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2018年10月18日のブックマーク (2件)

  • 思想の言葉(2018年1月号) - 岩波書店

    甦る魔女 池上俊一 魔女がふたたび蠢きだしている。あちらにも、こちらにも。映画テレビゲームの世界で、あるいは書店の棚(絵、オカルト、魔女コーナー)に、魔女たちが無視できない版図を占拠している。巷では魔女セミナーが人気を集め、そこでヒーリングや占いの術をマスターして「私は魔女よ」と呟けば、美魔女ならずとも周りの人たちから持て囃されるほどだ。これらは現代風俗や大衆文化の表面で広がっている魔女ブームと言えようが、一見その邪気のない振る舞いは案外根が深く、行き詰まった現代文明に抗したいという無意識の欲求、どうしようもない屈の捌け口を求めているかのようでもある。 その起源となった人物の一人は、ドイツ民族学・言語学の祖ヤーコプ・グリムだろう。というのも彼は一九世紀半ばに、かつて魔女のレッテルを貼られたのは、実際はキリスト教以前の異教の信徒で、伝統や人々の知恵を保存した「賢女」だったとしたか

    思想の言葉(2018年1月号) - 岩波書店
  • フリードリヒ2世 (プロイセン王) - Wikipedia

    フリードリヒ2世(独: Friedrich II, 1712年1月24日 - 1786年8月17日)は第3代プロイセン国王。 優れた軍事的才能と合理的な国家経営でプロイセンの強大化に努め、啓蒙専制君主の典型とされる。また、フルート演奏をはじめとする芸術的才能の持ち主でもあり、ロココ的な宮廷人らしい万能ぶりを発揮した。フランス文化を知り尽くすなど学問と芸術に明るく、哲学者のヴォルテールと親密に交際し、全30巻にも及ぶ膨大な著作[1]を著し哲人王とも呼ばれ、功績を称えてフリードリヒ大王と尊称されている。哲学者イマヌエル・カントはフリードリヒの統治を「フリードリヒの世紀」と讃えた[2]。 生涯[編集] 少年時[編集] 父との確執[編集] フリードリヒ2世は1712年1月24日、フリードリヒ・ヴィルヘルム1世と王妃ゾフィー・ドロテアの子として生まれた。父フリードリヒ・ヴィルヘルム1世は兵隊王とあだ

    フリードリヒ2世 (プロイセン王) - Wikipedia