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2011年9月2日のブックマーク (9件)

  • Amazon.co.jp: 品格の原点: いまなぜ「日本道徳論」なのか (小学館101新書 92): 西村茂樹 (著), 尾田幸雄 (翻訳): 本

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    heis101 2011/09/02
  • 404 Blog Not Found:ガキは熱いうちに打て

    2006年11月16日14:30 カテゴリPsychoengineering ガキは熱いうちに打て 以下をまとめると、次のようになる。 シロクマの屑籠(汎適所属) - いじめる側のメリットが大きくコストが少ない限り、いじめ発生は不可避だろう まず、いじめが現代の子ども達にとってどのような適応促進的メリットを持っているのか、また逆にいじめる事によるコストがどのような状況下で上昇するのかにもっと着眼すべきではないだろうか?分裂勘違い君劇場 - 実際には、いじめる側のメリットは小さくコストが大きいのだが、その損得勘定ができないからいじめが起こる実際には、いじめる側は、トータルではすごく損なのだけど、世間知らずな上に頭が悪い子供は、その辺の損得勘定ができないのじゃないかと思います。 いじめることは人生を連結決算すれば損である。 しかし、子供は単期決算までしか頭がまわらない まず1であるが、分裂勘違

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    heis101 2011/09/02
    「犬をしつけるには、粗相した犬をその場で叱責しなければならない。」「しかし、逆恨みを恐れてはならない。逆恨みが恐くて制裁が出来ないというのであれば、刑法も成り立たなくなってしまう」
  • 分裂勘違い君劇場 - 実際には、いじめる側のメリットは小さくコストが大きいのだが、その損得勘定ができないからいじめが起こる 

    いじめる側のメリットが大きくコストが少ない限り、いじめ発生は不可避だろうの補足。 実際には、いじめる側は、トータルではすごく損なのだけど、世間知らずな上に頭が悪い子供は、その辺の損得勘定ができないのじゃないかと思います。 たとえば、シロクマさんが挙げるいじめのメリット: ・クラス内において自分達がボス集団であることの誇示 ですが、ボス猿にもいろいろ種類がいると思うんですね。 もちろん、「自分に逆らった者を容赦しない」、というところまでは、ほとんどのボス猿がやると思いますけど、「卑怯な弱い者いじめを繰り返す」というのは、別の話であって、それをやるかどうかは、タイプによって違ってくる。 で、卑怯で陰湿な弱いモノいじめを繰り返すようなタイプのボス猿は、実際には、やっててあまり「おいしく」ないと思うわけですよ。 そもそも、「自分よりも明らかに弱い者に、卑怯で陰湿ないやがらせをして優越感を味わう」と

    分裂勘違い君劇場 - 実際には、いじめる側のメリットは小さくコストが大きいのだが、その損得勘定ができないからいじめが起こる 
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    heis101 2011/09/02
    だからせいぜい苛め発生頻度のピークは中学どまりなんだろな。ところで、苛め加害者を卒業して、より気高いボス猿になった者と、そもそもいじめ加害者の経験の無い者とでは、対人スキルにどう差が出てくるだろうか。
  • いじめる側のメリットが大きくコストが少ない限り、いじめ発生は不可避だろう - シロクマの屑籠

    いじめについて色々な事がネットで書かれているのをみると、「誰が悪い奴か」「不可避なことか否か」「いじめられた側/いじめる側はどうすべきか」について書かれているものが多い。また、いじめの多発する現状を異常事態と騒ぐ人も多いようだ。しかし、「いじめの機能を解剖」してみようとか「いじめを通していじめる側が獲得するメリット/コスト」について書かれたテキストは数があまり多くない。 確かにいじめは憂うべき事態なのは分かるけど、ここまで全国津々浦々の中学校に蔓延している以上、いじめを非機能的異常現象として捉えることはもはや適切ではないだろう。私が中学生だった十数年前以来、いじめの構造はほぼ一貫して思春期前期〜中期の学校に存在していたと思う*1。現代の思春期の子にとって、実はいじめは「機能的なもの」で「個人の適応を促進させるもの」で「抑止力が働かない限り必然的にエスカレートするもの」ではないだろうか?いじ

    いじめる側のメリットが大きくコストが少ない限り、いじめ発生は不可避だろう - シロクマの屑籠
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    heis101 2011/09/02
    むしろこういうベーシックな分析がなぜ今まで無かったのかのほうが不思議。おそらくタブーなんだろうね。対人スキルが低いから被害に遭うという話は被害者が悪いという論理に結びつきやすいから。
  • 社会学者や哲学者が原子力に終止符を打った:日経ビジネスオンライン

