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ブックマーク / qaze00.hatenadiary.org (44)

  • ソーシャルブックマークの意義 - インターネットの真の姿とは

    ソーシャルブックマークの話題が実際の人々の話題とリンクしているか、という話で、いわくソーシャルブックマークの割合がネット人口の1%であるから信憑性が云々とあるエントリに書かれていたので、そのことについて少し思ったことを。 ネットにはいろいろな人がいるわけで、自分が見たという痕跡すら残したくない人もいるかと思います。2chのROMなどにみられるように、要は自分の得たい情報を探しにWebにきているわけで、それは基無料だと思っている。もし対価を払うとしたら、それは接続料としてプロバイダにであり、コンテンツに対しお金を払う、対価を払うという考え方は現状浸透してはいないと思う。 ソーシャルブックマークはユーザにとっての便利ツールであるとともに、管理者であるはてなやライブドアにとっても、注目度を見る一つの指標となっている。TVの視聴率(600世帯/日の世帯数)のように無作為ではなく、たぶんWebの

    ソーシャルブックマークの意義 - インターネットの真の姿とは
    hatayasan
    hatayasan 2008/03/25
    ソーシャルブックマークの情報は鵜呑みにするんじゃなくてあくまで参考程度にとどめておいたほうが幸せになれますよ、という話。たしかに。
  • 表現したいと思う動機は人によって違う - インターネットの真の姿とは

    多様なツールやサイトがWebには増えてきました。ブログやホームページにしても、サービスによって様々な見せ方やオリジナルの要素を取り入れている。統一されていない。画像サイトや動画サイトもそう。これは、Web情報を統一して受信しようとする人にとっては不便だ。いろんな規格があって、それぞれ違う見方を考えて、うまく全体を巡回していかなければならない。願わくば、あらゆるサイトをRSSで統一してすっきり見られるようになれば一番だなぁと、RSSを使っている私は思います。 でも、それではだめなんですね。私は今までのエントリの中で、Webは受信者優位だ優位だと繰り返していましたが、その前段階の部分があった。まず、発信者を「発信する気」にさせないといけない。それがないと何も始まらず、情報を送信する人がたくさんいてこそ、受信者優位であるといえる。 Webは、何もしなくても現在は情報を発信している人が多くいますが

    表現したいと思う動機は人によって違う - インターネットの真の姿とは
    hatayasan
    hatayasan 2008/03/23
    「いろんな人が情報を発信すれば、Webはより楽しくなる」
  • それぞれのサービスで過ごす時間 - インターネットの真の姿とは

    私の場合、ヒマな時・・・・・はてなで2h、LDRで2h、google,yahooで0.5h、ニコニコで1h、hangameで1h,パンヤで2hといった所か。まぁ気分によって変わりますが、目安。 よく、ある会社のサービスを使っている人のことを○○民、や××厨などと言う事がある。リアルでは私たちは日国民であり、それぞれの県民であることに変わりはないが、webだとサービスに自在に乗り換えられるので大きく変わる。いろんな会社の民となれるわけだ。 私の場合、はてなでブログを書いているときや、他のはてなの人の記事を見てブックマークしているときははてな民であり、ニコニコを見ているときはニコ厨であり、パンヤをしているときはgamepodユーザであるわけだ。 暇な時間というものはあらかじめある程度決められていて、その中で無計画に、時には計画的にそれぞれのサービスを利用し、楽しむ。それを当然のこととして日夜

    それぞれのサービスで過ごす時間 - インターネットの真の姿とは
  • コネクションレス型コミュニケーションの流行 - インターネットの真の姿とは

    webでは、相手の応答を必須としないコネクションレス型のコミュニケーションが多い。 メールは相手に応答を求める場合もあるが、同時間ではない。 twitterでは応答すら求めているのかがあやふやな「つぶやき」である ブログやmixiも、行間から応答や反応を求めているものもあるが、基的には応答は必須でない 応答が必須でないコミュニケーションは、受信者に選択があるという意味でも受信者優位のコミュニケーションであるといえる。逆に、メッセやスカイプ、電話などは、常に発信者の都合に合わせた形で受信者が動かなければならないので、発信者優位のコミュニケーションである。 個人主義の高まりは、自分を表現したいと思う感情とともに、相手の邪魔をしてはいけないと周りの状況や空気を読む力を求められるようになった。人により、電話なら気軽にかけられる、という人もいれば、メールなら気軽に打てる、という人もいるので、感覚は

