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2014年9月17日のブックマーク (10件)

  • 肯定の意志[本] - cranium theater

    帰宅して家の鍵を開ける瞬間、タデウシュ・カントールのことが 頭に浮かんだ。ポーランドの前衛的な劇作家・演出家。 カントール自身が舞台上に指揮者の様に存在する 「私は二度と戻らない」の来日公演を東京まで見に行って 震えたことを思い出した。 芸術家よ、くたばれ! 作者: タデウシュカントール,鴻英良出版社/メーカー: 作品社発売日: 1990/03メディア: 単行この商品を含むブログ (1件) を見る そして新聞で太田省吾の追悼記事を目にした。 亡くなっていたことは知らなかった。 太田省吾のを何冊か開いていくと、 そこにカントールのことが書いてあった。 今この世界で、是非観ておかなければいけない演劇、として。 私の劇のテンポは遅い。かなり遅い。その遅さは、言ってみれば どのような動作も、この、反復を含んだものとするためであり、 そうしなければ見ることのできない人間の美を見ようとしている こ

    肯定の意志[本] - cranium theater
  • 長島確/阿部初美 | アトミック・サバイバー | Performing Arts Network Japan

    長島確Kaku Nagashima 1969年生まれ。日におけるドラマトゥルクの草分けとして、コンセプトの立案から上演テキストの編集・構成まで幅広く扱う。ベケット、フォッセ、ケインら海外戯曲の翻訳のほか、阿部初美、中野成樹らの演出作品に参加。 これは、日の原子力発電所とそれをとりまく人々、政治、経済などの諸事情を綿密に取材し、そこにチェーホフやブレヒトからの引用を巧みにアレンジした、いわばドキュメンタリー演劇の構成台である。台の中で用いられている数値や業務内容を始めとするさまざまなデータは、すべて現実に取材した事実そのままである。 観客はPR館の見学者のような形で、コンパニオンに導かれて原子力発電の関連施設を見て回ることになる(それらはすべて段ボール製のミニチュア模型で実演される)。コンパニオンが原子力を夢のエネルギーとして説明する声に、トラブルの発生と復旧を告げる作業員の声が重な

    長島確/阿部初美 | アトミック・サバイバー | Performing Arts Network Japan
  • 中古ビデオの背取りでタデウシュ・カントールに再会する - 記憶の彼方へ

    COOPに買い物に行ったら、ちょうど中古の映画VHSビデオカセットの叩き売り(百円均一)をやっていたので背取り(競取り)した。まったく期待はしていなかったが、気がついたらレジで500円払っていた。ちなみに、発売当時の定価を合計すると78,100円である。 掘り出し物は何と言ってもアンジェイ・ワイダ(Andrzej Wajda)監督/タデウシュ・カントール(Tadeusz Kantor)舞台監督の『死の教室』(THE DEAD CLASS, 1976)だった。タデウシュ・カントール(Tadeusz Kantor)の同名劇の一種のドキュメンタリー映画である*1。学生時代にタデウシュ・カントール(Tadeusz Kantor)の『死の演劇』(asin:4891940786)を読んだことを思い出した。まさか、こんな風にして再会するとは思ってもみなかった。 最初は静謐なパッケージ・デザインに惹かれた

    中古ビデオの背取りでタデウシュ・カントールに再会する - 記憶の彼方へ
  • 工藤幸雄 - Wikipedia

    工藤 幸雄(くどう ゆきお、1925年3月20日 - 2008年7月5日)は、日の詩人、ロシア・ポーランド文学者、翻訳家。元多摩美術大学教授。 別筆名に仲谷鴻介(なかや こうすけ)、篠 ひろ子。 生涯[編集] 大連にて南満州鉄道社員の家庭に生まれる。旧制中学校卒業後、第一高等学校受験に3度失敗し、1944年善隣外事専門学校露西亜科に入学。その後城北補習学校を経て、1946年9月、第一高等学校文科甲類三組に入学し、1952年頃東京大学仏文科卒。 1954年共同通信社外信部に入り13年勤め、その間ロシア、ポーランドの文学を翻訳する。1967年ワルシャワ大学に日語講師として赴任、7年間滞在し、1975年帰国。翌年多摩美術大学教授となるが、その前には、ブレイクリー・セント・ジェイムズ『女友だち』(フランス書院、1978年)などのポルノ小説を篠 ひろ子の変名で訳し、糊口を凌いだという[1]。また

  • Umarla Kłasa (La classe morta) di Tadeusz Kantor - [sub. fra.]

  • 西堂行人 - Wikipedia

    西堂 行人(にしどう こうじん、1954年10月5日 - )は、演劇評論家、明治学院大学文学部教授。 人物[編集] 未來社社長・西谷能雄の子として東京都に生まれる。名・西谷雅英。兄は未來社社長・西谷能英。1973年私立武蔵高校卒[1]、1978年早稲田大学文学部演劇学科卒、同大学院中退。未來社の編集者を務めたのち演劇批評家となり、1998年より近畿大学文芸学部講師、助教授、教授。2016年近畿大学を退職。2017年4月より明治学院大学教授。読売演劇大賞選考委員を務めた。元 AICT国際演劇評論家協会日センター 会長 (2006-2012)。 著書[編集] 『演劇思想の冒険』論創社 1987 『見ることの冒険』れんが書房新社 1991 『小劇場は死滅したか 現代演劇の星座』れんが書房新社 1996 『ハイナー・ミュラーと世界演劇』論創社 1999 『ドラマティストの肖像 現代演劇の前衛た

  • Stanisław Witkiewicz

    詳細 2020年10月22日 21:17更新 スタニスワフ・イグナツィ・ヴィトキェヴィッチ 通称ヴィトカツィ (1885-1939) 20世紀前半に活躍した作家、画家、写真家、美術理論家、哲学者。 主要著作 小説 『ブンゴ622の堕落〜あるいは悪魔のような女〜』 1910 『秋の別れ』 1927 『非充足』 1930 『唯一の出口』 1932 戯曲 『水鶏』 1921 『狂人と尼僧』 1923 『屋』 1934 日では絶望的に知られてませんが、ゴンブローヴィッチやシュルツ、カントルのコミュニティがあるんだから問題ないでしょう! 書籍化まったり待ち

    Stanisław Witkiewicz
  • http://www.l.u-tokyo.ac.jp/ginnan/200701/beata.htm

    今日は、ポーランドの前衛芸術を代表するタデウシュ・カントル(1915-1990)という芸術家についての話をさせて頂きます。この芸術家について語ることは、何時間でもできますが、今回は時間の都合上要点に絞ってお話します。 カントルは、芸術の中でも演劇の専門家として有名です。彼が手がけた芝居は、ヨーロッパのみならず日でも紹介され、世界中で知られています。しかしカントルは演劇そのものに限らず、自分自身による演出・絵画・舞台デザイン・舞台で用いられた彫刻・オブジェなど芸術面で多様な活躍をしてきました。 タデウシュ・カントルは、1915年に、ポーランドの古都クラクフから130キロほど東にある小さな町ヴィエロポーレに生まれました。大学進学時にクラクフに移り住み、そして生涯そこで芸術活動を行っていました。

  • http://kurepo.clib.kindai.ac.jp/modules/xoonips/download.php?file_id=8771

  • to be

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