ブックマーク / kihamu.hatenadiary.org (23)

  • テキスト『財産権の理論』森村進 - on the ground

    2005/05/01(日) 02:02:55 http://awarm.blog4.fc2.com/blog-entry-55.html 1995年、弘文堂。 主に自然権論に依拠した古典的自由主義者に分類されるリバタリアン、森村進の代表的著作。 自己所有権テーゼを擁護することに過半の精力を注いでいる。 ここでは、森村氏そして自然権論的リバタリアン一般への応答として、自己所有権テーゼの相対化と消極的自由の擁護に焦点を合わせたい。 結論を先に書いておくと、自己所有権は絶対的なテーゼではなく、最終的決定優先権として捉えられるべきである、ということが一つ。二つ目は、「自由」は「実現可能性」と切り離し、「侵害する自由」も含めた事実状態として、正面から受け止めなおすべきである、ということ。 まず、自己所有権に確固たる根拠が存在していないことは、森村も事実上認めている。自己の身体や行為は自己の支配下にあ

    テキスト『財産権の理論』森村進 - on the ground
    haruhiwai18
    haruhiwai18 2015/06/02
    "自己の身体…を支配し…ているが、それはあくまでも…専有であり、無根拠""自己所有権ではなく、限定的・相対的な「優先権」" →"占有"の事実から説く議論。/さすがステークホルダー民主主義の人、という感じの。
  • 続・「刑罰は国家による復讐の肩代わり」という神話 - on the ground

    未だ当たっておくべき文献は残っているのだが、もとより論文を書くわけでもないし、それなりに文献を渉猟する中で既にある程度言えることも出て来たので、ひとまず書いておくことにしよう。なお、エントリは以下の二つのエントリの続きとして書かれるので、予め参照を乞いたい。 被害者及び死刑(後半&コメント欄) 「刑罰は国家による復讐の肩代わり」という神話(含コメント欄) 「国が仇を討ってやるから、勝手にやるな」 まず、全国犯罪被害者の会で代表幹事を務める岡村勲の手になる文章の一節を引いておきたい*1。 人問誰しも犯罪、特に重大な犯罪の被害者や遺族になれば、加害者に対して応報感情を持つのは当然だ。 昔は「仇討ち」という制度があった。殺害された被害者の近親者は、休職して仇討ちに行く。捜査費用は人持ちだ。首尾よく目的を達して帰国したら、武士の鑑として賞賛され、復職する。途中の艱難辛苦に堪えかねて、脱落した者

    続・「刑罰は国家による復讐の肩代わり」という神話 - on the ground
    haruhiwai18
    haruhiwai18 2015/03/30
    "刑罰の目的は一貫して一般予防を主としている""現代の復讐観念は(近代化を反映して)個人単位であるのに対して、中世の復讐観念は集団単位、共同体単位である" →歴史から見た「"復讐"論」について。
  • 現代日本社会研究のための覚え書き――結論と展望 - on the ground

    さて、ようやく一応の結論まで辿り着きました。連載は、ひとまずこれで一区切りにします。「科学/生命」は書いていませんし、まだまだ不足なところを挙げたらきりがないですが、かろうじて大筋の見通しは付けられたと思います。元々1〜2年かけて地道にやろうとしていたことを諸般の都合により短期間に圧縮して作業したので、かなりの粗が見えますが、まぁそれは仕方が無い。時間との兼ね合いです。個人的にはこれを書くことで、自分の問題関心と現代性との接続が見えやすくなったので、この先色々やりやすくなりそうです。元々それを意図してやったわけですが、他にも様々な文脈と結び付いているので、それらを繋ぐ回路を見せていると言うか、ほんとに後で自分が読み返すのに役立ちそうな気がします。 反響としては、一番ブックマーク数を伸ばしたのが「教育」だったという事実が結構興味深かったです。ブックマーク数は更新のタイミングやエントリの長さ

    現代日本社会研究のための覚え書き――結論と展望 - on the ground
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    haruhiwai18 2014/10/24
    "露出した現実に対して…正面から向き合うべき""自らの利害に即して世界を眺めるエゴイストの視座は 様々な事象をクリアに把握することを可能に" →「シュティルナー-エゴイズム-ステークホルダー民主主義」ラインw
  • 現代日本社会研究のための覚え書き――ネーション/国家 - on the ground

