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ブックマーク / hayabusa.jaxa.jp (20)

  • 関係者からのメッセージ│はやぶさ、地球へ! 帰還カウントダウン | 2010年9月3日 「はやぶさ」の運用が残したもの スーパーバイザ 森 治

    2010年9月3日 「はやぶさ」の運用が残したもの スーパーバイザ 森 治 大学から異動したばかりの私の最初の仕事は、当時打ち上がって間もない「はやぶさ」のスーパーバイザ(SV)でした。 プロジェクトの経験がほとんどない自分が船長に相当するSVを当に務められるのか?という心配よりも、史上初めて小惑星に行って「かけら」を持ち帰ってくるという壮大な冒険に参加できるという期待の方がずっと大きかったと思います。 最初に驚いたのは用語が全く分からないことでした。略語集を作って、地道に実験計画書を調べていくうちに少しずつ「はやぶさ」のシステムや運用について、理解できるようになってきました。そして、知れば知るほどよく考えられて作られた探査機だなぁ、と実感しました。 運用では、得られるデータに限りがあるため、どこまで想像力を働かせられるかにかかっています。これは、特に不具合発生時に顕著になります。不具合

    halca-kaukana
    halca-kaukana 2010/09/06
    IES兄さんの無茶振りで。IKAROSチームは、「はやぶさ」運用で運用のノウハウを得た。技術や運用の継承がこうやって続いていくことを願って。
  • 関係者からのメッセージ│はやぶさ、地球へ! 帰還カウントダウン | 2010年8月2日 「挑戦力」の灯を受け継ぎたい スーパーバイザ 津田 雄一

    2010年8月2日 「挑戦力」の灯を受け継ぎたい スーパーバイザ 津田 雄一 私が「はやぶさ」の計画を初めて聞いたのは、大学生のときでした。宇宙工学をかじりはじめたばかりの私にとって、この「はやぶさ」のやろうとしているサンプルリターン計画は、壮大を通り越して、無謀に思えました。日にこんな計画が立てられるとは!そして思ったものです。こんなすごい計画を真剣に計画している日人とは、どんな人たちなのだろうか、と。 もっと小さい頃、似た感覚を持ったことがあります。それは、76年に一度地球に接近するハレーすい星がやってくる1985年、日が「さきがけ」「すいせい」を打ち上げたときです。この自分のいる日が、あのハレーすい星に、しかも2機も探査機を打ち上げたのです。小学生ながらに、その凄さに興奮しました。特に日という国に特別な気分をもつ年頃でもないはずですが、日はすごい、捨てたものではないぞと思

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    halca-kaukana 2010/08/03
    IKAROSの津田さん。「“魅せる無謀”は、実は十分な技術に裏打ちされた挑戦力のなせる業である/私は、先人の「挑戦力」の灯をしっかりと受け継いでいきたい。」熱いね、いいね!
  • 関係者からのメッセージ│はやぶさ、地球へ! 帰還カウントダウン | 2010年7月9日 私の選ぶ「はやぶさ」最高の「その時」 探査機運用班長、スーパーバイザー、イオンエンジン担当 西山 �

    2010年7月9日 私の選ぶ「はやぶさ」最高の「その時」 探査機運用班長、スーパーバイザー、イオンエンジン担当 西山 和孝 「はやぶさ」の応援をしてくださった方々やプロジェクト関係者の皆さんにとって、最も印象的で記憶に残った「その時」は7年間の「はやぶさ物語」のどの場面でしょうか? おそらく、「はやぶさ」がさまざまな苦難に立ち向かう場面を思い浮かべる方が多いことでしょう。プロジェクト関係者ですら記憶にないことかもしれませんが、私はあえてイトカワ到着の4ヶ月ほど前の2005年5月10日から17日にかけての一週間を最高の名場面、「その時」としてあげたいと思います。 2010年6月13日、一時は「強制終了」かとも思われた7年間(2592日間)にわたる「はやぶさ」探査機運用のラストシーン(最終追跡運用)を私は最終スーパーバイザーとして完成(管制)することができました。全ミッション期間の探査機追跡は