    (前回から読む) メルケル政権は、「2022年末までに原子力発電所を全廃する」と決断するにあたって、次の2つの委員会に意見を求めた。 ・原子炉安全委員会(RSK) ・安全なエネルギー供給に関する倫理委員会 前回の当コラムでは、RSKが 鑑定書の中に「ドイツの原発には安全性に問題があるので、直ちに止めるべきだ」とは一行も書かなかったことをお伝えした。むしろRSKは「ドイツの原発は、航空機の墜落を除けば、比較的高い耐久性を持っている」と主張し、「福島の事故で得られた知見に照らすと、ドイツの原発では停電と洪水について、福島第一原発よりも高い安全措置が講じられている」と評価したのである。 日の読者の皆さんの中には、「原子力のプロである技術者が原発の停止を勧告していないのに、なぜドイツ政府は脱原発に踏み切ったのだろう」と不思議に思われる方が多いかもしれない。 ドイツでも、RSKが、原発の危険性を指

    社会学者や哲学者が原子力に終止符を打った:日経ビジネスオンライン
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    heis101 2011/09/02
  • 社会学者や哲学者が原子力に終止符を打った (3ページ目):日経ビジネスオンライン

    熊谷 徹 在独ジャーナリスト NHKワシントン特派員などを務めた後、90年からドイツを拠点に過去との対決、統一後のドイツの変化、欧州の政治・経済統合、安全保障問題、エネルギー・環境問題を中心に取材、執筆を続けている。 この著者の記事を見る

    社会学者や哲学者が原子力に終止符を打った (3ページ目):日経ビジネスオンライン
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    heis101 2011/09/02
    「福島事故は、原発の安全性をめぐる、専門家の判断に対する国民の信頼を揺るがした。このため市民は、“制御不可能な大事故の可能性とどう取り組むか”という問題への解答を、もはや専門家に任せることは出来ない」
  • 家族全員と所有物一式を自宅の前に集めた世界中の写真

    自宅の前に家族全員と所有物一式を集めて撮影された写真です。世界30カ国の「中流」と呼ばれる家庭を対象にしており、国によって所有物の量や中身が随分と違っていることが一目でわかります。なお、これらはドイツ出身の写真家ピーター・メンツェルさんによる「地球家族―世界30か国のふつうの暮らし(Material World: A Global Family Portrait)」という1994年に出版された写真集に収められた作品ですので、懐かしい印象を受ける人もいるでしょう。 Flavorwire >> Photos From Around the World of Families and Their Possessions ◆日・東京 90年代の東京の一家。家の大きさに対してすさまじい量の物があります。テレビや冷蔵庫、洗濯機や乾燥機といった家電が置かれ、ピアノやおもちゃなど子どもたちが使っていると

    家族全員と所有物一式を自宅の前に集めた世界中の写真
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    heis101 2011/09/02
    「90年代の東京の一家。家の大きさに対してすさまじい量の物があります。」
  • キャリア教育・追記 - 考えるのが好きだった

    今はキャリア教育というのが流行っているようだ。その講演を聞いた。 不思議なのは「これからどうすべきか」の話で、これまでのキャリア教育について何も考察がないことだった。 自分が子供の頃、NHKで「はたらくお父さん」という教育番組があり、学校で見た覚えがある。「社会科」の一環である。5年生か6年生の時、近所の輸送会社を訪問していろいろな話を伺った。昭和40年代?、ゆとり教育でも何でもない時代、詰め込みの時代である。低学年の頃は「伝記」をたくさん読んだ。学級文庫に低学年向けの伝記がたくさんあった。私の世代で「看護婦(当時の名称)さんになりたい」と思った人の何人かは、世界的に有名な「ナイチンゲール」にあこがれてのことだ。今は昔の話のような気がする。 近年のキャリア教育は、体験を重視するものが多い気がする。インターンシップは言うに及ばず、中学生の職場体験にしても同様である。高校生の保育士希望者のほと

    キャリア教育・追記 - 考えるのが好きだった
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    heis101 2011/09/02
    「今のキャリア教育は、名前が先にあるようだ。昔からキャリア教育は十分に行われていた。「言葉」がなかっただけであろう。過去と現在の対比なくして、「今後のキャリア教育」をなぜ語ることができるかが不思議」
  • 「ヤマザキパンはなぜカビないか」論に見る一般人に対する騙し行為 長村 洋一 (鈴鹿医療科学大学)(pdf)

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    heis101 2011/09/02
    病理は 治癒-非治癒 に対応する一元的な程度要因による、という信念があってこそだろう。「もし、がんを本当に治す薬ができたらどんな病気にも効きますよね」 /「微量のマイコトキシンの長期摂取の問題」