タグ

増田に関するhatz48のブックマーク (33)

  • たまには有名増田ブクマカばかりじゃなくルーキーにも注目しようぜ

    有名ブクマカいじりばかりが蔓延ってて増田と有名ブクマカの馴れ合いになりつつある増田界に一石を投じてみる。 闇属性とか鯖とかギルド団長とかセルクマとか採掘師とかよく知らない人とか、そんな四皇や七武海のことは置いといて、たまにはルーキーブクマカに光をあててみようぜ。 とりあえず俺からは4人のルーキー候補を紹介するぜ。他にも気になってるブクマカいるけど一応配慮して、あまりいじられたくなさそうなやつは除外してる。 俺なりのルーキーブクマカの定義はシンプル。 ブクマ数1万以下 or ブクマカ活動期間2年以内 b:id:srgyルーキーの星。なんとこの認知度でまだ9ヶ月も活動していない。アイコン画像のいまいち萌えない娘の選択チョイスの賜物。 得意技は無言ブクマだったけど徐々に方針変更。とにかくブクマの数が多い。最近は少し減りつつあるものの30〜40ブクマ/日がデフォ。 ブコメは下ネタからアニメ、ゲーム

    たまには有名増田ブクマカばかりじゃなくルーキーにも注目しようぜ
  • 🍣  🍣   🍣   🍣 

    🍣 🍣 🍣 🍣

    🍣  🍣   🍣   🍣 
  • 親切は巡る

    今日、雪でスタックした車を救助した。 自分だけでなく他のドライバーも車から降りてきて救助にあたった。 途中でスタックした場所の住人(たまたま民家の目の前だった)も出てきて手伝ってくれた。 しばらく格闘した末無事脱出し、自分も帰路についた。 …のだが、それから数十分後、狭い路地を通らざるを得なくてやむを得ず入った路地で、今度は自分がスタックしてしまった。 完全に片輪が浮いてしまい、脱出は困難と思われた。 1人で救助作業をしているとたまたま通りかかったサラリーマン風の男性が手伝ってくれた。 2人で作業していると、通りがかりの主婦と思しき女性が駆け寄ってきて、はじめは「スコップがない」とうろたえていたが、偶然近所の住人だったのか、夫と思しき男性を引き連れて手伝ってくれた。 しばらくすると、スタックした場所の目の前にある某店舗のスタッフやお客さんと思しき男性が出てきて、状況を察した2人も手伝ってく

    親切は巡る
  • 坊主

    このあいだ遂に爺さんが亡くなった 御年90歳の大往生だった 大病のせいで入退院を繰り返していたので ようやく楽になれてよかったなあと思った 両親も肩の荷が下りたようでホッとしていた ちなみに爺さんは浄土真宗の僧侶だったので 葬式にはそこそこの数の坊主仲間がやってきた 坊主にふさわしいお見送りということで 皆でお経のを持って読経することになった それ自体は別にいいんだけど なぜか俺を囲むように坊主が集中しており 八方から大音量のお経が響いてきて煩かった 俺の小声での読経も加えると 7.1chサラウンドといった感じで まさしくボーズのスピーカーだった

    坊主
  • 冬の夜に想う

    昨夜は都内とは思えぬほど寒い夜だった。 帰宅して部屋に入ると吐いた息がほのかに白かった。 私の住むアパートは灯油ストーブが使えないのでエアコンに頼るしかないのだが、昨夜の冷え込みには力不足だったようで、私は寝酒をサッとかっらってとっとと寝てしまうことにした。 だけど、いつもより一時間も早く布団にくるまったからといってすぐに寝つけるもんでもない。 寝よう寝ようと念じながらとりとめのない思考を巡らせてるうちに、ふと昔のことを思いだした。 長野の実家に住んでいたころのことだ。 言うまでもなく長野は東京よりずっとたくさんの雪が降る。そして寒い。 我が家は造りが古く隙間が多かったので特に寒い家だった。 家族が起きているうちはストーブを炊いているからいいのだけど、火の気がなくなると途端に冷気が忍び込んでくる。 夜も更け家の中がすっかり冷え切ったころ、私の部屋のふすまがガタガタとやかましい音を立てなが

