末の付録において「宿題」として提示した、クワイン=デイヴィドソン的な「意味の全体論」との関係もある程度明らかになってくるのである。 『入門』では「方法論的全体主義」における「全体」という語で示される対象を、実体としての「全体社会」などという具体的には存在しないものから、「社会的に共有される意味・形式」を共有する人々やその関係性へとずらしたが、そのような「意味」もまた、一つひとつの言葉、表現のレベルで独立したものではなく、「全体」をなすことを指摘するのが、クワイン=デイヴィドソン的な「意味の全体論」である、と

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    gauqui 2013/07/23
  • 政治poliltics・統治government・行政administration - shinichiroinaba's blog

    もう採点は終わってしまったのだけど、東大教育学部での講義のまとめのために、メモ。 今日の日語では「政治」という包括的な上位概念のもとに、理論政治学(システム論)・政治過程論風の言い回しを用いれば「入力input」にあたる狭義の「政治」=公共的意思決定と、「出力output」にあたる「行政」とが包摂される、という風になっている。さらにこのような「政治」の大枠は「憲法constitution」という形で与えられ、「政治」は「行政」はもちろんのこと狭義の「政治」においても、主としてそれが「立法」という形で手続きを踏んでなされねばならない、という形で、「法の支配rule of law」に服している。とはいえ「憲法」自体も不変ではなく、狭義の「政治」にはその変更可能性までもが射程に入れられている。 あるいはこの「政治」の制度的な枠組みのことを「統治government」とも呼ぶ。日を含めた多くの

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    gauqui 2013/07/18
  • アセモグル&ロビンソン『国家はなぜ衰退するのか:権力・繁栄・貧困の起源』(早川書房) - shinichiroinaba's blog

    国家はなぜ衰退するのか(上):権力・繁栄・貧困の起源 作者: ダロンアセモグル,ジェイムズ A ロビンソン,稲葉振一郎(解説),鬼澤忍出版社/メーカー: 早川書房発売日: 2013/06/21メディア: 単行この商品を含むブログ (31件) を見る国家はなぜ衰退するのか(下):権力・繁栄・貧困の起源 作者: ダロンアセモグル,ジェイムズ A ロビンソン,稲葉振一郎(解説),鬼澤忍出版社/メーカー: 早川書房発売日: 2013/06/24メディア: 単行この商品を含むブログ (21件) を見る amazon予約開始。

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    gauqui 2013/06/04
  • おもいつきでしゃべったこと - shinichiroinaba's blog

    大したことではない(別段独創的ではないし文献学的には間違いも含んでいるだろう)が一応メモ。 =============== 17世紀あたりを近代社会科学の出発点とし、トマス・ホッブズやジョン・ロックで代表させるのは、彼らが「自然状態」という理論装置を用いているからである。彼らは神様を信じてはいるが、神様の仕事は天地創造、そして人間を今あるような存在として創造したところで終わっていて、あとは介入せず(奇蹟は起こさず)、社会の構築は人間に任されている、という形に議論がなっている。これはちょうどアイザック・ニュートンが神様の仕事を自然法則を作るまでで終わらせていることに対応する。 しかしホッブズやロックよりも、ベネディクト・スピノザの方が更に吹っ切れた近代性を感じさせることは言うまでもない。はっきりと民主政を支持しなかったホッブズ、ロックと比べて明確に民主政を最優位に置いたあたりもそうだが、もっ

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    gauqui 2013/05/21
  • 左翼・右翼・保守主義 - shinichiroinaba's blog

    田島正樹『読む哲学事典』(講談社現代新書)における「保守主義と左翼」項を中心とする一連の議論(書中の他項目並びに田島のブログ「ララビアータ」http://blog.livedoor.jp/easter1916/における関連エントリ)は、近年の憲法体制について考える上できわめて興味深い。 田島によれば「愛国的情熱は、公共性がいまや危機に瀕しているという危機感の中で生まれる政治的=公共的関心である。したがって愛国者にとって、政治的公共性(祖国)は黙っていても所与のものとして自然に存在しているものではない」(前掲書「保守主義と左翼」205頁)。 「ここで、祖国が直面する危機を、その政治的共同体内部の問題として捉え、それ自身を、常に潜在的に亀裂や対立を内包するものと見る立場を、左翼という。それに対し、祖国そのものは元来分裂を含まぬ統一体であるとみなし、それゆえ、祖国の危機はもっぱら外からのもの、