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    halca-kaukana 2010/07/09
    刻々と変わる探査機と太陽の距離・姿勢制御・地球の方向などで運用も常に刻々と変わる。ドラマティックな旅路の陰に地道な運用が。自律的な運用が実現するであろう太陽系大航海時代が来るといいな。
  • 関係者からのメッセージ│はやぶさ、地球へ! 帰還カウントダウン | 2010年7月5日 「はやぶさ」が「MUSES-C」と呼ばれていた頃 推進系・ターゲットマーカ担当 澤井 秀次郎

    2010年7月5日 「はやぶさ」が「MUSES-C」と呼ばれていた頃 推進系・ターゲットマーカ担当 澤井 秀次郎 私が「はやぶさ」に関わっていたのは、主に打上げ前、つまり「はやぶさ」がMUSES-Cと呼ばれていた頃です。 その「MUSES-C」改め「はやぶさ」を再び目で見ることができるとは、正直思っていませんでした。それは、カプセル帰還の映像で、一緒に大気圏に突入して燃え尽きる姿でしたが、まさに華々しく散る様子。自分たちが精魂込めて作り上げたものが、灼熱の中で焼けていく姿は、悲しいというよりも、とても美しく、また、最期を看取ることができた、という感慨がわいてきました。 探査機の「はやぶさ」がこれほど注目を集めることになった、というのは、嬉しい反面、驚いてもいます。 たとえば、打上げの半年くらい前に、「はやぶさ」(当時はMUSES-C)の話をしに、西日の某都市に出かけたときは、数百人入る会

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    halca-kaukana 2010/07/05
    「あの頃、私たちは一般の方々に対して、十分にこの「はやぶさ」の面白さを伝えていなかったのではないか?それは今、進められているいろいろな研究でも、ひょっとして変わっていないのではないか?」
  • 関係者からのメッセージ│はやぶさ、地球へ! 帰還カウントダウン

    2010年6月23日 「はやぶさ」から 元宇宙研広報委員長 的川 泰宣 「はやぶさ」のカプセルが相模原に帰ってきた。6月18日午前2時過ぎである。深夜の宇宙科学研究所の正門前には大勢の人が歓呼の声を挙げて出迎えた。入口左に「夢と希望をありがとう はやぶさ」と大書した横断幕。7年間の長旅を経た「はやぶさ」の、戦地からの「引揚者」はこれだけである。「隊」は華々しくオーストラリアの夜空に散った。 6月13日の夜、上空に出現した光の点がみるみるうちに輝きを増し、すぐに人々の影が地上に見えるほどの明るさになった。と見る間に太い光の帯はほどけて、おそらくは体のあちこちを溶かしながらバラバラとそれぞれの個々の大きな真珠に姿を変じていく。やがて真珠は小さな小さな粒になって大空に消えていった。ふと見るとその黒い虚空のすぐ下に懸命に走り抜けている弾丸走者がいる。「はやぶさ」の消えた闇をただ一人生き抜いて生還

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    halca-kaukana 2010/06/23
    「逆境は人間を鍛える。/日本の太陽系探査が世界をリードする時代を、コップの中の嵐を乗り越えて、宇宙科学にたずさわるすべての人々の力で切り拓いていこう」
  • 関係者からのメッセージ│はやぶさ、地球へ! 帰還カウントダウン