    冬の夜に想う
  • ストロングゼロを飲んだ

    昨年の冬、十年勤めた会社を辞めた。上司と揉めて、にっちもさっちも行かなくなり、最後はヤケクソで辞表を叩きつけた。 しばらく保険でいつないだあと、近所の倉庫でバイトを始めた。すでに33才。未来には何の展望もないが、特に悲しいわけでもない。そんな段階はとっくに越えてしまった。学歴もコネも才能もない俺みたいな人間は、石の裏に棲息する虫みたいにひっそり生きて、死ねばいい。たまに小さな幸福を拾えたら御の字だし、拾えなくても別にどうってことはない。 夏にSさんという男が入社してきた。俺よりひとまわり上の45才で、とにかく無口なおっさんだった。俺たちは同じ班で働くことになり、気づけば仕事帰りに飲む仲になっていた。 先週、終電を逃してSさんのアパートに泊めてもらった。 その夜の彼は別人のように饒舌だった。 「そういえば、あるよ」Sさんが冷蔵庫からおもむろにストロングゼロを出した。 「飲んだことない?」

    ストロングゼロを飲んだ
  • 夜明け前だけ生きている感じがする

    東の空がうっすら明るくなって、 コンビニまでご飯を買いに行く。 その間に誰ともすれ違わず、 自動販売機の押しボタンの明かりが、 強くなったり、弱くなったり、ほのかに揺れている。 新聞配達のバイクが小刻みにブルルンと言うのが遠くに聞こえて、 自分以外の人間が、そこにいることがわかる。 当はこれくらいが丁度いいと思うんです。 明るくなると、箱の中から人がどんどん溢れ出て、 足で歩いたり、顔で喋ったり、脳で考えたりするから、 たまらず私は、家に帰って、次の夜明けを祈ります。

    夜明け前だけ生きている感じがする
  • JKが考える

    私はどこにでもいるJKなのだが、最近マックで級友から興味深い話を聞いた。現代日には「キモくて金の無いオッサン」という一群が棲息しているらしいのである。 キモくて金の無いオッサン。なんという悲しい呼称であろうか。属性がそのまま呼び名になっている。いくらなんでも投げやり過ぎやしまいか。我々がJKと呼ばれるように、頭文字を取ってKKOと呼んであげることは出来ないものか。それだけでずいぶんポップになるではないか。PPAPのように。 そんなことはともかく、私はキモくて金の無いオッサンという生物に興味を持ち、色々と調べてみたのだが、どうやら彼らは概ね37才以上で、家賃六万円以下のアパートに独りで暮らしていることが多いようだ。特段、人生に不真面目であるわけではなく、むしろ性格は小心で、毎日、与えられた仕事を粛々とこなすものが多い印象である。ただ、様々な能力が平均より少しずつ劣っていたり、運が悪かったり

    JKが考える
  • 美大生との合コンがやばすぎた。

    しがない大学生なんだけど最近免許の更新で二俣川の試験場にいったらエスペランサスポルディングみたいなアフロヘアの女にいきなり逆ナンされて髪型はあれだけど顔がめっちゃ美人だったからテンションぶちあがってラインを交換してその日はそれで別れたんだけどすぐにメッセージが届いてしかもそれが合コンの誘いだったからさらにテンション上がってすぐに学科の友達に声かけてメンバー揃えて昨日池袋の個室居酒屋で集まったらどういうわけか言い出しっぺのエスペランサスポルディングが来てなくてなんか急用ができちゃったから遅れて合流するとかでとりあえず男4女3で飲み始めたら女の子3人の様子が明らかにおかしくてみんな顔はかわいいんだけど揃いも揃って挙動不審でずっとうつむき加減でモジモジしてて絶対に目を合わせようとしないし何だよこの子達って不安になってきたんだけど俺はすぐにピンと来てようするに彼女達は全員処女でまったく男慣れしてな

