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2017年8月27日のブックマーク (12件)

  • 反ジェントリフィケーション情報センター

    今回訳出したのは、the guardianに投稿されたダン・ハンコックの記事「ジェントリフィケーションX」である[1]。一読すればわかるように、この記事にはジェントリフィケーションの駆動局面とそれに対する抵抗の数々に関する考察が主に記されており、複数の重要な論点が提示されている。この文章では論者の力量不足もありその論点を網羅的に扱えるわけではないが、そのいくつかを参照しつつ、議論をすすめていきたい。 まず、記事の記述はジェントリケーション自体がいまや抵抗の重要なポイントとなったことを指摘しつつ、ヨーロッパにおける数々の抵抗運動について紹介している。そうした抵抗運動の紹介とともに、ダン・ハンコックはイギリスの地理学者ヴァスデーヴァンの議論を引用することによってジェントリフィケーションの促進要因の一つ、ツーリフィケーションという概念を提示している。ツーリスティフィケーション(touristif

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  • ルー・リードとニューヨーク | 反ジェントリフィケーション情報センター

    森元斎 ルー・リードとニューヨーク。音楽を愛する者であれば、ニューヨークという怪物的都市の名は艶かしく、そして恐ろしい。ルー・リードが生まれた1942年のニューヨーク(のブルックリン)はニューディール政策という名の都市破壊政策によって混乱を極める場所でもあった。言うまでもなく、戦後もニューヨーク市はジェントリフィケーションを立て続けに行っていき、世界貿易センタービル亡き後ですら、恐ろしいほどの断末魔の叫びをあげながらすさまじい金融都市へと成り下がっていっている。そして艶かしさは消えつつあり、恐ろしさが眼前に立ちふさがる都市へと変貌している。 トーキング・ヘッズでその名を世界に轟かせ、ニューヨークを私たちと同様に艶かしさの点で愛しているであろうデヴィット・バーンは、2013年に行われたニューヨーク市長選の最中にこう述べていた。 どんな才能をもった若い連中も、この街[ニューヨーク]にもはや足場

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  • コラム第6回

  • JAPAN ZOME CLUB - ジャパン・ゾム・クラブ(ゾムツール Zometool)

  • 石川三四郎 - Wikipedia

    平民社の編集室。左から神崎順一、幸徳秋水、堺利彦、石川三四郎、西川光二郎、柿内武次郎。 若泉公園(庄市)にある石川三四郎顕彰碑 1876年5月23日、埼玉県児玉郡山王堂村[1]に、戸長であった五十嵐九十郎・シゲの三男として生まれる[2]。生家は、利根川沿岸で江戸時代から船着き問屋を営み、名主も務めてきた家であった。父は三四郎が兵役にとられるのを嫌い、「一家の主人」には兵役免除が適用されるため[2]、1880年に同村の石川半三郎の養子とした。 庄小学校高等科卒業後、茂木虎次郎の勧めで1890年に上京し、茂木とその友人義三らが住む家の玄関番として1年ほど住み込み、初めて社会主義や無政府主義などを知る[3][4]。福田友作家に移るが、福田の同人社退社に伴い帰郷[3]。同年、兄たちが埼玉硫酸事件に関わり、逮捕される[3]。再び上京し、景山英子と再婚した福田の新居に寄宿するが、福田家の家計困

  • 徳川義親 - Wikipedia

    徳川 義親(とくがわ よしちか/ぎしん、1886年(明治19年)10月5日 - 1976年(昭和51年)9月6日)は、日政治家、植物学者、狩猟家。尾張徳川家第19代当主。位階・勲等・爵位は従二位勲二等侯爵[1]。戦前の貴族院議員で、第25軍軍政顧問[2]。戦後は社会党を支援して党顧問となるが、公職追放を受けた[2]。日ソ交流協会会長[2]。戦前マレー半島で虎狩りをしたことから虎狩りの殿様として親しまれた[2]。自伝に『最後の殿様』がある[2]。 徳川義親(1913年10月、華族画報社「華族画報」より) 父は越前松平家・松平慶永(春嶽)で、1908年に尾張徳川家の婿養子となり、家督を相続。同家の東京移転に際し、愛知県下の土地等の財産の処分を指揮し、1931年に財団法人徳川黎明会を設立して同家伝来の什宝・書籍を同財団付属の徳川美術館・蓬左文庫で保存・公開。他家の家政整理にも携わり、「投出し

    徳川義親 - Wikipedia
  • 清水行之助 - Wikipedia

    1895年 福岡県の小倉に生まれる[1]。 1907年 高等小学校を3年で中退[1]。兄が支配人をしていた、筑豊炭田の売勘場[2]で兄の仕事を手伝う[1]。 1914年 上海に渡る[1]。上海で、中国革命運動や日貨排斥運動に直面[1]。青幇の杜月笙の協力を得て、日華相愛会を設立、揚子江における英国船の荷役拒否のストライキを組織するなど、反英工作を行なった[3]。また、当時、上海にいた北一輝に師事し、国家社会主義に傾倒した[3]。 1919年 「中国のことよりも、日の建て直しが必要になった」と判断した北と共に、上海での活動を終息させ、日に帰国[3]。北や岩田富美夫ともに老壮会に出席[4]。この頃、八代六郎を通じて徳川義親と面識を得る[3]。 1920年 北や大川周明、辻嘉六の後援で大化会を設立[3]。 1923年 大化会を岩田富美夫に譲る。 1924年 山唯三郎・後藤新平・八代・徳川・

