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今から72年前、1945年8月15日。昭和天皇の「玉音放送」によって、国民は戦争が終わったことを知った。すでに310万もの日本人が戦火に倒れていた。もしも戦争が続き米軍を中心とする連合国軍の本土上陸が実現していたら、被害はさらに広がっただろう。 ソ連が北海道に上陸して南下していたら、日本はドイツや朝鮮のように、民族同胞が分裂する状態となっていただろう。昭和20年夏の敗戦は、こうした最悪の悲劇を逃れる決定であった。 その決定が、昭和天皇による「聖断」によって実現したことはよく知られている。一方、より長い時間軸で敗戦までの過程をながめると、この「聖断」の意味が立体的に見えてくる。今回は『昭和天皇実録』などから、「聖断」の意味を考えてみたい。 ポツダム宣言「黙殺」が生んだ悲劇 まず連合国軍による降伏勧告、「ポツダム宣言」(以下「宣言」)から8月15日までの大まかな流れをみておこう。 同宣言は19
[マラウィ市(フィリピン) 3日 ロイター] - フィリピン南部ミンダナオ島のマラウィ市で先月から続いている戦闘の発端は、数十名のイスラム主義武装勢力が刑務所を襲撃し、警備員らを降伏させたことだった。 6月3日、フィリピン南部ミンダナオ島のマラウィ市で先月から続いている戦闘の発端は、数十名のイスラム主義武装勢力が刑務所を襲撃し、警備員らを降伏させたことだった。写真はマラウィ市を警備するフィリピン兵士たち。2日撮影(2017年 ロイター/Romeo Ranoco) 「キリスト教徒を引き渡せ、と彼らは言った」。現地の刑務局の副局長を務めるファリダ・P・アリ氏はその時の様子を語る。「刑務所職員にキリスト教徒は1人しかいなかったため、気づかれないように彼を服役者のなかに紛れ込ませた」 過激派組織「イスラム国(IS)」に忠誠を誓う「マウテグループ」と呼ばれる武装勢力の戦闘員は、警備員を脅しつけ、服役
2016年6月からはコミック化、2017年1月からはアニメ化と急激にそのリーチを広げたこの作品は、タイトル通りに主人公こそ「幼女」(※中身は転生したオッサン)であるものの、作品全体としては政治・歴史・軍事に強く取材した重ためな展開がその魅力の一つといえる──ジャンルとしてはライトノベルの国境線のギリギリ内側くらいに存在しつつも、しばしばにしてファンからは「ヘビーノベル」と呼ばれているという現状は、作品のテイストをよく表現していると言えるだろう。 さて、そんな『幼女戦記』の作者であるカルロ・ゼン先生が、こちらのインタビューに登場するグルッペン・フューラー氏の作る一連の『Hearts of Iron 2』プレイ動画が大好きだという情報を、編集部の偉い人がキャッチ。 グルッペン・フューラー氏もカルロ・ゼン先生の作品は『幼女戦記』に限らず大好きという話を聞いていたこともあり、急遽お二人の対談をセッ
HIROSHIMA, JAPAN - MAY 27: U.S. President Barack Obama gives a speech during his visit to the Hiroshima Peace Memorial Park on May 27, 2016 in Hiroshima, Japan. It is the first time U.S. President makes an official visit to Hiroshima, the site where the atomic bomb was dropped in the end of World War II on August 6, 1945. (Photo by Atsushi Tomura/Getty Images)
戦争が続いていると信じフィリピン・ルバング島に30年間潜伏を続けた元陸軍少尉で、ボランティアなどを養成する「小野田自然塾」理事長の小野田寛郎(おのだ・ひろお)さんが16日午後4時29分、肺炎のため都内の病院で死去したことが17日、分かった。91歳だった。葬儀・告別式は親族のみで行う。後日、お別れの会を開く予定。 遺族らによると、体調を崩して6日から入院していたという。 大正11年、和歌山県亀川村(現海南市)で生まれ、昭和19年に諜報員などを養成する陸軍中野学校を卒業後、情報将校としてフィリピンへ派遣。20年の終戦後も任務解除の命令が届かず、ルバング島の密林にこもって戦闘を続け、49年3月に任務解除命令を受けて帰国した。 50年にはブラジルへ移住し、牧場を開業。平成元年には小野田自然塾を開設し、ルバング島での経験を基にキャンプ生活を通した野外活動などでボランティアの育成などに尽力した。近年は
1:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/02/20(月) 20:09:44.80ID:JNypWjEk00 ばあちゃんの家で、曾祖父が生前出していた自伝をもらってきた 俺は曾祖父とは小さい頃1、2度しか会ったことがなくて これまでおぼろげにしか知らなかったことが、詳しく書いてあってなかなか面白かったんで 昔の資料と思って掲載画像を交えながら淡々と語っていく ちなみに俺は軍隊のことは言うほど詳しくないので、そこは悪しからず 5:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/02/20(月) 20:11:23.72ID:JNypWjEk00 さて、曾祖父は今に至るまで一族で唯一の職業軍人 親戚みんな身体が小さかったんで軍人に向かず、内心忸怩たる思いを抱いていたが、 海軍に行った先輩に「主計兵なら受かるんじゃね」と言われて主計兵になった ちなみに主計兵とは炊事、