    コネクションレス型コミュニケーションの流行 - インターネットの真の姿とは
    hatayasan
    hatayasan 2008/03/19
    「Webでコミュニケーションができるようになって以来、徐々に人は近く、濃く少数とコミュニケーションをするというよりは、遠く、薄く多者とコミュニケーションをする形に変わってきた。」
  • ユーザとの距離と情報の価値 - インターネットの真の姿とは

    最近では、有名人のブログは珍しいものではなくなってきた。ブログが一つのメディアとして認知された形だ。事務所もその方がファンとの距離を縮めることができ、広告、集客効果があるという計算があるのだろう。そして誰かがブログで成功すると、我も我もとブログをはじめる。人か、事務所の意志なのかは知らないが。 少なくとも、そういう情報発信のチャネルが増えることは単純にうれしいことだ。マスコミの視点を通じた間接的な情報ではない、芸能人やアイドルとの情報の共有がなされ、直接の情報が手に入るのだから。 Webは、実世界の資や規模の論理がそのまま反映されにくく、リアルではそれほど活躍していない新人でもWebでは有名、といった現象は起きるだろう。文章の内容や、更新頻度によっても読者数は変わる得るから。一度話題になれば、一躍有名、などといった爆発力が、Webには確かにある。が、真逆もあり、問題発言により、どこぞの

    ユーザとの距離と情報の価値 - インターネットの真の姿とは
    hatayasan
    hatayasan 2008/03/15
    ほんとうに必要としている情報がどのような情報化を見極める機会は、普段Webに浸っている限り思った以上に少ないと思うことがある。
  • エントリが書ける時 - インターネットの真の姿とは

    文章を書くのは一定の手間、つまりコストがかかるが、ニュースやふとしたきっかけで、どうしてもそのテーマについて文章を書きたくなるときがある。そういったときに吐き出すのが、このブログというわけである。 ただ、書くといってもそんな人に比べて新情報や知識が抜きん出ているわけでもなく、ただ思ったことをうまーくうまーく、修正したり、変な方向に向いたりしながら書いていく。うまく自分がふと思いついたことがメインテーマとして文章の筋が通っていることもあれば、書いている間にまた別のことに気づいて軌道修正したり、書いた後にふと別の人のエントリをみて考えを大きく書いたり・・・などと色々ある。 この世に完全な人間はいないわけで。たとえいたとしてもたぶん、合理的に考えて、手間がかかるブログは書かないんじゃないかと思う。色々自分に足りない所は多いものの、今自分が思うことを、それがすでに語りつくされたようなテーマでもかま

    エントリが書ける時 - インターネットの真の姿とは
    hatayasan
    hatayasan 2008/03/14
    「意外と人間って人生に2度も同じことを再び考えることは少なく、ふとしたきっかけでもう一度考えようとしても、当時そのことに非常に興味を持った「旬」は過ぎてしまい…そのことは放置されたままに」よくわかる。
  • 読者は書き手に何をもたらすのか - インターネットの真の姿とは

    コメントはまあ・・なかなかつかないし、直接的に形として残っているものはアクセス数のみと言える。はてなにはブクマやスターがあるので、読者の反応が多彩になったが・・・やはり、日常的に書き手にバックしてくるものは、基、アクセスのみとみていい。(+RSS購読者が目安か?) アクセス数が増えるということは、書き手にとって会心のエントリかどうかはわからないが、読み手にとって良い(または刺激的な)エントリであることは確かだ。正確には、アクセス比率というのが正解かもしれない。日ごろのアクセスにくらべ、どれだけの人が来てくれているか、という意味で。 自分にとって自信があるエントリでも、アクセス数は必ずしもそれに比例しない。よくやってしまうのが、ひとりよがりなエントリ。うまいと思っているのは書き手だけというパターン。(一時これをよくやった、今でもよくやる)読み手にとってはくだらない内容でしかない。レトリック