    2010年6月21日 はやぶさ〜Well come Back to Home!〜 ジャズピアニスト、作曲家 甲斐 恵美子 7歳になったはやぶさ君。 いよいよ今月6月に地球に帰ってきます! 私は、はやぶさ君がまだMuses-Cと言われている時に彼に会いに行きました。 なぜなら、Muses-Cのプロジェクトチームの方たちから、「僕たちのロケットにテーマ曲を作って!」との依頼があり、曲の構成を考えていたからです。 最初に目に飛び込んできたのは、真っ白い体に金色の衣装を着た美しく、またかわいらしい姿でした。身の丈私くらい(私152センチ)巾はわたしが寝っ転がったよりもう少しありました。 まあ!こんな小さな子が、遠くの火星の外の小惑星まで行って、星のかけらを取ってくるなんて、なんて勇気があるのでしょう! と、しばしはやぶさ君と色々とお話しをしてきました。 はやぶさ君の任務を考えてみると、人間の一生

    halca-kaukana
    halca-kaukana 2010/06/21
    「祈り」のBGMとしても使われている「Lullaby of Muses」の甲斐さんのコメント。甲斐さんは実際に打ち上げ前の「はやぶさ」に会ったことがあるんだね。
  • 関係者からのメッセージ│はやぶさ、地球へ! 帰還カウントダウン | 2010年6月10日 「はやぶさ」地球帰還に際し 臼田宇宙空間観測所 アンテナ運用担当一同

    2010年6月10日 「はやぶさ」地球帰還に際し 三菱電機 臼田宇宙空間観測所アンテナ運用担当一同 臼田、鹿児島宇宙空間観測所のアンテナ設備を担当させて頂いておりますが、思い返せば「はやぶさ」の打上げは、臼田現地では、少ない限られた要員で時には、実質一人で全体の面倒を見るという、余り例の無い体制下での打上げ〜初期運用ミッションでした。 「イトカワ」到着前を含め小さなトラブルは、有りましたが、「イトカワ」へのタッチダウンを成功させた後、キャリアが喪失してしまうトラブルに見舞われ、返事をしてくれない「はやぶさ」に対し、軌道決定より計算された予報角度のみを信じ、答えが戻って来る事を祈りながらアンテナを向け測定器で、返信の電波を探し続ける日々が約1ヶ月以上もの間続きました。 この時、話し相手のアンテナを目標(「はやぶさ」)に向ける担当としては、当に予報値の方向にアンテナが向いているかどうか気が気

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    halca-kaukana 2010/06/10
    臼田さん担当さんのお話。通信担当も大変だろうなぁ。
  • 関係者からのメッセージ│はやぶさ、地球へ! 帰還カウントダウン

    2010年6月3日 出立前のメッセージ 電池屋~方探班の一隊員として~ 曽根 理嗣 先発隊が日を発った。僕ももうじき後を追う。 現地では、皆で顔を合わせるタイミングは少ない。皆、砂漠に散っていく。 いざみんなで砂漠に展開するときには、水杯でも交わそうか。もちろん別れの水杯ではなく、もう一度、必ず合間見えて、成功を称えあうことを期しての水杯として。 僕が子供の頃、その宇宙戦艦は旅立った。目指す星がそこにあることを信じ、でもその星の姿を誰も見た者はいなかった。分かっているのは、片道14万8千光年、往復29万6千光年という絶望的な距離。気の遠くなる数字を前に、宣言される。 「人類滅亡まで、あと三百と六十五日、あと三百と六十五日しかない。」 満身創痍の戦艦は、メインエンジンと補助エンジンの「最大合わせて3機のエンジン」に光を宿し、這うようにして宇宙を旅していた。 コスモクリーナーDを地球に持ち帰

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    halca-kaukana 2010/06/03
    曾根さん、熱いです。電池屋としての仕事、「はやぶさ」に関わったひとりとしての誇りと熱意が伝わってくる。
  • 関係者からのメッセージ│はやぶさ、地球へ! 帰還カウントダウン | 2010年6月1日 「はやぶさ」の遺伝子 はやぶさ運用元学生当番・現スーバーバイザ 森本 睦子