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  • 「成長の政治経済学」についてのノート(未定稿) - shinichiroinaba's blog

    11月23日の科研の研究会での報告。 実際にはこの前段のサックス、イースタリーらの論争を軸とする開発の政治経済学の簡単な展望を口頭で行ったうえで、このレジュメの要所だけを紹介した。 未定稿だが単なる勉強ノートで金をとるようなものではないので公開する。専門家がご覧になっていろいろ不備を指摘していただけることを期待していることは言うまでもない。大幅に拡充したものをいずれ紀要あたりに載せて、更にまた大幅に圧縮して準備中の『政治理論入門(仮)』に取り込む予定。 なお口頭報告で紹介したのは 貧困の終焉―2025年までに世界を変える 作者: ジェフリーサックス,Jeffrey D. Sachs,鈴木主税,野中邦子出版社/メーカー: 早川書房発売日: 2006/04/01メディア: 単行購入: 15人 クリック: 174回この商品を含むブログ (85件) を見るエコノミスト 南の貧困と闘う 作者: ウ

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  • 「社会学2」講義メモ(10月11日分) - shinichiroinaba's blog

    日の範囲:教科書 第2講「「モデル」とは何か」 社会学入門 〈多元化する時代〉をどう捉えるか (NHKブックス) 作者: 稲葉振一郎出版社/メーカー: NHK出版発売日: 2009/06/26メディア: 単行(ソフトカバー)購入: 18人 クリック: 224回この商品を含むブログ (121件) を見る 理論とか、モデルとか 思考実験って何? そもそも実験って何? 標準的な実験は、対象の周囲の条件をいろいろと変えてみて、それによって対象にどのような変化が起きるか起きないかを確かめるもの。 どういう条件を選んで、どのような変化を起こしてみるのか? でたらめな試行錯誤か、ある程度「これが重要ではないのか」という予想を立てて、それに基づいて行うか。 この予想は堅い言葉でいえば「仮説」。ある程度関連付けられた「仮説」の集まり、あるいは系統立てて一連の仮説を導き出せるアイディアは、すでに「理論」と

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  • 「社会学2」講義メモ(10月4日分) - shinichiroinaba's blog

    日の範囲:教科書 第1講「理論はなぜ必要か」 社会学入門 〈多元化する時代〉をどう捉えるか (NHKブックス) 作者: 稲葉振一郎出版社/メーカー: NHK出版発売日: 2009/06/26メディア: 単行(ソフトカバー)購入: 18人 クリック: 224回この商品を含むブログ (121件) を見る 擬似相関の罠に陥らずに因果関係を見出すことが大切――というのはいいけれど、「因果関係」ってそもそも何? 「出来事Aが出来事Bを引き起こす」「法則Xが出来事αを引き起こす」 法則というものはそもそも観察不可能で、出来事間の関係といった形でしか定義できない。 観察可能なのは出来事だけで、関係は観察できない(単なる偶然≒単なる相関かも!) つまり……。 因果関係自体は実は直接には観察できない! 一時期は「因果関係自体は心理的なもので客観的には実在しない」という説が有力だったくらい。 現代最有力の

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  • ロシア・マルクス主義について今更見直し - shinichiroinaba's blog

    ――といっても全然体系的ではないけれど、10年、ものによっては20年積読だったをついに紐解く。 ボリシェヴィズムと“新しい人間”―20世紀ロシアの宇宙進化論 作者: 佐藤正則出版社/メーカー: 水声社発売日: 2000/03メディア: 単行購入: 1人 クリック: 137回この商品を含むブログ (3件) を見る全体芸術様式スターリン 作者: ボリスグロイス,亀山郁夫,古賀義顕出版社/メーカー: 現代思潮新社発売日: 2000/07/01メディア: 単行 クリック: 13回この商品を含むブログ (9件) を見るコミンテルンと帝国主義―1919-1932 作者: 嶺野修出版社/メーカー: 勁草書房発売日: 1992/02メディア: 単行 クリック: 1回この商品を含むブログ (1件) を見る 西洋マルクス主義を持ち上げてロシア・マルクス主義を不当に貶めることはやっぱりよろしくない。しか

