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ブックマーク / blog.goo.ne.jp/f-ryota (3)

  • 『うみねこ』とジャンルの問題 - 仮想算術の世界

    相変わらず朦朧とした頭で、昨日ようやく『うみねこのなく頃に』のep.3をプレイ。やはり竜騎士さんの着想は凄い。よくこんなこと考えるなぁという感じ。 この作品のコンセプトは明快で、ep.1から記されていたように「推理は可能か不可能か」というものです。具体的には、ある殺人事件を人間が犯した事件として、つまりはミステリとして読み解くか、それとも非現実的な魔法が跋扈するファンタジーとして読み解くか、そのふたつの解釈が対立しているわけです。通常のミステリが真実に到達することを目指し、通常のアンチミステリが推理(真実への到達)の不可能性を描くのに対して、『うみねこ』はそもそもミステリが可能となる「条件」を描こうとしている。 これは、ある局面をファンタジー化するパッチを当てて処理するか、それともミステリ化するパッチを当てて処理するかという違いに相当すると考えられます。『うみねこ』の錯綜した舞台をふつ

    genesis
    genesis 2008/10/06
    曰く,「『うみねこ』は、ジャンルが必ずしも認識を志さなくなり、ただ認識をセットアップするジャッジメントに強い関心が向けられるようになる時代の特質を、よく物語っているのだと思います。」
  • ナルシシズムの変質? - 仮想算術の世界(福嶋亮大)

    宇野常寛さんの『ゼロ年代の想像力』の書評などいろいろ書いてました。書評は来月掲載される予定です。 宇野さんのは、連載で読んでいたときとはだいぶ印象が違って、いろんな意味で面白かったし刺激になりました。「雑誌で読んだし、買おうかどうしよう」と思っている方は、一度書店で手に取られることをおすすめしておきます。決して社交ではなく(笑)これは読まれるべき力作です。 ただ、書評を書くのはかなり大変でした。発売前からこんなにネットで「書評」が出てるは他にないし、一応最初はネット上の言論をチェックしようと思っていたのですが、とても把握しきれないので諦めたというのが実情です。というか、そういう新しい言論空間こそが宇野現象の質だと思うので(ちなみにニコ動と初音ミクとらき☆すたと宇野常寛は同じ何かを共有しているというのがぼくの考えなんですが)、書評もそのあたりに触れつつ書いています。 * それで

    genesis
    genesis 2008/08/02
    曰く,「たぶん宇野さんが影響を受けた浅羽通明氏や宮台真司氏でも、ハルヒの生き方批判なんてことまではやらないはずなので、ここには宇野さんの考えの独自性が強烈に出ている。」
  • CLAMP論の準備 - 仮想算術の世界

    前回の投稿はどうも不必要に細かく読まれるような気がするので、改めて書いておきますが、最大のテーマはアニメの論理とゲーム/MADの論理は違うということです。そして、ただそれだけです(笑)。 さて『レイアース』にふと言及したせいで勝手にスイッチが入ってしまって(笑)アニメ版を十年ぶりに見直したりしてたのですが、やっぱりCLAMPは重要だと改めて思いました。そもそも(日に限らず)東アジアという広がりで見ても、CLAMPはたぶん90年代にいちばんよく読まれた漫画家です。なので、日にまともなCLAMP論がないのは(いや、僕が知らないだけかもしれませんが)非常に良くない。当は『ユリイカ』の原稿でもCLAMP論をやりたかったのですが、準備ができなくて断念したんですね。しばらく前に「個別の漫画家にはあまり興味がない」と書きましたが、CLAMPだけは別格。 たとえば、舞城王太郎や佐藤友哉が出てきた

    genesis
    genesis 2008/07/05
    曰く,「CLAMPの世界では、象徴秩序はかなり任意に書き換えることができる。こういう態度はまた、時代の流れともよく合っていたと言えます。」
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