    読者は書き手に何をもたらすのか - インターネットの真の姿とは
    hatayasan
    hatayasan 2008/03/12
    「レトリックや表現に凝るのも、本当にセンスがあればいいのだが、中途半端だとイタい。」独り善がりなエントリは、ヲチられるか黙殺されるか、反応が極端。
  • 3歩、前を歩く人 - インターネットの真の姿とは

    Webで有用な情報を得ようと思ったら、優秀な人が書いたちゃんとした文章から順にチェックすることが、一番効率的かというとそうでもない。単純に、頭のレベルが色々追いつかず、理解できないからだ。・・・悲しいことに。 Webで情報を探すとき、しばしば公式サイトではなく、自分の体験をもとに説明したブログなどを参考にすることがある。そっちの方が今の自分にとってわかりやすいからだ。いきなり様々な知識を前提として話されても、わけがわからない。すべては理解していない人でも、それなりに分かりやすく説明してくれている文章の方が、ああ、こういうことを言っているんだな、と理解しやすいし、親近感もわく。 Webは全ての人をつなぐコミュニケーションツールである。世の中に優秀な人はごまんといるわけだが、頭のいい人はしばしば、ある知識を前提のもとに話す、つまりはしょって説明することが多い。その間のことは当たり前だというわけ

    3歩、前を歩く人 - インターネットの真の姿とは
    hatayasan
    hatayasan 2008/03/12
    「自分と同じような境遇、考え方の人であれば共感も大きい…自分より少しだけ分かっていそうな人の話を参考にする。これは身になることが多い。」ブログを読みつづけてしまう理由なども、そのあたりか。
  • ネットは時間を吸い込む - インターネットの真の姿とは

    エントリを書くきっかけ 「ネットで頭がバカになる!」 テリー伊藤の主張を「否決」  JCASTニュースより お詫びと、ここ2週間悩んでいたことについて   Attribute=51より 外に出て活動している場合をリアル、PCの前でWebに接続して何かしている状態をネットと定義する。 ネットは(あなたがリアルですごすはずだった)時間を吸い込むのは確かだ。当たり前の話で、定義から考えても、ネットで過ごす時間が長くなればなるほど、自分のもつ時間が限られている以上、リアルで過ごす時間は少なくなる。 リアルによって培われる能力としては、やはり人とのコミュニケーション能力ということになるのだろうか。あと、「実体験」という名の経験値。リアルで過ごす時間が長いほど、これらが増えていく。 一方、ネットで培われるものは何か。実は、これはかなり幅広く、何でもアリなのである。情報やコンテンツによる知識やコンテンツ

    ネットは時間を吸い込む - インターネットの真の姿とは
    hatayasan
    hatayasan 2008/03/11
    「ネットで過ごす時間が多いほど、他人から見て失われていく能力は多い(コミュニケーション能力が落ちる)が、自分にとっては得られるものもある。」心地よい距離感とか、そういうものがはっきりわかっていれば。
  • はてなスターはいらない子か - インターネットの真の姿とは

    いまだ、はてなスターというものがよくわかっていない。どういうふうに活用していけばいいのだろう。コメントをつけられ、一か月間スターフレンドになれるという話だが・・・スターフレンド・・どう活用すれば? 気に入った記事に星をつけるというコンセプトはわかる。Web拍手のようなものだろう。しかし、はてなブックマークにも、というかはてなブックマークのほうがむしろ、その記事のアクセス数が増えるという意味で、ブログの応援になっており、機能としてかなりかぶる部分がある。スターの方は、必要ないのではないか?と思う。自分にとっては、もうすぐ終了してしまうはてなリングのRSSの方がよっぽど重要だ。 私の記事もかつて★をつけていただいたり、気にいった記事に☆をつけたりしていたが、スターフレンドという形で意識したことはない。何か現状から次の展開を考えているとすれば納得がいくが、現状のままでははてなスターにそこまでの必

    はてなスターはいらない子か - インターネットの真の姿とは
    hatayasan
    hatayasan 2008/03/07
    一時期Friendsの数が気になったこともあったけど、最近はそうでもなくなってきた。肩の力がいい具合に抜けてきたのかもしれない。
  • mixiの規約が話題になってますね - インターネットの真の姿とは