    今回は力作…では別にないですが、少なくともここ1〜2年の間に書き溜めたり書き散らしたりしていたことがまとめてあるので、まぁそれなりに参考にはなるのではないでしょうか。宮台や東の議論との距離を明示したということもありますが、国家については左翼周りで言われているようなことは大体盛り込まれている/織り込まれているはずで、頑張って小難しくて分厚いなどを読まずとも、先端的な議論は押さえられるはずです。このことはシリーズ全体に言えることですが、このテーマでは特にそうです。このシリーズは大学のレポートに流用するのに便利な素材を提供していると思いますが、それはむしろ望なことです。どのテーマでも専門的な文献はほとんど使っていなくて、教科書や新書を中心とした二次的・三次的な文献(+講義資料)や一般向けの書籍の議論を整理したものにネット上の情報を加えて構成された部分が主なのですが、それはこの程度の材料を使っ

    現代日本社会研究のための覚え書き――ネーション/国家 - on the ground
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    haruhiwai18 2014/10/18
    "宮台のように穏当なエリーティズムを夢想したり…することではなく サブ領域へと流出した決定権に対して民主的正統性を取り付けさせる回路を整備すること" →「民主主義2.0」()が"敗残"した後で読まれるべき論文
  • ステークホルダーの両義性――あるいは政治主体としてのステークホルダーについて - on the ground

    数ヶ月前に私は、「ステークホルダー・デモクラシーの可能性」なる文章を公表しました。十分だったかどうかは分かりませんが、そこでは、経営学でのstakeholder theoryの文脈を押さえつつ、stakeとstakeholderの語源・語義を簡単に整理して、「公共化された利害関係者」としてのstakeholder概念のニュアンスを明らかにしたつもりです。 その際の意識は主に、「ステークホルダー」なる新奇な言葉を使うことに懐疑的な人への説明にあったのですが、その後、事業仕分けを巡る議論などを眺めていると、むしろステークホルダー論を積極的に振り回すようなタイプの人々にある種の怖さを覚えるようになりました。 stakeholder theoryは元々、企業の活動から影響を受け、企業に対して重大な利害を有しながら、意思決定への影響力を持ち得ない主体を再定義する所から出発しました。stakehold

    ステークホルダーの両義性――あるいは政治主体としてのステークホルダーについて - on the ground
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    haruhiwai18 2014/06/04
    "ステークホルダー論は、決定を濃く強いステークホルダーによる自律的な合意に基づかせるとともに…外に薄く弱く広がるステークホルダー(社会)への応答性を備えねばならない" →誤解されがちなステークホルダー論
  • 熟議的な熟議と、そうではないもの - on the ground

    日々不勉強を沁み込ませている身では、専門的なことについて何かを言うということははばかられるのですが、しかしそれでも感じたり考えたりしていることを折々に吐き出しておかないと、いつまで経っても何も言えないことになるので、最近細切れに書き付けていることなどをラフにまとめておきます。お題は「熟議」です。 松浦正浩([twitter:@mmatsuura])さんは、社会的合意形成を導く営みとしての「交渉」と「熟議」を、それぞれ次のように特徴付けています。すなわち、交渉が「各当事者の価値観や利害関心は不変であることを前提に、それぞれの利害関心を満足させる最適解」を模索する点で「利害調整に主眼」を置くものであるのに対して、「利害関係に縛られない自由な対話」を通じて「公共的な価値観を創生していくこと」を重視するのが熟議的デモクラシー(deliberative democracy)である、と(松浦 [201

    熟議的な熟議と、そうではないもの - on the ground
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    haruhiwai18 2014/04/21
    "議会は…熟議機関へと純化""政策形成はステークホルダー・ボードの方に移し…利害調整""挙がってきた法案を議会が審査" →どのみち 議会のチェック機能強化(議会・議員スタッフの増員)が必要そう(こなみかん
  • フランス自由主義の両義的位置――三浦信孝編『自由論の討議空間』 - on the ground

    三浦信孝編『自由論の討議空間――フランス・リベラリズムの系譜』勁草書房、2010年 「フランス自由主義」なる言葉遣いは,聞く人を怪訝にさせるかもしれない.まるでそれは語義矛盾であるかのように,「フランス」と「自由主義」が寄り添って私たちの会話の中に座るのは稀な出来事である.「ドイツ」「ロシア」「日」といった語との距離はそれ自体として測られる必要があるとしても,「自由主義」はいつも「イギリス」と,あるいはやや違った相貌を備えた“Liberalism”として,「アメリカ」の語と同席してきた.対して,「フランス」の語には「自由主義/Liberalism」よりも,「民主主義」や「共和主義」が結び付けられることが常であった. 「フランス・リベラリズムの系譜」を副題に持つ書は,このように祝福されてこなかった交際について,その馴れ初めと道程を,個々の思想家に即して語ろうとする営みの収穫である(200