    2010年6月1日 「はやぶさ」の遺伝子 はやぶさ運用元学生当番・現スーパーバイザ 森 睦子 1の論文と勇気を出して書いた1通のメールがきっかけで、私は今、ここJAXAの相模原キャンパスで深宇宙探査工学の研究と、はやぶさ運用の「スーパーバイザ(※1)」として現場の仕事の修行を積んでいます。全ては「はやぶさ」の遺伝子を継ぐ「はやぶさ後継機」と、さらにその先に広がる「太陽系往復探査時代」を私たちの世代で実現させるために。 「はやぶさ」が打ち上げられた2003年、私は博士課程の学生としてJAXAの相模原キャンパスに来ました。まもなく「学生当番」として「はやぶさ」運用に携わる事に志願しました。 修士まで関西の大学院で宇宙工学を専攻していたものの、実際に自分が惑星探査の現場に携われると思っていませんでした。当時電気推進の軌道設計の研究をしていた私は、ある日川口先生の「はやぶさ」(当時はMUSES

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    halca-kaukana 2010/06/02
    「はやぶさ」で受け継がれてゆく沢山のもの。そしてその受け継いだものをさらに次へ繋げるためにも、後継機を…!
  • 関係者からのメッセージ│はやぶさ、地球へ! 帰還カウントダウン | 2010年5月27日 ひとつの探査機の最後 カプセル方探2班 班長 関 妙子

    2010年5月27日 ひとつの探査機の最後 カプセル方探2班 班長 関 妙子 6月にオーストラリアに直接出向く回収隊メンバーは、年齢も経歴も専門分野も、実に様々な人々で構成されています。「はやぶさ」プロジェクトに最初から関わっていた方もいれば、回収フェーズになってから参加したメンバーもいます。かく言う自分も、ほんの一年前までは外野から応援する一人のファンにすぎませんでした。スイングバイ、タッチダウン、通信途絶、そして救出…大きなイベントのたびにプレスリリースを見ては、一喜一憂していました。まさか、回収隊の一員となって頭にヘルメット、足には安全、脚立に上り、片手にレンチを持ってアンテナを組立て、真夜中のウーメラの砂漠で「はやぶさ」の届け物を探すことになるとは、思ってもいませんでした。ふとしたことをきっかけに得られる、またとない経験。人の縁というのは不思議なものです。 「はやぶさ」がM-V-

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    halca-kaukana 2010/05/28
    「今度は「はやぶさ」にもその瞬間が近づいています。しかも、我々の目の前で起こります。最後の運用から消滅までの時間は長くないはずです。心の準備は出来ていますか?」最後はあっという間。私はどう迎えるだろう
  • 関係者からのメッセージ│はやぶさ、地球へ! 帰還カウントダウン | 2010年5月24日 「はやぶさ」と私 データ処理系・地上系担当 山田 隆弘

    2010年5月24日 「はやぶさ」と私 データ処理系・地上系担当 山田 隆弘 「はやぶさ」は私が関わった多くの衛星プロジェクトの中でも私にとっては特別なものの一つである。私は「はやぶさ」プロジェクトにおいていくつかの仕事をしてきたが、まず最初に担当したのは、探査機に搭載されるデータ処理システムの機能を考えることであった。紆余曲折はあったのだが、多くの人といろいろな検討を行った結果、私の提案した機能がほぼ全て探査機に搭載されることとなった。これらの機能は、探査機の打ち上げ後にいろいろな場面において有効に機能することとなり、「一仕事やったな」と強く感じたものである。 次に担当したのは、NASAの地上局設備(深宇宙通信網)と相模原の運用設備とを接続し、相模原からNASAの深宇宙通信網を経由して飛行中の「はやぶさ」をリアルタイムに制御するためのシステムを構築することであった。これも初めのうちは細か

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    halca-kaukana 2010/05/24
    「「はやぶさ」が満身創痍ながらも全力を振り絞って地球に戻りつつあるのは、地球でこのようなすばらしい人達が頑張っていることを「はやぶさ」も知っているからだと思う。」
  • 関係者からのメッセージ│はやぶさ、地球へ! 帰還カウントダウン | 2010年5月14日 ウーメラ砂漠に「サクラサク」ために 軌道決定 大西隆史(富士通株式会社)