    美大生との合コンがやばすぎた。
  • 賃貸の退去費用が思ってたより多額だった [ 追記した ]

    8年間住んだマンション(3LDK)から引っ越す際に退去費用を30万ほど請求された。 特に破損させたようなところはないと思ってたのでびっくり。家賃は10万円ちょっとで敷金は15万円ほど預けてた。 退去精算書を見てみると、項目・金額・負担割合しか書いていなかった。 例えば、壁紙の張替えという項目なら、 項目:壁紙張替え 金額:120,000円 負担:50% のような感じ。 (金額・負担割合はかなり近しいダミーです) とにかく納得がいかなかったので、一度、現場で不動産業者と話をすることにした。 また、そういった知識がなかったので、後で聞き返せるようにやっすいレコーダーを買って、 国土交通省の「原状回復をめぐるトラブルとガイドライン」PDFをあらかじめ読んで、現場でも見られるようにしておいた。 いざ、話し合いの現場には、不動産業者の課長と建物を所有する会社の課長がきた。 はじめに「素人なので後で聞

    賃貸の退去費用が思ってたより多額だった [ 追記した ]
  • 一番ウマかったステーキ

    高校生の頃、ステーキレストランでバイトをしていた。数店舗展開の小さなチェーン店の一つだった。 ディナーのラッシュが落ち着いた所で休憩に入ると、たまに店長が「ご飯盛っておきな」と言ってくる。好きなだけ盛っておき、頃合いを見て店長に渡すと、ステーキが載って帰ってくる。形が悪かったり端切れのような中落ちみたいな肉はステーキとは言い難かったが、これがとてつもなくウマかった。 社長の抜き打ち来店を警戒しながら、裏で黙ってうこの肉が好きだった。 あの頃一緒に働いてた同級生、年上のめちゃ可愛いお姉さん、頑固なじいさん社員や新米の優しい社員、よくしてくれた店長、皆いま何しているのだろうか。元気なら、それだけで充分すぎるのだが。 もう何年も前に無くなったあそこのお店で、もう一度だけあの不恰好な肉をべたい。自分にとっての一番ウマかったステーキ。

    一番ウマかったステーキ
  • 毎朝、立ち食いコロッケそばを食べている

    わたしではなく、30歳ぐらいの女性が。 しかも知り合いではなく、赤の他人だ。 わたしが毎日自宅から最寄り駅につくと、改札をくぐる前に、 朝代わりに月見そばをべる習慣が5年ぐらい続いてる。 そんなある日、 わたしと同じように、30歳ぐらいのメガネの女性が 毎朝、コロッケそばをべていることに気がついた。 遡って考えてみれば、ここ半年ぐらいは続いているだろうか。 さすがに昨年末ぐらいからは、お互いを顔見知り程度には認知しており、 忙しくそばをすすりながらも、 「あ、また会いましたね!」という感じで軽く会釈をするようになった。 ところで、わたしは毎朝月見そばをべているが、コロッケそばなるものをたべたことがない。 たまに気分を変えてもせいぜいきつねそばか、きざみそばぐらいだろう。 ただ、コロッケそばというものには興味が惹かれる。 どうやってべるのかと思い、ちらりと横でたべている彼女の様子を

    毎朝、立ち食いコロッケそばを食べている
  • 昼食に刺身定食を食べて心を落ち着かせる

    普段の昼は簡単なものを選んでいる。 「いなり寿司」とか「巻き寿司」みたいな、一口でべれて、かつ、どれからべるか? みたいな選択肢が少ない、 気楽にべられるべ物だ。 ちなみに、常にいなり寿司を全部べてから、巻き寿司をべている。 これは、仕事で精神がすり減るのに、ご飯をべることを考えることに脳みそを使いたくないから、こうしている。 僕にとって、朝決まった時間に起きて、スーツを着て、電車に乗って、パソコンの前に座る、という仕事以前の作業でも、ひーこらいう程度には疲れてしまう。 そんなわけで、ただでさえも疲れているのに、ご飯をべることにエネルギーをあまり使いたくないので、普段はこうしている。 というより、仕事のエンジンをご飯をべることで落としたくない感じかな。 超面白いを読んでるときに、ご飯べるのを忘れてしまう現象を、あえて自分から作り出しつつ、最低限のエネルギーは補充する

