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ブックマーク / www.hajou.org (2)

  • 波状言論>情報自由論

    text 情報自由論 html version index 情報自由論ってなに? 「情報自由論 データの権力、暗号の倫理」(以下「情報自由論」)は、批評家・哲学者の東浩紀(僕)が、情報社会と自由の関係を主題として書き記し、『中央公論』2002年7月号から2003年10月号にかけて、14回にわけて発表した論考です。このサイトでは、そのすべての原稿が公開されています。 「情報自由論」の構想は、遠く、1990年代後半に『InterCommunication』で連載されていた論考、「サイバースペースは何故そう呼ばれるか」(未刊)に遡ります。2000年代はじめの僕は、第1章でポストモダンの理論的な問題を扱い、第2章でその情報社会における展開を扱い、第3章でそのサブカルチャーにおける展開を扱う大部の著作を夢見ていたことがありました。『動物化するポストモダン』はその第3章が、「情報自由論」は第2章が変形

  • 波状言論>情報自由論>第5回 サイバーリバタリアニズムの限界

    text 情報自由論第5回 サイバーリバタリアニズムの限界 著者:東浩紀 初出:『中央公論』2002年11月号、中央公論新社 9・11以降、共産主義ならぬテロリズムの亡霊が徘徊している。そしてその亡霊に怯えるあまり、人々はセキュリティの強化へと殺到している。だからこそ、私たちは、イデオロギーなきセキュリティの暴走、価値観なき秩序維持、理念なき情報技術の暴走を警戒しなければならない。これが筆者の考えだが、他方、そのような暴走がなぜ生じてしまうのか、そのメカニズムも知っておく必要がある。前回までの議論で登場した「セキュリティ化」「環境管理型権力」「多様性の層と情報管理の層の乖離」といった概念は、その見通しを良くするためのツールだと理解されたい。 このように、私たちのテーマは理念なき情報技術の暴走である。しかし実は、情報技術の歩みそのものは、決して「理念なく」辿られてきたものではない。連載冒頭で

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