    フランス自由主義の両義的位置――三浦信孝編『自由論の討議空間』 - on the ground
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    haruhiwai18 2012/10/17
    "モンテスキューはピョートル1世がロシア人男性に髭を切らせたことを問題視したが,サルコジはフランス人女性に布を脱がせようとしている" →気になる箇所。/フランスにおける独特な"共和主義"とその問題点。
  • 賢人政治批判のパラドクス――八代尚宏『新自由主義の復権』 - on the ground

    八代尚宏『新自由主義の復権――日経済はなぜ停滞しているのか』(中公新書、2011年)は、経済財政諮問会議などで活躍した著名な経済学者による政治的パンフレットである。その主たる眼目は、「官から民へ」「民間にできることは民間に」をスローガンとした小泉政権期の一連の改革を擁護し、同じ路線を継承した更なる改革を訴えることにある。 著者によれば、近年しばしば「市場原理主義」と同一視され、小泉改革を貫いたイデオロギーとされる「新自由主義(neo-liberalism)」は、必ずしも市場を万能視するものではない。著者によって現代経済学の標準的立場に等しいものとして位置づけ直されたこの考え方は、「政府の失敗」を強く問題視はするが、市場を健全に機能させるためのルールとしての規制の必要性は認めている。新自由主義は、一部集団の特殊権益など多くの非効率を生む過剰な政府介入を、人々のインセンティブを巧みに刺激する

    賢人政治批判のパラドクス――八代尚宏『新自由主義の復権』 - on the ground
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    haruhiwai18 2012/07/15
    "市場への政府介入の前提とな…る「賢人政治」思想を著者は批判するが、…経済財政諮問会議のような限られた…場」を通じて実現されるべき…と語る著者…は、いかにも「賢人」のそれ" →エコノミック・ブーメランw
  • マックス・シュティルナーについて - on the ground

    この記事は「ああ、シュティルナー様…。」「『唯一者とその所有』マックス・シュティルナー」「マックス・シュティルナー研究日語文献選集」「シュティルナーは「生き生き」しているか」「シュティルナーとアイロニーについて」「ほんとうにおめでたいのはだれか」「『唯一者とその所有』の訳文について」を素材として加筆・修正を施したものです。 シュティルナーとエゴイズム マックス・シュティルナーは、1844年に『唯一者とその所有』を著して脚光を浴びた哲学者である。哲学史においてはヘーゲル左派における最急進派として言及され、政治思想史的には個人主義的アナーキズムの源流の一つとされることが多い。彼自身は、「エゴイズム」を以て自らの思想的立場を示した。 エゴイズムとは何かについて、私自身の考えとは多少異なるものの、日におけるシュティルナー研究の第一人者である住吉雅美の解説を引いておく(後掲『リバタリアニズム読

    マックス・シュティルナーについて - on the ground
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    haruhiwai18 2012/06/10
    "エゴイズムとは…自分にとって疎遠で納得できないもの…をことごとく廃棄するという生き方""神、国家、人類、キリスト教、法、市民、人類愛などの「固定観念」" →思いのほか潔くって カッコイイなw
  • ステークホルダー民主主義の終焉? - on the ground

    池田信夫さんのブログで「ステークホルダー民主主義」が叩かれていて、それに濱口桂一郎さんが反応しています。終焉も何も、まだ始まってもいない気がするわけですが、備忘として書き留めておきます。 「ステークホルダー民主主義」という言い方をする人は決して多くないわけで、池田さんの念頭に濱口さんが置かれているのは明らかでしょう。濱口さん的なステークホルダー民主主義については、当ブログでも書いたことがあります。私が理解する「ステークホルダー・デモクラシー」一般については、こちらに書きました。 池田さんは原発再稼働に絡めた話をしており、これについては私が2月に書いたエントリに当てはまる立論になっているなぁという印象です(以下、強調はエントリによる)。 福島第一原子力発電所の事故とその後の原発をめぐる議論は、まさにこのステークホルダーという観点に多くの対応を持つものでした。風や雨を通じて拡散する放射性物質