  • WEBmagazine 温度 -

    紀伊國屋ホール初登場記念!ほりぶん『かたとき』稽古場レポ&きたろう×背椿×鎌田順也インタビュー うもれるデスクで聞いてみた 出版社営業の橋さんがZINEと出版レーベルをつくったわけ ~『うもれる日々』発売&十七時退勤社創立記念 第14回 成人雑誌の棚/LEE KAN KYOのジャケがいい 【お知らせ】代官山蔦屋書店で「LEE KAN KYO的フェア」開催します!2019年8月1日(木) ~8月31日(土) 第13回 『女性自身 2019年5月14・21日合併号』 LEE KAN KYOの『ジャケがいい』 第14回 成人雑誌の棚/LEE KAN KYOのジャケがいい 8月 21, 2019 【後編】『の未来を探す旅 ソウル』著者と行く・ソウル独立系書店ツアー 10月 14, 2017 チーム未完成のみなさん、シンガポールのアートブックフェアどんな感じでした!?~SINGAPORE

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  • 引きこもり20年、45歳で初月給 5千円札眺め涙ぐむ:朝日新聞デジタル

    京都の大学を卒業後、20年以上ひきこもっていた女性(45)がこの夏、小さな一歩を踏み出した。始めた仕事は週3度のチラシのポスティング。震える手で6月、初月給を受け取った。5千円札を何度も眺め、「自分は必要とされているんだ」と涙ぐんだという。 発端は、にぎやかなクラスに…

    引きこもり20年、45歳で初月給 5千円札眺め涙ぐむ:朝日新聞デジタル
  • 『子どもたちの階級闘争 ブロークン・ブリテンの無料託児所から』日常風景に投影された、世界の分断 - HONZ

    先日、新潮ドキュメント賞が発表され、ブレイディみかこさんの『子どもたちの階級闘争 ブロークン・ブリテンの無料託児所から』(みすず書房)の受賞が決定した。この作品を高く評価するのが、文藝春秋で数々の名ノンフィクション作品を送りだしてきた下山 進さん。作の魅力がどういうところにあるのか、特別に寄稿いただいた。(HONZ編集部) 新潮ドキュメント賞を受賞したブレイディみかこ 『子どもたちの階級闘争』を読んだ。素晴らしかった。 300ページで定価2592円って、どれだけ部数を絞ってるんだ? と最初腹立たしく思ったが、読んでみて、このクオリティだったらまったく惜しくない。 1996年にクールな英国に憧れて渡英した筆者は保育士だ。 託児所の日常が描かれるのだが、ここで凄いのは、その日常を子どもたちやその母親、そして保育士たちの世界のドラマで読ませつつ、英国の政治そのもの、のみならず世界のあちこちで起

    『子どもたちの階級闘争 ブロークン・ブリテンの無料託児所から』日常風景に投影された、世界の分断 - HONZ
  • 24時間テレビのメインテーマがどんどん気持ち悪くなっている

    80年代前後の24時間テレビのメインテーマは、必要な支援は何かということを明確化していた。 気持ち悪さはあまり感じない。むしろ誠実さや実直さといった、プラスのイメージを抱くテーマである。回数(放送年)メインテーマ第1回(1978年)・第2回(1979年)寝たきり老人にお風呂を!身障者にリフト付きバスと車椅子を!第3回(1980年)カンボジア・ベトナム・ラオスの難民のために!第4回(1981年)アジア・アフリカの障害者のために!国際障害者年記念第5回(1982年)ストップ!ニッポン姥捨て時代!第6回(1983年)君の地球のボランティア!アフリカ飢餓緊急援助!世界コミュニケーション記念第7回(1984年)この地球の未来は子どもたちのもの!第8回(1985年)アフリカ飢餓救援第9回(1986年)寝たきり老人にお風呂を!身障者にリフト付きバスと車椅子を!そしてアジア・アフリカの飢えた子どもたちのた

    24時間テレビのメインテーマがどんどん気持ち悪くなっている
  • 現在の生活「満足」が過去最高 内閣府世論調査 | NHKニュース

    内閣府が行った「国民生活に関する世論調査」によりますと、現在の生活に「満足している」か「まあ満足している」と答えた人の割合は、合わせて73.9%で、こうした質問を始めた昭和38年以降で最も高くなりました。 それによりますと、現在の生活について「満足している」か「まあ満足している」と答えた人は合わせて73.9%で、こうした質問を始めた昭和38年以降、最も高くなりました。 また所得・収入については「満足」が51.3%、「不満」は46.9%で、平成8年の調査以来、21年ぶりに「満足」と答えた人が「不満」と答えた人よりも多くなりました。 一方、政府が力を入れるべき政策を複数回答で聞いたところ、「医療・年金などの社会保障の整備」が65.1%で5年連続で最も多かったほか、「景気対策」が去年より5.1ポイント減って51.1%となる一方、「防衛・安全保障」が4.3ポイント増えて36.2%となりました。 内

    現在の生活「満足」が過去最高 内閣府世論調査 | NHKニュース