    昼食に刺身定食を食べて心を落ち着かせる
  • Google翻訳をオープンソースプロジェクトに使うのはダメなのか?

    免責: これは法律の専門家によるアドバイスではありません。この情報にしたがって行動した結果に対して責任を負うことはできません。 最近プログラマの間で 「Web翻訳の結果をオープンソースソフトウェア(OSS)の翻訳に突っ込んではいけませんという話」 http://blog.goo.ne.jp/ikunya/e/37e5a52e10ab26fcbd4f7ff867e9eace が、話題になってますね。 Ubuntuの翻訳プロジェクトで発生したトラブルの話です。 この話では、「もちろん、利用規約的に問題なければWeb翻訳の結果をOSSの翻訳に突っ込んでも*ライセンス的には*問題ありません。」という追記がされてます。 ですが、プログラマの間で単にWeb翻訳をOSSに使ってはいけないんだという認識が広まってるように見えます。個人的には、この認識が広まってしまうのはいやだなと感じたのでこの文を書いてい

    Google翻訳をオープンソースプロジェクトに使うのはダメなのか?
    hatz48
    hatz48 2017/03/13
    品質高い
  • 幸せの増田を拡散させたい

    2009年に初めての増田を投稿してからちょうど8年が経った。 その間、いろんなことがあったけど、今でも毎月1〜2はずーっと増田を書いている。 その時々の皆が興味を持ちそうなテーマを選んでは、自分の過去の経験や考えに少しだけアレンジを加えて書き続けた。 (100%創作を書けるほどの才能はない) そんなお金にもならない、誰にも自慢できない創作エッセーを書き続ける理由は一つだけ。 「読んだ人が幸せになる、役に立つ情報は拡散する」 という証明をしたいからだ。 今のネットは増田を始めた8年前よりも大きく拡大し、ひどい言葉もいっぱい飛び交うようになった。 日常や世の中の不安や怒りを、殴りつけるように書く。 それを読んだ人は、不快であることを表明する。 賛同される。やりこめる。反論する。炎上する。 アクセス数目当てに炎上させる人間もたくさん生まれた。 毎日毎日そういう記事や話題ばかりが上がってくる。

    幸せの増田を拡散させたい
  • 増田のレベルがどんどん上がっているのがおもしろい

    最近は増田に掲載される文章のレベルがどんどん上っていて、はてブを大量に集めるものが増えてきた。 昔だったら個人ブログに書かれていたような文章なんだけど、ブログがすっかり収益目的の連中に荒らされたのが影響して、増田にいい文章が上がりやすくなっているのかもしれない。 今は互助会とかやらない個人ブログが目立つのが難しくなっていて、いい文章を書いても埋もれる可能性が高い。 しかし増田だといい文章を書けば、特に拡散の努力をしなくても、たくさんの人に読まれる可能性が高い。 だから収益目的じゃなくて、いい文章を書いて読まれたいっていうのが目的の人が、増田に書くことが増えているのかも。

