2012年8月26日 講師:髙橋昌明氏(神戸大学名誉教授/大河ドラマ「平清盛」時代考証) ※注意※ 私はセミナー内容にも講演者の著作権があると思うので、内容の掲載ではなく、あくまでも講演を聴いた私の感想として書きます。 ■おおーっ、ついに岡山でもセミナー開催。しかもゲストは、プロデューサーでも役者さんでも演出とかのスタッフでもなく、時代考証の先生。なんだか手堅い~。私もさっそく往復はがきをだして申し込みました。 で、当日。駅前のNHKが入ってるビルの前に行くと、でっかいナナミちゃん人形のあたりに、なんか黄色いシャツの集団が。「募金おねがいしまーす」とか「奥のホールにお越し下さい~」とやってます、24時間TVです。コラボしてるのか!?と思ったのですが、別にそういうわけでもなく、奥のホールへの呼び込みをする黄色いシャツ集団が、だんだん前にせり出してきてNHKの入り口前に陣取ってる格好になって
青い地球を背景に撮影されたミッションSTS-120のために国際宇宙ステーション(ISS)へ向かう米スペースシャトル「ディスカバリー(Discovery、2007年10月25日撮影)。(c)AFP/NASA 【7月21日 AFP】21日にスペースシャトル「アトランティス(Atlantis)」の帰還をもって30年の歴史に幕を閉じる米スペースシャトル計画。この「史上最も複雑でコストの高い航空機」は、宇宙に前哨基地を築く支えとなった一方で、過去30年間の米国の宇宙計画を低軌道上に縛り付けるものでもあった。 引退目前のスペースシャトルに関するエピソードを拾ってみよう。 ■コスト 米航空宇宙局(NASA)の50年の歴史の中で最長プロジェクトとなったスペースシャトル計画には、30年間で計2080億ドル(約16兆5000億円)が投入された(2010年米ドル換算)。1回のミッションの打ち上げとその準備に必要
夏らしい星たちが東から上ってくる新暦七夕の7月7日、星座をデザインした特殊切手「星座シリーズ」第一集が発売される。 いままで星座がデザインされた切手は、単発のものしかなかった。1953年に発売された東京天文台創設75年記念切手には、北極星と北斗七星、カシオペヤ座が 描かれ、1978年の同創立100年記念切手には、オリオン座が描かれている。珍しいところでは、1999年に長野のふるさと切手だろう。「東大木曽観測所と御嶽山」の背景には、星座ではなく、いっかくじゅう座のバラ星雲がデザインされている。 しかし、今回のように、多くの星座がデザインされているシリーズものは、日本では初めてである。最初の第一集は、9つの夏の星座たちがデザインされた、実にさわやかな切手のセットだ。さらに嬉しいことに国際天文学連合で定められた星座だけでなく、日本固有の星座もデザインされ、紹介されている。第一集で取り上げられてい
海外FX業者を利用する上で、ボーナスは絶対に欠かせません。口座を新規開設するだけでもらえる「口座開設ボーナス」、入金時にもらえる「入金ボーナス」、その他にもキャッシュバックなど、様々なボーナスがもらえます。 受け取ったボーナスはそのまま取引に使え、利益が出た時は出金することも可能です。お得はあっても損はないボーナスなので、海外FX業者を選ぶ際には必ず比較しておきたいところです。 そこでこの記事では、海外FXボーナス(口座開設ボーナス・入金ボーナスキャンペーン)全195社を徹底的に研究した上で、おすすめ完全比較ランキングにまとめました。日本人に人気のFX業者だけでなく、マイナーの海外FX業者や注意点なども詳しく解説していきます。 「海外FXボーナスが豪華な業者をすぐに知りたい」という方向けに、海外FXボーナス選びに役立つカオスマップを作成したのでこちらも併せて参考にしてください。 「どのFX