    ステークホルダー民主主義の終焉? - on the ground
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    haruhiwai18 2012/05/27
    "決定を濃く強いステークホルダーによる自律的な合意に基づかせるとともに、その外に薄く弱く広がるステークホルダー(社会)への応答性を備えねばならない" →何だ、またノビーがつまらんことをやったのかw
  • 政治思想史を学ぶ意義とは何か(実践編) - on the ground

    2006/12/10(日) 17:44:54 http://awarm.blog4.fc2.com/blog-entry-305.html 普段あまり真面目には読んでいないEU労働法政策雑記帳を改めて見ていると、濱口さんが以前厳しくダメ出しした薬師院仁志『日とフランス 二つの民主主義』とかなり共通する見方で政治的対立軸について語っていることが分かった*1。とりあえず目に付いたところでこのぐらいある。 ネオリベとリベサヨの神聖同盟(特にコメント欄) ザ・ソーシャル リベじゃないサヨクの戦後思想観 リベラルサヨクは福祉国家がお嫌い リベラルとソーシャル 薬師院についても述べたが、何に苛立っているのかは解る。解るし、実践的にはこうやって単純化した切り口を提示した方が良い結果をもたらすのかもしれないとも思う。でも、こういう単純化が、大げさではなく日の戦後思想のかなりの部分をドブに捨てようとして

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    haruhiwai18 2012/01/07
    "リベラルとソーシャルを語るなら、民主主義をスルーするべきじゃない。""市民参加はリベラル的で集権はソーシャル的という誤った考え" →政治参加=民主主義の問題。/福田歓一『近代民主主義~』はマジ良本w
  • 自由主義と民主主義のお勉強 - on the ground

    2006/10/31(火) 14:32:03 http://awarm.blog4.fc2.com/blog-entry-288.html 複数のブログで採り上げられているのを見て、薬師院仁志『日とフランス 二つの民主主義』(光文社新書、2006年)を読んでみた。すると、ページを繰るたびに物凄く違和感を覚える。著者の「自由主義」や「民主主義」についての理解がかなり粗放なためだ。問題意識は理解できるし、具体的記述については首肯できるところもそれなりにあるのだが、政治理論・政治思想史プロパーの人が読んだら言葉を失うのではないかと心配するほどである(私が何プロパーかは不明)。社会学者が書いた新書にすぎないのだから、それほど目くじらを立てるべきじゃないのかもしれないが、よく知らないくせにやけに自信満々な書きぶりが若干ムカつくので、一応基礎的な部分で批判を加えておきたい。 まず「自由だけが民主主義

    自由主義と民主主義のお勉強 - on the ground
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    haruhiwai18 2012/01/07
    "「集権的な…国家」は、社会の多様性…を十分に汲み上げることはできない」ため…社会・経済領域を利害関係者自身が自律的に管理する社会的デモクラシーが要請され" →アソシアシオンに関わる話かな http://p.tl/rdpM
  • 民主党の組織と政策 - on the ground

    民主党の組織と政策 作者: 上神貴佳/堤英敬出版社/メーカー: 東洋経済新報社発売日: 2011/09/02メディア: 単行購入: 1人 クリック: 66回この商品を含むブログ (18件) を見る 今夏、書籍としてはほぼ初と言っていい、民主党についての実証的研究が出版された。若手の研究者を中心とする書では、民主党の特徴を予め(1)理念や政策の曖昧さ、(2)政権獲得の追求、(3)組織戦略の不明確性の3つに見定めた上で、その曖昧な組織と政策についての分析を行っている。 1章では、地方議会における民主党所属議員の議席割合が自民・公明・共産各党などと比較して低水準であり続けていることや、党員・サポーター数が自民党の3分の1程度に留まっていることなどから、民主党の地方組織の脆弱さが示される。これは、国会議員を中心として結成されたため、院外の社会的基盤を欠いている同党の性格を現わすものとされる。

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    haruhiwai18 2011/12/09
    "個別の異なる利害を糾合するポピュリズムがあくまでも疑似普遍主義にしかならないことを思えば、普遍主義的な負担と分配への支持不拡大も理解可能" →利害調整をすっ飛ばすとロクなことにならない例。 http://p.tl/5dPK
  • 消費者主権政治が政府に要請する二重の課題 - on the ground

