鼻血は福島原発由来の放射能のせいだと主張する雁屋哲への批判が大きい。批判そのものはいい。科学的合理性がないという主張それ自体はいいが、どう見てもそれ以上の部分にはみ出ているように見える。 構図はニセ科学批判と全く同じであって、たとえば「実害」があるとするならば、そして事実「実害」が出たならば、その害を受けた人が裁判にするべきであって、外野からできることは相当に限られるし、その限界を乗り越えることは私的制裁と同じことになると思う。 一部に、「御用学者として良心的な専門家の口を封じてきたのは誰か」という批判もあるが、相手がそういうことをやってきたので自分たちもそういうことをやってもよいと言うことには一切ならないどころか、かえって議論の党派性を過熱させ、議論の妥当性を失わせるのではないのだろうか。 細かいことは書かないが、「目くそ鼻くそを笑う」としか言いようがない現実に、嘆息しか出ないというのが