昭和十年八月四日の朝、信州(しんしゅう)軽井沢(かるいざわ)千(せん)が滝(たき)グリーンホテルの三階の食堂で朝食を食って、それからあの見晴らしのいい露台に出てゆっくり休息するつもりで煙草(たばこ)に点火したとたんに、なんだかけたたましい爆音が聞こえた。「ドカン、ドカドカ、ドカーン」といったような不規則なリズムを刻んだ爆音がわずか二三秒間に完了して、そのあとに「ゴー」とちょうど雷鳴の反響のような余韻が二三秒ぐらい続き次第に減衰しながら南の山すそのほうに消えて行った。大砲の音やガス容器の爆発の音などとは全くちがった種類の音で、しいて似よった音をさがせば、「はっぱ」すなわちダイナマイトで岩山を破砕する音がそれである。「ドカーン」というかな文字で現わされるような爆音の中に、もっと鋭い、どぎつい、「ガー」とか「ギャー」とかいったような、たとえばシャヴェルで敷居の面を引っかくようなそういう感じの音が
昭和八年三月三日の早朝に、東北日本の太平洋岸に津浪が襲来して、沿岸の小都市村落を片端から薙(な)ぎ倒し洗い流し、そうして多数の人命と多額の財物を奪い去った。明治二十九年六月十五日の同地方に起ったいわゆる「三陸大津浪」とほぼ同様な自然現象が、約満三十七年後の今日再び繰返されたのである。 同じような現象は、歴史に残っているだけでも、過去において何遍となく繰返されている。歴史に記録されていないものがおそらくそれ以上に多数にあったであろうと思われる。現在の地震学上から判断される限り、同じ事は未来においても何度となく繰返されるであろうということである。 こんなに度々繰返される自然現象ならば、当該地方の住民は、とうの昔に何かしら相当な対策を考えてこれに備え、災害を未然に防ぐことが出来ていてもよさそうに思われる。これは、この際誰しもそう思うことであろうが、それが実際はなかなかそうならないというのがこの人
「宇宙」という言葉がいつ頃どこで使われ始めたか…「宇宙」という言葉の成り立ちについて、金木犀さんの講義です。 以下に続きます! ◆「宇宙」という言葉の起源についての考察(近現代編) http://togetter.com/li/160411
Read the stories of early space exploration from the original transcripts. Now open to the public in a searchable, linkable format. …highly addictive… — The Huffington Post Featured Missions Mercury 4 (1961) NASA's second suborbital mission was a success until after splashdown, when the hatch blew unexpectedly, forcing pilot Gus Grissom to egress into the water as the capsule began to sink. Gemini
宇宙開発とビジネスと民主主義(moderntimes) 宇宙開発と社会との関係を分析。 松浦晋也と鹿野 司の“読書ノート”(裳華房) 裳華房メールマガジンでの書評連載。 日経クロステック著者検索 松浦晋也 日経BPの媒体に書いた2003年以降に書いた技術的記事が読めます。全部ではありません。一部は同社のウェブ媒体リニューアルで消えたままになっています。 日経ビジネス電子版・著者ページ 2015年以降に日経ビジネス電子版に書いた記事は、ここから読むことができます。 介護生活敗戦記 2017年に連載した、認知症を発症した母80歳を自宅介護した記録です。現在連載は、NPO法人「となりのかいご」代表の川内潤さんが受け継いでいます。ここから著書「母さん、ごめん。」が生まれました。 松浦晋也の「モビリティビジョン」 2008年から2011年にかけて「Wireless Wire」で行った乗り物に関する連
以前、とあるクラシックの音楽番組からブラームスについての取材を受けたことがある。開口一番「ブラームスはどんなところが天才なんでしょうか?」と聞かれたので、言下に「いや、彼は天才じゃないでしょう」と応えたところ、「・・・・・」。 取材はボツになった。 どうやら番組としては・・・ブラームスは「保守的」な作曲家というイメージがあるが、実は「こんなに斬新」で「こんなに画期的」なことをやっていたんです・・・というような指摘とコメントが欲しかったらしいのだが、私の意見は全く逆。 ブラームスは「保守的で」「新しいことをやらない」「才能のない作曲家」なのに、現代に至る〈クラシック音楽〉の基礎を作った。そこが凄いのだ。 そもそも、昔から「天才」という言い方はどうも違和感がある。人のプラス部分をなんでも「天才」と一括りにしてしまうのは、マイナス部分を何でもかんでも「気違い」と一括りにしてしまうのと同じで「思考