    「小さな政府と社会保障の両立を求める変な国民」@すなふきんの雑感日記 「小さな政府と社会保障拡大を求める欺瞞」@Economics Lovers Live 「メモ:「小さな政府」、「大きな政府」、「社会保障負担/給付」に関する国民意識」@研究メモ 共通する疑問は、最初にすなふきんさんが述べている「「小さな政府」を求めつつ「社会保障充実」も訴える日型支離滅裂の背景にはいったい何があるのか」ということだと思うが、そういう問題についてなら多少考えたことがあるので、昨年書いた文章から少し引いておきたい。これは政治学と言うよりも社会学的な考察で、細かい数値を扱ったわけでもない大味な議論ではあるけれども、人によっては更に突っ込んで考えるヒントぐらいにはなるかもしれない。 最後の節では、脱イデオロギー的な現代の政治を決定的に特徴付けているイデオロギーについて、歴史を辿りながら論じてみたい。そのイデオロ

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    haruhiwai18 2011/10/30
    "「社会的なもの」の磨滅""リベラルな原理とソーシャルな実践の幸福な結合は、歴史的文脈はもとより、「国民」の一体性が信じられていなければ不可能" →私有されざる"公共財"、という意識が多分一番重要です。
  • 犯罪報道に実名など要らない - on the ground

    少年法第61条に関して、柔軟な運用を求める立場がある。要するに、少年犯罪でも場合によっては実名報道したってよいではないか、という主張である。 その論拠は大まかに言って3つ程あるだろうか。 (1)マスメディアには表現の自由が、国民には「知る権利」があるので、たとえ少年犯罪でも一律に報道を規制するべきではない。 (2)非公開となっている少年事件の詳細を知ることができれば、背景の分析を通じて、同様の事件を防ぐための社会的施策を取ることができる。 (3)実名を公表することにより、自分が行ったことに対する責任を少年に自覚させる(ことを通じて再犯の予防にも役立つ)。 私は「知る権利」などあるのか疑問に感じているし、事件報道などほとんど必要ないと考えているので、(1)と(2)に関しては非常に嘘臭く思えてしまう。 少年による事件であっても、加害者の情報をある程度報道することには反対しない。だが、ほとんどの

    犯罪報道に実名など要らない - on the ground
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    haruhiwai18 2011/10/15
    "通学している学校や生育環境、犯行事実、その背景などについて報道を行えば いずれ本人を特定することは可能""固有名が流れてしまえば 社会一般からも特定されてしまう" →松井茂記説への疑問。/そりゃそうだ。
  • 左派ナショナリストへの疑問 - on the ground

    塩川伸明『民族とネイション』を読了。広範囲に目配りの利いた良書だとは思いますが、全体的に広く浅くという印象で、ほとんど刺激は受けませんでした。著者が専門とする地域での掘り下げがさしてあるわけでもないので、一番有用なのは巻末のブックガイドかなという気がします。要するに教科書的なのですが、導入書としては敷居が微妙だし、民族問題やナショナリズムについて最初に読むべき数冊の中に入れるには押し出しが弱い。いや、内容にケチをつけているわけではないのですが。 ネーションやナショナリズムについては「現代日社会研究のための覚え書き――ネーション/国家」で考えをまとめたということもあり、自分として書くことは特別無いのですが、以下に引く濱口先生の議論について少し。 さて、特集の方ですが、高橋=萱野対談が、ナショナリズムを否定するのなら、国内で格差なんて言っても意味がないというテーマを取り上げていて、なかなか面

    左派ナショナリストへの疑問 - on the ground
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    haruhiwai18 2011/10/09
    "在日コリアンなど二重の帰属を持つ人々""穏当なナショナリズムを「活用」する必要があると言うが、そのような理想的な統御は、いかにして可能なのか" →とりあえず 憲法愛国主義の方が 比較的マシではあると思う
  • 熟議批判の嘘と本当 - on the ground

    池田信夫氏のブログは普段読まないのですが、さる人に記事を紹介されたので以下を読みました。せっかくなので、簡単にコメントをしておきます。 熟議という「便利な嘘」 - 池田信夫blog http://ikedanobuo.livedoor.biz/archives/51491223.html 話題になっているdeliberative democracyですが、その流行は別に90年代の欧州に限ったことではなく、米国その他でも未だに議論は盛んです(例えば、重要な理論家の1人であるJohn Dryzekは、オーストラリア国立大学に勤めています)。ハーバーマスの理論が現在の議論の重要な源泉の1つを提供していることは確かですが、今では彼に限らず様々な論者が議論に参入しているので、deliberative democracyをハーバーマスに代表させて一括りに批判するのは的外れです。熟議論は理性への信頼が克