    なんだかんだいいつつmixiは残るだろうなあ。友人同士のコミュニティ代替性が難しすぎる。友人一同に移動を呼びかけるわけも行かないし、互いが抑止力となって抜けづらい。 そしてそもそも規約云々って、ブロガー近辺の人は実に楽しそうな話題というかネタだが、一般のライトユーザからすれば、「はぁ。」くらいにしか思わないような出来事ともとらえられる。そりゃあmixiでブロガーっぽいことをやっていて、かつその影響力がかなりあるならともかく・・・。mixiの新規約が、ユーザの配慮がないムカつくというのはわかる。喧嘩売っているかのような書き口にすら感じる。でもなあ、GREEに乗り換え進んだりするのかな?どうだろ。あんまり変わらない気がするな。よっぽど大きな波とならない限りは。mixiのやり方がまずく、ある層のユーザが抜けていくのは間違いないが・・・一種の踏み絵となるのかな。今回の規約は。 シェア独占的ってのは

    mixiの規約が話題になってますね - インターネットの真の姿とは
    hatayasan
    hatayasan 2008/03/04
    「友人同士のコミュニティ代替性が難しすぎる。友人一同に移動を呼びかけるわけも行かないし、互いが抑止力となって抜けづらい。」
  • カムバックしやすいサービスは長続きする? - インターネットの真の姿とは

    Webサービスには様々なものがあり、栄枯盛衰がある。一つ思うのが、カムバックしにくいサービスは幽霊ユーザをたくさん生み、ゴーストタウンと化すんじゃないか?ということだ。はてなリングのサービス終了などは、そういった閉塞感を打開したいという運営側の思いもあるような気がしてならない。 mixiはぶっちゃけカムバックしにくい。もう私のIDはゴースト化し、ほんのたまに知り合いののmixi日記が気になるくらいだ。twitterはどうか?発言コストが低いことでカムバックしやすいとは思うが、やっぱり・・・なんというか、twitterでできあがっている空気に自分が水を差してしまうそんな気がして、発言しにくいなと思ったりする。個人的に。説明しにくいが、2,3日発言していなかったことで、なんだかしらない感じのよそよそしさを自分の中で作ってしまう。おおなんか久しぶりにXXが発言してるな見たいに思われるのも、やだな

    カムバックしやすいサービスは長続きする? - インターネットの真の姿とは
    hatayasan
    hatayasan 2008/03/04
    「色々なことがあっても、マイペースを貫ける人が、ブロガーとして続くんだろう。」
  • Webとリアルのバランス - インターネットの真の姿とは

    Webは当に楽しく、おそらく一生Webにいても退屈することは無いと思います。毎日ニュースを読み、ブログを書き、ついったーで新たな発見をし、動画やゲームで楽しみ、2chで笑う。そんな生活がずっと続いていけばいいなあと思う。でも、人生は時間軸のもと、選択を続けていく存在である以上、何かを得るとともに失い続けていく毎日であるわけです。 最近ふと、自分が滑舌がやばくなっていることに気づきました。東京特許許可局が何回繰り返してもちゃんと言えない。以前はもう少しちゃんと言えたはず。なんでだ?と考えたときに、単純にWeb世界が自分の日常となってから、しゃべる機会が減っているな、ということに気づいた。 じゃあスカイプ使えばおk、ってそういうことを言いたいのではない。Webにも大切なものがあるが、リアルも大切なことはたくさん転がっていたのだな、と今更ながら気づいた。俺、遅いなほんと。 昔は、今考えればバカ

    Webとリアルのバランス - インターネットの真の姿とは
    hatayasan
    hatayasan 2008/02/28
    「肉体としての自分が活動する時間→リアル 精神としての自分が活動する時間(?)→Web という形で、両方ともさび付かないように使ってやらなきゃなあと」
  • テキストの意味を認識する目 - インターネットの真の姿とは

    ブログにサイバーエージェントの社長を名指しし「射殺します」と記載…無職男(32)を逮捕 - 静岡 こういう事件が起こるたびにふと思うことなのだが、テキスト表現ってどこまでがアウトで、どこまでがセーフなんだろうか。屁理屈をこねたいわけでなく、純粋に表現としてのアウト、セーフラインがわからない。 「みかん殺す」を例として みかん殺す・・・これはそのままで、こういった書き込みはアウトなんでしょう。それはわかる。だが、 1、字空け みかん 殺す み か ん 殺 す はどうなんだろうか?単語は連続していないと意味をなさないとするならば、これはセーフの可能性はある。しかし大半の人々は、これを見て「みかん殺す」であろうと判断するだろう。認識できたらアウトなのか。 2、ローマ字など、平仮名以外で書く mikanwosatugaisimasu 3、一部変え みかん殺さ 4、ほかの人の書き込んだ文章コピペ み

