タグ

2011年5月2日のブックマーク (2件)

  • まどかマギカ12話Cパートの解釈。 « おれせん。

    こちらのエントリで「なるほど」と思ったのですが、「まどかは、理不尽な世界の仕組みに怒り、永遠の魔法少女であり続けることを願い、永遠の戦いに身を投じることを願ったのだ」と。 (長々引用するのも悪いので一節にとどめましたが非常に端的かつ納得感の高い指摘なので是非全文を読まれたい) つまり状況としては、「理不尽な世界にボコ殴りにされる状態」から理不尽を解消し、「世界と平場で殴り合う状態」に変わったのだ、ということで、これは(ハッピーエンドとも云えるような、バッドエンドとも云えるような、という)現状の複雑な感情や12話Cパートやその他の表現ともよく符合するね、と。 (魔法少女でない普通の人間も幸せになったり不幸になったりするけれど、生まれてこなければそれ以前の問題なわけですよね。 で改変後の世界で、「世界と平場で殴り合う」というのは、ようやく「普通の魔法少女としての人生」が始まった、と位置づけ

  • まどか☆マギカは自己犠牲と救済の物語なのか? - 五十鈴の音 :アニメとかマンガとか

    最終話の放送からずいぶん間が開いてしまったが、ネットで「自己犠牲」「救済」という言葉を交えた多くのレビューを読み、どうしてもまどか☆マギカについて書きたくなったので書いてみる。 自己犠牲という言葉の裏側には、まどかが無償の愛で魔法少女を救う、というニュアンスが含まれているように思う。 だが、当にそうなのだろうか? 最終話で、まどかはキュゥべぇに対し、「さあ叶えてよ、インキュベーター!」と言う。まどかが強い口調で何かを言い放つのは、物語を通じて初めてのことだ。まどかにこう言わせた動機は、何だったのだろう。 慈悲?憐れみ?心が潰れるほどの悲しみ? 私は、「怒り」だったのではないかと思う。 第9話で、杏子はこう言った。 「あんただっていつかは、否が応でも命懸けで戦わなきゃならない時が来るかもしれない」 そして、最終話の精神世界で、杏子は重ねて言った。 「戦う理由、見つけたんだろ?逃げないって自

    まどか☆マギカは自己犠牲と救済の物語なのか? - 五十鈴の音 :アニメとかマンガとか