    熟議批判の嘘と本当 - on the ground
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    haruhiwai18 2011/06/11
    "熟議…代表制を否定しない” →池なんとか先生には、「熟議カケアイ参加の五箇条」の"1.【発言する前に】資料やほかの人の発言をよく読んで理解しましょう"をよく読んでいただきたい所です。あと、4も。
  • 誰が都知事を選ぶべきか - on the ground

    進学について激励を頂いた方々、改めてありがとうございました。さて、ごく個人的なことをいつまでも最新記事に掲げておくのはどうも気恥ずかしいので、最近考えたことを簡単に。 以前「私たちはなぜアメリカ大統領を選べないのか」といった論点について述べたことがあります。アメリカ大統領は世界大の影響力を持っているのだから、その選挙権はアメリカ国民に限られるべきではないという考え方ですが、多くの人にとって流石にこれは随分突飛な話に聞こえることでしょう。いくら何でも住んでもいない国のトップを選ぶ権利なんて…と(では住んでいる国ならどうか――となると、これは定住外国人の参政権についての話になりますが)。 さてでは、先般選挙が行われたばかりの都知事について、同じ考え方を(よりマイルドに)適用した場合にはどうでしょう。言うまでもなく、東京都には(わざわざ別に「首都圏」という言葉があるほど)近隣他県から多数の人々が

    誰が都知事を選ぶべきか - on the ground
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    haruhiwai18 2011/04/14
    "都の「被治者」で(も)あるならば、都民でなくとも選挙権が認められること""加重投票権の考え方を採るべきです(票の分割も案だと思いますが)" →"納税=選挙権"と考えてみる。/"票の分割"はありえるかな。
  • 刑法39条について - on the ground

    もう2年半も前のことになるようだが、過去に「刑法39条を擁護してみる」というエントリで、触法精神障害者に対する刑罰の減免を定めた刑法39条への批判論をやや詳細に検討したことがあった。そこでの私の結論は、保安処分的拘束の問題性を避けるためには、あるいは同条を削除して精神障害を情状の一種として扱った方が良いのかもしれない、というものだった。今の私は当時よりさらに削除を容認する方向に寄っている気がするけれども、別に法改正まで踏み込むことはないかもしれない。芹沢一也さんの新刊『暴走するセキュリティ』(洋泉社(新書y)、2009年)には、精神科医の井原裕による極めて理にかなった提言が紹介されている(76-77頁)。 精神障害者に人権を認めるのであれば、当然責任も課していかなければならない。人権も認め、かつ、39条によって刑事責任免責の特権をも付与されるとなれば、国民の誰一人として納得しないだろう。今

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    haruhiwai18 2011/02/20
    "不幸にして認知機能の低下が著しく、是非の弁識が不能となってしまった障害者…こういうごく一部…に対しては、正しく刑法39条を適用しなければならない" →三九条の適用はなるべく控え、情状で代替せよという論
  • 「情報戦時代」の本当の意味――ポスト・ヘゲモニーの時代 - on the ground

    「情報戦」などという言葉はチープに響くが、その奥に読み込むことのできる意味は重い。今日は、そういう話をしてみたいと思う。 加藤(2001)は、前世紀にA.グラムシが社会主義の新たな展開を模索して書き留めた「機動戦から陣地戦へ」のテーゼを引き取り、21世紀における政治のアリーナの変貌を「陣地戦から情報戦へ」の移行として描いて見せた。 グラムシの「陣地戦」論は、社会主義勢力の権力奪取へのプロセスを軍事的手段に例えて構想されたものである*1。19世紀は武器を手にした暴力革命が現実味を持った時代であり、局地的な決戦や個別の市街戦(機動戦)での勝敗が革命の帰趨を決した。統治者は何よりも軍事的抑圧を是とし、抵抗は前衛によって指導された武装蜂起の形を採った。しかし、産業化が進み、確固たる市民社会が形成されてくる20世紀においては、そのような一点突破を目指す戦略は通用しなくなってくる。そこで要請されるのが

    「情報戦時代」の本当の意味――ポスト・ヘゲモニーの時代 - on the ground
    haruhiwai18
    haruhiwai18 2010/12/19
    "脱政治化されていく統治は再政治化することが必要…あくまでも個別具体的なフィールドやイシュー毎に最適な決定を利害関係者が政治的に模索する" →ランシエールを思い出した。利害調整の方法は違うだろうけどね。