ナチス親衛隊の将校で、医師でもあったヨーゼフ・メンゲレは、淘汰による人種改良を掲げる強烈な民族浄化論の信奉者で、第二次大戦中にアウシュビッツの収容所で、囚人におよそ学術的価値の認められない人体実験を行ったとされる人物です。アウシュビッツに到着した捕虜の中から人体実験の対象者を選別する姿から、「死の天使」と恐れられたと言われているメンゲレですが、彼の直筆の手紙や短編小説、詩などがオークションにかけられる予定となっており、その中には、第二次大戦後、南アメリカへの逃亡中のものと見られる3000ページ以上にも及ぶ自叙伝も含まれるとのこと。 Nazi 'Angel of Death' Josef Mengele's handwritten notes by to be auctioned off | Mail Online メンゲレ医師の写真。彼は人体実験の中でも特に双子のメカニズムに強い関心を抱い
第二次世界大戦中ポーランド第2軍団第22弾薬補給中隊に所属し、激戦となったモンテ・カッシーノの戦いでは砲弾が飛び交うなか一度も弾薬箱を落とすことなく補給任務にあたったシリアヒグマのヴォイテクは、ポーランドでは英雄として知られています。 一兵卒として活躍するとともに、家を遠く離れたポーランド軍兵士たちの心を和ませる中隊のマスコット的存在として愛されたヴォイテクは、戦後共産圏となったポーランドを避けた中隊とともにスコットランドに駐屯し、エディンバラ動物園で1963年に死去したのですが、その最期の地となったエディンバラにヴォイテクを記念した像が建立されることになったそうです。 ヴォイテクが兵士たちと戯れる写真や映像などの詳細は以下から。Wojtek The Soldier Bear - In the Ranks of Victors - Home Polish bear 'that fough
第二次世界大戦中の写真と、同じ場所で最近撮影された写真を合成したロシア人の写真家Sergey Larenkov氏の作品を紹介します。 ベルリンやウィーン、モスクワやサンクトペテルブルクなどの現在の風景に過去の白黒写真がフェードインするかのように溶け込む姿は、白昼の街に第二次世界大戦の亡霊が現れたかのようです。 詳細は以下から。sergey_larenkov 2009年のベルリン・ティーガー公園に現れた、1945年のティーガー戦車。 2009年と1945年の国会議事堂。1933年のドイツ国会議事堂放火事件で炎上し、1999年に修復されました。 議事堂の階段に立つゲオルギー・ジューコフ(ソ連のドイツ占領軍の最高司令官)。 現在はドイツの国旗が掲げられていますが、1945年の4月30日(ヒトラーが自殺した日)には赤軍兵士により勝利の旗が議事堂に掲げられました。 2010年のウィーン・ホーフブルク
いつ爆発してもおかしくない不発弾が小学校のチャイムに使われていた 戦争が終わっても不発弾や地雷の撤去が終わるまでは、住民は安心して暮らすことはできません。 地雷除去活動をしている団体が、アフリカの小学校を訪れたときに、不発弾があることに気づいたそうです。 驚くことに、その不発弾は授業の合図に使うチャイムとして使われ、石でガンガンと叩かれていたと言うのです。 場所はアフリカ東部にあるウガンダの、総勢700名の生徒がいる小学校。 除去活動をしている団体のWilson Bwambaleさんは、学校のチャイムとして不発弾が使われていたことに衝撃を受けたと言います。 不発弾には作動する信管が備わったままで、それはつまり、激しく叩けば学校の周囲は言葉に出来ないほどの被害を受けることを意味すると述べています。 あわてて非常線を張り、生徒が不発弾に触れることのないようにしたそうで、さもなければいつ爆発して
[国連 17日 ロイター] 国連安全保障理事会は17日、リビア上空への飛行禁止区域設定を承認し、市民を守るために「あらゆる必要な措置」を講じると表明した。 一方、リビアではカダフィ政権側が優勢に戦いを進め、反政府派が拠点としている東部の主要都市ベンガシから約100キロの地点に迫り、ベンガジに大規模な攻撃を仕掛ける構えを見せている。 国連安保理は、軍事行動を含む「あらゆる必要な措置」を通じ、政府軍の攻撃から市民を守る決意を示した。しかし、時間が足りないとの懸念が広がっている。 フランスの外交筋によると、軍事行動は数時間以内に開始され、フランスと英国に加え、恐らく米国とアラブの1カ国が参加すると明らかにした。 しかし、米国の軍当局者は、米国がただちに軍事行動に加わることはないとしている。 国連安保理の採決では、フランス、英国、レバノン、米国が共同提出した決議案に対し、理事会を構成する
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