    テキストの意味を認識する目 - インターネットの真の姿とは
    hatayasan
    hatayasan 2008/02/25
    表記をわざと逸らしたり言外の意味をこめた語句なんかはどこまで正面から解釈することを受け入れるのか、あたりの話。
  • Web上のコミュニティの寿命を考える - インターネットの真の姿とは

    人は、集まれば群れたがる。実社会でしばしば見られる現象だが、Webでもそれは変わらない。 趣味が一緒の仲間が集まるWeb上の小さなコミュニティは、mixiやゲーム、サービスやブログなどをはじめ、Webのいたるところに存在する。人数は数人から多い所では千人単位となる。これらはWebというつながりの世界において生まれた情報縁といえる。何か共通する部分や趣味を一つ持つことからつながりは始まるが、中にいる人々は、全然自分と違うタイプもいれば、似たタイプもいる。まさに偶然の出会いである。 ただ、こういったWebコミュニティは流動的で、やがて人々は様々な理由によってコミュニティを離れていく。様々な人との出会いがあり、別れもある。コミュニティ自体が廃れていくことだってある。 やめる理由としては、単に興味がうせた、飽きたなどによる自然消滅が主で、他にもコミュニティ内での仲たがいや、参加度などによって、人々

    Web上のコミュニティの寿命を考える - インターネットの真の姿とは
    hatayasan
    hatayasan 2008/02/25
    「Web上のコミュニティは存在が必須ではない。気軽に参加する自由もあれば、そっと去る自由もあるのだ。/Webのコミュニティの寿命は1年から2年」らしい。」
  • Twitterの便利さは人間のすごさにある - インターネットの真の姿とは

    まだまだ使いはじめであるが、個人的な感想を。 最初は、Twitterの何がどう楽しいのか、どこも解説していないし、使い方もよくわからなかったが、その有用さや楽しさがやっと少しだけわかった。人間はまだまだコンピュータよりすごい、ということだな。 Twitterは、人間同士をうすーくつなげるツールである。それだけっちゃそれだけ。でも実は、うすーくだけでも十分有用なんですよ。有用じゃないと思ったら見なくてもいいしね。 twitterが威力を発揮するのは、内容による。ただ花を置くだけの単純作業なら、コンピュータやロボットの方が有能だが、どこかから面白いものを見つけてくる、とか何か有用な情報を議論、展開する、ということをするのはまだまだ人間の方が上。特に、枠にはめられていない情報や行動であればあるほど、柔軟性ある人間の優位性は広がる。 Amazonのおすすめやgoogleの連動広告も、考えてみれば、

    Twitterの便利さは人間のすごさにある - インターネットの真の姿とは
    hatayasan
    hatayasan 2008/02/23
    「立ち位置(年齢・職業・地域・性格・Webスキルその他諸々)が違うと、誰かの他愛ないつぶやきを見るだけで、自分にとっては気づかされるものがあったりする。」
  • Webの年表ができたらいいなあ - インターネットの真の姿とは

    日夜多くの人々がWebを利用している。互いの意見交換などによるコミュニケーションといった有意義なものがある一方、いがみ合いもまた同程度に多い。理由として、生まれ育った価値観の違いもさることながら、Webにおいてある人は当然と思えることが、ある人にとっては当然でないことによるいがみ合いがある。 Webと現実の生活における「常識」は、似た所もあるが、微妙に違う部分もある。Web独特の空気というか。現実生活を送っていて知っておくべき当然の話題というものがある一方、Webにおいて当然の話題となっているものは少し違う。よって、そこから生まれてきた「常識」も少し違いがあると思われる。 Webの情報をどれくらい知っているかは、Webの滞在時間に準じることは確かだ。しかし、Webをどれくらい利用するかどうかなどということは基的に各個人の自由で、そこに大きな差が生じている。ある人が知っていて当然と思えるこ

