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ブックマーク / chez-nous.typepad.jp (5)

  • 美学は人工知能をどう語るのか?

  • 人類のいいところはどこでしょう?

  • tanukinohirune

    2024年6月1日、東洋大学で行われる藝術学関連学会連合のシンポジウムで発表する要旨です。http://geiren.org/news/2024/generative-ai.html タイトル「人間とは何かとAIは問う」 生成系人工知能が生み出す文書やイメージを、熟練した人間が制作したそれらから、結果を見ただけで区別することはできるだろうか? 言い換えれば、機械による出力を知識や経験に基づく人間の手作業から決定的に見分ける「眼力」や「鑑識眼」といったものは、存在するのだろうか? もしそれが客観的なテストという意味なら、この問いに対する私の答えはノーである。 だがこのことは、人工知能が人類やその文明にとって深刻な危機だといったこととは、何の関係もない。AIがやがて人類に取って代わるという予言、あるいはそれが人類文明に深刻な脅威をもたらすことを懸念したり、その開発をしばらく中止すべきだといった

    tanukinohirune
  • 「政治的に中立」なんて、ありえない

    ぼくは、「政治的」な人も、「政治的」な議論も、大嫌いである。 けれどもそれは、「政治的である」ことがほとんどの場合、「ある立場を取る」こと、「その立場からものを言う」こと、そして「その立場へと人を誘導する(そして誘導されえない人を否定する)」ことと、同じだと思われているからであり、その限りにおいてである。 それに対し、来の(アリストテレス的な)意味におけるポリティカル、つまりポリス的である、善を志向するという意味において「政治」というものを理解するなら、誰の、どんな行いも政治的であらざるをえず、美や芸術についての言明ですら、政治的でないものなどありえない。 それでは「政治的に中立」とは、いかなることだろうか? 教育においては「政治的中立」が求められると言われるが、それはどのようなことだろうか? どんな事柄について何を言おうとも、根源的な意味でそれは「政治的」なのだとすれば、「中立」などと

  • テロではなく恐怖が敵なのである

    生存の基的衝動は抑えがたい、などというのは真っ赤なウソである。 多くの人がいつも好んで言及したがる人間の基的衝動というのは、たとえば欲と性欲だ。でも当は、欲や性欲ほど脆弱なものはないのである。人がそれらを、生きているかぎり逃れがたいものだとみなしたがるのは、当はそれらが、常に社会的な条件付けによってバックアップしていなければ、すぐに壊れてしまうようなものだからだ。カスパー・ハウザーのような、社会から隔離されて育った人間の記録をみると、欲もつつましく、性欲はそもそも発現しない。金銭欲はまったく理解出来ず、他人を支配したいという欲求もない。 人間とは来そういうものなのだ、と思う。 つまり、私たちが必要以上にべたいと思ったり、モテたい、セックスしたいと思ったり、お金が欲しい、人から尊敬されたい、人に言うことを聞かせたい、等々と思い、そしてそうした衝動が抑えがたいように感じている

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