    2010年5月14日 ウーメラ砂漠に「サクラサク」ために 軌道決定 大西隆史(富士通株式会社) これまで10年あまり、「はやぶさ」軌道決定のシステム開発と運用に携わってきた。 「軌道決定」というのは、探査機が現在どこを飛んでいるか、その位置と速度を調べる作業で、この結果に基づいて軌道のずれを修正する「軌道制御」を計画し実施する、というのが通常の探査機運用の流れだ。しかし、「はやぶさ」では、これまでの他の探査機とは、ちょっと勝手が違っていた。イオンエンジンによって常に加速、すなわち軌道制御を行なっているため、軌道制御をしながら軌道決定し、その結果を翌週の軌道制御計画、すなわちイオンエンジン運転計画に反映する、というサイクルを回す必要があるのだ。 今でこそ満身創痍の「はやぶさ」も、イトカワに到着するまでは、ピッチピチに元気で、イオンエンジンを2台、3台同時にブン回して飛んでいた。「はやぶさ」は

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    halca-kaukana 2010/05/14
    「はやぶさ」の癖を考慮して、先を読んで軌道を決める。凄いなぁ!
  • 関係者からのメッセージ│はやぶさ、地球へ! 帰還カウントダウン | 2010年5月13日 「終わりじゃない!」 近赤外分光器 安部 正真

    2010年5月13日 「終わりじゃない!」 近赤外分光器 安部 正真 「はやぶさ」の地球帰還が間もなくです。先日「はやぶさ」再突入・回収運用隊の結団式がありました。多くの関係者が集まり、「はやぶさ」帰還運用・カプセル回収運用に多岐にわたる人がかかわっていることを改めて感じました。運用室前の廊下には、多くの方からのメッセージや、新聞・雑誌の報道記録等が掲示され、多くの方に注目されているミッションであることも日々感じています。 探査機自身の帰還に向けた運用だけでなく、回収運用に向けた地上側の準備も、打ち合わせや実作業が毎日のように行われています。このような雰囲気は、「はやぶさ」では、打ち上げの時、イトカワ着陸の時にもありました。大きなイベントを前にして、多くの人が一つのことに向けて集中していく雰囲気です。特有のドキドキ・ワクワク感があります。 「はやぶさ」の地球帰還の時もそうでしょう。ぎりぎり

  • 関係者からのメッセージ│はやぶさ、地球へ! 帰還カウントダウン | 2010年5月12日 はやぶさ君を描いて 会津大学 奥平恭子(元・宇宙研 藤原顕研究室)

    2010年5月12日 はやぶさ君を描いて 会津大学 奥平恭子(元・宇宙研 藤原顕研究室) ある日、研究室の先輩が 「こんな絵を作ろうと思ってるんだけど、どう?」 と言ってチラシの裏に書かれた「はやぶさ君の冒険日誌」の原案を持って来たのは、まだ私たちが藤原研究室の学生だった頃だ。その先輩とは、冒険日誌の作者、小野瀬直美さんである。 「へぇ、探査機を擬人化した絵ですか!これは子供達にも判り易くて、アウトリーチ(注:研究者側からの積極的な科学教育普及活動)にはもってこいですね。」 宇宙研の一般公開に合わせ、子供達や来てくれた人のために無料配布してはどうかと考え付いたものだ。 [画像クリックで拡大全体像] 「はやぶさ君の冒険日誌」製作に周囲の人を巻き込むために使われたチラシの裏の草案。 (絵・文:小野瀬直美) それは、連日の地味な実験や論文執筆など、宇宙研に閉じこもってストイックな研究生活を送

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    halca-kaukana 2010/05/12
    チラシの裏から始まった「はやぶさ君の冒険日誌」。はやぶさに惹かれるのは、運用チームの情熱とひとつひとつ困難を乗り越える努力に惹かれるから。私もそう思う。
  • 関係者からのメッセージ│はやぶさ、地球へ! 帰還カウントダウン | 2010年5月11日 “はやぶさ生命体”は不滅です 元サイエンスマネージャ 藤原 顕

