シムシティというゲームは都市を大きくするのがゴールなんだけど、一応クリア条件とされる規模まで成長させて、記念モニュメントが建ったその街を見るともうギチギチに建物がつまっていて郊外には原発が立ち並んでいて、それはもうディストピアとしかいいようがない。 あらゆる成長ってそういう要素があると思う。
シムシティというゲームは都市を大きくするのがゴールなんだけど、一応クリア条件とされる規模まで成長させて、記念モニュメントが建ったその街を見るともうギチギチに建物がつまっていて郊外には原発が立ち並んでいて、それはもうディストピアとしかいいようがない。 あらゆる成長ってそういう要素があると思う。
セルフブランディングとか、そういうやつは本当にくだらないと思う。 もともと、自分にラベルつけて切り売りするようなことを無意識に避けていたけれど、今後はもう意図的にやらないと決めた。自分を高く売るとか本当にくだらないことだ。芸名をつけて活動するならともかくとして。 本当は、これまで、そういうのがうまい人に対するねたみのようなものももっていた。自分は下手だから他人に受け入れられないと思っていた。 でも、そのねたみから脱却するために、今年の春から夏にかけては、日記でもちらほら書いたけれど、意図的にそういう人のような振る舞いを限定的に試してみた。具体的には、自分の属性や自分のスキルをわかりやすく整理して他人にアピールするようなこと。そしたら、なんだ、ふつうに需要があって市場に流通できるってことが見えてきて、同時にそれで得られるものも見えてしまった。 そもそもセルフブランディングのうまい人を見ていて
ポジティブな意見をブログに書く。そのくせにそのエントリータイトルがいつも他人のコンプレックスを刺激して平たく言うと炎上ぶくみな感じになってて、だからブクマの数はついて、その数をすごく意識してるくせに「ポジティブなことを書いてるのにこんなにたたかれるはてブって(orインターネットって、or日本って、etc)おかしい」とかいう。そういうのが本当にしんどい。 わかってやってるいわゆる炎上マーケターもどうかと思うけど、もしその人が本当に善良なポジティブな人だったとしたらよけいに深刻な感じ。単純に他人の注目を集めようとしてつけた(そうでしょう?)そのタイトルが、どれだけの人のいやな感情をくすぐったのかに思いがいたらないところが。わかってたのにできなかった、機会に恵まれなかった、そもそもバックグラウンド自体が劣悪だった、そういう痛みがあるから「私がXXをXXできたXつの方法」なんて感じの「ポジティブな
毎日、たくさんの人のブログ記事を読んでいる。そのなかには何かの神が宿ってると感じられるものがあって、それは、大抵の場合、その書き手が、何かをものすごく渇望していて、手に入れたい近づきたい、あるいは誰かに対してその渇望の正体を知ってもらいたい・・・そういうとてつもない力が文章にぶつけられているときで、結局、そこに宿っているのは神ではなく、その人そのものなのだろうとも思う。 数年間、そういうブログを読み続けると、その渇望していたものを手に入れたり、あるいはメディアに見出されて、著書が出版されたり、そうでなくてもブロゴスフィアの有名人となり理解者が増え、結果的にその人の欲求が満たされたりする事例を多く見聞きする。 長年、その人の渇望を自分のことのように心で受け止めてきただけに、それはとても嬉しいことである。しかし、残念なことに、渇望していたものを手に入れると、たいていの場合、その人のブログは神が
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
処理を実行中です
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く