    Webの年表ができたらいいなあ - インターネットの真の姿とは
    hatayasan
    hatayasan 2008/02/22
    過去ログを簡単に検索して利用するようなしくみがあれば、ネットはもっと深くなると思うことは多い。
  • 規定された時間と人生の濃度 - インターネットの真の姿とは

    ふと思うに。何か目標を設定したとき、日付を決めますよね。すると、その期間までの人生の濃度が薄くなってしまうような気がするんですよ。素朴な感覚として。 自分の時間が自分のものではなく、その決められた時、Xデーまでの時間が何日か、何時間か・・・という尺度で自分の今過ごしている時間を見てしまい、自由が少しなくなる気がする。 その出来事が大切であればあるほど、濃度が薄くなってしまう。そのことが気がかりとなって、他の事に手がつかなくなる。そんな経験はないでしょうか。 もちろんこれは心の持ちようであり、実際に時間が早く過ぎたりはしません(たぶん)。ただ、楽しい時間は一瞬で、いやな時間はいつまでも続くかの如く感じるように、時間の感じかたが変わってしまうんでしょうね。何も規定しない3分、朝の貴重な3分、カップラーメンの3分、恋人と過ごす3分。意識の集中度は時によって違い、それによって時間の感じ方が変わる。

    規定された時間と人生の濃度 - インターネットの真の姿とは
    hatayasan
    hatayasan 2008/02/19
    「意識の集中度は時によって違い、それによって時間の感じ方が変わる。/ ××までにしなければならない目標と、それに際してしなければならない努力があると、逆に濃度はすごく濃くなるかもしれません。」
  • リンク情報と生情報 ーWebという不確かな世界ー - インターネットの真の姿とは

    Webにおいて、必要な情報をとっておこうとするとき、二つの方法がある。リンク情報の保存と、生情報の保存である。サービスによってわけると、 リンク情報 クリップ ソーシャルブックマーク マイリスト お気に入り 生情報 Web魚拓 タンブラー データDL キャプチャ コピペ 紙copi保存 手軽さで言えば、リンク情報を保存しておくのが一番である。はてブやクリップは、そのリンク情報のWeb共有による代表的なサービスである。リンク情報を保存するだけで、その情報をしっかり保存した気分になれる。(もっとも、はてブはすぐにブックマークできないことも多いが・・・はてな重いよ・・・・) 一方、生情報の保存はちょっと面倒だが、絶対に消えないという利点がある。これは時によって、非常に重要な意味を持つ。 日常のようにWeb環境があり、責任あるプロバイダがいて、書き手がいて・・・と、日常のWeb風景が続いていく場合

    リンク情報と生情報 ーWebという不確かな世界ー - インターネットの真の姿とは
    hatayasan
    hatayasan 2008/02/17
    「つながらなくなって初めて、気づくのである。私たちは実は、どうやってその情報にアクセスしていたかのルートすらまったく知らないことに。」つながりの跡までローカルには保存することは難しい。
  • 刹那的な生き方とWeb - インターネットの真の姿とは

    まさに、自分のことです。その場、その局面をどう乗り切るかに頭がいっぱいで。ひと段落がつき、自分の当にやりたいことは何か、と言うと答えられない。いや、答えたとしても、それに行動が伴っていない。 世の中には、人生を線のように生きている人がいる。非常にうらやましいと思う。私にはとてもできない。人生の一局面を思い返すたびに、後悔のシーンが目じろ押しです。 時に言い訳したり、時に現実逃避したりして、時間が消費されるのを待つ。人生という自分の時間を無為に、浪費したがる。破滅願望と言うべきなのか。そこにはなんともいえないやるせなさや、精神の「渇き」がある。 Webは確かにすばらしいと思うが、一方において人の時間を浪費させるための世界としてできたんじゃないかと思うことがある。オンラインゲームは確かに面白いよ。2chやニュースサイトも確かに得るものはある。脳が情報得て満足するよ。youtubeやニコニコ動

    刹那的な生き方とWeb - インターネットの真の姿とは
    hatayasan
    hatayasan 2008/02/05
    「Webは時に希望に満ち溢れた世界に見えるが、時には非常に無為な世界のようにも感じる。なにか、さみしいんです。/ちっぽけな自分にも全力で取り組めることに、巡りあいたい、もとい、見つけ出したい」