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    gauqui
    gauqui 2012/10/03
  • Daron Acemoglu & James A. Robinson, Why Nations Fail (Crown Business) - shinichiroinaba's blog

    Why Nations Fail: The Origins of Power, Prosperity, and Poverty 作者: Daron Acemoglu,James Robinson出版社/メーカー: Currency発売日: 2012/03/20メディア: ハードカバー購入: 13人 クリック: 175回この商品を含むブログ (12件) を見る とりあえず読み終わったので、現在書いているメモから抜粋。 ============ Daron Acemogluらの研究グループによる「成長の政治経済学Political Economy of Growth」の研究プロジェクトにおける一つの論点は、包括的inclusiveな政治制度≒民主政と、包括的な経済制度≒自由な(開放的で公平な)市場経済との相互依存(好循環)、それと裏腹の略奪的extactiveな政治制度――権威主義的独裁等――

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  • 「社会科学基礎論に関する2,3の話題提供」@東大社会学 メモ - shinichiroinaba's blog

    この間昔の講義ノートを読み返したら、さして進歩していない――というか、今回の講義では実はそれほど新しいことが言えてない……あと1回最後の補講に何を積み込めるのか……。 ===================== ヘーゲル『法の哲学』における「市民社会」という言葉遣いは、マルクス主義を経由しつつ明らかにわれわれの、「国家」とは区別されるものとしての「市民社会」の概念の重要な源泉、お手ではあるが、すでに見たとおりそこには重要な違いもまたある。ヘーゲルにおいては市民社会は国家の部分、あるいはある側面であって、国家とは別個の、国家に外在する別の存在とはいえない。またそれは内と外とが区別され、数え上げることができる「個体」である。しかし現代のわれわれが日語で「市民社会」、いやおよそ「社会」というときには、いま少し異なったものがイメージされているとはいえまいか。 「市民社会」の対応語としてここで念

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  • 「社会科学基礎論に関する2,3の話題提供」@東大社会学 メモ - shinichiroinaba's blog

    ここまで「全体性」という語をやや不用意に用いてきたので、すこし反省してみよう。 通常の社会科学の理論的探究においては、人間性を所与(基法則と初期条件)、そして説明変数のレベルに置き、社会的現象をそこから導き出される被説明変数と置くことが多い。それに対して社会学においては、人間性を被説明変数として、それを説明する条件として社会的環境を設定することが多かった。しかしある時期までの理論社会学はそれにとどまることなく、その社会的環境の変容可能性を説明する更なるレベルを想定し、そこでの法則性の探究を志して挫折した――概ねこのような図式を、ここまで提示してきた。 この講義の文脈での「全体性」の探究とは、具体的には、「社会的環境の変容可能性」の探究、その可能性の幅――空間を知り尽くそうとすること、としておこう。しかしそれは、「変容可能性を支配する一般法則」の探究という形では不可能――とは言わないまでも

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  • 3月17日森建資先生退官記念講義「独立と従属の政治経済学」へのコメント(続) - shinichiroinaba's blog

    (承前) 他方で森は一人一人の生身の人間、とりわけ小農や労働者、というミクロな単位においてのみならず、マクロな「国民経済」という単位においても「独立と従属」について考えようとした。レオポルド・エイメリーへの着目(「エイメリーとイギリス帝国主義」)、更に『イギリス農業政策史』「1950年代の日英通商関係」と続く一連の作業は、農業政策と通商政策に止目しつつ、「国民経済」という観念の運命を考察しようとしたものと解釈することができる。 エイメリーら19世紀末から20世紀初めのイギリス帝国主義者たちは、森によればいわゆる「帝国主義者」、巨大な大英帝国による世界支配を志向する覇権論者などではなく、むしろ帝国経済圏というバッファを利用して、ローカルでナショナルなイギリスの経済的自立を確保しようとする国民経済論者である。彼らの思想的原点はいわゆるドイツ歴史学派の原点、フリードリヒ・リストに、更にはスミス以

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  • 「何故しぶとく生き延びるのか ゴキブリとマルクス」『諸君!』2005年8月号 - shinichiroinaba's blog