    増田のレベルがどんどん上がっているのがおもしろい
  • 大みそかが誕生日なんだ。

    年末年始の忙しい時期だから、子供のころに友達を招いてのお誕生日会はとても望めなかった。おせちの準備でバタバタする台所と大掃除に追われるそれぞれの部屋、夜には紅白歌合戦、年越しそば。それが誕生日の風景。慌ただしい中に、母はいつもケーキを用意してくれていた。そばの後にケーキ。紅白が後ろに流れる中べるケーキ。それが誕生日の風景だった。 不思議なくらい多幸感につつまれていた。誕生日ってこういうものなんだと思っていた。 1人暮らしを始めた。その年の大みそか、自由にやってみたかった。紅白なんか流れてない。そばなんてべない。わざわざこんな日にケーキなんてべる必要なんてない。働いて稼いだお金で好きなものを並べた。でも全然楽しくなかった。カウントダウンイベントに行った。場違い感が半端じゃなかった。次の年は友達を呼んだ、でもパーティーには慣れていなくて、これまた全然楽しくなかった。ふつうの誕生日の祝い方

    大みそかが誕生日なんだ。
  • 元旦から祖父母とインスタントラーメンをすする悲しさ

    「あんたは、なにちゃんだったっけか?」 孫である僕の顔を覗き込む祖母。 まさか自分がこんな、ドラマのワンシーンのような状況に遭遇することになろうとは… 驚愕、混乱、不安、そして、悲しみ。 当に色々な感情を抱いた時、人はどんな表情も作れないのだと、23にして初めて知った。 年末年始、母方の実家に帰ったときのことである。 「けんちゃんだったかしら」 「・・・そうだよ」 引きつりながら笑って頷く。 なんだ、びっくりした。自分の年齢に乗っかった新手のネタか。 これは一わされた。はっはっは。 最初のやり取りはそんな感じだった。 これが当にネタだったなら、どんなに心穏やかに新年を迎えられたことだろう。 おばあちゃんがボケた。 これまでとは違い、決定的に。 名前を聞いてきたことが、冗談ではなく気の確認作業だったのだと気付くのに時間はかからなかった。 当にボケていたのだと最初に確信した時、今ま

    元旦から祖父母とインスタントラーメンをすする悲しさ
  • 未来の世界がどうなってるのか予想がつかない事への困惑

    皆は、どうやって現在の世界をとらえているんだろう。 「世界は『今がすべて』」とそういう風に感じているんだろうか? 俺は、困惑している。 10年前まで、ネットをスマホでするなんて考えられなかった。 テレビ電話すらカクカクで、そういう感じで戸惑っていた時代だったわけだ。 10年前には、まだ30年くらい前の価値観を持っていた。俺が生まれる前の時代から続いてきた世界が少しずつ変わっている、その速度で覚悟をしていた。 しかし、その速度はモットもっと激しい。 学問を志していたが、僕の志した学問は完全に情報化の波にのまれた。 具体的には医学だし、医者にもなったけど、まさかこんなに製薬会社の言いなりに統計を出すだけなんて。 科学が学問ではなく、統計結果に対して理屈付けする学問ではない何かになった。 将棋では、AIが出した答えを人間がどうにか解釈するというものになりかけているらしい。 昔は人間が考えて学問の

    未来の世界がどうなってるのか予想がつかない事への困惑
  • 夜の住宅街を散歩した話

    終電間際まで残業。俺は疲れた顔をして家までの道のりをとぼとぼと歩いていた。 足取りは重い。帰ったところで、頬杖をついて指でカツカツとテーブルを打ち鳴らしているか、トドのように大口を開けながらいびきをかいて眠るしかいないからだ。どちらを想像しても、気が滅入っていた。結婚したてのころは帰宅時にいつも玄関で出迎えて笑顔を見せてくれたのに。5年目となるとしょうがないのか、と諦めている気持ちもある。 しかしながらそんな家にまっすぐ帰る気にもならず、かといって居酒屋に入って一杯引っ掛けるような気力もなく。 せめてもの抵抗、と、コンビニの角を曲がり、遠回りをすることにした。 夜の住宅地は面白い。 もう3年近く住んでいる街なのに、まったくの他人のようなよそよそしさがある。 ふと油断するとすぐに迷ってしまうようなおそろしさがある。 子供のころはよく「冒険」と称して近所を歩き回っていたっけ。 歩いている間

    夜の住宅街を散歩した話