    2010年5月11日 “はやぶさ生命体”は不滅です 元サイエンスマネージャ 藤原 顕 ISASをはなれてから大学生や一般の人、さらには小学生を相手に宇宙の話をする機会が増えました。宇宙の話をするときに必ずでてくるのが日常使われないような桁の大きな数です。これを実感として分かってもらうためによく使うのが、たとえば「地球を1円玉の大きさとすると...」といったたとえ話を出すことです。 「みなさんは、「はやぶさ」が地球からどれくらい離れたところまで行ったかを思いめぐらせたことがあるでしょうか。プロである私たちですら数値ではわかっていても案外実際に感覚をつかんではいません。「はやぶさ」は最遠方で地球から光の速さでざっと15分かかるところまで飛んだのですが、さきほどのたとえでいうと400m以上の遠方にまで飛んだことになります。こんなに遠方にある1ミクロンにもみたない天体に着陸して地球に戻ってくるので

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    halca-kaukana 2010/05/11
    「大探険はじつは、それ以上に日夜支えてきたチャレンジ精神あふれる個々のチームメンバーが一丸となってあたかも強い意志をもったひとつの“はやぶさ生命体”のようにして動いてきたからこそなしえたものです」
  • 関係者からのメッセージ│はやぶさ、地球へ! 帰還カウントダウン | 2010年5月10日 ほんとうに帰ってくる... はやぶさカプセル 山田 哲哉

    2010年5月10日 ほんとうに帰ってくる... はやぶさカプセル 山田 哲哉 カプセルの再突入というのは、いつも最後にやってくる。だれも打ち上げの最初に再突入させたりはしない。カプセル屋としては、そういうものがあっていいと思うのだが、打ち上げの時に再突入するのはだいたい失敗であるし、そうかといって千年先まで再突入して来ないカプセルもうまくない。いずれも経験してきた。それが、今回はもうすぐ当に「はやぶさカプセル」が帰ってくる。ああ、ついにこの瞬間が来るのだ。 中学生の時のクラス対抗リレー。バトンを渡された。アンカーに引継ぐ係だ。夢中で走った。競っていたと思う。自分は速いつもりだった。でも、コケた。あろうことか、番で。 去年の11月のことだ。 「ダメだ。どうも命もここまでだ。ワリぃな。ワルかった。カプセルまで届きそうもない。」 いつも偉そうなK先生に謝られちゃうと、事実の認識ができずに頭

  • 関係者からのメッセージ│はやぶさ、地球へ! 帰還カウントダウン | 2010年5月7日 「はやぶさ」宇宙開発史上のトップ7に選ばれる! 元「はやぶさ」project executive 上杉 邦憲

    2010年5月7日 「はやぶさ」宇宙開発史上のトップ7に選ばれる! 元「はやぶさ」project executive 上杉 邦憲 世界中の宇宙理工学者から選ばれた会員からなる国際宇宙航行アカデミー(IAA:International Academy of Astronautics)は今年創立50周年を迎えました。 右の画像(クリックで拡大画像)はこれを記念してIAAが作ったロゴですが、、、見て下さい!右上の丸の中は「イトカワ」に映る「はやぶさ」の影の写真です。 この写真以外に載っているのは、(右上から時計回りに)「スピリット又はオポテュニティ火星ランダー」、「土星のリング(ヴォイジャー)」、「国際宇宙ステーションISS」、「月面上跡(アポロ)」、「ゴダードによる世界初の液体ロケット実験」、「人類宇宙へ(ガガーリン)」、「人類月に立つ(アポロ)」で、いずれも宇宙開発史上エポック・メイキング

  • 関係者からのメッセージ│はやぶさ、地球へ! 帰還カウントダウン | 2010年4月15日 「はやぶさ」、そうまでして君は。 プロジェクトマネージャ 川口 淳一郎