    松尾さんの新著をめぐって変に盛り上がっているのでお蔵出し。 何らかのネタの提供になるだろうか。 これと『教養』第7章を読んでいただければ、ぼくが疎外論的マルクス主義それ自体には割と批判的――正統派レーニン主義にもそれなりの事情があったし、その問題点が疎外論で克服できたわけでもない――と考えていることはお分かりになるでしょう。ただそれと今回の松尾さんのの評価とは、関係はあるが別の問題なわけだけど。(ていうかまだ読んでないし。) しかしこれを山形は全く知らないだろう70年代頃までの新左翼系の疎外論だの物象化論だのといったややこしい論争まで引っ張り起こしていじりまわすといったいどうなるのやら……(松尾さんには廣松渉批判の論文もあったな。廣松の「マルクス主義」がすでにマルクスから離れた別物であったというのは間違いじゃないだろうけど)。 ==============================

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  • 日本建築学会復旧復興支援部会シンポジウム「復興の原理としての法、そして建築」(3月23日)感想 - shinichiroinaba's blog

    以下は当日の模様のレポートではなく、あくまでも私的な感想である。公的なレポートは、来る『法学セミナー』をご覧いただきたい。なお、以下では触れていないが、モデレーターの木村草太による資料はきわめて充実しており、一見の価値がある。いずれ配信されると思われるので、希望者は木村氏にリクエストを出そう。 ===================== 「建築と法という観点から見たときに、今回の震災において一つ考えなければならないのは、やはり多くの人びとが財産としての住宅を失ったということである」「その意味において今次震災においては「何か全く新しいことが起きた」というより「以前からあった問題があからさまになった」だけのことである」との今回のシンポジウムの趣旨は大変にまっすぐで正当であると同時に、門外漢にとっては大変に示唆的でもあった。 基調講演で山理顕は、ハンナ・アレントを引いて「(財の)分配としての/

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  • ベーシックインカムとベーシックキャピタル――と金融屋 - shinichiroinaba's blog

    主義が嫌いな人のための経済学 作者: ジョセフ・ヒース,栗原百代出版社/メーカー: エヌティティ出版発売日: 2012/02/09メディア: 単行購入: 20人 クリック: 834回この商品を含むブログ (16件) を見るを読んでいて著者ヒースが「ベーシックキャピタルよりベーシックインカムの方がまし」という主張を「双曲線割引」というか「あぶく銭は身につかない」効果から説明している(北米先住民居留地における一時金や、宝くじ高額当選者の事例などで補強している)のを見て少し考えた。 言われてみればかなりもっともらしいのだが、ここに金融セクターは必ずやビジネスチャンスを見出すはずである。 ベーシックインカムが導入されれば、その受給権は将来にわたる担保として機能するので、既存の消費者金融はそこに新たなフロンティアを見出すであろう。 ベーシックキャピタルが導入されれば、これを預かって人のかわり

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  • いただきもの - shinichiroinaba's blog

    労働再審〈5〉ケア・協働・アンペイドワーク―揺らぐ労働の輪郭 作者: 仁平典宏,山下順子出版社/メーカー: 大月書店発売日: 2011/12/01メディア: 単行購入: 2人 クリック: 72回この商品を含むブログ (8件) を見る ありがとうございます。

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  • トークイベント「SFは僕たちの社会の見方にどう影響しただろうか?」感想 - shinichiroinaba's blog

    既に読まれた方には言うまでもないことだが、伊藤計劃の第二長編『ハーモニー』は第一長編『虐殺器官』の後日談として読むことができる。後者の末尾で暗示されていた大災厄を踏まえて、前者における超福祉管理社会が到来しているのである。 『虐殺器官』の結末において、主人公クラヴィス・シェパード大尉は人々を相互殺戮へと駆り立てる「虐殺の文法」の英語ヴァージョンをアメリカ合衆国において解き放ち、結果アメリカは阿鼻叫喚の無政府状態、内戦へと突入してしまう――と暗示されている。ここで当然ながら「「虐殺の文法」のヴィークルが英語であったならば、その影響範囲はアメリカを超えて英語圏全般、どころかほぼグローバルとなり統制不能となるはずだ」という推測が成り立つ。この可能性についてクラヴィス自身がどの程度自覚していたかどうかは、小説の記述自体からはわからない。主人公の一人称による叙述を真正直に信じるならば、彼はそのことに

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    gauqui
    gauqui 2011/12/29
    伊藤計劃、J・G・バラード、ジョン・スコルジー