あの「のだめカンタービレ」の中に、ちょっとしゃれたセリフがあった。 むかしは、音楽理論を熟知し理性で音楽を把握できる人のみを「ムジクス(音楽家)」と言い、 歌ったり演奏したりするだけの人を「カントル(歌い手)」と呼んだ。 これは、カンタービレ(歌うように)ということばの語源を語るセリフで、ただピアノを弾いたり歌ったりして音楽を楽しむだけでなく、知的に音楽を探究する姿勢があってこそ「音楽家」なのですよ、という「ちょっといい話」。 確かに中世やルネッサンス期の「音楽家」というのは、音楽を歌ったり演奏したりする人のことではなく、音楽全般に通じた人のことだったようだ。 実際、古代ローマ時代には「文法、修辞学、弁証法」と共に「算術、幾何、天文、音楽」がインテリの必修七科目だったそうで、「音楽」は単なる「娯楽」などではなく立派に「学問」のレベルだったらしい。 かのレオナルド・ダヴィンチがそうだったよう
◇それぞれに夢は続く 長沼毅・広島大准教授(49)は15年前、自らの「使命」を果たすため宇宙飛行士の選抜試験を受けた。 人類が初めて宇宙飛行をした1961年4月12日に生まれた。そして20歳の誕生日がスペースシャトルの初飛行。宇宙へのあこがれは「縁」と思えるほど強くなった。 選抜試験には572人が挑戦し、長沼さんは最終選抜の48人に残ったが落選。その時選ばれたのが野口聡一飛行士(44)だ。 研究者として深海、砂漠、極地など極限環境で生きる生物を追いかけている。シャトルを使った独創的な計画を論文で発表したこともある。シャトルの貨物室に日本の潜水調査船「しんかい6500」を積み、氷の海を持つ木星の第2衛星「エウロパ」に送り込むという壮大な構想だ。 飛行士の夢は断念したが、「宇宙に身を置いて極限環境に生きる地球外生命を探す」と、今も使命感を持ち続ける。「シャトルの後継機ができたら、誰もが尻込みす
◇白紙からのスタート 初日。宇宙酔いのぼうっとした頭で窓の外を探したが見つからない。ふと上を見上げると、青く輝く地球が目に入った。 「(初めて宇宙を飛んだ)ガガーリンの『地球は青かった』という言葉が、ああ本当にそうなんだと実感できた」 日本人で初めて米スペースシャトルに搭乗した毛利衛さん(62)=日本科学未来館長=は、92年9月の「エンデバー」での初飛行をこう振り返る。毛利さんは宇宙実験を担当する科学者として乗り組んだ。選抜から7年がたっていた。 「飛行士選抜も訓練もまったくの白紙からのスタート。正直、NASA(米航空宇宙局)の言う通りやればできると思っていた」。当初から有人計画に携わってきた宇宙航空研究開発機構(JAXA)の上垣内(かみがいち)茂樹・計画マネジャー(52)は打ち明ける。NASAに対価を払って参画したのに、最初の出張で渡されたのは出入り業者用の通行証。NASA側の安全基準が
おおすみからはやぶさへ 衛星「おおすみ」が打ち上げられた、40年前のきょう。ソ連、米国、フランスに次ぐ快挙に日本は沸いた▲ 道のりは遠かった。軍事転用可能な誘導制御技術は日本では使えない。失敗が4度続き、東大宇宙航空研究所(宇宙研)への風当たりが強まる。故糸川英夫博士は退官を余儀なくされた▲ 宇宙研の歴史をたどった「はやぶさ」(吉田武著、幻冬舎新書)から博士の言葉を拾ってみる。「逆境こそが人間を飛躍させる」「少し不安定現象が生じた方が今後の進歩に寄与する」「失敗は成功よりも尊い」―。物資も予算も限られたなか、独創的ロケット技術を育てた▲ そして今。博士の名を冠する小惑星イトカワを探査した「はやぶさ」が地球を目指す。下旬に月軌道の内側に到達するという。既にイオンエンジン運用や精密な観測で成果を挙げたが、最大の使命は表面物質の採取持ち帰りだ▲ しかし最後まで予断を許さない。満身創痍(
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