    2010年4月15日 「はやぶさ」、そうまでして君は。 プロジェクトマネージャ 川口 淳一郎 「はやぶさ」の帰還がせまるなか、2009年11月、すべてのイオンエンジンの寿命がつき、運用停止に追い込まれた。だが、われわれプロジェクトは、彼をあきらめさせることなく、動くものはなんであれ動員してあらためて走りださせることに成功した。いや走らせてしまった。運用再開を喜ぶなかで、私は、若干複雑な気持ちも併せてもっていた。「はやぶさ」は、当は帰還を嫌がったのではないか。知ってか、知らずか、「はやぶさ」を待ち受ける運命は、大気再突入で燃え尽きることだ。もちろん、子のカプセルを運び、ともかくも所定のレールに載せた後にはなるのだが。 どうして君はこれほどまでに指令に応えてくれるのか?そんなにまでして。イオンエンジンの運転が再開したとき、そんな気持ちをもってしまった。われわれが、方策を考えあぐねていたならば

    halca-kaukana
    halca-kaukana 2010/04/21
    ブクマしなおし。川口先生のちょっと違った面が伺える。最後まで、「はやぶさ」が望みを叶えるまで、見届ける。/「のぞみ」のこともあるから、尚更なんだろうな…。
  • 関係者からのメッセージ│はやぶさ、地球へ! 帰還カウントダウン | 2010年4月20日 涙、涙、涙・・・ プロジェクトサイエンティスト 吉川 真

    2010年4月20日 涙、涙、涙・・・ プロジェクトサイエンティスト 吉川 真 すでに使い古されている言葉ではあるが、小惑星探査「はやぶさ」のミッションを一言で言うと、「未知・未踏への挑戦」である。世界初の小惑星サンプルリターンミッション。人類史上初の地球・月以外の天体からの離陸。人類が初めて見た大きさ500mの天体の素顔。予想もしていなかった数々の困難とその想定外の克服。まさに、未踏の地に足跡を残しながらの未知への挑戦の連続であった。 しかし、ここでは、敢えて「はやぶさ」の科学や技術の成果は棚上げしておいて、全く別の世界初について触れてみたい。そのキーワードは“涙”である。涙と言っても「涙なしで語れないはやぶさ運用」というような涙ではなく、「感動の涙」である。 人工衛星や探査機のミッションを行うと、そのミッションの紹介ビデオを作ることが多いが、「はやぶさ」ではちょっと毛色の違うビデオを作

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    halca-kaukana 2010/04/20
    吉川先生「人が生きていくとき、感動的な体験を重ねることが重要であるが、その感動は、科学や技術からも得ることができるのである。そもそも、科学や技術というのは、人間のためにあるもの・・・」
  • はやぶさ、地球へ! 帰還カウントダウン

    トピックス 2013年4月1日 「はやぶさ」プロジェクトチームの解散について 「はやぶさ」プロジェクトは、プロジェクト終了の審議に付され、当初の目的を達成すると共にプロジェクト業務を全うしたと認められ、2013年3月末をもってチームは解散となりました。 ご尽力頂いた各方面関係各位、応援いただいた世界中の方々に報告するとともに、お礼を申し上げます。 ここまでの成果は後続の宇宙事業に必ずや貢献することでしょう。尚、小惑星サンプルおよびそれを維持管理するキュレーション業務は、月・惑星探査プログラムグループから宇宙科学研究所へ移管され、今後の科学研究に供されます。 2013年1月10日 第2回「はやぶさ」サンプル国際研究公募を開始 小惑星探査機「はやぶさ」が持ち帰った小惑星「イトカワ」の微粒子(サンプル)について、第2回目の国際研究公募(国際AO)を開始しました。 (新しいウィンドウが開きます)

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    halca-kaukana 2010/04/15
    「はやぶさ」帰還特設サイト。ブログにtwitter,応援メッセージ募集も。
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